北アルプスのど真ん中を縦走する

 

折立→太郎平→薬師岳山荘→薬師岳→北薬師岳→間岳→スゴ乗越→スゴノ頭→越中沢岳→鳶山→五色ガ原山荘→

ザラ峠→獅子岳→鬼岳→竜王岳→一の越→雄山→大汝山→富士の折立→雷鳥沢キャンプ場→雷鳥荘

後方に白く薬師岳が望める

 

8/25(土)快晴

夜行登山バスは竹橋の毎日新聞東京本社前から22時30分発なので、地下1階の中華料理店で2時間ほど飲んでから出発することにした。昔、竹橋の職場に通っていた頃によく飲んでいた店である。ビールと焼酎を飲みながら次々に肴を注文していく。安くて美味い店だ。今回の山行に参加するのは、ポパイ吉原、ちびっこ小沢、エンジニア小林、メタボ碓井、ジュニア碓井、ジャンボ光永、それにエイトマンの7名である。有峰口前に5時40頃に到着し有峰口駅の向かうと乗車しようと思っていた6時25分発のバスは8月21日で終了し7時25分が始発とのこと。1時間もロスしてしまうのかと思い朝食を食べていると、駅員から「臨時バスが出たので、それに乗って行ってください」と言われる。ラッキー!! 1時間の違いは雷等の天候変化から山小屋への到着時刻に違いが出てくるので非常に助かる。

 

薬師岳登山口の折立に8時前に到着し、山口県から駆けつけた「みっちゃん」=ジャンボ光永と合流した。各自、トイレを済ませ水道水をペットボトルに詰め、準備完了し8時に太郎兵衛平に向かって出発する。広葉樹林の中を25分登って5分休むペースを維持しながら高度を上げていく。登りはじめて1時間30分で三角点が設置されている見晴台に到着した。左手に大きく薬師岳の花崗岩に輝く白い山体が横たわっている。全く大きな山体である。これから太郎兵衛平までは周りが開け、広々とした明るい登山道を歩いていく。薬師岳山荘に宿泊予約を入れたときに山小屋の方に「混雑していますよ」と言われたが、確かに登山者の数が多い。夏休み最後の土日なので混んでいるのだろう。おまけに薬師岳はマイカー登山対象として1泊2日で登れる日本100名山とあって人気が高い。

水晶岳から鷲羽岳へと連なる稜線の奥に槍ヶ岳


 太郎兵衛平には12時に到着した。太郎兵衛平からはグルリ360度の大展望が見られる。特に、北方〜東方〜南方の180度に拡がる唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、烏帽子岳、水晶岳、槍ヶ岳、北穂高岳、奥穂高岳、黒部五郎岳、と連なる稜線のシルエットがいい。雲ひとつなく晴れ上がった快晴の元で登山者は思い思いの昼食を広げ、話に花を咲かせている。私たち7人パーティーも各自で準備してきた弁当を広げコッヘルでインスタントラーメンを作る。普段はインスタントラーメンを食べないが、山行の時は威力を発揮する。2台のコッヘルで作った3食分のラーメンを分け合いながら、これから先のコースや周りの山々について話が弾む。

 折口登山口から登ってきた登山者は、太郎兵衛平で黒部五郎岳コース、雲の平・高天原コース、薬師岳コースという3ルートに分岐するわけだが、今日は薬師岳方向に進む登山者が実に多い。予約を入れたときの山小屋の方の言葉が蘇る。今日は混むのだろうなぁと覚悟を決める。50分間の昼食時間の後、薬師岳山荘に向かって登山を再開する。登山道を登るにつれて標高が増すことによる気候の関係もあり、太郎兵衛平辺りでは既に花期は過ぎ去ってしまったハクサンイチゲやチングルマの可憐な花も次々に登場し、私たちの目を楽しませてくれる。

 薬師岳山荘に到着したのは15時だった。丁度いい時間だ。大きくない山小屋なので受付はごった返している。7人分の宿泊料金を支払い寝場所を確認する。2階1枠の4〜10番までと言われる。幅は1m程あるが足元にザックを置かなければならず、ザックの上に足を乗せるか足を丸めて海老のようになって寝るか、のどちらかであり窮屈この上もない。一人当たり毛布が2枚と枕が一つであり、朝方は足の寒さのために目覚めてしまった。8月下旬ともなると2500mを超える山荘の冷え込みは相当のものである。

