アルペン的な稜線歩きと2500m雲上の楽園散歩

 

五色が原に咲くハクサンコザクラ

 

7月29日(金)曇りのち雨

 2005年初めての山行は北アルプスの薬師岳〜立山までの縦走を計画した。

薬師岳は深田久弥の指定した『日本100名山』のひとつに挙げられている重厚な山であり、1963年(昭和38年)の冬山で愛知大学生13人の大量遭難死で一躍有名になった山でもある。この長い縦走コースは昨年計画したが、あいにくの台風上陸により中止した計画だった。今回も台風7号が房総半島に上陸したが、台風一過の晴天を期待して計画通りに北アルプスへ出かけていった。

 新宿発22時30分の夜行登山バスで富山県の有峰口に5時40分頃に下車し、有峰林道のゲートが開くまで1時間ほど待って薬師岳登山口の折立行きのバスに乗り換える。折立には無人休憩所があるが夏山シーズン真っ盛りとあって登山者でごったがえしている。おおよその人数で50〜60人くらいだろうか?

 

 今回私が登山口として選んだ有峰・折立口は以前の山岳宗教として薬師岳に登られていたコースであったが、山岳宗教の衰退とともに忘れられていた登山道が有峰ダム湖の建設に伴って蘇り、現在では薬師岳登山あるいは高天原高原への最短登山コースとして人気を博している。登山口は休憩所の脇から始まっており樹林の中へと入っていく。3角点のある見晴台までは見通しが悪いので、額から落ちる汗を拭き拭きただただ登るのみである。テーブルやイスが設置され多くの登山者が思い思いに休んでいる見晴台まで到着するとホッとする。ここから先は大体30分おきくらいにテーブルとイスが設置されている明るく開放的な高原の登山道となる。

 

 登山者の増加とともに登山道は荒れ放題となり見るも無残な状態を呈するようになり、その復旧のために石畳の歩道や木道が整備され自然と共生する道が模索されている。歩道脇には、ニッコウキスゲ、コバイケイソウ、チングルマ、などの高山植物の花々が咲き、その花から花へと高山蝶が舞う。

 私は今回の縦走コースは始めてである。3時間30分で到着した太郎兵衛平は真に高山植物の宝庫であると感じる。喉の渇きを潤すために生ビールを飲んだあと木道を歩いてみた。ハクサンイチゲ、アオノツガザクラ、ウサギギク、ゴゼンタチバナ、キバナシオガマ、ムシトリスミレ、ツマトリソウ、ミヤマキンポウゲ、コイワカガミ、ヨツバシオガマ、キリンソウ、チングルマ、コバイケイソウ、ニッコウキスゲ、等等、花の名前を挙げたら切りがない。それらの花々が一斉に咲いているのである。

 花々が咲く2500mの高原を囲むように、右側から太郎山、北の俣岳、黒部五郎岳、双六岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳、尖がっているワリモ岳、大きく拡がる水晶岳、などの山々が奥黒部峡谷を挟んで大パノラマとして広がる3000mの稜線がくっきり浮かび上がっている。

 

コバイケイソウ咲く高原と薬師岳方面

 

7月30日(土)曇り

 昨日15時頃から降りだした雨は、時に強く時に弱く夜半を過ぎた午前3時頃まで降り続いたが、5時半に太郎平小屋を出発する頃には雨はすっかり上がっていた。太郎平からキャンプ地に下ると10張りほどのテントが張ってあり、みな朝食と出発の準備をしている。

 キャンプ地先から登山道は沢沿いを登って行く。昨夜中降り続いた雨の影響を心配したが沢を流れ落ちてくる水量は思ったより少なかった。沢を登り終わると雪渓が現れ、純白のハクサンイチゲやチングルマの花々が咲き出す。薬師平のお花畑の登場である。登山道の脇は花道となる。天候はあまり芳しくなく、愛知大学遭難碑ケルンが建っている辺りでは全くのガスの中であった。遭難碑の脇に建つ小さな避難所も扉が壊れ使い物にはならない。

 

 7時に薬師岳山荘脇に建つ『国指定特別天然記念物・薬師岳の圏谷群』の写真を撮っていると眼鏡をかけた人の良さそうな若い小屋番が出てきて「おはようございます。早いですね」と声をかけてきた。山荘の入り口に掲げられた温度計の水銀柱は11度を指していた。薬師岳南側には、南稜カール、中央カール、金作谷カールと名づけられた3つのカールが氷河期に形作られ、それが国指定特別天然記念物となっている。登山道から谷底を覗きこむとスプーンで抉り取られたような形状と堆積された岩屑であるモレーンをハッキリと見ることが出来る。相変わらずのガスの中を薬師岳山頂に向かって一歩一歩進めていくと山頂に到着するのを祝福したかのように一瞬雲が切れ太陽が顔を出し青空が拡がる。

 

薬師岳山頂で

 

 金作谷カールを登山道の右側に見て稜線を北上する。両側がスッパリ切れ落ちた場所も通過するので天候が荒れ強風時は十分な注意がいる場所である。吹き飛ばされたら命の保障はないだろう。薬師岳〜北薬師岳の稜線は3点確保を確実に岩稜の縦走路である。北薬師岳を通過するとガラ場の穏やかな下りとなるが、登山道の脇は再び高山植物の花道となる。岩稜で緊張していた精神は束の間であるが開放される。やがて樹林帯に入り高度を下げてウッディタイプのスゴ乗越小屋に着く。

