お父さんは春から秋まで山登りをします。

夏は毎年、クラブの仲間と3000m縦走に行きます。

2003年は剣岳へ行く予定です。

 

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表銀座から槍ヶ岳へ

  

2002、8、26、

台風13号が北にそれ日本列島上空から雨雲は去った。心配していた天候は大丈夫のようだ。毎年恒例になっているミーハ―・クライミング・クラブの夏山登山は4泊5日の日程で北アルプス表銀座コースを歩いた。

 今回の参加者は往年の迫力が若干弱まった感じがするポパイ吉原。近頃薄毛が目立ちはじめたプレイボーイ米山。相変わらず口達者の碓井。生真面目一直線の山本。いつもガイドブックを読みながらの勤勉小林。7月に父親になったばかりの最年少の大。そしてリーダーのエイトマンの7名であった。

                            

 新宿都庁駐車場発、22時30分の夜行バスは翌朝4時30分に穂高神社脇に到着する。穂高駅前まで歩き、早朝5時までのタクシー料金は深夜料金のため2割増しなのだが、2割増しをしないように運転手と交渉したあと、途中のコンビニで朝食と昼食の握り飯を買い込み中房温泉へと向かう。

 中房温泉脇に燕岳登山口がある。私にとって燕岳登山は3回目である。登山口で入山届を提出しコンビニで買い込んだ握り飯を腹に収めペットボトルに温泉で温められている水を補給するといよいよ日本3大急登のひとつに数えられている合戦尾根を一歩一歩登り始める。

 パーティーの先頭を歩く私の歩き方は25分歩いて5分の休憩を基本としている。従って今回もそのようなペースで歩き始めたのだが、合戦尾根コースはその歩調に合わせるように第1ベンチ、第2ベンチ、第3ベンチ、富士見ベンチと続き、名物のスイカが待っている合戦小屋へと進んでいく。合戦小屋に着く頃には昨晩新宿の居酒屋・魚民で飲んだビール、サワー、バスの中で飲んだ日本酒にウイスキーが汗となって身体から出て行き本来の調子が戻ってくる。毎回食べているスイカは1個を8等分した大きさで800円である。これを食べるとなぜか元気が出るのだ。あと2時間で槍ヶ岳に連なる北アルプスの稜線に出逢えることとも無縁ではないと思うが、とても甘くて美味しい。

 

 燕山荘に到着したのは10時であった。早速宿泊手続きをとったあと白砂青松のコントラストの美しい花崗岩の燕岳山頂へ向かう。燕岳は北アルプスの山々の中で白馬岳と人気を2分する高山植物・花の山である。澄み渡る空気に包まれ可憐な花々が咲き清潔感の漂う白砂の道を歩きながら昨日までの雑踏の娑婆から切り離された非日常の世界にドップリと浸かる。同じ北アルプスの山々の中で岩石が折り重なる穂高岳から受ける父親の厳しいイメージに対比し、燕岳の丸くたおやかな山容は母親のような暖かさが感じられ何度訪れても純粋に心が洗われていくようだ。私はこの山が好きだ。

燕岳山頂からの360度の眺めは北から白馬岳、鹿島槍ヶ岳の後立山連峰に始まり、剣・立山連峰、鷲羽岳、野口五郎岳を中心とする裏銀座主稜線、その向こうに五色が原から薬師岳が連なり、南に下れば勇壮な北鎌尾根から小槍を従えて天に聳える槍ヶ岳が登場し、東鎌尾根から大天井岳、更には穂高連峰が連なり、常念岳から遠くには南アルプスの山々が遠望でき、いつまで見ていても飽きないまさに絶景の大パノラマが展開する。

 1時間程で山荘に戻ってきたあとは昼食を兼ねた宴会が始まる。まずは1杯1000円の大ジョッキの生ビールからスタートしウイスキーへと流れ、宴会は夕食の5時まで続く。炎天下、紫外線がこれでもかと降り注ぐ中での全く身体に悪い毎度毎度の懲りない  3000mでの宴会である。この宴会の中でたわいもないことを、お互い遠慮なく話しあっていくことが仲間意識を形づくっていく。

 翌朝も本当に雲ひとつなく晴れ上がっている。日の出は5時13分だった。薄紫の空が時の流れとともに色が薄い空色から黄色に変化すると雲海の中から橙色に輝く太陽が昇りだす。光りの矢が放たれる瞬間は何回観ても感動する。後ろ側に聳える槍ヶ岳はモルゲンロートに包まれ赤味を増している。

 朝食後、準備を整え朝の清々しい空気の中を大天井岳に向けての稜線漫歩をスタートさせる。足元にはコマクサがピンクの花を咲かせ、トウヤクリンドウは薄黄色の花を垂直に立て、ミヤマダイコンソウは真黄色の花、タカネツメクサは純白の可憐な花を咲かす。これらの花々を見ながらの雲上の散歩道は2時間続き、この燕岳から槍ヶ岳までの縦走路を切り開いた猟師・小林喜作のレリーフが嵌め込まれた大岩を通過するとまもなく本格的な岩場が登場する。鎖や梯子を頼りにし3点支持を確実にゆっくりと進んでいくと赤い屋根の大天井ヒュッテの上に出た。

