緑のなかを八重山から能岳へ

 

能岳山頂543mに着いた

 

 今回の登山は梅雨の合間に、中央線の上野原駅から出発し、北側にある根本山、秋葉山、八重山、能岳に登り、上野原駅に戻ってくる周回コースで、予定時間は5時間30分だった。自宅を出るとき、お盆のように丸く赤い月が西の空に沈みかけていた。空は鱗雲に覆われていたが、大月地方の天気予報は晴れだった。上野原駅に下車したのは7時。改札口を出て登山届けを出した。上野原駅は桂川の河岸段丘の下側にある駅だった。北口を出ると、すぐに階段を上って上の道路に出るような構造になっていた。階段は200段ぐらいあっただろうか。結構長い階段だった。階段を上がってからも町の中心地まで2kmの距離があった。

 

河岸段丘の下にあるJR上野原駅

 

旧甲州街道沿いに宿場町ができ、明治になってから鉄道が引かれたが、町からずいぶん離れたところに駅ができたようだ。駅はすごく不便な河岸段丘の下である。当時の人たちの鉄道に対する考え方が分かるようだ。笑っちゃうような構造であるが、これは中央線に限らず、私が生まれた群馬県の信越線でも、駅は殆ど町はずれにできているのだ。北側の空は青空だったが、南側の空は雲で覆われていた。この雲が徐々に飛んでくれれば、今日も富士山が見えるだろうと思った。。

 

雛に餌を与える親ツバメ

 

国道20号線(旧甲州街道)に出る手前で、坂本屋という閉店した料理屋の壁にツバメが巣をかけていた。チィチチチという雛の鳴き声が聞こえたので上を見上げると、巣の中に6羽の雛が黄色い口をいっぱいに開けて親鳥から餌をねだっていた。ツバメは飛びながら、飛んでいる虫を捕獲するのだ。凄い動体視力と運動神経だと感心する。しばらく親の餌やりを見ていた。ツバメの巣の下でスマホを構えて待っていると、親ツバメは警戒してなかなか餌を運んで来なかった。それでも5分に1度は餌をくわえてやってきた。シャッターチャンスだが、シャッターを押してもタイムラグがあり、なかなか写すのは難しかった。

 

根本山322m山頂に建つ東屋と慰霊碑

 

最初の根本山への登山道は、「上野原自然歩道」に指定されていた。登り口はヤマアジサイが咲く細い道だった。登山道の草は刈り払われおり歩きやすかった。お墓の脇を通りながら山の中へと入っていった。登山口から歩いて5分で根本山322m山頂に着いた。慰霊碑の脇に東屋が建っていた。東屋にはテーブルと丸太を切った椅子が7個置かれていた。周りからウグイスやヒヨドリの声が聞こえてきていた。

 

登山道脇に上野原高区配水池施設があった

 

根本山から秋葉山に向かって広葉樹の林の中を歩いていると、突然コンクリートの円筒の建物が目の前に現れた。なんだろうと思って近づいてみると、金網フェンスに「上野原高区配水池、水道施設につき関係者以外は立ち入り禁止」の表示があった。登山道はその水道施設を回り込むようにつけられていた。水道施設は2つ設置されており、上部にはアンテナが立ち、てっぺんに登る梯子がつけられていた。円筒の直径は15mか20mはあると思われた。

 

秋葉山391m山頂には秋葉神社が祀られていた

 

秋葉山への分岐を右に進むと秋葉神社入口の標柱が立っていた。白い鉄パイプの階段を1段1段登っていった。山頂には秋葉神社が祀られていた。神社は高さ1mほどの木造の社で、その社を保護するように建物があった。注連縄が張られ、御幣が垂れ下がっていた。その山頂には地デジのUHFアンテナ塔が立っていた。鉄パイプで組まれた休憩用のベンチも設置されており、「上野原町観光地を美しくする会」が設置したゴミ籠があった。その籠の中にゴミは捨てられていなかった。ゴミは持ち帰ることが徹底されてきたのだろう。

 

秋葉山391m山頂からの眺め

 

