突然のビバークだった
3月15日 木曜日 晴れ
山梨県青野原市にある坪山に登ることにした。坪山の概要は、東京都と山梨県の都県境に位置する三頭山から派生して生藤山まで伸びている笹尾根の南に位置する標高1103mの山で、4月から5月にかけて中腹から山頂にかけて淡いクリーム色のヒカゲツツジが拡がり、山頂からは富士山が眺められる。朝5時50分に家を出ると、橙色に染まった東の空から朱色の太陽が登ってくるところだった。昨日に続き今日も快晴である。気温は4℃と低く、吐く息が白く見えた。セブン-イレブンでお昼用におにぎりを2個買ってザックに入れた。
JR青野原駅
青野原駅に降りたのは1か月前の要害山ハイキング以来だった。8時50分発の飯尾行き富士急行バスに乗った。市街地を抜けるとバスの左側車窓から白銀に輝く富士山頂が見えた。バスは要害山の麓を進み、要害山登山口で夫婦と想われる2名が降りた。
富士急行バスで坪山登山口へ
バスは小菅村方向に向かって喘ぎながら坂道を登っていくのだが、その道沿いに想ったよりも多くの民家が建っているのは意外だった。苦労して切り開いた畑には、イノシシ、クマ、シカなどの食害を防ぐための電気柵やトタン板が畑を囲むように設置されているのは、なじみの景色となってしまった。
坪山登山口
私は終点のふたつ手前の八ツ田で降りた。バスを降りる時に運転手に話しかけた。大型バスは民家とギリギリのところを走っており、車体が立木の枝に触れるところもあった。すれ違うことができない細い道にも入っていき、山道を運転する運転手の技術は見事なものだと感心せざるを得なかった。そのようなことを伝えると、30代と思われる若い運転者は、ニコニコしながら人の良さそうな笑顔で運転の注意点などを話してくれた。
御岳神社で登山の安全の願った
私は八ツ田で降りたが、坪山登山口には御岳神社前というバス停があった。鶴川を渡りスギの落ち葉のなかを登り始めた。登り始めて間もなく東コースと西コースの分岐に出た。東コースはロープと鎖と岩場の厳しいコースであり、西コースは花を眺めながらとなっていた。花はまだ咲いていないが、私は計画通りに西コースを選んだ。植林された杉林の中を登っていくと、日陰部分では霜柱が凍っており、日向部分では霜柱が溶けて、ぐちゃぐちゃする山道だった。やがてススキの茂る広場に出た。昔は畑だったのだろうが、今は耕作放棄地としてススキが生い茂る広場となっていた。クマ鈴をザックに取り付け、ストックをつきながら一歩一歩
登っていった。山頂までは登山口から2時間の行程である。
登山道は落ち葉の下に隠れている
植林のなかから落葉広葉樹の道へと変わっていくと、落ち葉がうず高く積まれており、山道がわからない状態だったが、なんとなく雰囲気で山道だろうというところを登っていった。それにしても早春の山はまだまだ落ち葉が積っており、山道を探しつつ歩いて行かねばならなかった。
まだ芽生えていないヒカゲツツジ
登山口から30分ほど登ると、赤松林のなかの山道の両側にヒカゲツツジが生えていた。ヒカゲツツジは4月に淡いクリーム色の花をつける。そのツツジが山道の両側にびっしりと生えていた。北側斜面に雪が見られるようになった。山道を上がっていくに従ってヒカゲツツジの群落は数を増し、葉っぱが出ているものも見られるようになった。本当に見事な群落である。もうすぐツツジは喜びの歌を歌い出し、素晴らしい花のトンネルをくぐることが出来るだろう。しかし、山道は痩せ尾根で狭く、両端が切れ落ちているので、花が咲いてものんびりと花を楽しんでいる余裕が生まれないかもしれない。落ちたら下まで転がり落ちて、ただでは済まない急傾斜・崖である。
坪山に咲く代表的な6種類の花
山道の脇に「坪山に咲く花」として6種類の花と見頃の花期が写真で掲示されていた。ヒカゲツツジ4月上旬〜5月上旬、ミツバツツジ4月中旬〜5月中旬、イワウチワ4月上旬〜5月上旬、イワカガミ4月中旬〜5月中旬、ヒトリシズカ4月上旬〜5月上旬、
