アクシデントの高川山ハイキング
残念ながら富士山は雲のなか
6月14日 金曜日 晴れ
4年ぶりに山梨県大月市の高川山976mのハイキングに出かけた。高川山は『山梨百名山』に選定され、大月市選定の秀麗富岳12景にもなっている山である。JR初狩駅に下車すると2時間で高川山山頂まで登ることができる。山頂で秀麗な富士を見たあと大月駅まで3時間の縦走路を歩く計画であった。5月下旬に北海道利尻島にクマゲラ探索に出かけていたため、2カ月ぶりのハイキングである。
昭和レトロな雰囲気の無人の初狩駅
幕張駅発4時40分の始発に乗るため駅に向かうと、真っ赤な太陽が登ってくるところだった。家を出る時に感じたことだが、昨日までは何ともなかった両足の膝から下が非常に痛んだ。なぜだかわからなかった。新宿駅と八王子駅で乗り換え、7時30分に高川山登山口がある初狩駅に着いた。初狩駅は昭和レトロの雰囲気プンプンの無人駅である。気温は20℃と暖かく、日中は30℃の真夏日になるという予報が出ていた。空は晴れ渡り、東の森からホトトギスのトウキョウ
トッキョ キョカキョクという鳴き声が響いていた。
ピラミダルな山容の滝子山
スマホのGPSをセットし、中央線のガードをくぐって南側に出たところに、高川山のルート案内が掲示されていた。自慶寺の前までやってくると、中央線を挟んで北側に滝子山のピラミダルな山体が望めた。膝から下の痛みは続き、結構まずい状態だった。今回は高川山の山頂まで登り、その時までに足の痛みが引かなかったら、大月駅までの縦走はやめて、登った道を戻って初狩駅に降りようと思った。痛みはどうしたことなんだろう。昨夜の深酒と睡眠不足が足の痛みを誘発したのだろうか?
周りからはウグイスの爽やかな鳴き声が耳に届いていたのとは裏腹に憂鬱なスタートだった。
登山者数計測カウンター
自慶寺を過ぎると山道に入っていくので、ザックにクマ鈴を着けてホイッスルを首から下げた。いよいよクマさんが生息する山へと入ったのだった。杉木立ちのなかの高川山林道を歩いていると、初狩駅前で握り飯を食べていた60歳代と思われる男性に追い抜かれた。林道の終点には白い軽自動車が停まっており、2つのトイレと登山者カウンターが設置されていた。登山者カウンターは「432」を示しており、私が押して「433」にカウントアップした。そこには「登山計画書を提出しましょう」という啓発ポスターが貼ってあった。
私は年間契約をしている遭難対策用の「ココヘリ」に、ネットで登山届を出している。
初狩登山口の「クマ出没注意」看板
駅から歩いて30分で初狩登山口に着いた。「クマ出没注意」の山梨県設置の黄色い看板が立っていた。登山口から急登を続けていると、額から汗が吹き出し、汗は顎から滴り落ちた。ベストを脱いでザックに括りつけた。植林杉の隙間から太陽が差し込み、縞模様の登山道が上へ伸びていた。その登山道に沿って左側は立入禁止の表示が続いていた。確か左側に採石場があるので、そのエリアへの立ち入りが禁止されているはずだった。
急登の次に現れた男坂・女坂の分岐点
急登を続けていくと男坂コースと女坂コースの分岐点についた。今までもつづら折りの急登だったが、そのまま真っすぐにきつい男坂に登ることにした。ようやく足腰の調子も戻ってきたようである。男坂を登っている時に女坂を降りてきた2人がいた。その2人は林道終点に停めてあった軽自動車の持ち主だろう。男坂を登っている途中で男性に追い抜かれた。挨拶を交わした感じでは30歳前後だった。登山あるいはハイキングは競争ではないので、自分のペースで登ることが重要である。
ひっそりと咲いていたシモツケソウ
男坂の傾斜はますます急になり、補助のトラロープも度々出てくるようになった。左下から採石場のダイナマイトの爆裂音と、その後に砕けた岩がバラバラと落下する音が聞こえてきた。周りは春の花の時期が過ぎ、木々の葉の緑が濃さを増す初夏へと移っていた。それでも足元にピンクの小さな花をいっぱいつけたシモツケソウが佇むように咲いていた。やがて男坂と女坂の合流点まで登ってきた。あと30分も登れば山頂に着き、秀麗な富士山を見ることができるだろう。
富士山は雲のなかだった
登山道は傾斜を緩め、明るい雑木林のササ原のなかとなり、太陽が明るく差し込み、気持ちのいい道だった。傾斜が更にゆるくなったように感じると間もなく高川山の山頂に着いた。登山地図に書かれたコースタイムでの到着だった。右奥に見えた富士山は5合目から上が雲のなかだった。雲は厚く当分飛びそうもなく、残念だったが仕方がなかった。右側の三ツ峠山は山頂に建っているアンテナがはっきり見えていた。私の後で登ってきた40歳代と思われる女性ハイカーにスマホのシャッターを押してもらった。
三つ峠山山頂に立つアンテナが見えた
