大絶景の早川尾根へ
10/13(日)快晴
今朝は本当に冷え込んだ。
昨日、北沢峠の北沢長衛小屋前テント場にテントを張った。1年振りのテント山行だった。しかし、今までの山行の中で最大の失敗をした。何かといえばテント山行にも係わらずシュラフを忘れて来てしまったのだ。シュラフを忘れたのが判ったのは「特急・あずさ5号」に乗るために新宿へ向かっている電車の中だった。忘れたのが判明した時、一瞬、山行を中止して家に帰ろうかと考えたが、連休の天気予報は快晴であることが間違いなく、中止するよりも実行することを選択した。
15時にテント設営手続きを終える。設営料は500円だった。静かに流れる北沢脇のテント場は既に色とりどりのテントが70張ほど設営されていた。私も地面が平らの所を探し、隣のテントと適当な間隔をおいて張った。ドーム型テントなので設営は5分と経たない。以前の家型テントの設営に比べれば実に簡単なのだ。
早速、長衛小屋前の自動販売機から缶ビールを2缶買ってきて飲み始める。ツマミは甲府駅前のスーパーで買ってきた夕食用の幕の内弁当である。テント内で飲んでいるがナイロン生地1枚の夏用テントなので陽を受けてとても明るい。食事が終了した後は持参した文庫本を読み始める。南木桂士の『ダイヤモンドダスト』だった。ここまではよかった。問題はテントで横になってからであった。
長衛小屋前テント場
テント内の地面側は断熱シートを敷いているため体温を吸い取られるのは遮断できる。
しかし、内側温度はテントが薄い生地のため外気温と変わらない。シュラフが無いため上半身は、Tシャツ、半袖シャツ、厚めの長袖シャツ、トレーナー、フリース、カッパと6枚の重ね着であり、下半身はズボン、トレパン、カッパの3枚重ね履き、靴下は2重にし、腰にはヤッケを巻きザックに両足を突っ込んで横になった。暫くはいいのだが30分も経つと寒さが身体に迫ってくる。午前0時頃までは30分間隔で身体を動かし身体を温めていたが、いよいよ足先が冷たくなってきたのでトイレに行ったのを契機として登山靴を履いたままザックの中に入れる。それでも30分間隔で身体を動かし温めないと寒さのため身体の芯から湧き出てくる震えに耐えることができない。早く夜が明けないかと待ちわびながらの状態が朝まで続いたのであった。冷え込みの厳しさのため3回もトイレに立つ状態であったが、その度に見上げた漆黒の上空に瞬く星の多さには本当に吃驚した。都会では見ることの出来ない星の瞬きであった。しかしながら「夜は凍ってしまうので水は流し放しにしておいて下さい」という炊事場の注意書きが身に沁みる、いやはやなんともの初体験であった。
初冠雪の北岳とナナカマド
さて、なんとか静かな朝を迎えテント内ですばやく朝食を済ませ早川尾根縦走の準備を進める。テントは朝露に濡れ重くなっている。手早く畳み込みザック内に収納し、北沢を渡った地点で甲斐駒ケ岳への登山者の群れと別れ、一人針葉樹林の中の急登を開始する。
登山地図では2036mのテント場から2714mの栗沢山頂上までの700mの登りが2時間10分とある。見通しの利かない針葉樹林の中での急登は気が滅入るものだが、苔むした倒木や静かな中で聞こえてくる小鳥の囀りに心が和む。しかし、見通しの利かない樹林を抜け這い松に覆われた山頂部に出た時の開放感は実に素晴らしい。
北側に雪と見間違う真っ白な花崗岩の頭頂部を抱えるガッシリとした甲斐駒ケ岳が聳え、その左へ鋸岳から烏帽子岳へと急峻な山並みが続く。奥には槍ヶ岳や穂高連峰の北アルプス連山、中央アルプス連山が遠望出来る。更に左へ目を転じるとカールが優しい仙丈岳が大きくスカートの裾を拡げている。南アルプスの山々の中でアプローチの容易さから最も人気のある甲斐駒ケ岳と仙丈岳は北沢峠を挟んで対峙している。花崗岩の荒々しいゴツゴツした岩山である甲斐駒ケ岳は男性的印象を受け、それに対して仙丈岳は緑が多くたおやかな包容力の大きい女性的印象を受ける。最近は男性的、女性的という言葉が当てはまらない事象を目にし耳にすることが増えているが対照的に聳え立つ2山であることは変わらない。