アセビ3月中旬〜4月下旬となっていた。これから判断するに4月下旬に坪山に来れば、だいたいの花が見られるというわけである。
イワウチワの群落
足元にイワウチワの表示があったので落ち葉を取り除いてみると、確かに2cmほどの葉っぱが隠れていた。よく見ると山道の両側にイワウチワがビッシリと見えた。まだ雪も残っている場所であるが、あと1か月でピンクの可憐な花を咲かすだろう。
雪が多くなったので軽アイゼンを着けた
アセビの蕾もずいぶん膨らんできて、間もなく開花を迎えるようだ。登っていくと東側が切り開かれた場所があり、眼下に南斜面に広がる民家と畑が見えた。今いる隣の北斜面には雪がずいぶん残っている。標高を上げるに従って山道に雪が多くなったので、軽アイゼンを着けた。しかも
凍っているので不用意なスリップに注意しながら登って行った。
雪を踏んでロープ伝いに山頂に向かった
山頂直下までやってくると、雪はますます多くなった。しかも急斜面なので注意が必要だった。ロープ伝いに登っていったが、春山とはいえ雪の残る山である。傾斜も急で神経を使った。
山頂から眺めた富士山
坪山の山頂標高1103mに着いたのは11時40分だった。山頂の幅は3mから4mで長さが20mほどで南北に伸びていた。晴れているので富士山を探すと、南側に7合目から上を出した山頂部が見えた。上野原市街地で見た青空に輝いていた時と違い、白い雲がバックに湧いてきており、富士山の輪郭がよく見えないのが残念だった。反対の北側は良く晴れており、左に三角形の雲取山が見え、残雪の秩父連山がつながっていた。眼の前には三頭山から南東に延びている笹尾根が見えた。
坪山(標高1103m)に着いた
山頂登頂記念写真を撮って、おにぎりをひとつ食べた。山頂には高さ2mほどの板の標柱が立てられ、その下に「この地区はヒカゲツツジやイワウチワの群生地なので、野生植物の無断採取は禁止されており、残された自然を大切にしましょう」
という上野原町の掲示板が立てられていた。
三角形の雲取山と残雪の秩父連山が遠くに見えた
山頂には三等三角点が打たれ、東ルートから登ってくる登山道を合わせていた。立ち木に「この先の尾根ルートは鎖や岩場が多く危険のため通行しないでください」という表示がされていた。登山はあくまでも自己責任の趣味の世界なのに、行政はそこまで登山者に気を使うのかと想った。山頂で20分ほど休んで「びりゅう館」に向かって降りて行った。
まだまだ雪が残っていた
下山ルートも結構厄介だった。尾根の幅は狭く、しかも所々雪が残っており、溶けたばかりは落ち葉が濡れて滑りやすかったので、登りと同様に細心の注意を図りながら降りていった。降りていったといっても、登ったり降りたりの連続で徐々に標高を下げていったのだった。北面には雪がびっしりと残っていた。標高を900mまで下げてくると、登山道の雪はほとんど消えた。誰にも出会わない山道をのんびりと歩いた。イノシシ、クマ、サル、シカなどの動物にも出会わなかった。
阿寺沢分岐で軽アイゼンを外した
阿寺沢の分岐まで降りたところで軽アイゼンを外した。今回はザックのなかに軽アイゼンを入れてきたが、もし軽アイゼンがなかったならば、山頂直下の雪を登ることはかなり難しかっただろう。さっさと諦めて下山したに違いない。春山はどういう状態になっているかわからないので、無駄になっても構わないから準備だけはきちんとしておくべきだと思った。今回の軽アイゼンは吉だった。
「ムンクの叫び」みたいな木
びりゅう館に向かって降りて行くと「ムンクの叫びみたいな木」という看板とともに大きな洞が空いてる木があった。確かに大きな口を開けて叫んでいるように見えないこともなかった。人間はいろいろと想像力を働かせるものである。下の民家の屋根が大きく見えるようになった。
イノシシ捕獲用の箱罠が設置されていた
下山口まで降りるとイノシシ捕獲用の箱罠が設置されていた。箱罠には蔓が覆いかぶさり、入口も落ちていて全く用をなしていないものだった。箱罠を設置する場合、設置から1年間ほどほったらかしにして箱罠を錆びさせ、周りの風景に馴染んだところで餌を入れて本格的に稼働させるという方法もあるので、今回見た箱罠がどちらなのかは分からなかった。罠の後ろに獣害防止用にトタン板の柵に囲まれた畑があった。
