今年最後の山行は天目山だった

 

山々の黒い影

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天目山(1576m)山頂からの富士山の眺め

 

12月21日 木曜日 晴れ

今年最後の山行として東京都と埼玉県の境にある天目山(1576m)に出かけることにした。天目山という地名は山梨県にも群馬県にもあり、特に山梨県甲州市甲斐大和の天目山は、天正10年(1582年)武田信玄の嫡男武田勝頼が織田徳川連合軍に敗れ、敗走した最後の天目山の戦いで妻子とともに自刃した終焉の地として有名で、現在は武田勝頼の供養の景徳院が建てられており、近くの天目山温泉には大菩薩嶺山域で楽しんだ帰りに、何回か山旅の汗を流して疲れを癒したことがある。群馬県は上州三山のひとつである榛名山の榛名湖畔にあるハイキングで気軽に登られている山である。

 

テキスト

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避難小屋の寒暖計は3℃だった

 

10年に1度という最強寒波が、北海道から日本海側に強風と大雪を降らせていたが、太平洋側は晴天続きだった。12月22日は冬至なので、1年のなかで最も昼間の時間帯が短いころとなっていた。今回の登山の目的は、天目山の山頂から奥多摩や奥武蔵の山々の連なりを眺めると同時に、冠雪の富士山から神奈川の山なみを眺めることにあった。天気予報は奥多摩・雲取山エリアは、気温は零下に落ちるが朝から快晴だった。

 

建物の前の道路を走るバス

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奥多摩駅前から西東京バスに乗って登山口へ

 

天目山には東京側から登ることにした。奥多摩駅8時10分発の日原鍾乳洞行きの西東京バスに乗ったのは10人だった。7人が川乗橋バス停で降りた。川苔山に向かうのだろう。川乗橋バス停から補助乗務員が乗り込んできた。この先の道路はカーブが続くのと、対向車対策だろう。8時35分に登山口の東日原バス停に着いた。バスを降りたのは私だけだった。残りのふたりは先に行くようだ。

 

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消えかけていた登山口の表示

 

バス停から歩き出し郵便局と派出所を過ぎ、右に折れる登山口の標識を見落としてしまった。戻って確認すると標識は殆んど読めない状態だった。ここから登り3時間で天目山山頂に着き、頂上でお昼ご飯を食べながら360度の展望を楽しんだあと、降りは2時間30分の予定である。「天目山」という山名は東京・檜原側の呼び名であり、埼玉・秩父側では「三ツドッケ」と呼んでいた。ドッケはトッケの訛りで尖がるという意味だという。3つ山頂があるのだろう。

 

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東京都水道局日原第2配水所

 

廃屋と思われる何軒かの脇を通り、山道がつづら折りの急登に差し掛かるところに東京都水道局日原第2配水所があり、立ち入り禁止の看板がかかっていた。コガラの群れが私の前を横切っていった。コガラはシジュウカラの仲間で胸に黒ネクタイはしていないが、頭から首までを黒く染め、クリッとした黒い眼で私を見つめていた。実に可愛らしい鳥だ。

 

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廃坑となった鉱山施設の看板

 

30分も歩くと身体も温まり汗ばんできたので、ウインドブレーカーとダウンジャケットを脱いだ。ザックにクマ鈴を着け、トレッキングポールを出し、首からホイッスルを下げて、いよいよクマ対策だった。スギ林のなかのつづら折りを登っていくと、「鉱山施設につき立入禁止 奥多摩工業株式会社 氷川鉱山」という金網に付けられた看板があった。ずいぶん古い看板で金網も錆びていた。白い岩肌が金網越しに見えたので、氷川鉱山というのは、おそらく石灰岩を掘っていたと思われた。ここから2km先に天然記念物の日原鍾乳洞があるのだ。しばらく金網沿いに山道は伸びていた。

 

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落ち葉の積もる山道

 

999m分岐に着いたのは登山口から登り始めて1時間ほど経ったころだった。額から汗が滴り落ちていた。斜面の上側は落葉広葉樹、下側は植林となっており、その境目に山道が伸びていた。従って山道には落ち葉がうずたかく積もり、その上を歩くとサクサクという音ではなく、ザワッザワッという落ち葉に潜る登山靴の音が続いていた。この落ち葉は登りよりも降りの方が疲れるだろうと判断できた。山道を度々獣が横切る跡が見受けられ、あちこちで土を掘り返した跡も頻繁に出てくるようになった。イノシシの仕業に違いないが、イノシシも生き抜くために大変なのだ。

 

木の幹の写真

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道幅が狭く通行注意の看板

 