 スゴ乗越小屋から東側の展望は黒部川の源流を挟んでいわゆる裏銀座コースの山々が眼前に大きくパノラマ展開する。小屋の2階のベランダから右側に大きく赤牛岳が登場し、山頂が3つある文字通りの三ツ岳が続き、ニセエボシに尖がった烏帽子岳、更には南沢岳と不動岳が重なり、平らな山容が特徴の船窪岳が続いている。左手前にスゴの頭と越中沢岳が望め、立山・剣はその陰に入って見ることは出来ない。スゴ乗越小屋は静かな針葉樹林帯の中に建つランプの小さな山小屋である。

 

7月31日(日)晴れのち曇りのち雨

 朝は気持ちよく晴れている。朝日はスゴノ頭の向こう側から上がってきた。今日のコースは3日間で一番長く、ガイドブックでは13時間のコースタイムである。いつものように5時30分に出発する。朝一番の登りがスゴノ頭の急登であり、登るに連れて昨日縦走してきた薬師岳の雄姿が登場しスカートのように見えるカールが見事だ。続いての越中沢岳の登りも強烈であった。越中沢岳の登りで3グループ9人と単独行の2人と出会う。越中沢岳の頂上では携帯電話のアンテナマークが2本立っていたので家に連絡を入れてみた。息子の大が出た。2日間は携帯電話のアンテナは圏外のため使えなかった。次には鳶山への登りが待っており、まさに登り下りの連続である。

 

残雪が多い五色ヶ原

 

 鳶山山頂から緑の五色ヶ原と多めの残雪が一望できる。中央に赤い屋根の五色ヶ原山荘が建っている。その後景には獅子岳、鬼岳、竜王岳が連なっているのが遠望できる。今日の縦走路は今見える山々の向こう側まで歩いていかなくてはならない。五色ヶ原山荘が今日のコースの中間点である。

 五色ヶ原山荘で水を分けてもらった。スゴ乗越小屋で入れてきた1リットルのペットボトルの水は底をつこうとしていた。料金を聞いたら明るい声で「いいですよ」という返事が返ってきた。山荘前のベンチで一息入れてソーセージ、カロリーメイト、羊羹などの行動食を口に含む。気持ちを入れなおしてザックを担ぎなおすと足元には可憐なハクサンコザクラやイワギキョウが静に咲いている。心が和み、疲れが吹き飛ぶ瞬間でもある。

 

 ザラ峠へ降りる。ザラ峠には有名な話がある。群雄割拠の戦国時代の1584年(天正12年)11月23日、周囲を敵国に囲まれた富山城主・佐々成正が浜松にいる徳川家康に援軍を頼むため唯一のルートであった深雪のザラ峠を10数名の家臣とともに越え、12月4日に家康に会うが、家康は動かず失意のまま重い足を引きずりながら富山まで戻ってきたのである。その峠に立ってみると、時代は流れ、かつては富山から伊那へのルートも今や少数の夏山登山者が行き交うのみである。歴史の流れを感じ佐々成正の無念の気持ちを察する。

 ザラ峠から獅子岳の登りも結構の急登であった。獅子岳を通過すると雪渓が登場した。私はストックを持っていなかった。行き交う登山者の10人中の9人までがストックを持っていた。傾斜度のきつい雪渓を3度通過するが、早朝では雪面が硬くスリップの危険性があるが時間帯がお昼になっていたため雪が柔らかくなっており慎重に歩けば大丈夫と判断した。中高年登山者の必需品となった感じがするストックは使う本人には便利なものであろうが登山道脇を痛め崩す元凶であり私は最近使わない。しかし、夏山でも雪渓が残っている場所ではストックが必要だと、この鬼岳東面を通過する場面で思った。

 

登山道の脇に咲くイワギキョウ

 

 鬼岳を通過し龍王岳の登りに差しかかる頃、空はにわかに掻き曇りガスが西面から湧き出し視界を閉ざしてくる。風も吹き出し雷が鳴り始める。まだ最終地まで2時間は残している。まずいなあと思うが、足は思うように動いてくれない。疲れがピークにきている。15分登って5分休むペースもだんだんとおぼつかなくなってきた。心臓が爆発するように早鐘を打ち、喉はゼイゼイ荒い息を吐く。水を飲む機会も増えてきているが、額からの汗の滴りはなぜか少ないように感じる。ガスが濃くなり視界が20mほどになるとルートを示す赤ペイントだけを見逃さないように進む。見逃したら道に迷いアウトとなる。遭難である。

 龍王岳の西面を通過し暫く歩くとガスの中に朧げに浮かび上がってきた建物があった。それは紛れもなく見覚えのある富山大学立山研究所であった。過去、立山研究所脇を2回通過しているので、ここまでくればあとは一の越に下り、更に室堂まで下るのみである。やれやれと思いながら丸太のベンチで休憩していると大粒の雨が降り出した。レインウエアを素早く身につけ下山を急ぐ。

 一の越から室堂までは雄山登拝記念のペナントをリュックに提げた観光客と一緒になる。歩くペースは落ちるが、雨が降り濡れた石畳の歩道はゆっくり歩かなければ危ない。今年は非常に多くの雪が残っている。都合10度くらい雪渓のトラバースをしたあと室堂のターミナルに到着し、湧き出している立山の霊水を柄杓で立て続けに飲む。生き返ったような感覚が全身に行き渡るのを感じた。この時の時刻は15時30分であり10時間の縦走は終了した。あとはゆったりと温泉に入り、酒を飲みながら長かったトレイルを振り返る楽しみが待っている。

 

                                      2005年8月6日 記

 

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