赤い屋根の「びりゅう館」の外観
14時10分に「びりゅう館」に到着し、今回のハイキングは終わった。タイムスケジュールから10分遅かっただけだった。びりゅう館という名前は、建物の前を流れる鶴川の上流に美流川という支流が流れ込んでいる。その美しい流れにちなんでつけられたもので、地元の物産・お土産販売と食堂があった。各地にある道の駅と同じようなものだった。
蕎麦粉を挽く現役の水車
食堂で頼んだのは、大瓶ビールと日本酒・笹一の1合、それに1番人気の天ざる蕎麦だった。頼んだ料理が出されるまでの時間に蕎麦粉を石臼で挽いている水車小屋を観に行った。昔懐かしの現役の水車だった。私が小学生のころ村に水車があったのである。この水車で挽いた蕎麦粉で打った蕎麦が「びりゅう館」の自慢なのだ。
1番人気の天ざる蕎麦とビールに日本酒
運ばれてきた料理は室内ではなく、外のテーブルで前山を見ながら食べた。風が少し出ていたが空は晴れていた。出された蕎麦は黒く不揃いだったが、腰が強くて美味かった。季節の天ぷらのなかにフキノトウがあって、苦みばしった春の香りがした。刺身こんにゃくのとろけるような舌触りは初めての食感で、美味いと感じた。ハイキングのあとの酒と料理は実に美味いものだ。
住宅地のなかの熊出没注意の看板
バス停で15時41分通過のバスを待っていると、10分経っても通過しないのでおかしいと思い、バス停の時刻表を確認すると、なんと私が待っていたのは夏ダイヤで4月から11月の時刻だった。午後の便は無かったのである。ガビーン。いくら待っても来ないわけである。青野原駅までの距離は16kmあり、歩くと4時間はかかる距離である。バスが来ない以上歩くしかない。16時からスタートして上野原駅に着くのは20時以降である。いやはやなんとも。
立派な田和バス停待合室
気を持ち直して上野原駅までの16kmを歩きながら、身体が疲れてかれてかったるいし、幕張に着くのが24時ころになるので、どこかのバス停で泊まれるところはないかと探していたところ、1時間ほど歩いた「田和」というバス停で、6畳ほどの立派な屋根付きバス停があったので、そこでビバークすることにした。あとで考えると屋根付きバス停は1か所だけで実にラッキーだった。40数年前、山本茂美のノンフィクション『ああ野麦峠』を読んで、岐阜県高山市から県境の野麦峠を越えて、長野県諏訪湖まで古道を歩きながら4泊5日のテント泊をしたときも、屋根付きバス停を利用させてもらったが、地方に行くと屋根付きバス停というのがあるのだ。ザックのなかにはビバーク用品、予備食料、アルコールは入っていたので、寒い思いをするだろうけれども、ひと晩だけバス停でお世話になることにしたのである。ま、こんなこともあるさ。
ビバークした田和バス停待合室内の色鮮やかな壁画
ザックに入っているダウン、ベスト、ウインドブレーカーを着込み、ビバーク用のポンチョを頭から被った。ウイスキーの水割りを作りながら、ひとつ残しておいたおにぎりを食べ、ソーセージやカルパスをつまみに飲み始めた。だんだんと薄暗くなり、18時に広域防災無線から「ふるさと」の曲が流れた。歌詞がないと、もの寂しい曲である。水割りを4杯飲んだところで眠ろうと横になった。今夜は長く感じるに違いない。天気予報によれば、明日早朝の5時6時の気温はー2℃である。ま、なんとかなるだろう。
3月15日の早朝の天気と気温予報
3月15日 金曜日 晴れ
夜間と朝方は冷えこみが厳しかった。横になると板のベンチと身体の接触面積が多くなり、それだけ体温が奪われるので、横にならずに座って夜を明かしたが、小用に起きた回数は8回だった。―2℃というのは着のみ着のまま外で眠ったら凍死するレベルだろう。静かな夜明けに、けたたましい絶叫と言うべき叫び声が走った。絶叫から連想したのは、ロバとキョンだが、そのような動物がこの地にいるはずもなく、再度注意深く聴いてみるとニワトリだった。手元のスマホで時刻を確認すると4時46分だった。どうにか長く寒い夜が過ぎ去ろうとしていた。午後に用事があるために10時29分のバスの通過を待つことなく、6時にはバス停待合室を出発し、上野原駅に向かって歩き出した。
