高柄山から御前山へ

 

高柄山733mの山頂

 

 JR東日本の東山梨エリア8駅からの日帰りトレッキングに紹介されている高柄山縦走に出かけた。コースはJR四方津駅からスタートし、林道終点の登山口から登りだし、千足峠で大地峠からの縦走路に合流したあと、高柄山733mに登り、山頂からの展望を楽しんだあとは御前山まで縦走し、鶴鉱泉に下山してから桂川を渡ってJR上野原駅に向かうというもので、予定時間は5時間30分だった。

 

JR東日本のチラシと国土地理院地形図の自作ルート図

 

JR東日本が配布しているチラシには次のように書かれていた。「高柄山の標高は低いですが、結構タフな山です。登り下りの連続でハードだけれど、年中静かな山路です。前半の高柄山頂上から富士山を垣間見ることができます。後半の御前山山頂からの上野原市街の眺望は格別です」となっていた。四方津駅から縦走路に登るルートは2つあった。事前に調べた結果、チラシに紹介されていた新大地峠ルートは土砂崩れのために避け、別の千足峠ルートで縦走路に合流することにした。

 

JR四方津駅

 

 4時20分に自宅を出て、JR四方津駅に下車したのは7時4分だった。7時10分に四方津駅からトレッキングを始めた。空は曇っているが薄日が差し込んでいた。南側に見える山に雲が低くまとわりついているのが気にかかった。駅の北側に甲州街道の国道20号線が走っているが、私は線路をくぐり、南側に出て東に向かった。10分ほど歩くと災害時の一時避難所があり、脇にトレッキングの案内板が立っていた。そこを右折し、柿の木林道に入っていった。畑には不織布シートが張られ、冬野菜の芽が出ていた。桂川にかかる吊り橋を渡ったところでザックにクマ鈴をつけ、トレッキングポールを出した。山梨県東部の最近の一週間は雨ばかりで、今日は曇りの予報が出たので、日帰り登山にやってきたのである。

 

コンニャクの栽培

 

柿の木林道を進んでいくと、こんな山奥にも集落があるのかという感じで巌集落が現れた。びっくり。周りは山ばかりで、傾斜地にわずかながら耕している畑に、トウモロコシ、サツマイモ、サトイモ、コンニャクイモなどが植えられていた。畑の周りには獣除けの柵や電線が張り巡らされていた。民家は戸締りされた家が多く、やがて廃屋になるのだろう。桂川に流れ込む千足川に沿って登ってきたが、水量が多かった流れは徐々に細くなっていった。辺りは水源地区となっており、魚釣り禁止の看板が出ていた。路面は昨日までの雨で濡れており、登山靴が滑った。今日のコースは急な登り降りがあるので、転落や滑落に十分注意しようと思いながら歩を進めた。

 

炭焼き窯の内部

 

柿の木林道の終点に着いた。ここから山道になる。登山口にはいつものようにクマ出没注意の黄色い表示がされていた。それを横目に杉の植えられた暗い林の中を登っていった。40分ほどつづら折りの登山道を登っていくと、右側に石積みのしっかりした石造物があった。なんだろうと思い、入り口からヘッドライトで中を照らしてみると、石積みがきちんと土止めされていた。入り口は縦40cm、 横25cmほどで、人間が横になれば入れる大きさだった。最初は円墳と考えたが、場所から判断すれば昔の炭焼き窯だろう。完璧の形で残っているのを見たのは初めてだった。ドーム型の天井部など実に見事な石積みだった。

 

千足峠に着いた

 

額から顎から、被っている帽子の鍔からも汗が滴り落ちていた。つづら折りの山道を汗びっしょりになりながら一歩一歩登っていった。風は全く感じられなかった。9時に千足峠に着いた。高柄山まで20分の表示があった。気温が低いため、南側から吹き上げてくる風が冷たかった。カケスのジャージャー鳴いている声が届いた。これから尾根伝いに高柄山へ向かうが、山頂に着いたら初めての休憩をとろう。

 

葉緑素が全くないギンリョウソウ

 

 千足峠からは明るい尾根道を歩いていった。登山道の写真を撮ろうとしてふと足元を見ると、ヒノキの林の中にギンリョウソウが生えていた。ギンリョウソウは葉緑素を全く持たない植物である。ウマヅラを下に降ろした姿が可愛らしい。久しぶりに出会ったギンリョウソウだった。15分ほどの登りで、あっけなく高柄山733mの山頂に着いてしまった。

