ブロッケンの妖怪に会えた

中房温泉〜燕岳〜常念岳〜蝶ヶ岳〜長塀山〜上高地

大天井岳山頂で昼食休憩

8月24日

 日本列島を日本海側から太平洋側へと通過する前線の動きが緩慢である。本来ならば既に前線通過後の快晴が望めるはずなのだが、それとは裏腹の小雨の中を燕岳へ向けて登り始める。中房温泉からの登山道は北アルプス3大急登のひとつと言われている。しかも、いきなり急登が始まる。見晴らしが全くきかない樹林帯のなかの急登なので気持ちも塞ぎ気味となるが、合戦小屋でのスイカを目当てにほぼ30分を目安に休憩を取りながらゆっくりペースで登っていく。

 7年前に4人パーティで登った時は中房温泉で朝食を済ませ、一風呂浴びてからの登りだったので二日酔いと風呂上りのダルさが加わり、ほうほうのていで合戦小屋まで辿り着いたことを覚えている。

 合戦小屋につく頃に小雨は止んだ。時折、青空も顔を出すが動きの速い雲にすぐ覆われてしまう。天候が不安定だ。合戦小屋のスイカは1/8切りが800円で売られていた。甘くて美味い。やわらかい甘さが汗びっしょりの身体に元気を呼び戻してくれるようだ。

 

 今回のパーティは8名である。サングラスのポパイ吉原。名探偵コナン似の小学6年生の吉原ジュニア。大酒飲みの眠れる森の熊・鎌倉。今回初登山する色男の米山。はるばる広島からやって来た新婚の光永。おなじみのヌーボー沼沢。ただいま連れ合い妊娠中の新婚の碓井。それに私である。このほかに3人が参加予定だったが仕事との調整がつかず、私の息子の小学2年生の大も一緒に行く予定だったが扁桃腺炎でダウンし見送りとなった。

 燕山荘に到着し宿泊手続きを取る。一泊三食(昼食弁当つき)で9500円である。今日の宿泊客は多い。夕食後に食堂でバイオリンコンサートが行われるのだ。昨年の槍ヶ岳山荘でもクラッシックコンサート当日の宿泊となったが、北アルプスの山小屋では登山客の呼び込みイベントとしてコンサートを年間企画するところが多い。こういうのを目当てに登ってくる中高年登山者は結構多いのだ。

 早速、日の当たりだしたベンチで昼食となるが、昼食とは名ばかりのビールにウィスキーでの酒盛りである。どこに行ってもすぐに飲みだす懲りない連中である。生ビールは大ジョッキが1000円。缶ビールは350mlのレギュラーサイズが500円である。山小屋へはヘリコプターで一気に荷揚げするのだが3000mの雲上で手軽にビールを飲めるいい時代である。

 

 2時間飲んでから燕岳山頂へ向かう。燕岳は石英や雲母の混じる花崗岩の多い岩山なので山全体が白い。それにハイマツの緑とコントラストが映え実に綺麗な山である。北アルプスでは白馬岳と人気を2分する山が燕岳である。山頂への30分の道のりの途中、高山植物の女王と形容されているコマクサを見るが、既に夏の盛りを過ぎ花も色あせ終わりが近づいている。

 15人ほどで一杯になる山頂でかわるがわる登頂記念写真を撮っている。それらを横目に東側の谷底を覗くと、なんと見事なブロッケン現象が出ており、しかも2重の光環のうえには無色の虹がかかっているではないか。ラッキー!!

 ブロッケン現象とは高山の日の出や日没時に前面に霧がたちこめ、陽光を背に立つと自分の影が霧に投影され、その像の頭部に鮮やかな光環が現れるもので、仏教でいうところの弥陀が光背を負うて来迎するのになぞえられている。ヨーロッパではドイツのブロッケン山で多く現れる現象のため「ブロッケンの妖怪」といわれた自然現象である。この現象にはめったに出逢うことはなく、通常5分ほどで消滅してしまう短い現象なのだ。初めて山に登って来てブロッケンに出逢った吉原ジュニアの健坊がしきりに感激している。私は色のない虹というのを始めて見た。ふーむ、と唸ったが、ブロッケン現象は1時間も長く続いたことにも驚いてしまった。

 

8月25日

 真っ赤に雲を染めながら太陽が昇ってくる。あいにくと太陽の位置に雲がかかり日の出の瞬間は見えないのだが、そのかわりに雲を真っ赤に染め上げている。このような赤さの雲を見たのは久しぶりである。やっと持ち直したと思った天候が崩れていく前兆なのだろう。