路肩にスイセンが植えられていた
昨日は3kmほど歩いたので、残りは13kmほどだろう。本来ならば6時には太陽は上がっているのだが、周りを山に囲まれた谷間の集落に陽が差すことはなかった。7時に広域防災無線がチャイムを鳴らすころ、太陽が姿を現し一気に気温が上がっていくのが体感できた。県道18号線の路肩にはスイセンがたくさん植えられていた。野鳥や風を媒介として増えていく植物と違って、スイセンは球根であるがゆえに、人を媒介としない限り増えていくことができない。蕾のものや花を咲かせているものもあった。地元の人たちが丹精込めて手入れをしていることが想像できた。
獣害対策で畑を囲む柵
坂本の集落まで下ってくると、キャーンという大きく甲高い鳴き声が聞こえたので、山の方を見上げるとシカが確認できた。この辺りにも二ホンジカがたくさん棲息しているに違いない。シカは外見では可愛らしい姿をしているが、農家の人にとってはせっかく育てた作物を食べる害獣である。可愛いとばかり言っていられないのが農家の実情だろう。
上野原警察署と桂川漁業組合との連名によって、ヤマメ・イワナ・アユなどの釣り可能期間と釣り方の注意書きが5枚掲示されていた。ヤマメ・イワナは3月1日に解禁となったが、体長が15cm以下のものは漁業法と資源保護のためにリリースしなければならず、リリースしなかった場合、見つかったならば釣具は没収される、と書かれていた。釣り人にとって15cm以下でも、釣果が芳しくない時は持ち帰りたいものだが、そこは一線を引くということなのだろう。
国道20号まで6kmの表示板
歩き始めて2時間経つと、バス停の14個を通過していた。残りは上野原駅まで25個あるが、市街地に入れば停留所の間隔が短くなるので、距離にして半分ぐらいかなと想像した。県道18号と33号がぶつかるユズリ原まで降りてくると、国道18号まで6kmの表示がされていた。先が見えた感じだった。
赤いナンテンの実が美しかった
今までなかった郵便局やガソリンスタンド、コンビニも見られるようになり、集落の規模も大きくなっていることが実感できた。ガソリンスタンドの前にユズリ原駐在所があった。コンビニでは醤油の焼きおにぎりを買った。おにぎりを食べながら歩いていると、民家の庭先のナンテンの赤い実が青空に映えて美しかった。
珍しい道路の法面工法
道路工事の法面を作る珍しい工法があった。今回見たのは正方形の布のなかに砂のようなものを詰め、それを法面に固定する方法だった。硬さはコンクリートのように固かった。袋の中に何が入っているのかは分からないが、拳で叩くと硬いコンコンという音がした。初めて見た珍しい工法だと思った。
ようやく要害山麓まで戻ってきた
多くの集落を通過し、ようやく要害山麓まで戻ってきた。鏡渡橋を渡る時に振り返ってみると、山頂に1本のスギの木が立っている、お椀を伏せたような特徴ある要害山が見えた。先月はあの山頂から富士山を眺めたのだった。しばらく歩くと富士山の山頂部が見えるようになった。青空をバックに白銀に輝く富士山は素晴らしかった。
富士山の山頂部が見えた
9時30分に上野原市街地の新井バス停に着いた。ビバークした田和バス停を通過するバスの1時間前だった。上野原駅行き時刻表を見ると9時49分が通過時刻だった。20分ほど休憩し、バスに乗って上野原駅まで行こうと思った。日帰りハイキングの予定だったが、いろいろアクシデントがあり、結果的に1泊2日に変わってしまったが、坪山ハイキングは無事に終わったのだった。
1日目のハイキングデータ
ウメの花が集落のあちこちで満開だった。2日目に出会った野鳥はコガラ、ウグイス、ウソ、ガビチョウ、ヒヨドリ、ジョウビタキ、コジュケイ、メジロだった。