富士山の好展望地の笹尾根へ
軍刀利山山頂から望む富士山
12月26日 月曜日 快晴
奥多摩三山のひとつの三頭山から派生し、南秋川を挟んで東南方向に伸びるふたつの尾根がある。北側が浅間尾根で、南側が笹尾根である。浅間尾根は先月歩いたので、今回は笹尾根を歩くことにした。冬至が過ぎたばかりで日が短いため、15時までに下山するためには、長大の笹尾根を一度に歩くことは出来ない。笹尾根を2つに分け、今回は山梨県の上野原から入り、笹尾根の末端である三国山、生籐山から熊倉山を歩き、浅間峠から東京都の武蔵五日市に下山する4時間50分の計画をたてた。空気が澄み見晴らしのいい尾根道を歩く今年最後の山行だった。
新年を迎える石楯尾神社
上野原駅前から井戸行きバスに乗り、30分ほど乗って終点のひとつ手前の石楯尾神社前バス停で降りた。バスは1日2便であり、乗客は私ひとりだった。完全な赤字路線であり、ボランティア運行をしているようなものである。空はあくまでも青く澄み渡って無風であるが、気温は低く0℃である。吐く息が白い。バス停前の石楯尾神社に寄ってみた。境内には新年を迎えるにあたって真新しい竹が刺され、注連縄には御幣が飾られていた。小さいながらも品性を感じさせる厳かな神社である。
手入れの行き届いた杉林
9時にGPSをセットし歩き始めた。笹尾根にある佐野川峠まで1時間の行程である。上岩集落を抜けると、いよいよ山道に入っていった。相模原市が設置した「クマ出没注意」の看板を横目に杉林の中を登っていった。この杉林は枝打ちの手入れがされており、まっすぐに伸びた綺麗な杉林だった。
手書きの生籐山の道標が立っていた
山ノ神のところから右折し、甘草水に向かって登っていった。林道を一本横切ると、杉の落ち葉が散らばる山道は凍っているようになった。つづら折りの道をゆっくり一歩一歩登っていった。杉林には時折り「森林整備中」の紙が貼られており、作業道との分岐には縄が張ってあったり、進入禁止の木が横たわっていたりして道迷いを防止していた。佐野川峠に到着する手前には、杉の木に手書きの生籐山の道標が立っていた。こういうの見ると心が和んでくるのだった。
山道の脇に佇む石仏
明るい日が差す佐野川峠に着いたのは、登りだしてから45分後だった。いいペースで歩いていると感じた。ひと汗かいたので起毛の長袖を脱いだ。尾根に上がると山道は踏み固められた歩きやすい道となった。霜柱が立っているのでスリップに注意しながら進んでいった。霜柱を踏むザクザクという音が心地よく響いた。山道の脇の「若手作業者募集」という看板が目についた。林業の世界でも高齢化が進み、林業従業員の若返りが迫られている実態が浮かび上がってくる。道の脇にひっそりと石仏が置かれていた。馬頭観音だろう。
桜並木が続いていた
歩いている尾根道は昔の人たちが歩いた生活道である。途中で桜並木が現れた。腕を回せばふたまわりもあるような巨木も現れた。桜の数は50本ほどだったが、今では植林された杉の方が高く伸び、桜の木には日が当たらなくなってしまったが、杉が苗木の頃はこの尾根道を4月に歩けば、素晴らしい桜並木の山道となっていただろう。
枯れていた甘草水
甘草水の分岐点から木の枝越しに白銀に輝く富士山が見えた。分岐から甘草水まで100m先と表示されていたので、甘草水を飲みに行ったが、渇水期のために水は枯れており飲む事は出来なかった。甘草水の説明板には、昔日本武尊が東征し、東国を平定して帰る途中で軍勢が喉の渇きを覚えた時に、日本武尊が鉾で岩を穿つと水が湧きでたという。その水を甘草水と名付けたと『新編相模国風土記』に書かれているとのことだった。水が枯れていたのは仕方がないので分岐点まで戻り、三国山に向かって山道を徐々に登っていった。
クマザサを分けて山道は伸びていた
笹尾根の名前を表すようにクマザサが茂るなかに山道は伸びていた。私が歩いていたのは、笹尾根の末端である上岩から佐野川峠を通り、三国山(三国峠)から生籐山へ登り、一度三国峠に引き返してから三頭山方面に登って行く尾根道で、標高を少しずつ上げていくようになっていた。落ち葉の重なる山道は、カサカサ・さわさわ靴裏から聞こえてくる音が爽やかに感じられた。ひとりの登山者にも出会わない静かな山道だった。
三国山960m山頂に着いた
軍刀利神社分岐から進んで行くと、再び幹がふたまわりもある桜の巨木が植えられていた。本当に太い桜だと感心してしまう。今度の桜並木は20本ほどあっただろう。ひと登りすると桜の木が植えられた三国山960m山頂に着いた。山頂が甲斐の国(山梨県)、相模の国(神奈川県)、武蔵の国(東京都・埼玉県)の国境となっていた。比較的平らな広い山頂にはテーブルが3個、椅子が多数設置されており、絶好の休憩場所となっていた。木の間越しに富士山が見えた。山頂には枯れ葉が積もり、霜柱は硬く凍っていた。風は吹いていなかった。藤野町消防団佐野川分団の防火用水用ドラム缶があり、中の水は凍っており、厚さは3cmから5cmはあるだろう。
生籐山山頂に置かれた防火用水の氷の厚さは約10cm