 

高柄山の山頂に祀られていた祠

 

誰もいない山頂だった。高柄山は山梨百名山に選定されていた。山頂には等三角点が打たれ、赤い屋根に保護されたお宮が置かれていた。何という名前だろうか。南側の富士山は雲に隠れ、北側は上野原の市街地が見えた。雲が降りてきており、見晴らしは良くなかったが、中央高速道路の赤い橋桁と走っている車が見えた。これから向かう御前山と下山後に渡る桂川橋も見えた。10分ほど休んで御前山への縦走路に進んだ。

 

新矢野根峠の東屋

 

高柄山から御前山までの尾根上の縦走路は明るくて気持ちが良かった。足下には8月から続いた長雨のせいだろうキノコがたくさん生えていた。丸い大きな棘棘のある可愛いらしいシロオニタケもあった。グーグルで調べてみると、毒があるかないかは分からない、とのことだった。ま・食べないほうが身の安全である。緩やかなアップダウンが続き、50分で新矢野根峠に着いた。峠には東屋が建っており、中に3つの長椅子が置かれていた。東屋は雷雨などによる避難小屋を兼ねているのだろう。また、寝袋を持ってくれば静かな眠りが訪れるだろう。ここから御前山分岐まで1時間の表示があった。

 

まんまるトゲトゲのシロオニタケ

 

御前山分岐までの広葉樹のなかの尾根道は、薄日が差して気持ちのいい登山道なのだが、いたるところで土砂崩れのために登山道が消えていた。その土砂崩れを乗り越えて進んでいった。土砂崩れを越えているときに、熊野古道の大峯奥駈道を歩いたときも土砂崩れを越えたことが思い出された。登山道を歩いていると、体長5cm足の長さを入れると10cmぐらいになる黄土色のカエルを度々見た。私の足元からジャンプして逃げるのだが、彼らあるいは彼女らは、どこへ着地するか考えていないように崖の下にジャンプするのもあった。びっくりするカエルの跳躍力である。

 

御前山手前からの滝子山の眺め

 

御前山分岐を真っ直ぐ進み、岩場の急登を攀じ登った。岩場の上からは見晴らしがよかった。先ほど登ってきた高柄山や、以前に登った滝子山、百蔵山、扇山などが一望できた。岩場を過ぎて緩やかに登った先が御前山484m山頂だった。山頂は木々に囲まれ、ススキが生い茂り、見通しは悪かった。この山頂にも三等三角点が打ち込まれていた。山頂表示の木の柱は経年劣化で朽ちていた。白い紋が目立つモンキアゲハがゆったりと舞っているのが印象的だった。

 

上野原側の登山口にもクマ出没注意の看板

 

12時30分、連続するアップダウンに少し嫌気がさしたころに下山口に降りたのだった。降りてくる登山道に青色が目立った。手頃な岩を拾って割ってみると、綺麗な緑青色だった。これらの岩が割れて岩屑が登山道に散らばっていたのだった。こちらの下山口にもクマ出没注意の看板が立っていた。それにしてもアップダウンの厳しい山道だった。薄日が差している周りからは、オーシンツクツクの声がシャワーのように降りそそいでいた。ここからは平らな林道を歩いて行った。民家の近くに真新しい野生動物の侵入防止ゲートがあった。

 

滑落、転落注意のトラロープ

 

 8月や9月に登る里山は中途半端な感じを受ける。来月になれば紅葉も始まり、山も賑やかとなるのだが、9月上旬ではまだ青葉であり、足元の草花も少ない。しかし、今どきの山は登山者の数が少なく、今回はひとりの登山者にも出会わなかったので、静かな山が楽しめた。野生動物の侵入防止ゲートをでたあと、鶴鉱泉の脇を通ったが、この鉱泉も入浴者の減少か経営者の高齢化により、現在休業中となっていた。復活はないだろうと思った。桂川にかかる橋を渡るとJR上野原駅だった。

 

尾根上の静かな山道

 

新型コロナウイルスの感染拡大によって、高柄山のある山梨県は蔓延防止等重点措置対象県となっており、飲食店における酒類の提供は禁止されていた。従って上野原駅前で食事をしてもビールや地酒を飲むことが出来ないので、あらかじめ駅前に「いちやまマート上野原店」があることを調べておいた。下山後はスーパーで買い物をし、近くの桂川河川公園広場で乾杯を挙げることにしたのだった。河川敷に降りて行くところに、蔓延防止等重点措置適用中につき他県のナンバー車はご遠慮ください、という立て看板があった。駐車場は無料なのだが、こういう看板を立てられると他県の人は駐車しにくいだろうなと思う。世知辛い世の中になったものだ。

