たぬき山ときつね山

 

木々に覆われたきつね山の山頂

 

11月30日 土曜日 晴れ

YAMAPで房総半島の登山地図を見ていたところ、「たぬき山」と「きつね山」が眼に留った。国土地理院の2万5000分の1を確認してみると、たぬき山もきつね山も表示されていなかった。どんな山なのか興味がわいてきたので調べてみると、JR五井駅から上総中野駅まで伸びている小湊鉄道線の上総牛久駅から歩いて行けると分かり、天気予報も快晴だったので、たぬき山ときつね山を訪ねる里山ハイキングに出かけることにした。

 

五井駅小湊鉄道線ホーム

 

時刻表を調べて出かけたが、千葉駅で乗り換える予定の横須賀線直通の内房線がトラブルで大幅に遅れた。次の電車に乗ったために、五井駅でも乗り継ぎがうまくいかずに上総牛久駅に着いたのは1時間遅くなってしまった。里山ハイキングなので焦ることはなかったが、のんびりいこうと思った。

 

イノシシ用の箱罠が設置されていた

 

上総牛久駅の改札を出て、線路を渡って南側に出てから国道297号線を歩き、市原市南総消防署のところを左折して茂原方面に向かった。200m先で左に折れ御十八夜山に向かった。途中に米沢集落の鎮守様があったのでハイキングの安全を願ってお参りした。神社の名前が表示されていなかったので散歩の人に尋ねると、淡洲神社という名前を教えてくれた。山に向かう道の両側には田んぼが広がっており、2番稲穂が頭を垂れていた。田んぼの周りをぐるりと獣よけの鉄柵が巻かれている。箱罠も見受けられた。市原市はイノシシに対する防御で悩んでいる地域である。

 

竹で作った楽器が面白い音色を発していた

 

米沢の森入口第1駐車場には3台の乗用車が止まっていた。左折して山のなかに入っていく。御十八夜山まで約1時間という道標が立てられていた。竹林のなかの急坂を一歩一歩登って行った。登山で疲れないコツはゆっくり歩くことである。竹林が切れたところにベンチが置かれており、長さを調整した竹のおもちゃが吊り下がっていた。トレッキングポールで揺らしてみると、竹と竹がぶつかり合って面白い音色を発していた。子どもたちにとってはいい遊び道具になるだろう。山道の周りの竹は刈り払ってあり、歩きやすい道が続いていた。クヌギなどの落ち葉が重なる静かな道をサクサク歩くことができた。

 

行人塚の上に山桜の巨木が枝を広げていた

 

やがて行人塚の山桜広場というところに出た。塚の上に山桜の巨木が枝を広げていた。私が今まで見た山桜の木では最大の木だ。桜は根元から4本の幹に別れており、その1本1本がいずれも広く枝を広げているのである。塚はお墓なので上に登ることはできないが、この木に花が咲くころに訪れたならば、素晴らしい景色が見られるだろう。この広場には竹で作ったベンチが3台置かれていた。広場の脇にカエデが植えられていたが、葉は色づき始めたばかりだった。

 

手作り感いっぱいの道しるべ

 

山道を歩いて行く途中で七曲池と御十八夜山への道標が立っていた。このハイキングコースを管理している人たちの手作り感いっぱいの道標だった。こういう道標が山道を歩く時には重要な確認ポイントとなるのだが、この道を整備してくれている人たちに対して改めて感謝の念を抱くのである。

 

静かな山道を歩いた

 

山道は両側が木や竹に覆われており展望は全く望めないが、静かなことだけが取り柄である。トレッキングポールに着けた鈴がチリンチリンと耳に快く響いていた。時たまハシブトガラスやヒヨドリの声が届く以外は静かな山道である。山道は落葉樹の葉が落ちて凸凹を隠してしまっているので、足首をひねって捻挫などを起こさないように注意しながら歩いた。山道には赤いテープが所々に印されており、道に迷う気配は全く感じられなかった。

 

カエデが色づき始めていた

 

御十八夜山山頂に登るための緩やかな道と急坂の分岐に出た。私は当然のことのように急坂を選んで登っていった。途中、カエデの葉が赤く色づいているのが見えた。上総牛久駅から歩き出して1時間が過ぎたころに桜房山桜広場というところに着いた。大きな山桜が何本もあった。3月下旬から4月上旬のサクラが綺麗に咲いている光景を想像したのだった。歩き始めてから初めての休憩を取り、行動食の柿ピーを食べて水を補給した。足元に咲くシロヤマギクが風に揺れていた。

 

御十八夜山(162m)山頂から雪をかぶった富士山が見えた

 

