ササの海・宮之浦岳へ
日本最南端の高層湿原である花之江河
4月21日 小雨のち曇
青いシュラフにもぐりこみ小屋の板の間にころがっていると、聞こえてくるのはウグイスの鳴き声のみだ。実に静かな時間が流れて行く。ここは、屋久島・新高塚小屋。
昨晩、淀川小屋で聞いた天気予報によると、中国大陸に発生した低気圧の移動が速く、昨夜半から本日にかけて九州・四国を通過し、種子島や屋久島は雷の恐れがあるとのこと。
深夜、2〜3時頃、小屋の屋根を打つ雨音の強さに、今日の行動をどうしようかと悩んでいたわけだが、5時に目覚めると小鳥のさえずりが聞こえるではないか。雨は降っていないのだ。シュラフのなかで、おもわずラッキーと叫ぶ。しかし、必ず降られることを前提に宮之浦岳への登山準備を進め、朝食後6時に花之江河に向かって登り出す。
鬱蒼とした屋久杉の森の中を登って行くわけだが、30分も登らないうちに雨が降り出す。雨は降り出したものの、空が暗くないので大降りにはならないだろうと予想できる。屋久杉の倒れたものや、台風にへし折られても自己の存在をアピールしている老杉などのあいだを、杉の根っこなどにつかまりながら登って行く。原始の森は、まるで『もののけ姫』の世界である。
と、登山道の左側に「とうふ岩」とか「食パン岩」とか呼ばれている独特の巨岩の山頂をもつ高盤岳が見える。こういう形の山頂をみると、実に自然は偉大な芸術家、というのを実感する。
日本最南端の高層湿原である花之江河は4月下旬とはいえ、まだ春の息吹は感じられず、ミズゴケもミズクサも褐色に枯れたままだ。尾瀬湿原と同様に、湿原を荒らさないための木道が整備されている。湿原の広さはあまり大きくはない。雨にしっとり濡れている湿原の向こうに双耳峰の黒味岳が望める。天候が良かったならば山頂まで登りたいのだが、あいにくの天候のため今回はパスする。
登山道の脇には、いたるところに石楠花が生えており、蕾も大きくふくらみ、1ヶ月後に花開く頃は素晴らしく綺麗な光景が展開されるのだろうなあと想像する。石楠花は好きな花なので、再度、屋久島を訪れる時は花の咲く時期にゆっくり見たいと思う。
投石湿原から投石平に出たとたん、強烈な風を正面に受ける。今まで偶然に登山道が西風を受けなかったようだ。突然の強風にビックリした。前方に目指す宮之浦岳が一瞬、眼に飛びこんできたが、すぐにガスの中に消えてしまった。相変わらず小雨が降ったり止んだりしているが、気温が高いために気にはならない。
登山道はヤクザサの中を登ることになる。あちこちに奥岳といわれる山々が登場してくるが、すべてヤクザサに覆われ花崗岩の大岩が露出している。いままでいろいろな山を登ってきたが、こういう光景は始めてである。最後の水場を通過するころ小雨が止んだ。目指す宮之浦岳山頂はもうすぐだ。
小雨まじりの宮之浦岳山頂
山頂に到着したのは登り始めてから2時間40分後だった。とても早いペースだ。いつ崩れるかもしれない天候を考え、写真を撮ること以外は立ち止まらずに歩き通して来たからだ。
宮之浦岳山頂からの眺望は当然のことながら屋久島第1の高峰であるから360度の大展望となり、天気さえ良ければ薩摩半島の開聞岳も望めるのだが、今日は無理だ。しかし目前には屋久島第2の高峰である永田岳が聳えている。当初の計画では永田岳も縦走計画に入っていたのだが、あいにくの天候のため、やむなくカットせざるをえない。残念だ。
小雨は止んだが風が強い。雨が落ちてこないうちに新高塚小屋まで下ろうと思うが、淀川小屋から宮之浦岳までの登山道に比べ整備が悪い。身の丈を越すヤクザサの中を捻挫に注意し、足元を確かめながら下る。単独登山の場合、捻挫と滑落は致命傷となる。
登山道を歩くと、まるでササの海の中を泳いでいるように感じられる。数年前、作家の椎名誠がモンゴルに出かけ『白い馬』という映画を撮影した。撮影の合間に自らカメラに撮った写真をピックアップし、モンゴルの大草原をテーマに『草の海』という写真集を編集したが、それに対比するならば、ここ宮之浦岳を中心とした奥岳地域は、文字通り「ササの海」の中にある。緑のササが一面に広がり、精神が開放されるような明るい光景である。ササの海を下り、第2展望台、第1展望台と下っていくにしたがい、再び屋久杉もあちこちに現れ、原始の森へと入っていく。