山頂からの景色は西側が開けて中央高速道路の向こうに大月周辺の山々が見えた。いずれの山頂部にも雲が湧いていた。梅雨に入っていることもあって、天候が不安定であり、昨日もにわか雨があった。そのため登山道も湿っており、太陽に照らされた水蒸気によって山々に雲がかかっているのは仕方のないことである。秋葉山を降りて、ハルジオンの白い花が咲くのを見ながら八重山に向かった。

 

八重山登山口には上野原市のコロナ対策看板があった

 

八重山登山口には上野原市のコロナ対策看板があった。登山者の皆様へと題して、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、体調管理や感染防止対策の徹底をお願いいたします、というものだった。山道へと入っていくと周りからは絶え間なくウグイスの声が聞こえてきていた。木々は緑を一層深めていた。

 

静かにイチヤクソウが咲いていた

 

八重山は自然観察用に様々な説明板やコース整備がなされていた。「視覚の森」と「触覚の森」の分岐点にさしかかると、触覚の森コースが登山道崩落のため通行止めの表示とトラロープが張ってあった。私は触覚の森コースから八重山に向かおうと思っていたのだが、視覚の森コースから八重山に登ることにした。白い顔首をかしげたようにオカトラノオが白い花を咲かせていた。オカトラノオは小さな1cmに満たないほどの5弁の花が連続して咲く可愛い花である。ランの仲間のイチヤクソウも小さい白い花を開いていた。

 

八重山・五感の森展望台

 

八重山山頂に向かう途中に「五感の森展望台」が建っていた。その展望台からは約270度に渡って展望がきくのだが、正面に見えるはずの富士山は残念ながら雲の中で、裾野がわずかに見えるだけだった。これも仕方がないことである。以前に登った百蔵山・扇山・陣馬山・九鬼山・高畑山・倉岳山などが見えた。これから向かう能岳はすぐ右側に見えていた。ガマズミの白い花が終わり、緑の実になっていた。この緑の実が秋になると真っ赤に色づくのである。それを口に含むと酸っぱい味がしたことを思い出した。子どものころに、よく食べた実だった。

 

五感の森展望台からの眺め

 

八重山という名前の由来が書かれた碑が立っていた。碑文には水越八重さんという人が1929年・昭和4年に、お世話になった里や子どもたちのために役立てて欲しいとの思いから、30haの山林を町に寄付され、『八重山』と名付けられたとのことで、現在、八重山は上野原小学校の学校林として、また市民に愛される山として後世に伝え続けている、というものだった。登っている時に、なぜこの八重山は植林されていないのだろうか?と不思議に思っていたが、碑文を読んで納得したのだった。

 

緑のなかの登山道

 

将来の子どもたちのためにということで、寄付された山は植林せずに自然のまま残されているということである。このことはとっても重要なことだと思う。金を目当てに広葉樹を伐採し、スギやヒノキの針葉樹を植えたことによって、そのしっぺ返しが大量の花粉飛散による花粉症である。植林された山は木材の価格低落により、手入れもされない放置林になっている。放置林をどうするのか。現在、全国各地で起こっている問題である。自然のままにしておけば、そのようなことは起きなかったであろう。

 

三重山530m山頂に着いた

 

展望台から山頂までの間はほぼ平坦な歩きやすい道で、桜や赤松の脇を歩いて行き、9時30分に東屋が建っている三重山530m山頂に着いた。山頂には白いリクショウマや薄紅色のハギの花が咲きだしていた。ここからの富士山もやはり雲の中に入っており、姿を見ることができなかった。東屋で一休みし、プロテインを飲んだあと能岳に向かった。

 

享和2年(1802年)の船形石仏

 

途中の山道で大きなモミの木の下に船形石仏が置かれていた。彫られた年代を見ると享和2年と読めた。享和2年を調べてみると、西暦では1802年にあたり、明治維新の65年前である。杉田玄白、伊能忠敬、間宮林蔵、喜多川歌麿、葛飾北斎などが活躍した江戸時代後期に当たる。その時代に尾根道は集落間を結ぶ交通路だったのだろう。

 

リクショウマが小さな花を付けていた

 

