四六のガマと筑波山

筑波神社境内の「宇宙の卵」

 

 「赤いガマだよ。赤いガマ。急いでいない人は一度、見てらっしゃい。これが有名な筑波山の四六のガマだよ。さあ、いらっしゃい」と土産物屋の呼びこみの声を耳に筑波山神社に向かう。筑波山神社は始めてみる神社だが随分立派な神社である。

 筑波神社は古来の山岳信仰がそうであるよう本殿を持たない。御神体は筑波山自体であり拝殿のみが建っている。またひとくちに筑波山というが、筑波山は男体山と女体山という2つの山頂を持つ双耳峰である。従って祭神は筑波男神と筑波女神の2体となり、それぞれの山頂に祠が建てられている。現在では縁結びの神、あるいは夫婦和合の神として老若男女の人たちの参拝で実に賑やかである。

 

 今日は会社が休みなので息子の大を連れて筑波山ハイキングにやってきたのだ。

幕張から西船橋、新松戸、柏、取手、土浦、筑波と乗り継いで麓の筑波神社まで約3時間であった。筑波神社から男体山山頂までをケーブルカーに沿って登山道がついているのだが、これを登るとゆうに2時間は必要となる。帰りの時間を考えるとスケジュール的にきついので登りはケーブルカーを利用して御幸が原まで行くことにした。

 「とうちゃん、なにやってんだよー。いつも歩いて登っているのに、これじゃあだいなしじゃあないか!」と抗議の大。

 「う〜ん。しかたないんだよ。今日は時間がないからケーブルカーを使っちゃうけれど、次に家族みんなで来た時は、きちんと頂上まで歩いて登ろうな」と弁解の私。

 かくして歩くと2時間のコースを8分で終了してしまう。

 

御幸が原は遠足に来た地元の小学生たちで溢れている。大はすぐに土産物屋に首を突っ込み、あれこれオモチャを探している。こういうことになると実にすばやい行動に出る。買う、買わないで、ひともんちゃくの後、いよいよ男体山山頂への坂を登り始める。整備された道なのでとても登りやすい。大はふてくされながらイヤイヤ登ってきている。

祠が建てられている山頂からの眺めは抜群である。男体山頂上が標高870mで決して高い山ではないのだが、なにしろこの筑波山以外に関東平野には山らしきものはないので平野の中にぽっつりと一人立ち尽くしている感じがするのである。従ってこのような立地条件であるがゆえに悲しいかな男体山と女体山を結ぶ稜線上には幾つもの無線中継用のパラボナアンテナが林立することになったのである。

 

男体山山頂で昼食にしようと考えていたのだが、立派な祠が建てられているため食事をするような場所がなかった。しかたがないので御幸が原まで引き返し場所を探していると、大が岩陰から虫を捕まえてきて「とうちゃん、これなんていう虫?」と薄茶色の虫を差し出す。それは俗に「かまどこおろぎ」と呼ばれている虫であった。捕まえる時に無理をしたのか長い後ろ足の片方がなくなっていた。大は家まで持ち帰るのだと大事そうに暫くは手の中に入れていたが、食事時になったら可哀相だから逃がしてやろうと言いながら草むらに放してやった。

 

御幸が原は双耳峰のコルにあたるところでケーブルカー駅をはじめとして土産物屋や食堂など10軒近くの建物で賑やかである。

紅葉を眺めながらの昼食なのだが、今年の紅葉前線は長引いた残暑の関係で2週間程度遅れているため、筑波山ではまだ殆ど色づいていない。ブナの木がかなり目立つので黄色味を帯びた紅葉に彩られるだろうなぁなどと考えながらラーメンを口に運ぶ。

御幸が原からの女体山山頂までの歩行時間は男体山山頂と同じくらいで20分ほどである。途中にガマ石がある。大岩が重なっている形がガマガエルが口を開けている姿に似ているのでガマ石と呼ばれているようだ。その口の高さまでは4m程あるのだが、誰が始めたのか小石を投げ込む風習があり、その御利益は『カエル』にちなんで「出て行ったお金が帰るから金持ちになる」とか「待ち人が帰る(来る)」等という縁起かつぎの一種だ。

 

大と一緒に口を目がけて小石を投げ込んでみた。大は3回目で見事にパックリ。私は20cm程の石を一発でストライク。これをみた大はひとこと「すげ―」

女体山山頂のほうが男体山山頂よりもはるかに展望に恵まれている。大岩の上に立つと鏡のように平らな霞ヶ浦が眼下に拡がり、改めて関東平野は広いなぁと再確認する。女体山山頂直下に長〜い鋼線を引かせたケーブルカーのツートーンカラーのボックスが静かに昇って来る。

「この岩ですべり台ごっこしていい?」と聞く大。

「ちょっと待て!う〜ん、下まで落っこっちゃうかもしれないからダメ!」と私。

ふたりで遊んでいる山頂に次々に参拝者がやってくる。

                         1994,10,19、記

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