 

桂川河川公園で乾杯

 

桂川の流れのほとりで、先ほど降りてきた御前山を右手に見て、新田の渡し場跡で乾杯だった。350mlの発泡酒が2缶。それに甲州地酒の七賢と開運。肴は、骨なしスペアリブ、シメ鯖、握り寿司、それに鯖カツだった。私は鯖カツというの初めて食べた。肉厚のサバにパン粉を着けて揚げてあるのだが、美味かった。気に入った。たぶん山梨のB級グルメだろう。千葉の方ではこういうのはない。骨なしスペアリブは、たぶん老人向けの食べ物だろう。これも美味かった。シメ鯖、握り寿司はそれなりの感じだった。オーシンツクツクの声を聴き、川面を渡ってくる風を感じた。ズボンに這い昇ってくるアリンコを眺めながら、無事に登山が終わったことの余韻に耽っていた。自然の中で飲み食べる味は、殊のほか美味かった。

 

河川公園から望む御前山

 

ひとり宴会をやっていると、カワセミが翡翠色の背中を見せ、ピィーという短く高い鳴き声を発しながら右手から私の視界に登場し、一瞬で左手に消えていった。対岸には麦わら帽子を被った人が釣り糸を垂れていたが、なかなか釣れないようだった。青空が拡がり、日が差してきて暑いくらいだった。酔いが回りだしたので、余計に暑く感じたのかもしれなかった。河川敷でぼーっとしていると、自然が次々に変わっていくことを実感する。雲が湧いて流れ、風が川面の波紋を様々な形に変える。風が止まると対岸の景色が川面に映り、風が吹き出すと景色はモザイク状態となった。私の横のススキは右に左にゆっくりと首を振っていた。

 

千足川の土石流の跡

 

JR東日本の東山梨エリア8駅からの日帰りトレッキングに紹介されているのは、笹子駅→笹子雁ヶ腹摺山、初狩駅→高川山、大月駅→岩殿山、猿橋駅→百蔵山、鳥沢駅→扇山、梁川駅→倉岳山、四方津駅→高柄山、上野原駅→八重山、であった。この山々を夏山の北アルプス3000m縦走登山の足慣らしとして歩いて来た。以前、息子が小さかった保育所時代に一緒に登った岩殿山を除いて、今年の4月から登山者の少ないウイークデーにひとつひとつ計画して歩き続けてきたが、今回の高柄山で全てを登ったことになった。

 

御前山484m山頂は木々に囲まれていた

 

 8つの山々は決して標高は高くない。高い山でも滝子山1620m、本社ヶ丸の1631mであり、ほかの山々は1000m未満であった。それらの山々は標高3000mの北アルプスの岩稜とは異なり、緑がいっぱいの山々であった。あるときは朱色や桃色のツツジに囲まれ、あるときは若葉や青葉に包まれ、あるときはエゾハルゼミの集中砲火を浴びた。足元に咲く小さな花々を愛で、頬をかすめていく風を感じながら静かな山道をのんびり歩いた。山頂で食べたおにぎりは美味しかった。健康で自然を体感でき、山の中にいられる素晴らしさを感じた。あわせて家族のことにも思いをはせた。

 

今回の高柄山登山活動データ

 

私はもうすぐ73歳となる。世間一般では老人である。私の山旅は、いつも単独行の一人旅である。単独行であるがゆえに、遭難に対するリスクマネージメントを考えながら行動している。「継続は力なり」という言葉があるが、好きなことを続けていくことが、精神的にも肉体的にも重要なことだと思う。特に登山という行為は全身を使う有酸素運動のため、登山を継続していることが心肺機能を強め、丈夫な身体を維持していくと思えるのである。来週は1年ぶりに、山の仲間と4泊5日で北アルプスの後立山連峰縦走登山に出かける予定である。

 

青春とは心の若さである

 

 私が30代のころ、たまたま手にした『リーダーズ・ダイジェスト』という雑誌のなかに、サムエル・ウルマンの「青春」という詩が載っていた。その詩は「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたをいう。・・・ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。・・・頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。」というものだった。この詩を読んだ以降、「青春とは心の若さである」という言葉が私の心の奥底に生き続け、私の座右の銘となっているのである。

 

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