9時55分に能岳543m山頂に着いた。3人の年配者がベンチに座り、スマホアプリで山座同定をしていたが、アプリケーションがうまく動作しないようで、見えない見えないと騒いでいた。その中の一人の男性にスマホのシャッターを押してもらって能岳到着の写真を撮った。ここからも富士山は雲の中に入って見えなかった。一休みしたあとで下山に取りかかった。下山途中で美しいキビタキの声が聞こえてきた。5m範囲の声のように感じたが姿が見えない。しばらく上を見上げていると動いた。黄色の胸と黒い翼が見えた。夏鳥のキビタキが枝から枝へと渡り、美しい声でさえずっていた。

 

二ホンアナグマの巣穴

 

登山道脇にニホンアナグマの巣らしい穴が2個あった。この山にはニホンアナグマが棲んでいるという表示がされていたので、きっとその棲み家であろうと思われた。まもなく向風集落に下り終わる桑原峠に東屋が建っていた。南側が切り開かれ眺めがいいのだが、山の名前は私には分からなかった。しかし、向風集落に下山して駅に向かっていると、掲示板に富士山の写真が貼ってあった。近づいてみると、先ほど休憩した桑原峠から見た富士山の写真だった。晴れていたらあんな風に見えるのかと思った。なかなか立派な富士山の眺めだった。

 

お土産は酒饅頭と地酒

 

上野原の土産といえば古くから酒饅頭である。駅まで戻る途中に酒饅頭屋が5軒あるようなので、探しながら歩いた。1軒目の店を覗くと既に売り切れだった。2軒目を覗くと親父さんが店先で饅頭を作っていた。饅頭の種類は10種類を超えていた。その中から妻の好きな“あんこまんじゅう”を6個買った。自分への土産は甲州地酒の春鶯囀だった。今回もウグイスの囀りをたくさん聞いた。

 

打ち上げは駅前食堂の『一福』で

 

上野原駅まで戻り、打ち上げは駅前食堂の『一福』に入った。店内に客はいなかった。まずは大瓶サッポロビールで乾杯である。私はビールの中ではサッポロが一番美味いと思う。ツマミは上野原名物といっても特になかったので、メニューからニンニクの芽の肉炒めとアジフライを頼んだ。ビールをグイグイ飲んだあとは、笹一の純米酒生300mlだった。飲んでいるうちに2人連れが2組入ってきた。1組は夫婦連れで、もう1組は私と同じ登山帰りだった。登山帰りの客は、登山コースを振り返りながら盛り上がっていた。気心が知れた友との宴会は楽しいものだ。ビールも酒もツマミも全て美味かった。13時59分発の高尾行き電車に満足気分で乗り込んだのである。

 

今回の八重山・能岳登山活動データ

 

 今回登った八重山は山全体が小学校の学習林に指定されており、登山道も整備が行き届いて登りやすく、コース時間も短く危険個所も殆どないものだった。楽なコースのため山中で出会った登山者も年配の方々だった。爽やかな初夏、風もなく穏やかな日に、青葉が輝きを増すなかで歩きやすい登山道を、のんびり歩くのもいいものだ、と改めて感じたのだった。

 

息子に貰ったイチゴ味のプロテインパウダー

 

 息子からプロテインパウダーを貰った。プロテインパウダーは息子がプロボクサー時代に、筋肉量を調整するために飲んでいたタンパク質で、粉末でイチゴ味のものだった。封は切っておらず新品だった。プロテインはゼリー状のものやバー状のものが商品化されているが、私は粉末をミネラルウォーターで撹拌したものを、500mlのペットボトルに詰め替え、登山に持参している。今回の登山にも持っていった。糖分も含まれているので、エネルギー源としても有効だと思っている。

 

親ツバメに餌をねだる雛

 

 6月17日、警察庁から昨年度の山岳遭難概況が発表された。コロナ禍もあって、前年度よりも遭難総数は減少しているが、それでも遭難総数は2697人、内訳は死者・行方不明者278人、負傷者974人、無事救助者1445人となっていた。原因のワーストスリーは、道迷い44%、滑落15.7%、転倒14.1%で、この3つで全体の73.8%だった。発表された遭難概要には「山岳遭難防止対策」も書かれており、このような防止対策などを読まない方が遭難事故を起こすのではないかと思われる。発表された山岳遭難概要を読み、私が遭難者にならないように充分注意しながら、これからも山旅を楽しもうと思う。

 

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