 吉原と米山、それに私がコッヘルにお湯を沸かしラーメンを作り、燕山荘で作ってもらった筍の皮で包まれたもち米の雑ぜご飯おにぎりで昼食である。これが実に美味い。

 1時間の休憩の後、今までの岩場とはうって変わって牛首山南側のダケカンバの茂る平坦な登山道をゆるやかに昇り降りしながら進み、尾根道に出るや鋸の刃のような北鎌尾根から槍ヶ岳が大迫力で眼前に登場する。北鎌尾根から槍ヶ岳のコースはあまりにも危険なため登山ガイドブックからは消されてしまったが、そのコースへの「貧乏沢入口」の小さな指標が立っている。全くウームとうなってしまう迫力ある光景である。特に山腹に残る間の沢のY字雪渓が印象的だ。

 2泊目の山小屋である西岳ヒュッテには12時に到着し、なにはともあれ槍をつまみに生ビールで乾杯の面々である。

 今回のコースで最も緊張するのは西岳ヒュッテから槍ヶ岳の間であり、表銀座コースという名前からのイメージとは全く異なり鎖や梯子、痩せ尾根が連続し少しも気を抜くことが出来ない。東鎌尾根と呼ばれており、その核心部は1998年の群発地震の際に登山道が崩れ、新たに新ルートを切り開いた約20mの3連鉄梯子が架かる通称「窓」と呼ばれている箇所である。梯子は下りよりも上りのほうが断然に楽であるが、あいにく3連鉄梯子の通過は足元の見える下りであり、掛け値なしで正真正銘に肝を冷やす。実感として出た冷や汗は登山道の脇に熟している小さいながらも青紫の野生ブルーベリーの実を数個口に含むことによって癒される。

片側が切れ落ちた岩場につけられた50cm程の縦走路を進むときや、谷から吹き上げてくる強風にバランスを失いがちになるが滑落すればまず生きている保障はないだろう。そのような縦走路が東鎌尾根である。ヒュッテ大槍に到着しホッと一息いれるが、まだ東鎌尾根は槍ヶ岳までの仕上げの30分を残しており改めて気合を入れなおして槍ヶ岳山荘へ向かう。

 

昨日の雲ひとつなく晴れ上がった天候とは異なり今日はガスがかかり周りの景色は見えない。展望がよくないのが幸いしてか谷底も見えないため高低感が薄く感じられ脚がすくむような縦走路でもメンバーは元気に進んでいく。

槍ヶ岳の肩に建つ槍ヶ岳山荘に到着したのは10時だった。天をつく槍の勇姿は白いガスに包まれ全く姿を見ることが出来ない。7年前に双六岳から西鎌尾根を登って槍ヶ岳まで来た時に低気圧の通過による悪天候のため登頂を断念しているので今回のリベンジも不発に終わるのかという思いが一瞬脳裏をかすめた。私は12年前に一度槍ヶ岳の山頂に立っているので天候が悪ければ今回も山頂に登らなくてもかまわないと思っていたのだが、ポパイ吉原の「ここまで来たんだから山頂の祠の写真を撮ってこなきゃあ」という言葉に促され、左足膝を痛めてしまった山本を残してメンバーは登頂を開始する。

当然のことながら鎖や梯子が連続し混雑回避と事故防止のため上りと下りは一方通行になっている場所が多いのだが、山頂直下の2連梯子は交互通行のためお互いが譲り合って昇り降りをしなければならず、擦れ違い待機するにしても限られた場所で自分自身が落ちないようにしっかりした足場を確保し岩角を掴んでいなければならず結構やっかいだ。以前、槍の穂先に登頂した時は最後の梯子の横に平たい大きな岩がありグラグラ揺れていたことを思い出したが、その岩も群発地震の際に崩れ落ち梯子はしっかりとコンクリートで固められていた。

鉄梯子は霧のために濡れており滑りやすく緊張するが一段一段を確実に上っていく。槍の穂先は割合と広く平らな瓢箪型をしており北の端に祠が祭ってある。私たちが上ったときには先客が8人おり、私たち6人が上ってもまだまだ余裕があるので一度に30人くらいは上れるだろう。

祠の前で登頂記念の写真を撮っていたら今まで真っ白の霧中の世界が瞬間的に切り開かれ青空が広がり、槍の肩に建つ槍ヶ岳山荘が見えた。私は真っ赤なウインドブレーカーを着込んでおり、山荘に向かって手を振ったのを下で待機していた山本が見たという。山頂にいたのは5分くらいだと思うが青空の下で写真撮影が出来たのは実にラッキーだった。

槍ヶ岳山荘まで戻り昼食にしようとすると、なんと大手町ビルの同一フロアにいる川崎君がメガネの奥の人なつこい眼をして登場したのである。いやはやビックリである。川崎君は単独行のテント山行とのことで山荘のラーメンを食べ下山しようとしていた矢先とのことであった。なにはともあれ川崎君とともにビールで槍ヶ岳登頂記念の乾杯であった。

槍の穂先への登頂にたいして「今までの山登りの中で最後の梯子のところが一番怖かった。本当にビビッた」とビールを飲みながら最年少の大は感想を話した。しかし「天候悪化でみんなが登頂を断念しても、吉原さんとふたりで上るつもりでいたからリベンジが出来てホッとした」という感想を述べたのも大である。穂先への登頂を無事に成し遂げることができ、それぞれの感想を胸に槍沢を下った。

下山途中の雪渓で硬くなった雪をマグカップで削って練乳をかけたカキ氷に喉を潤したり、沢で冷やしたビールを飲みながら東京から背負っていったスイカを食べたり、サンショウウオを探したりしながらの沢遊び、また、上高地に下山してゆったりと入った上高地温泉ホテルの露天風呂も山旅の思い出となり、天候にも恵まれた今回の山行は非常に思いで深いものとなった。

                                       2002、8、31、記、

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