御十八夜山(162m)山頂に着いた。山頂には地デジ用のアンテナとKDDIの通信アンテナが立っていた。山頂からの見晴らしは抜群だった。正面に雪をかぶった富士山が見えた。富士山から左に眼を転ずると台形の山が見えた。大福山である。 来週、梅ヶ瀬渓谷を歩いて大福山に登る予定だが、その山が見えた。大福山の右側にポコッと見えるのが鹿野山の白鳥山である。あの山にも登ったことがあった。

 

御十八夜山山頂からの見晴らしは抜群だった

 

御十八夜山頂には消防団の方が2名いたので話をすると、梅ヶ瀬渓谷でも遭難者が出たので救助に行ったことを話された。その遭難者は15時過ぎに渓谷に入っていくので地元の人が止めたのだが、その忠告を聞かずに入っていき暗くなって道がわからなくなり、119番通報で救助を要請してきたとのことだった。全くお騒がせなものである。

 

木々に覆われたたぬき山(139m)の山頂

 

米沢の森を抜けて真ヶ谷城址の内田の森に入った。鬱蒼と木々が生い茂る森のなかを登っていくと「たぬき山」(139m)に着いた。実に静かだ。山頂からの見晴らしは周りが全て木に囲まれているため展望はなかった。たぬき山という名前自体は地元の人が付けたものだろう。展望がないので長居をしないで「きつね山」に向かうことにした。むじな坂を右に見てきつね山に向かうと、まもなく山の神様があり「人々の生活を守る神様です」という表示のもとに小さな祠があった。祠のなかは何も書かれていなかった。現在と違って昔は村の人々が山のなかに入って、生活のために木を伐ったり薪を採ったりして森を大切にしていたころの名残だと想像した。

 

きつね山(153m)も薮山だった

 

やがて標高153mの「きつね山」に着いた。この山もたぬき山と同じ薮山で、周りは全て大きな木々で囲まれているために展望は全くなかった。山頂には根元から4本に分かれた大木、2本に別れた木も立っていた。それらの木々は私よりはるかに年を重ねた先輩だった。これで今回のハイキングで登ろうとした3つの山に登ったので、上総牛久駅に戻ろうと思った。

 

崖の途中に出羽三山参拝記念碑が立っていた

 

下山を尾根伝いに歩いていたが、整備されていない竹藪のなかの道を探しながら進むうちに出羽三山の参拝記念碑に出会った。5基のうち一番新しいのは平成2年に立てられたもので、昭和55年、 昭和7年、大正10年、明治40年、明治23年、の文字が読めた。出羽三山参拝記念碑が立っていた場所は急斜面の崖であり、そこからの下山ルートを見失ってしまった。辺りを探したが赤いテープがなくなってしまったのだ。参拝道がなくなっているので、集落から訪れる人もいないのだろう。下のほうに田んぼのようなものが見えたので、ヤマップのルート図を参考に強引に崖を降りて行ったらルートに戻った。

 

静かな腰巻池の水面に紅葉した木々が映って美しかった

 

駐車場がある腰巻池まで降りると、鏡のような静かな水面に紅葉した木々が映って美しかった。農家の人が田んぼを整理したゴミを燃やしていた。最近は田んぼや畑でゴミを燃やす風景が少なくなったように感じる。昔は晩秋の時期にはあちこちで煙がたくさん上がっていたのだが最近は少ない。耕作放棄地に生えたススキの穂が銀色に光っていた。まるで白髪のようだった。米沢集落に戻り、行きに安全祈願をした淡洲神社に寄り、無事にハイキングが終わったことを報告した。

 

インド料理店のタンドリーチキンセットは美味かった

 

この辺りには温泉施設がないためにハイキングの汗を流せなかったが、お昼ご飯はインド料理店に入り、タンドリーチキンセットとインドビールを頼んだ。セットはカボチャカレー、マメカレー、ナンにした。巨大なナンが美味かったのでおかわりした。ナンは何枚食べても無料だった。ビールの追加でマンゴービールを頼んだら、甘苦くて独特の味がして失敗だった。ま、こんなこともあるさ。

 

今回のハイキングデータ

 

今回のハイキングはYAMAPでたまたま見つけた「たぬき山」と「きつね山」を訪ねるものだったが、途中で「御十八夜山」を追加したものだった。結局、たぬき山もきつね山も森のなかの薮山だったが、御十八夜山で素晴らしい展望を得ることができて満足だった。山道もよく整備されており、安全に歩くことができた。下山後に偶然見つけたインド料理も美味しく満足だった。今回は5時間ほどの里山ハイキングだったが、3000m級の岩稜登山とは違った楽しみがあることを改めて感じたのだった。

 

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