可憐なチングルマ


8/26(日)快晴

今日は10時間を越える縦走である。とにかく長い距離のアップダウンを歩かなければならない。目的の五色が原山荘に到着するのは朝の6時に出発しても17時頃になるだろう。気合を入れて出発しなければならない。朝食後に外に出てみると雲海が綺麗だ。南方に槍ヶ岳のシルエットが美しい。槍ヶ岳はどこから見ても、すぐに槍ヶ岳と判断できる特徴的な尖塔を天に突き上げている。

 

今日もとてもよく晴れているが風が強い。山荘の近くで雷鳥の母親が砂浴びをしている。その横で子どもの2羽が葉っぱを啄ばんでいる。近くによっても親鳥が一心に砂浴びをしているために子どもも安心しきって餌を啄ばむのに余念が無い。前回、この縦走コースを歩いた時は雷鳥には会えなかったが今回は早々と会うことが出来た。雷鳥の子育ては母鳥が行う。通常5個の卵を産み、雛がかえるが、成長していくうちに外敵に襲われて雛の数は減っていく。朝、出会った子どもも2羽に減っている。

 

今日も快晴だ! 10時間を越える縦走に出発だ!


 薬師岳山頂には登山ツアーグループの方が20人ほど到着していた。彼らは薬師岳山頂を踏んだら往路を下山していく。100名山登頂を目標としたグループであろう。頂上の標柱前で記念の写真を撮った。抜けるような青空をバックにした山頂は実に気持ちがいい。山荘からは見えなかった剣岳が大きな三角の岩山をどっしりと現している。その手前が奥大日岳、大日岳であり、右側に雪渓を残す別山が現れ、更に高く富士の折立、大汝山、雄山と連なる立山が聳えている。明日はあそこまで歩くのかと思うと、改めて遠い距離だなぁと思わざるを得ない。山頂に設置されている祠に吊り下げられている鐘を鳴らす。いい音色だ。

 

薬師岳から北薬師岳へ向かう縦走路は細く、両側が切れ落ちている場所もあるので注意していかなければならない。「落ちたら助けにいけないから足元に十分注意して歩くんだよ」とアドバイスをしたあとに、今回初参加の小学5年生の碓井ジュニアの翔馬に感想を聞いたら「たいしたことないよ」という答えであった。

 

 薬師岳から北薬師岳の南面に氷河期の名残りである3つのカールが残されている。国の天然記念物に指定されており、薬師岳山荘脇のハイマツ帯の中に立派な「国天然記念物・薬師岳圏谷群」の石碑が立っている。縦走路から覗き込むと、東南稜カール、中央カール、金作カールのスプーンですくったような窪みと下にモレーンと呼ばれている岩屑が見える。地形が窪んでいるので南面にもかかわらず雪渓が残っている。

 

薬師岳と金作カール

 

 花崗岩の白い岩肌と緑のハイマツの中を縫っていく縦走路は気持ちがいいものだ。足元にはヨツバシオガマ、アキノキリンソウ、タテヤマリンドウ、トウヤクリンドウ、ミヤマダイコンソウ、ハクサンイチゲ、色々な夏山から秋山へかけて咲く高山植物が我々を見上げている。イワヒバリが時たま飛んできて前方3mほどの岩角に止って我々を見ている。雷鳥もそうだが、登山者が石などをぶつけないために人間を怖がらないのだ。雷鳥も現れた。早くも2回目の出逢いである。今度は母鳥と1羽の子どもである。父鳥は子育てをしない。葉っぱを盛んに啄ばんでいる。雷鳥の姿をたびたび見かけるということは、それだけ雷鳥の個体数が増加している結果なのだと思う。通常、雷鳥は快晴の日はハイマツ等の日陰に隠れていて姿を現さないものだが、歩く人たちが少ないために縦走路まで姿を現しているものと思われる。我々が歩いている縦走路はロングコースなので歩く人は少ない。現にこの日に薬師岳から五色ガ原山荘方向に歩いたパーティは我々のみであった。雷鳥は、焦げ茶色の夏羽と真っ白は冬羽とシーズンによって保身のために姿を変えるが8月の下旬ではまだ夏羽である。あと1ヵ月半も経つと初雪が訪れ、やがて一面の雪の原となり全てが雪ノ下へと消えてしまう。そのような状況においても生きるために餌を探し食べ続けなければならず、子どもの雷鳥にとって冬の季節は外敵とは違った意味で厳しい自然の世界である。それを乗り越えなければ温かい春を迎えることが出来ない。

