外房・千倉の高塚山へ
高塚山山頂
今回は外房の千倉にある高塚山へ出かけた。天気予報では最低気温は6℃、最高気温は15℃、1日晴天が続くというものであった。5時15分に自宅を出た。コンビニでおにぎりを2個買い幕張駅に向かった。日の出時刻が5時39分であったため、東の空が明るくなってきていた。夜が明ける色彩のグラデーションの変化は何度見ても素晴らしい。幕張駅発5時35分の千葉行き電車に乗り、稲毛駅で快速君津駅に乗り換えた。座席暖房は入っていたが、新型コロナ感染拡大防止のため窓の上部は10cmほど開いていた。
高塚山山頂に置かれた石祠
15両編成の電車は思っていたよりも混んでいた。今回下車する千倉は毎年9月23日の秋分の日に開催される千倉ロードレースに参加するために何回も訪れた町だった。千倉漁港をスタートとゴールにするロードレースは、海岸線に沿ってコースが設定されているため、太平洋を見ながら気持ちよく走ることができるのだった。内房線を走る車窓から見えた姉ヶ崎辺りの煙突から吐き出されている煙は、真っ直ぐに立ち昇り無風状態であることが分かった。
高塚山山頂に咲いていたヤブツバキ
君津駅で各駅停車の安房鴨川行きに乗り換えた。君津駅からは単線運転区間となるため、しばしば反対方向の列車待ちがあり、7分待ち、9分待ちなどいうのもあった。実にのんびりしているのである。車窓を流れていくナノハナの黄色やサクラの淡いピンクや白が清々しい。東京湾越しの富士山を期待したが、残念ながら春霞の彼方に姿を隠してしまった。
JR千倉駅舎は波のモニュメントのようだ
千倉駅に下車した乗客は7人だった。千倉駅はコンクリート打ちっぱなしの駅舎で、形は波を意味しているように見えた。駅前に房総半島最南端まで12.5kmという表示があった。3台のタクシーが止まっており、運転手は暇を持て余しているようだった。私は3分遅れでやってきた安房白浜行きのバスに乗った。千田バス停で下車し、高塚不動尊大聖院の標識に沿って右側の山に入って行った。足下にセイヨウタンポポの黄色い花がたくさん咲いており、ソラマメも花をつけ、モンシロチョウが舞っていた。正面に高塚不動尊大聖院が見えた。その後方にある山が、これから登る高塚山であろう。南面が崖崩れで白い山肌を覗かせている。ウグイスの声が聞こえ、カエルの鳴き声もあちこちから聞こえてきていた。
南房総市の昔話 『鰯と蟹』
高塚不動尊大聖院入口に南房総市の昔話として、『鰯と蟹』が紹介されていた。その説明文を読むと、高塚不動の信者がなぜ鰯と蟹を食べないのか?という理由が述べられていた。それは流れ着いた不動様を鰯が岸まで連れてきて、蟹が高塚山山頂まで連れて行った。霊験あらたかな不動様を里人たちが頂くことができるのは鰯と蟹のおかげなので、高塚不動の信者は鰯と蟹を食べない、というもので、房総市教育委員会の看板となって立っていた。
ハリウッドスター早川雪洲のことが書かれた高塚山登山口の説明板
高塚山登山口の説明板には、ハリウッドスター早川雪洲のことが書かれていた。雪州(1886年〜1973年)は南房総市千倉町千田の出身で、麓の大聖院で学び、21歳で青雲の志を抱いて米国に渡った。その際に山頂から太平洋を眺め決意を固めた、と言われている。身長の低かった雪州は、米国人女優と並んで撮影する際に踏み台を使った。ハリウッドでは今もこの台をセッシュウと呼び、ツーショット時の調整に使っている。更に説明文は、山頂には、えもいわれぬ風情の風神雷神像や狛犬の石造物があり、登山者を温かく迎える。山頂からは富士山、東京湾、館山市街も望める。国土地理院一等三角点は山頂の南西に置かれている、と続いていた。
