穂高連峰縦走
岳沢〜前穂高岳〜奥穂高岳〜涸沢岳〜北穂高岳〜涸沢
北穂高岳山頂・後方は槍ヶ岳
9月13日
ゲーッという鳴き声のホシガラスが何かをしている。近づいても逃げない。ハイマツの枝に緑の実を挟み込み足で押さえながら器用に啄ばんでいたのだ。へーッ、頭がいいなぁと感心してしまう。暫く見ていたがすぐ近くにいた私に気がついて再びゲーッの一声を残して飛び去っていった。
岳沢から前穂高岳へ登るルートは西側の谷を登って行くので、朝の早い時間では陽が射さない。登山道脇には3cmもある霜柱が土を持ち上げている。昨日のストーブしかり、この霜柱しかりで季節は確実に夏から秋へと進んでいくのだなぁと思う。
登り始めて1時間半の雷鳥平で休憩を取る。乗鞍岳後方の木曽御岳が美しい。焼岳から西穂高岳へと連なる緑の稜線。いくつもいくつものピークを乗り越えて西穂高岳の山頂に立ったときのことを思い出す。左側にはゴジラの背中を連想させる前穂高岳の北尾根が登場し誠に壮観な景色である。
「花も嵐も踏み越えて」というのがあったが、梯子も鎖場も次々と乗り越えて紀美子平へ到着し、ザックを置いて空身になって前穂高岳山頂を目指す。山頂は広い。360度の大パノラマである。中央アルプス、南アルプス、富士山、八ヶ岳が雲表の彼方に紫色のシルエットを浮かび上がらせている。これから進んでいく奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳の穂高連峰、天に突き出した槍ヶ岳もドドド―ンと迫ってくるのだ。イヤーッ素晴らしい。
カールの底には例年より多く残っている雪渓や涸沢ヒュッテと涸沢小屋の赤屋根が緑の絨毯の中にクッキリと望める。この緑の絨毯もあと1ヶ月で錦繍の絨毯へと変貌する。奥又白池も太陽の光りを反射させ銀色に輝いている。それにしても見事な高度感である。足元はスッパリ切れ落ちている断崖絶壁であり目が眩みそうになる。下腹がむずむずしてくるが、まるで鳥にでもなった気分であり鳥瞰図とはよく言ったものである。
吊尾根のトラバース道には秋山の代表的な花であるトウヤクリンドウが薄黄色の花を真上にむけ、その横では秋の花にバトンタッチするかのようにイワギキョウが紫の花を終えようとしている。風の囁きに小刻みに身を震わせながら応える高山の可憐な花たちだ。
ロバの耳とジャンダルムの奇怪な岩塊が目に飛び込んでくると奥穂高岳はもうすぐだ。日本第3位の高峰である3190mの山頂には展望案内盤と大ケルンが築かれ祠が置かれている。祠の中には手彫りの人形が安置されていた。山頂にいる登山者は3名。さえぎることのない展望を十分に堪能する。しかし石の祠や周りの石にはマジックペンでいたるところに登頂記念の落書きが見受けられる。いただけないことおびただしい。
山頂からの眺望を楽しみながらも大分風が強くなってきたことを感じる。雲も空を覆い出している。天候が崩れる前兆だろう。このまま下れば穂高岳山荘に着くのは11時頃だ。当初の予定では今日の宿泊は穂高岳山荘だったが変更し、涸沢岳から北穂高岳まで足を延ばすことにする。
穂高岳山荘の石畳の上で昼食となるが行動食のためカロリーメイト2種類4本とアサリの味噌汁である。ザイテンゲラートから横尾に下りるという岳沢ヒュッテからの連れと別れて涸沢岳に向かう。20分の登りで簡単に頂上についてしまう。実にあっけない。気が抜けてしまうが、この気を引き締めるのが涸沢岳の下りである。
山と渓谷社発行の『北アルプス』には次のように記されている。
「山頂から平坦な尾根を少し北に行くと、いよいよ岩稜帯となる。ここから涸沢のコルまでは崩壊が激しく、いちばん危険なところである。……宙にせりだすような高度感のある鎖を下っていく。浮石が多いので落とさないように十分注意したい」云々。
ほぼ垂直に切れ落ちている鎖場から下降が始まる。あとは梯子と鎖場の連続である。岩場の下降も急激だし浮石も多いので神経を使う。スリップに注意しながら慎重にコルに降り立つが、途中では固定ザイルが設置された真新しい崩壊現場も通過する。このような緊張感を和らげてくれるのが可愛らしく微笑む純白のタカネツメクサの花である。
岩角から首を突き出したら眼前30cmのところに突然、雷鳥の出現である。こちらもビックリしたがむこうもビックリしたのであろう。クーィ、クーィという警戒の声をあげながらもキョトンとしている。1羽だけかなと思ったら3羽もいる。10分ほど見ていたが、全く逃げようともせず花や葉、あるいは落ちた実を啄ばんでいる。なかなか可愛い顔をしているなぁなどと思いながらの休憩時間となった。
涸沢のコルから北穂高岳南峰へ向かうトラバース道から滝谷の垂直の岸壁を登るクライマーの姿が見える。青いヘルメットを被りザイルにつながれた2人がヤモリのように岸壁に張りついている。それを横目にこちらも鎖場を登る。
3106mの標柱は北穂高岳北峰に立っている。平で広い山頂である。上空はすっかり雲に覆われてしまったが眺望だけは相変わらずの360度の大展望だ。槍ヶ岳と対峙するように大キレットが足元から切れ落ちている。何度見ても凄い景色だ。
燕岳、大天井岳、横通岳、常念岳、蝶ヶ岳と連なる稜線。笠ヶ岳、抜戸岳、双六岳、樅沢岳、西鎌尾根から槍ヶ岳へと連なる稜線。勿論、今日歩いてきた穂高連峰の稜線も手にとるように望める。汗をかきかき、ある時は肝を冷やしながらも自分の足で歩いてきたからこそ眼前に見える景色も一段と素晴らしいものとなるのだ。
秋雨前線は日本列島を東西に横切っている。東京では日曜月曜と晴れたが北アルプスは両日共に雨で昨日から晴れ出したとのこと。昨日、バスガイドの「お客様、この時期にこんなに穂高連峰がはっきり見えるのは珍しいですよ」という声が耳に残っているが、明日は降り出すだろう。
1995,9,15、記