志賀高原スキー

ガリガリ、バリバリのアイスバーン

 

アフタースキーは地元ワインで乾杯

 

1日目 快晴 絶好調

1年ぶりの志賀高原スキー場である。気温は-4℃。白銀がまばゆい。今年からチケット売り場でのICチケットの補償金500円がなくなった。シニア料金は3日券で13100円だった。チケットはプラスチック製から紙製となり、中央に8mm四方のICチップが埋め込まれていた。使用後は記念品として持ち帰り用となっていた。

 

午後からのスタートだったが高天原ゲレンデから一の瀬ゲレンデを通って焼額山ゲレンデに向かった。ゲレンデはガリガリバリバリのアイスバーンとなっていた。日曜日の午後だがゲレンデの人数は疎らで数えるほどしかいないため快調に滑ることができた。

 

高天原ゲレンデもガラガラ

 

焼額山ゲレンデを滑ったあとは寺子屋ゲレンデに向かった。こちらもスキー客は数えるほどしかいない。雪が降らないために圧雪したゲレンデはアイスバーン状態となっていた。イヤハヤナントモ。

 

16時にリフトが止まるためホテルに向かった。アフタースキーは温泉と雪見酒である。温泉でゆったり汗を流した後はビール、日本酒、ウイスキー、ワインで乾杯だった。

 

2日目 曇り時々薄曇り

バスに乗って横手山ゲレンデに向かった。志賀高原スキー場で標高が一番高いのが2307mの横手山ゲレンデである。標高が高いだけあって気温は低く寒いけれど雪質は抜群なのだがやはり積雪は少ない。スノーモンスターと呼ばれている樹氷も出来上がっていなかった。

 

横手山山頂満天ビューテラス(標高2307m)

 

群馬県と長野県の県境にある渋峠ゲレンデで滑った。実に気持ちのいいゲレンデである。右側に噴火口から薄く煙をはく浅間山が見えた。この渋峠ゲレンデも今シーズン限りで営業を終えるという。スキー客が少ないので仕方ないのだろう。私にとって渋峠ゲレンデは志賀高原スキー場に数あるゲレンデの中で一番好きなゲレンデであった。渋峠のホテルで休憩し、私をスキーに連れてっての映画出演者が写された写真と一緒に私たちも写真を撮った。

 

横手山ゲレンデから向かった先はジャイアントゲレンデを通ってブナ平ゲレンデだった。レストランで瓶ビールが乱立した楽しい思い出が残るゲレンデもリフトは撤去され、営業しているレストランも数えるほどしかなく哀愁だけが残されていた。

 

渋峠ホテルで『私をスキーに連れてって』

 

3日目 強風猛吹雪

朝目覚め薄明かりの外を眺めると風は吠え雪炎が巻き上がっていた。日本列島を前線が通過するため信越地方には大雪強風警報が出されていた。志賀高原スキー場も朝から強風と猛吹雪である。リフトやゴンドラの運行は全て中止された。長い間志賀高原スキー場に来ているが初めての体験である。仕方なくホテルに缶詰状態となった。朝から温泉とビールである。こういうのもたまにはいいものだ。

 

暇を持て余し持参した"北斎"という本に目を落とした。フランスの文筆家であるエドモンド・ド・ゴンクールが125年前に著した葛飾北斎の全作品を紹介したもので、天才北斎が90歳で亡くなるまでの膨大な作品群に真正面から取り組んだ力作であり、このような作業は日本人作家が誰一人としてなしえていないものである。この作品が昨年東洋文庫の1冊として初めて日本語に翻訳されたものである。

 

4日目 

間山温泉“ぽんぽこの湯”に立ち寄る。周りに雪は全くない。軽トラでやってきて10時オープンを待ちかねているお年寄りが多数駐車場に待機していた。大広間から北信5岳が見えるのだが残念ながら麓は見えるものの山頂部は雲の中だった。

 

間山温泉ぽんぽこの湯

 

日帰り温泉の休憩室では“保健所の指導のもとに飲食物の持ち込みはご遠慮下さい”の表示はどこでも見られるが、ここのお年寄りは漬物などを持ちこみ堂々と店を広げている。私たちも缶ビールやウイスキーとツマミを持ち込み、湯上がりのいっぱいである。

 

諏訪湖サービスエリアで途中休憩したところ中国人観光客でいっぱいであった。最近の新コロナウイルス問題もあるので“触らぬ神に祟りなし”の諺どおりに近づかなかった。

 

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