雨の徳本峠

(ウェストンが歩いた歴史ある路)

 

 

早朝、雨の中の徳本峠小屋

 

10月の3連休を利用して上高地で梓川を挟んで焼岳と対峙している霞沢岳へ再度チャレンジしましたが、今回もまたまた雨にやられての撤退でした。今年3回の山行はいずれも雨にやられてしまいました。

新宿発の上高地直通バス「さわやか信州号」が連休の渋滞に巻き込まれて1時間遅れで上高地バスターミナルに到着したために、日没との関係から3時間半の道のりを2時間半で徳本峠まで到着しテント泊でした。

 

ウォルター・ウェストンが島々谷を遡り徳本小屋で一泊し、峠を超えて明神に下り、猟師・上条嘉門次を道案内に槍ヶ岳に登ったのは1892年(明治25年)のことです。その由緒ある歴史の峠でのキャンプは時空を超え、遥か110年も前に思いを馳せることが出来ました。当時を彷彿させる小さな徳本峠小屋の脇がキャンプ場で15張りほどのテントで一杯です。私は16時に小屋で宿泊手続きを取ったのですが、小屋の主人は「今日は小屋の定員30人に50人の予約です。こんな日はテントが一番です。岩井さんは昨年、こちらに来ませんでしたか? 顔に見覚えがあるのですが・・・、」と実に気さくな話し好きな主人でした。

 

 

明神分岐から徳本峠までの登山道

 

昨晩、7時頃は星が瞬き、月が顔を覗かせていましたが、夜半0時頃から雨が降り出し、朝まで降っては止み、止んでは降り出す状態でした。翌朝5時ではまだ雨の中でした。足場の悪さと往復7時間の行程、天候の回復具合の予想などを判断し今回も霞沢岳登山を諦めテントをたたんで上高地へ下山し梓川沿いの散策に切り替えました。

 上高地の落葉松はまだ色付きはじめたばかりで1週間後くらいが見どころだろうな、と思いました。河童橋から梓川両岸の自然研究路は人人人で溢れかえっていました。河原には家族連れを含めて多くの人が出て思い思いにおにぎりをほおばっています。川の中には30cmはあろうと思われるヤマメがゆうゆうと泳ぎカルガモが餌を探しています。

ウォルター・ウェストンがロンドンの出版社から『日本アルプスー登山と探検』を発行し全世界に日本アルプスを紹介したのは1896年(明治29年)のことです。梓川右岸にはそのウェストンの偉業を称えて円形のウェストン記念碑が岩盤に埋め込まれ、碑の前で記念写真を撮る人はあとをたちません。殆ど行き交う登山者もない徳本峠から明神までの1時間半の静かな登山道とは大違いです。でもこれでいいのかもしれません。体力のある人はテントを担いで山に登り、比較的体力のない人は交通手段を利用して自分なりに自然に包まれた環境を楽しむ、これでいいのだと思います。

毎回、下山のたびに上高地温泉ホテルの露天風呂で汗を流しているわけですが今回もお世話になりました。いつ入っても露天風呂は気持ちがいいものです。風呂上りのビールの一杯もまた実に気持ちをホッとさせるものです。また来年、霞沢岳にチャレンジしようと思っています。

                                          2003,10,13、

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