山頂のゴミ
甲斐駒ケ岳山頂・後方は千丈岳
「もしもし 仙水小屋ですか?」
「はいはい」
「今週の土曜日なんですけど。空いていませんか?」
「え〜と。はい。いいですよ。何人ですか?」
「8人ですが・・・」
「わかりました。お受けします。雨が降っても必ず釆てくださいね。」
「ええ。週末は絶対に晴れますから.必ず行きますので・・・」
山小屋のおばさんとの会話であった。
台風13号は西にそれた。週末は夏休み最後の絶好の天気が予想され山小屋は大変な混雑になるだろうとの予測のもと.今までの山行では予約など一度もしていない私は今回に限り初めて宿泊予約を入れたのだった。ところが・・・
8月23日(土)
4台目のマイクロバスに乗り広河原から北沢峠に到着し.30分ほど北沢を登りつめ仙水小屋で宿泊手続きを始めると.山小屋の親父さんは予約を受けていないと言う。そのやりとりの途中でも.予約なしの登山者が次々に宿泊を断られ北沢峠まで下っていく。
私は確かに予約を入れたのだからと.登山届けに記入してある予約先の電話番号を伝えると.親父さんはあっさり「今はその電話番号は使っていません」と鉛筆で2本線を引いてしまった。里にいるお袋さんと親父さんとの間の連格がされていなかったのだ。
一瞬ギョッとなったがこのまま北沢峠に引き返しても3軒ある山小屋はどこも満員であるのを.予約を入れたときに確認済みであった。ここ仙水小屋も満員とのことだが宿泊を断られたらテントを持たない私たち8人は途方にくれる。今回のトラブルは私のミスではない。親父さんとの無言のひとときが過ぎると「いいですよ。どうぞ入って下さい」と受け入れてくれホッと胸をなでおろしたのである。このやりとりをベンチで待つ仲間は知るよしもない。
今回のメンバーは8人。おなじみのサングラスのポパイ吉原。しばらく眠れる森の熊であったが最近目覚めた新婚の鎌倉。スキーで骨折した左足をかばいながらのヌーボー沼沢。初参如ながらネパールにトレッキングに行ってきたという山下。サッカーボーイの米山と碓井。体型はそっくりそのままアンパンマン丸橋。それに私である。毎年メンバーが少しずつ変わっているが、よく酒を飲むパ−ティに変わりはない。
仙水小屋は南アルプスの山小屋の中で最高の食事を出すと評判である。山小屋という限定があるので豪華ではないが「ふ〜む」とうなるような夕食となった。空には半月が青白く輝き無数の星が瞬いている。明日は確実に晴天となるだろう。ウイスキーの酔いが急速に深い眠りへと引き込んでいく。
8月24日(日)
「みなさん。朝ですよ〜 。起きて下さ〜 い 」
と声をかけられたのは午前4時である。全員起こされて小屋の外へ出され今まで寝ていたところは食堂へと早変わり。
「こんなに早く起こされた山小屋は初めてだなぁ」などとボヤキながらも.それぞれは顔を洗いに外へ出ていく。
仙水小屋の前の水は手が切れるような冷たさである。口に含むと歯にしみる冷たさだ。自然水でこのように冷たい水はそうざらにはない。北沢峠の長衛荘には「千丈の湧き水」が引き込まれているが、こちらの水のほうが断然冷たい。そしてうまい。
朝食後、いよいよ甲斐駒ヶ岳へ向けての出発である。20分ほどで仙水峠に着く。目指す甲斐駒ヶ岳は摩利支天を右に従えた堂々とした雄姿を登場させる。でっかく.がっちりした姿である。以前、八ヶ岳を北から縦走した時に権現岳から 中央線を挟んで対時していた山が眼前に登場した甲斐駒ヶ岳だった。
甲斐駒ヶ岳はとても美しい山だと思う。山頂付近は花陶岩がむきだしになっているため、あたかも雪が降った如く白い山肌を露出させている。それが日光に眩しく輝いているのである。以前、「先生、キスしたことありますか?」のテレビコマーシャルで登場し.現在はおじいちゃんと孫との会話を流している「南アルプスの天然水」に四季折々の姿で映し出されている山が甲斐駒ヶ岳である。