落葉樹の森のなかからアカゲラだろうか樹を叩くドラミングの音が聞こえてきた。山道は尾根の真上を伸びずに、山腹をトラバースするように付けられており、傾斜が急なため植林できずに紅葉落葉樹林となっているようだった。今の時期は紅葉が終わり、落ち葉が山道の凸凹を隠して危険だった。特に滝入ノ峰から横篶(ヨコスズ)山の手前までの1kmほどの区間の山道の幅は30〜40cmと狭く、谷側は底が見えないほど深かった。剝がれた20cmほどの岩が山道に転がっていたので、足で蹴り落としたら数回バウンドしたあとは谷底に消えてしまった。人間が滑落したら・・・と想ったら穏やかではなかった。昨年度の山岳遭難の内容分析を見ても、道迷い・滑落・転倒で70%を占めているのである。

 

レンガの壁の家

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一杯水避難小屋に着いた

 

山道は天目山に向かって南側から伸びており、好天が続いていたこともあって、日陰の部分でも凍結や霜柱は見られなかったのだが、標高が1300mを越えるあたりから日陰に霜柱が見られるようになった。登山口から登り始めて2時間30分で一杯水避難小屋に着いた。傾斜地の前が植林地なので展望はなかった。小屋の外の板壁に吊るされていた寒暖計は3℃を指していた。ドアを開けてなかに入ると、広い板の間だった。整理整頓がされており、20人くらいは泊まれるだろう。入り口に置かれた雑記帳をめくると12月7〜8日が最後の記入だった。

 

森の中に立っている男性

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誰もいない天目山山頂に着いた

 

避難小屋の裏手から天目山に向かって登っていった。ほぼ直登である。「三ツドッケ」には呼び名の通り3つ山頂があるはずなので、ひとつ目を登って下り、「山」の字のように真ん中のふたつ目が天目山1576mの山頂だった。避難小屋から結構きつい30分の登りだった。あまり広くない山頂には今回も誰もおらず、直径10cmほどの1本のヒノキが育っていた。鳥がヒノキの実を運んできて芽生えのだろう。逞しく育っていた。携帯電話の電波は入らなかった。

 

雪が降った山の景色

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天目山山頂から眺めたグラデーションの山なみ

 

晴天なので展望は良かったが、12時に近いので南側は逆光となり、富士山には東側から雲がかかっていたが、その雲の形から西側から強風が吹いているようだった。南アルプスは雲のなかだった。大山から右に延びた丹沢の山なみ、その手前に連なる奥多摩の山なみが重なりあい、グラデーションとなっていた。反対側の秩父方面や東京方面は霞んでおり、今日もスカイツリーは確認できなかった。冷たい風が吹き出してきていたので、山頂の滞在は15分だった。

 

屋内, 天井, 建物, 床 が含まれている画像

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一杯水避難小屋の内部

 

 今回の山行では登りも降りも1回も休憩することなく歩き続けた。途中で水も飲まなかった。水の代わりに両方のポケットに入れたキンカンを食べた。キンカンからは、@水分が摂れる、AビタミンCが摂れる、B皮は精神をリラックスさせて血流を良くし、胃腸を整えて肝機能の向上がはかれるという効用があるとのことだ。

 

グラフィカル ユーザー インターフェイス, アプリケーション, マップ

自動的に生成された説明 グラフ, 折れ線グラフ

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今回のハイキングデータ

 

 今回は横篶尾根を初めて登り降りしたが、傾斜の急な崖を横切っていく区間が1kmほど続く区間があり、道幅が狭く「注意・CAUTION」の看板が数か所提示されていた。足元に気を集中し、靴裏で山道の凹凸や木の根などを確認しながら進んでいった。紅葉の終わった落ち葉の時期から雪の積もる冬から春先までは、この尾根は使わないほうが良いと思った。理由は落ち葉に滑っての滑落や雪が付き凍結したら歩けないだろうし、大回りしても安全なコースを採るべきだろう。12月のハイキングのためチェーンスパイクをザックのなかに入れていったが、積雪や凍結などはなかったので使うことはなかった。

 

木の幹

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立派なブナの木

 

今回歩いた横(ヨコスズ)尾根は、名前が示すように釣り竿の材料になるスズタケ(篶竹)が生えていると想ったが、スズタケは見当たらずツツジやブナがたくさんあった。春に桃色のツツジの花が咲く頃、ブナの若葉が新緑に輝く頃、ブナの葉が黄金に彩られる頃は、奥多摩の最深部の山ゆえに訪れる人も少なく静かな山旅が出来るだろう。

 

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