 

縦走路で餌を啄ばむ雷鳥の子ども

 

 前回宿泊したスゴ乗越小屋で水を補給していると真っ赤に熟した枝イチゴの実が目に止まった。早速手を伸ばし一粒口に放り込んでみると酸っぱさと甘さがミックスした爽やかな味が口一杯に拡がる。なるべく大きな熟している実を探すと10個ほどの実が採れた。翔馬は初めて枝イチゴを食べたようで一粒食べただけで次の手を出さなかった。美味いとは感じられなかったのであろう。

 薬師岳山荘を出発してからスゴ乗越までで5時間経過していた。昼食を済ませたあと午後の後半戦に移るわけだが、スゴノ頭、越中沢岳、鳶山と、3つのピークが現れ、登って下り、登って下り、登って下り、が連続するのであり、しかも岩山であるから滑落等に十分注意しながらの登下降なので神経を使う。翔馬には、岩登りの基本である3点確保と岩角の持ち方を教えただけだが、サッカーや卓球をしているので身体が締まって体重が軽いということと、本来勘が鋭いのだろうが次々に岩山を危なげなく登っていく。時たまこちらが煽られる場面も出てきた。

 

 越中沢岳山頂からなだらかに拡がる五色が原と雪渓の向こうに赤い屋根の山荘が遠望できる。山荘は見えるが谷の向こう側なのでまだ一山越さなければならない。ポパイ吉原と86kgのジャンボ光永が遅れ気味なので、鳶山山頂からの下りでパーティーの順番を変更し2名を中央に入れ込みラストをちびっこ小沢に変更する。小沢は今回の山行の事前準備で丹沢に出向いて足慣らしをしてきたとのことで軽快なフットワークである。

 

 結局、宿泊する五色ガ原山荘に到着したのは17時30分であり、2日目の11時間30分の長かった縦走は終了した。

五色ガ原山荘は2階建ての大きく綺麗な山荘である。五色ガ原には豊富な雪渓が遅くまで残っているので水には困らない。実際、今回山行の8月下旬でも沢山の残雪があり、そこから引かれてくる飲料水はタンクから溢れ出ている。従って石鹸は使えないとはいえ風呂がありトイレは水洗である。水が豊富なため山荘の周りは高山植物の宝庫であり雲上の花園である。
 日曜日ともなると宿泊客が少なかったので我々7人パーティは、3人、4人の2部屋に分かれて就寝した。1日目の薬師岳山荘とは「月とスッポン」の待遇であったが、山小屋に責任は無く夏山シーズンとして仕方のないことである。

 

縦走路で休憩中のメンバー

 

8/27(月)くもり

3日目もロングコースで10時間の縦走であった。

朝の冷気を避け日の出が部屋の中から拝める東側の部屋に就寝したが目覚めると外は真っ白の乳白色の霧に包まれていた。天気予報では確実に下降線を辿っており今日一日、青空は望めないであろうことを覚悟し荷造りを終え山荘前で記念写真を撮り立山に向けて出発する。

五色ガ原からザラ峠までハイマツの中、急速に高度を下げていく。ザラ峠は今から400年前、群雄割拠の戦国時代末期、織田信長に自国の富山城を攻撃された佐々成政が駿府の徳川家康に援軍を頼むため、雪と吹雪のザラ峠を越え更に針の木峠を越えて信州に抜け、ようやく辿りついた駿府で家康から色よい返事を貰えず失意のうちに再び雪と吹雪の針の木峠、ザラ峠を越えて富山城に帰還し奮戦むなしく落城戦死を遂げた話は戦国悲話として語り継がれてきたが、防寒着も防寒靴もなく草鞋に蓑笠の当時の侍にとって耐え難い気候条件であったことは想像に難くない。しかし侍たちの目的的意識的行動が雪と吹雪の峠を粗末な防寒対応で越えるという超人的行動になったのであるが、彼我の力関係と打算を人生哲学とする家康の心を読み通せなかったことが佐々成政をより悲劇的な武将としたのであろう。ザラ峠は軽い霧の中で静かな風が吹き渡っており400年前の佐々成政主従の行動を思い浮かべるにはあまりにも穏やかであった。