屋久島は、作家・林芙美子が『浮雲』のなかで屋久島営林署に赴任する主人公・富岡を港に迎えに出た田付との会話で「はア、一ヶ月、ほとんど雨ですな。屋久島は月のうち、三十五日は雨という位でございますからね……」と書いたように降水量が非常に多い島である。2日間山に入れば、必ず1日は雨に見まわれるところでもある。今日は天気予報に反し小雨だった。ササの海を歩いたために全身、ビッショリとなったが、大雨や雷にならなかったことに感謝せねばならないだろう。
4月22日 快晴
連想ゲームで「屋久島」と言ったら、多くの人は「縄文杉」と答えるだろう。「縄文杉」は世界で一番長生きしている生物である。杉が生きてきた7000年という年月は、想像を絶する。長命になったとはいえ人間の一生は80年である。杉は30数年前に地元の人に発見されるまで、気の遠くなる歳月を静かに成長しつづけてきた。その杉はどんなものなのか、一目、逢いたいものだと思った。そして逢った。
でかい、太い、大きい、これが杉か、圧倒される。
子どもの頃、よく村の神社で遊んだ。何本も大きな杉の木があった。今は一本も残らず切り倒されてしまったが、子ども心にも大きな杉の木だった。それらの杉とは比較にならないごっつい杉が「縄文杉」だった。まるで杉という感じがしなかったのが不思議だ。
圧倒的存在の縄文杉
今、杉に直接触ることは出来ない。杉を保護するために造られた見物櫓から見るだけだ。杉の周りの木々を切ったことで根元に直接日光が差し、土は乾燥した。見物客が押しかけ根元の土を踏み固めた。杉は息苦しくなった。やがて枯れてしまうかもしれない。人間は慌てて見物櫓を作り、杉を元の静かな世界に戻そうと考えた。だが、はたして人間の思惑通りに出来るだろうか。
屋久島が世界遺産に登録された以降、また、中高年の「100名山登山ブーム」もあり、屋久島への観光客は増加の一途をたどっているという。実際、登山道や木道は次々に整備されている。このままいけば、オーバーユースになるのは目に見えている。屋久島の原始の森を後世に残すために世界遺産に登録した結果、皮肉にも観光客が押し寄せ、自然そのものを壊しつつある現実を考えると難しい問題である。
下山コースは大株歩道から白谷雲水峡を通り、江戸時代からの古道・楠川歩道を歩き楠川集落に下った。このコースは実に良かった。苔むす岩の合間から流れ出る清流にのどを潤し、朽ち果てる倒木の上に伸びはじめた新たな生命の息吹を発見し、下るほどに木々は青さを増し、山桜の散る中を下る。
ヤクシカやヤクサルにも出会った。屋久島はヒト2万、シカ2万、サル2万といわれている。山道を歩いていると自然にヤクシカやヤクサルにも出会えるのだ。
ヤクシカは人間が石を投げたりしていじめないから、実にのんびりしている。2mほどの近くに行っても、じっとこちらを見つめるだけで逃げようとはしない。倒木を覆う緑の苔を食べていた。かわいい瞳が印象的だ。それにひきかえヤクサルは集落近くまで降りて農作物を荒らすので、あまりよく思われていないようだ。林道のあちこちに観光客にたいする注意として「サルにエサをあげないで下さい」の看板が立っているのを見かける。
新高塚小屋から7時間30分、休むことなく歩きとおして楠川集落のバス停に到着した。体は熱中症にかかったように熱かった。バス停の隣の立派な休憩所でしばらく休んでも、全く体温が下がらなかった。ビールを飲みたくて酒屋を探すが、そのようなものはない。まして、コンビニエンスストアなど望むべくもない。諦めて2時間に1本のバスが来るのを待つ。
1時間待ったバスが空港に到着するやいなや、真っ先に食堂に掛けこみ、生ビールをガンガン飲んだのはいうまでもないことである。吸い取り紙にアッというまにしみこむように、ビールが身体の細胞の一つひとつに本当にしみこむような感じであった。こういうときの喉ごしの生ビールは特別のものだ。本当に、生きていることを実感する。
今回の山行も単独だった。自分で日程とコースを考え、航空券を手配し、無人小屋泊まりとはいえ万が一、小屋が満杯の場合を考えてテントをかつぎ縦走をした。当然のことながら山小屋には電気も電話も食料もない。暗くなれば眠り、明るくなれば起きる。自然のサイクルの中に身を置き、ザックのすみに入れてきた池波正太郎の文庫本を、ときたまウグイスやシジュウカラの鳴き声が聞こえてくるなかで読む。そこには忙しい日常生活から切り離され、自分自身を見つめなおす時が流れて行く。
2000、4、29、記