第1休憩所からの太平洋の眺め
『露地花の里コース』という山道に入ると、房総独特の照葉樹林の中を登っていった。最初はコンクリートで作られた石段で、まもなく2つのベンチが置かれた第1休憩所に着いた。すぐ下に堤が作られており、カエルの大合唱が聞こえていた。休憩所は南側が切り開かれており、千倉大橋や沖を行くタンカーが見えた。波も静かで海は凪の状態だった。足元には白いシャガの花がたくさん咲いており、薄紫のスミレもいっぱい咲いていて、春を感じさせた。
分岐先の鳥居と伊勢琴平参拝記念碑
次の第2休憩所は、今まで歩いてきた「露地花の里コース」と「汐の香コース」の分岐点となっていた。高塚山山頂まで0.5km、徒歩で25分という表示があった。表示のすぐ先に石の鳥居が建てられていた。鳥居の下の石碑には、伊勢琴平参拝記念碑、大正10年2月16日の日付があり、発起人として20名の名前が記されていた。大正10年は西暦1921年なので、丁度100年前に建てられた記念碑だった。現在では伊勢神宮や金刀比羅宮へ出かけるのに、新幹線や飛行機を使えば簡単に行けるが、100年前の当時は伊勢や讃岐に出かけるのは記念碑が建つほど大変なことだったのだろう。
台風が運んだ潮風で枯れてしまったモチノキ
登山道は、あるところでは苔むした岩が削られ、あるところでは石が置かれていた。木の間越しに下山後に訪れる予定の『道の駅ちくら潮風王国』の建物が見えた。その向こうは広々とした太平洋であった。山頂近くになると葉を落としたモチノキが沢山見られるようになった。モチノキは広葉常緑樹なので、本来ならば葉をたくさん付けているだが、台風によって潮風が大量に吹きかけ、枯れてしまったのだ。真っ白い幹と枝だけが残っており、それは骸骨を連想させた。私の住む幕張は海から5km離れているが、台風の時に運ばれてくる潮風によって植物被害が出るときがある。塩害である。
高塚山山頂の不動尊奥の院境内
10時に高塚山216m山頂に着いた。山頂は思っていたよりも広く、一番奥に瓦屋根の高塚不動尊奥の院が建っており、手前に風神雷神の石像と親子獅子の狛犬が置かれていた。風神雷神は愛嬌のある顔と姿だった。狛犬は左右一対なのだが、右側だけで左側がいなかった。どうしたのだろうと近づいてみると、左側の狛犬は台座から転げ落ちてしまっていた。おそらく地震の時に落ちたものと思われるが、台座も壊れており復旧されていないのだった。
高塚山山頂からの太平洋側の眺め
高塚山山頂からの太平洋側の眺めは、波静かで陽に照らされた海はキラキラと輝いていた。真っ青の海が眩しかった。反対側の房州の山々は緑が続いていた。正面に白いプロペラの風力発電が見えた。その左には太平洋が見えたので、房総半島の突端になるのだろうと思った。奥の院の裏側にはたくさんのシャガの白い花が咲き、その脇には蛇の腰掛けと言われているウラシマソウが不気味な姿を現していた。この花を見ると私の心はざわつくのだった。
汐の香コースも倒木を乗り越えて進んだ
第2休憩所分岐に表示されていた高塚山山頂まで0.5km、徒歩25分というのは全くのデタラメだった。距離0.5kmは正しいとしても、歩く時間は10分程度だった。山頂で十分に景色を眺めたあと分岐まで戻り、汐の香コースに入っていった。こちらでも台風による倒木は処理されていなかった。足場の悪いところでチェーンソーによって倒木を処理するのは市役所職員では無理で、専門職に依頼せざるをえないのだろう。当分はこのまま荒れたままだと思う。汐の香コースの登山道は、落ち葉が積もっていて足の裏に伝わる感触が柔らかくとても歩きやすかった。