 ザラ峠からスリップ気味な登山道を獅子岳山頂目指して右に廻り込みながら急登を続けていくと時折りガスが晴れ視界が開ける。谷は深く山襞は見事なものだ。遠く水晶岳や黒部五郎岳が望める。笠が岳も特徴のある山高帽を覗かせている。時たま雲の隙間から太陽が顔を出し柔らかな陽射しが我々を包む。足元には真っ白なチングルマやハクサンイチゲが群生しており、時間が許せたらノンビリと昼寝を貪りたいところだ。

 

鬼岳東面の雪渓横でハイ・ポーズ

 

鬼岳を挟んで西面と東面に雪渓が残っているが今年の雪渓はいずれも小さなものでザクザクに崩れたものだった。念のため持参したストックを使うことはなかった。鬼岳を乗り越す鎖場のところに雷鳥の親子が餌を啄ばんでいた。子どもは2羽いた。今回の山行では本当に雷鳥に出会う機会が多いのにビックリする。

 

竜王岳西面直下にはスキーが出来そうな大きな雪渓が残っていた。この竜王岳を過ぎれば深緑色の富山大学高所研究所が建つ広場だ。そこまで行けば立山から室堂を一望でき、一の越までは下って30分の距離となる。風は強くないが絶えず左から右に吹いている。地形の関係なのだろうが雪渓が多く見受けられるようになる。残る雪形は様々であり想像力豊かに残雪に名前を付けていく。その雪形も日ごとに変化していく。しかしこれらの雪形は消えることなくやがて降ってくる新雪に埋もれ根雪となっていくのである。

 一の越は風の通り道でもあり、室堂側から黒部側に常に強い風が吹き抜けている。私たちは風を避け、一の越山荘の南側の石垣に囲まれた窪地に陣取り昼食の準備を開始した。副食にコッフェルでラーメンを作り、グレープフルーツを割り、梨の皮を剥く。ソーセージを切り缶詰を開ける。五色ガ原山荘で作ってもらった弁当は美味かった。それに副食を食べ午後の準備は整った。食事中に立山を覆っているガスが飛ばなければ、雄山・大汝山・富士ノ折立という縦走は中止し一の越から雄山に登り、往路を引き返して室堂に降りるコース選択をしていたが、昼食中にガスが飛び山頂に建つ神官達の宿舎兼社務所がハッキリ見ることが出来る。さあ、縦走に向け出発である。

 

一の越から雄山への急登

 

一の越は立山登山の登り口になっているので賑わっている。雄山は一般登山者が多く、Tシャツ、Gパン姿も目立つ。ここも山頂は3000mなので登山道は岩だらけの文字通りの岩山であり、草木は生えていない。一の越から1時間の登りで雄山神社の社務所が建っている山頂広場に到着した。神社は鳥居をくぐった一段高いところに建っている。富山地方の小学5年生になると学校行事の一環として各自丸石を一つずつ持参して神社にお参りするという。持参した丸石は神社に敷き詰められている。翔馬も同じ5年生である。

 我々は当初、別山まで行く予定であったが、時間の関係から縦走は真砂岳手前でショートカットし、雷鳥沢キャンプ場に尾根を下るように変更した。大汝山が3015mで立山の最高峰であるが、立山という名称の山はなく、いくつかの山の総称として立山という名称が使われている。

 

 我々が大汝山に向かって縦走路を歩いている時に、小学校2〜3年生と思われる子どもがお祖父さんに手を引かれて歩いている。立山最高地点に立とうという気持ちがあるのだろうが結構危ない光景である。大汝山の標柱は縦走路から20mほど離れたとことに経っていたが、以前は縦走路にあったはずである。今回のルートは以前と比べて変更されており、大分回りに道になっていた。

 

立山山頂・雄山神社本宮前

 

大量の残雪が残る内臓助カールの脇から縦走路を離れ、雷鳥沢キャンプ場に向かってエスケープルートを下山する。途中に雪渓があったのでメタボ碓井が用意してきた練乳でカキ氷を作ることにした。私がみんなのマグカップを預かって雪渓まで行き、表面の埃を取り除き、真っ白な雪を掘り出す。これに練乳を掛けて食べるのだが実に美味い。雪渓がある場所を通過するときの楽しみの一つである。このコースで一番驚いたのは河原まで降りてキャンプ場まで歩いていく時のチングルマの多さである。正に一面のチングルマの花園である。既に花期は過ぎ去ってしまったので茶色の風車に変わっていたが、真っ白な盛花の時期に訪れたなら素晴らしい光景が展開すること請け合いである。本当に大規模なチングルマの花園である。

 

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