女性に「お返しに写真を撮りましょうか?」と尋ねると、「では後ろ姿で」と言われてスマホを渡されたので、縦横2枚の写真を撮ったが、女性は顔を撮るのは抵抗があるのだろうか。エゾハルゼミが鳴き出し、真っ黒なクマバチがブンブン翔んでいた。4年前の5月に若葉の季節に登った時は、富士山が端正な姿を現していたが、雲が湧き出すのも自然現象なので、まぁ仕方のないところだ
。しばらく待っていると山頂部分だけが、ちょこっと見えたが、すぐに雲のなかに姿を消してしまった。山頂で30分ほど休憩し、足腰の調子もずいぶん良くなったと感じたので、予定通り大月駅までの縦走に出発した。
微かな風を受けながら縦走路を進んだ
縦走路では山頂にいた若い男性が私の前を歩いていた。途中で富士急行線の禾生(かせい)駅から登ってきた夫婦連れと思われる50歳代の人とすれ違った。緑の木々のなかを尾根に沿って山道が縫うように伸びていた。微かな風を感じながら歩くのも気持ちがいいものだ。山頂から1時間ほど歩いた林の中で最初の休憩をとった。風は止まっていた。真上から太陽が降り注いで気持ちが良かった。
動物のフンにカナブンがやってきた
登山道の真ん中に草の実がいっぱい詰まった動物のフンが落ちていた。大きさは太さ1,5cm 長さ6〜7cmくらいのものだった。蛍光赤茶色に輝いた綺麗なカナブンが、身体をゆさゆささせながら臭いに連れられてやってきたようだった。カナブンはフンにまっすぐ向かってフンの上に乗っかったが、自分の食べ物ではないと気がついたのだろう、すぐに降りてしまった。あわてものが勘違いしたようだった。
折れてもめげないヒノキに拍手
山道を降りて行くと、折れてもめげずに上に伸びているガッツあるヒノキが登山道の脇に育っていた。健気なヒノキの姿に、心の中で拍手を送ってしまった。大月駅に向かって縦走路を歩いていたが、やはり膝の調子が思わしくないので、エスケープルートとして田野倉駅に下山することにした。単独登山の場合、決して無理はしないことだ。無理をすると事故が起きるのだ。
馬頭観世音の石碑と3体の石像が祀られていた
田野倉分岐から降り出すと、すぐに3mほどの岩が重なる下に馬頭観世音の石碑と3体の石像が祀られていた。ずいぶん古いようで石像の足元には苔が生えていた。更に降ると杉林の端に弁慶岩と書いてベンケイイシと呼ばせる大岩があった。岩の高さは5mくらいだろうか。田野倉駅に向かって降りている道は、かつては村人たちが歩き、踏み固められた峠道で、現在は形を変えて登山道として利用されている。登山道の上には木々が生い茂り、強い陽射しを遮ってくれていた。気温が上がっているのでありがたかった。
道路脇に野生動物捕獲用の箱罠が設置されていた
田野倉分岐から30分で下山口まで降りてきた。ここにも初狩側と同じように、山梨県の「クマ出没注意」の黄色い看板が立っていた。道路脇に野生動物捕獲用の箱罠が設置されていたが、獲物はかかっていなかった。民家があるところまで降りてきたが、最近はイノシシやクマが民家の庭まで侵入したのが、度々新聞やテレビで放送されているので、まだ気を抜くことはできない。クリの大木に白い花が咲いていた。クリの花の香りはムッとするので、私はこの香りが好きではない。
村民に大切にされている稲村神社の大エノキ
高速道路をくぐったところに稲村神社というのがあったので寄ってみた。鳥居をくぐったところに大きなエノキが立っていた。根回り8.8m、木の高さ27m、枝張りは東西25m 南北24mとのことで、国蝶であるオオムラサキの食草として村の人たちが大切にしている木である、と都留市教育委員会の看板が立っていた。稲村神社のエノキは都留市の指定天然記念物とのことだった。
不二吟社の句碑
拝殿の右横に「不二吟社」なる俳句の会の句碑が11本の石柱として立っていた。それぞれの句を読んでみて、一番しっくりきたのが「声だけが
若葉の中を 登りくる」という春虹が詠んだ登山の句だと感じた。12時に無人駅の田野倉駅に着き、膝の痛みという突然のアクシデントがあったが、4時間半のハイキングは終わった。運よく4分後に大月行きの電車がありラッキーだった。
お昼ご飯は『古民家麵処かつら』に入った
大月駅に着くと、お昼ご飯を食べに駅前の『古民家麺処かつら』に入った。店内にお客はひとりだけで空いていた。お品書きのなかから、ミニラーメン、半ライス、唐揚げ、サラダがついた「追分セット」を頼み、大瓶ビールに地酒の櫻守を頼んだついでに奴豆腐に枝豆もお願いした。ビールを飲んでいると、運ばれてきた麺はすぐに延びてしまうので早めに食べ、そのなかにご飯を入れて雑炊にしてツマミとして食べた。満腹満腹で駅に戻り、家族にお土産を買って特別快速に乗って家路に着いた。
今回のハイキングデータ