 常念岳へ向けての表銀座コース縦走への出発である。朝、真っ青に晴れ上がっていた空は徐々に雲が拡がってきている。拡がっていく雲が「うろこ雲」であったり「すじ雲」であるのを見ると、もう秋の空だなぁと思う。

 縦走路の右側には前穂高岳から北穂高岳までの穂高連峰。大キレットを挟んで槍ヶ岳まで連なる南岳や大喰岳の稜線。激しい北鎌尾根に折り重なるように笠ガ岳から双六岳、鷲羽岳、水晶岳、野口五郎岳へと連なり、更に立山や剣岳も特徴ある三角の山頂を覗かせている。これらの峰々を眺めながら雲上の稜線散歩が続くのである。

 

 表銀座コースは大天井岳の下で槍ヶ岳のコースと常念岳のコースとに分かれる。私たちは左へ折れるが、通常の夏道のトラバース道を避け直登の冬道を登る。これが思っていたより困難である。斜度がきついのは分かっているのだが、登山者が入らないためにペイントマークも殆どなくコース取りが難しい。ようやく頂上直下まで登ってきたところで一羽の雷鳥に出逢う。腹部は既に冬羽の白に生え変わっている。私たちから3m先でさかんに高山植物の葉を啄ばんでいる。時折、首を伸ばしながら辺りを見渡すが私たちは全く無視された状態である。

 360度の展望が出来る大天井岳山頂からの眺めは流石に抜群である。昼食にする。燕山荘で作ってもらった弁当は御飯とおかずが分かれた2重弁当である。おかずをつまみながらウィスキーの水割りを飲み始める。私たちのパーティへの参加条件は何はなくてもザックの中にウィスキーを1本忍び込ませてくることである。ま、それは冗談としてもよく飲むパーティには違いない。最もコースを選定するときに飲んでもかまわない場所と、絶対に飲んではいけない場所をわきまえた上での雲上の宴会なのだ。足元のトウヤクリンドウやアキノキリンソウが微かな風にそよいでいる。

 

8月26日

 常念小屋から常念岳への登山道はほぼ直登に近い形で延びている。標高差にして400mをほぼ1時間かけて登っていくわけだが、昨日とは異なり小雨混じりのガスの中の登りとなったため全く展望がきかない。

 「こういう中での登りは全くの強制労働だよなぁ」という現実派から「天の神様に悲しいことがあって涙を流しているんじゃないの」などというロマンチック派など、それぞれ感じ方は異なるものの一歩一歩と山頂へと歩を進める。

 2857mの大岩が折り重なる山頂には50cm程の祠が建てられている。晴れていたなら絶景の大展望となるのだが、あいにくの小雨では体温を奪われ体力を消耗させるだけだ。すぐさま蝶ガ岳に向かって急な岩場を下る。登りよりも強烈な下りである。逆コースから登れといわれれば躊躇するような下りである。

 

 6羽の子どもとお母さん雷鳥たちがハイマツの中でエサを啄ばんでいるのに出逢ったのは蝶ガ岳である。8月下旬となると子どもでも大分大きくなっている。親鳥よりも一回り小さいまでに成長している。それにしての6羽も育っているのは珍しい。昨年、北穂高岳登山中に出逢った時は3羽の子どもを連れた親鳥だった。生活条件が厳しい高山でこのまま育ち、特にこれからやってくる初めて体験する厳しい冬の試練を乗り切って欲しいと切に望む。雷鳥はあちこちに咲いている高山植物と同様に登山者にとっては心の安らぎである。氷河期から生き延びて生きている化石といわれている雷鳥の動きは誠に愛らしい。人を恐れずノンビリしている動き、ぬいぐるみのような丸い体。トコトコ歩く姿に出逢った時、登山者はホッと一息つくのだ。

 山は既に秋である。クサモミジが真っ赤の葉を染め始めハクサンフウロやウサギギクに変わってミヤマトリカブトやオヤマノリンドウが登場している。空のスジ雲と頬をなでていく風がヒンヤリしている。今年の山行は例年になく雨にたたられた。4日ほど山に入っていて3日が雨具を必要とした。珍しいことだ。天候ばかりはどうしようもないことだが、ま、たまにはいいだろう。

                           1996,9,1、記

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