お花畑の向こうに高塚山
海風に乗って届くカエルの合唱を聴きながら降っていくと、茶色に濁った溜め池にでた。民家があるところまで下山すると、高塚山長性寺登山口の道標があった。周りからカエルのゲコゲコ合唱が聞こえ、空からはトンビのピューピョロロという鳴き声が降ってきた。千倉はトンビが舞う海の町である。また、千倉は花の町でもある。紫や白のストック、黄色やオレンジのキンセンカが咲いていた。もうじき出荷されるのだろうか。南房総の千倉は気候が暖かいため、野菜の成長も早く、タマネギは大きく成長し、ソラマメも花を咲かせ、ジャガイモも大きく葉を広げていた。
てっぱつ(大きな)!アジフライ
海岸道路にある七浦漁協に着くと、道の駅ちくら潮風王国は目と鼻の先だった。鮮魚市場の店を一通り覗いて売っている魚介類を確認してから、市場食堂の「せん政水産」に入った。まずはビールで乾杯だった。その後、アジフライとアジのたたき定食を頼んだ。出てきたアジフライの大きさにビックリした。外房の言葉で大きいというのを“てっぱつ”というらしい。テレビでも紹介されたイチオシらしく、こんな大きなアジフライは初めて見た。食べてみると、ふわふわして実に美味かった。アジのたたきも美味かった。イカの塩辛も新鮮で美味かった。
道の駅ちくら潮風王国
食堂を出て市場内をプラプラし、鮮魚コーナーで目を付けておいた丸々と太ったゴマサバ1匹300円とイカ1ぱい300円をお土産に買った。店の親父さんは氷をたくさん入れてくれた。魚のせんどが眼の色や体の輝きに出ており、今朝漁港に上がったことを物語っていた。帰宅後に夕食でゴマサバは塩焼きにし、シメ鯖も造った。サバ類は足が早く、素人がシメ鯖を造るのは避けたほうがいいのだが、私はサバの新鮮度から大丈夫と判断した。シメ時間が短かったこともあり、シメ鯖はほぼ刺身状態だった。甘くて実に美味かった。イカは捌いている時に吸盤が指に吸い付いてきた。実に新鮮なイカだった。イカも実に美味かった。妻も息子も美味いと喜んで食べていた。良いお土産を買ったと思った。
今回の高塚山登山履歴
今回の登山は距離も短く、標高も低い裏山の散歩程度のものだったが、凸凹の山道を歩き、身体を動かしてバランス感覚を確認するのは大切なことだと思う。登山は決して過激な運動ではない。行動中に跳ねたり走ったり飛び降りたりはしない。登山道は猫のように音を立てずに静かに歩き、足先は進行方向に真っ直ぐに合わせ、肩はなるべく上下左右に揺らせず、蟹股では歩かない。自分のエネルギーを効率よく使い、持続力を大切にする。下山後は温泉があれば登山の汗を流してリラックスし、地元の料理に舌鼓を打ちながら地酒を楽しむ。これが私の登山パターンである。
千倉七浦海岸に高塚不動尊が流れ着いたという
自然の中に身を置くことによって四季を感じ、人間も自然の一部であることを改めて想う。登山も自然を肌で感じることができる一形態だが、テレビ映像やバーチャル映像では感じ得ない風の強弱、花の香り、渓流のせせらぎ、雲の流れ、天地創造を思わせる雲海の彼方からの日の出、悠久の世界を想わせる落日、降りかかる飛沫、絶壁から見下ろす高度感などは自分が体験して初めてわかることだ。私は、この感覚を大切にしたい。人間も動物である以上、それはとりもなおさず自然の一部であり、万物の霊長などと驕ることなく、万物の一部なのである。70歳でも80歳でも自分に合った登山は出来る。これからも危険予知のアンテナを掲げ、マイペースであちこち出かけようと思う。