甲斐駒ケ岳
更に仙丈岳の左へと目を移していくと遠くに塩見岳のピラミダルの山影から間ノ岳、北岳へと稜線は競り上がっている。間ノ岳も北岳も既に初冠雪のため山襞は白く染められている。北岳バットレスは南側に切れ落ちているが、岩石の硬さをこびりついている雪の陰影が一層引き立たせている。
今回の栗沢山から始まる早川尾根の縦走は、私がこれまで登った山々の展望を楽しむ山旅として位置付けてもので、栗沢山山頂からの眺望で目的の半分は達成された。先週登ってきた北アルプスの焼岳の紅葉に比べ、今回の南アルプスの山々は広葉樹が多いせいか黄色味を帯びている。大きな山全体が色づき散りながら冬への移行準備を開始しているのを、その自然の只中に浸りながら実感する。四季の移ろいを身近に感じることが少なくなっている都市生活者にとって、意識的に自然の中に身を置きながら生命の輪廻転生の息吹を感じることはとても必要なことに思える。なぜならば人間自体が自然の一部分であることを常に自覚し続けなければならないと思うからであり、それを忘れた時に人間の驕りと横暴の自制が出来なくなり、共生を忘れた自己中心の世界へと進まざるを得ない。
仙丈岳
栗沢山山頂から岩が混じる登山道は浅夜峰へと尾根伝いに伸びている。雲ひとつない快晴の尾根歩きは実に爽快である。北沢峠からの登山者の大多数は日本百名山の甲斐駒ケ岳と仙丈岳へ登ってしまい早川尾根へは足を向けないのである。それが幸いして実に静かな山旅が体験できるのである。何処でも元気でお喋りを止めない中年おばさんの集団と出会わず、静かな山間に抱かれることは実に喜ばしく嬉しいことである。
浅夜峰に攀じ登った瞬間、南側の展望が開け突然富士山が眼に飛び込んできた。吃驚した。富士山は空気層の影響で5段階に染められ、左右対称の秀麗な姿を静かに立ち上げている。2799mの浅夜峰頂上からの眺めは、日本第1の高峰・富士山と第2の高峰・北岳の両山が指呼の間に見渡せ実に贅沢である。富士山の手前には昨年歩いたオベリスクの特徴ある山頂の地蔵岳、広い山頂の観音岳、その先の薬師岳といういわゆる鳳凰三山が連なり、左に少し離れて赤岳、横岳、硫黄岳から蓼科山までの八ヶ岳連峰が並んでいる。360度の大展望が満喫できる光景は描写できるがその感慨
は表現しがたい。結局、素晴らしいの一言に集約せざるを得ない
鳳凰三山と富士山
浅夜峰頂上からの眺めを充分堪能した後、早川尾根を広河原峠へと歩を進める。広葉樹林の中の登山道は落ち葉のクッションで少し沈みながら快い感触を登山靴に与える。
木々に囲まれた静かな早川小屋では小屋番の人たちが屋根に上がり、昨夜の登山客が使用した布団の天日乾しの最中であった。小屋前のテント場にはまだ3張のテントが張られ、丸太のベンチではウイスキーのお湯割を静かに飲む若者がおり、一段上がったテーブルでは2人の若者と3人の家族連れが談笑している。私は休まず直進し広河原峠へと進む。
以前は北岳に登るには大武川上部の赤薙沢から広河原峠を越え広河原に出るコースが最短であったが、1959年の台風によって赤薙沢の登山道が流失してしまった。その2年後の1961年に野呂川林道が広河原まで延びたことによって赤薙沢の登山道は修復されぬまま廃道となってしまった。登山地図の「廃道」の赤文字に、かつて北岳登山で賑わった道を遠く偲ばずにはいられない。
峠に立つ赤錆びた道標が表すように広河原峠は忘れられた峠となる。広河原峠から広河原へと下る道はただひたすらに樹林の中を急降下していく。ところどころルートを見失うほど道は荒れている。これも時代の流れなのだが、かつてこのルートを多くの若者が北岳を目指して汗を流しながら樹林を急降下していったことを追体験しながら下った。
2002、10、20、記、