甲斐駒ケ岳への急登・後方は北岳
仙水峠から左に折れるといよいよ樹林帯のなかの急登が始まる。木の根とゴロゴロ転がる岩を避けながらの登りは一気に膝と腱に負担がかかってくる。汗がポタポタ落ちはじめる30分を一応の目安とし.休憩を挟みながら登っていくと.駒津峰という絶好の展望地へと辿り着く。今日は雲ひとつなく本当によく晴れている。
明日登る予定の仙丈岳も広いスカートを見せながら.たおやかに登場してくる。仙丈岳は南アルプスの女王という名が冠せられているが静かな気品高い山の感じを受ける。
北岳から間ノ岳、そのず〜と奥の塩見岳と連なる奥深い緑の山々。左には栗沢山から浅夜峰、更には地蔵岳、観音岳、薬師岳の鳳凰三山と続く早川尾根。その後方には日本一の富士の山がドーンと登場している。
前方には甲斐駒ヶ岳本峰と犀利支天が覆いかぶさるように聳え立っているが山肌の白さゆえ威圧感というものは感じられない。駒ヶ岳本峰への登りは今回の私たちのパーティには初心者も含まれているため.岩場の直登を避け右側のトラパース道へ進む。岩は濡れていないが危換箇所を予め避けたのである。
山小屋の朝食が早かったためタイムスケジュールに余裕がある。当初予定していなかった摩利支天へも1時間の寄り道をしていくことにした。砂礫の道をトラパースし山頂こ立つ。その昔、山岳仏教の修験道としての面影が強く残っている山頂であり.数々の石碑や像が立っている。実に静かな山頂である。山全体としては北アルプスの燕岳によく似ている。花崗岩の石質。途中までのハイマツの緑と白のコントラストが美しい。摩利支天は駒ヶ岳本峰からせりでたドームでヘルメット状の丸い山頂である。しかし南側は絶壁となって切れ落ちている。その壁を吹き上げてくる風が心地よい。さあ.一休みしたら登山再開である。
駒ケ岳本峰への登山道は犀利支天から分岐点まで戻り.砂礫の道を30分ほど登ると駒ケ嶽神社奥社の祠が2社建っている山頂へと到着する。1社は木造りであり.風雨に晒されて半壊している。その横の石造りの真新しい祠は建ったばかりのようである。この奥社から右側に黒戸尾根への表参道が麓の駒ケ嶽神社まで開かれている。南アルプス林道が北沢峠まで延び、今回私たちが登ってさたコースが主流となるまでは、厳しく長い黒戸尾根コースを辿って山頂まで登ってきたわけである。
駒津峰での休憩・後方は甲斐駒ケ岳
この山頂から左へ2〜3分のところに立派な石造りの祠が建っている。ここには30〜40人位の人たちが360度の展望を堪能している。北アルプス.中央アルプス.南アルプスという日本の中部山岳地帯に位置する山々が一望のもとに見渡せるのである。こういう展望の中で感じることは登ってきて本当によかったという感動である。感動を得るためにはプロセスが必要であることを実感する時でもある。この山には北沢峠までバスが入るようになったとはいえ.ロープウェイもケーブルカーもリフトも架かってはいない。自分の足で一歩一歩登ってこなくてはならないのである。山頂での喜びが一番大きかったのは初参如で息をゼイゼイさせながら、やっと山頂までやってきたアンパンマン丸橋であった。
一休みした後.標柱の周りを見る。どの山頂にも1つか2つの登頂記念の坂が転がっている。これは山のゴミである。食事のあとの袋や果物の皮類、空き缶等は何かと問題になるが、残された登頂記念プレートはゴミとして問題となっていない。しかしこれらもゴミである。私は登頂するたびにその記念として山頂に残されたプレートのひとつを持ちかえる。環境庁や都道府県あるいは地元の山岳会が設置した棲注に手をかけるのはもってのほかであるが、山頂に転がっている登頂記念プレートはゴミなのである。本来、記念写真を撮ったら.プレートは持ってきた人が山を汚さないために持ちかえるべきものなのだ。
1997、8、31、記