三国山から5分の生藤山に向かった。5分とはいえ急な登りだった。その急な登りで単独女性登山者が降りてきた。初めて出会った登山者で、挨拶をして山頂に向かうと、山頂には4人の若者が醍醐山方面に出発するところだった。990mの山頂から富士山が見えた。富士山はもちろんのこと、木の枝越しに360度に渡って周囲の山々が見えた。山頂に置かれた防火用水用のドラム缶のなかの氷の厚さは10cmにもなっていた。一旦三国山に戻り、そこから熊倉山方面に向け「関東ふれあいの道」を下っていった。
軍刀利山山頂に軍刀利神社元社が祀られていた
「関東ふれあいの道」は上川乗から陣場高原下までの14.7kmの区間が整備されていた。クヌギやコナラの葉が落ちた道は、明るくて気持ちよかった。歩いていく山道の左側には常に木の間越しに富士山が見えた。桜が植えてあり、軍刀利神社元社が祀られている軍刀利山950m山頂に到着したのは11時だった。正面に富士山が見えた。素晴らしい場所だった。神社由緒の石碑が建っていた。その碑文を読むと、やはり日本武尊がこの辺りで軍勢を休めたとの伝説が書かれていた。それにしても軍刀利とはおかしな名前である。
熊倉山964m山頂に着いた
軍刀利山からはアップダウンの連続で、軍茶利山はなんでもない山頂だった。木に括り付けられた山名表示板とピンクのテープがなかったら、見逃して通過していただろう。東京都西多摩郡檜原村の看板が立っていた。熊倉山964m山頂に着いたのは、予定よりも30分早い到着だった。熊倉山からも富士山は木の間越しに見えた。登山口から出発して初めて水を飲み、行動食の干し柿をかじった。右側には2週間前に登った馬頭刈尾根の大岳山から馬頭刈山までの尾根が長く延びていた。御前山も姿を現し、御前山の左奥には秩父連山が見えた。一方、南側には丹沢山塊が手に取るように見えた。
御前山と左奥に連なる雲取山と秩父連山
三頭山と御前山の奥に三角形の雲取山とそれに連なる秩父連山が広がっていた。御前山の右には乳首のような大岳山が見え、右側に馬頭刈尾根がつながっていた。歩いている尾根道は山頂と山頂を連続して貫いて付けられた道であり、ひとつ下ると次は登りとなって次の山頂へと繋がっている。そういう形で三頭山まで続いて行く道である。山頂から山頂を繋ぐ道は、山腹や谷底を通る道に比べると崩れることがない。昔の人は必ず山頂を結ぶ尾根道を歩いたのである。
大岳山から左に延びる馬頭刈尾根
左側の南側がヒノキの林になっており、太陽の光を遮られた山道を歩いていると、谷から吹き上げてくる風に身体を晒し続けたので、身体が冷え込んでしまい鼻水が出てくる始末だった。防寒を兼ねてレインウェアの上着を着込んで歩き続けた。坊主山、栗坂丸を通過した。冬晴れの日は、木の葉が落ちて見晴らしが効き、絶好の登山日和である。
東屋が建つ浅間峠に着いた
ようやく東屋が建つ浅間峠に着いた。峠は4差路になっているので、上野原まで12kmと書かれた標柱も立っていた。この峠から1時間降れば上川乗バス停に到着する。13時38分のバスに乗るために、随分急いで歩いたが十分に間に合うだろう。上空では太陽を隠す雲が湧き出してきたが、まだ晴れている。残りは下り坂になるので注意しながら歩いて行こう。
落ち葉の積もった山道を一歩一歩降りていった
浅間峠から三頭山まで12.6kmの距離が表示されていた。来年の春になったら上川乗バス停から逆に浅間峠まで登り、ここから笹尾根を三頭山に向けて歩き出し、西原峠から数馬の湯へと降りてみたいと思う。落ち葉の積もった山道を上川乗バス停に向かって一歩一歩降りていった。途中イノシシかカモシカのものと想われる山道を横切る足跡が見られた。
杉林のなかに建つお堂
浅間峠から山道を20分降りたところに、小さいながら立派なお堂が建っていた。周りにお堂の名前を表示するようなものは見当たらなかった。お堂の中に木彫りの像が納められていた。お堂を過ぎると杉林のなかの山道は階段状となって降っていった。
バス停に掲げられた「産業廃棄物焼却場反対」の鯉のぼり
武蔵五日市側の上川乗バス停に到着したのは、バスが通過する30分前だった。13時台のバスに乗ることができた。この便を逃すと1時間30分後まで待たなければならないのだった。バス停は屋根付きの待合室がついており、柱に時季外れの鯉のぼりが吊るさがっていた。鯉には「産業廃棄物焼却場反対」「いのこり遊びPTA
OB会」と書かれていた。以前テレビで放映されたが、東京都の水源保全地域である奥多摩に秘かに産業廃棄物焼却場を建設する動きがあり、それが表面化して揉めているようだ。揉めるのも当然であり、産業廃棄物焼却場の建設を白紙撤回しないと問題は収まらないだろう。
門松が飾られた「瀬音の湯」
バスの車窓から外を眺めていると、14時を過ぎると檜原街道は谷底に沿っているために太陽が陰ってしまい、気温が一気に冷え込む。この辺りで生活している人たちにとっては、実に厳しい生活環境だと思う。十里木バス停で降りて「瀬音の湯」に向かうと、玄関に2週間前には無かった門松が立っていた。来週は新年を迎えるのだ。今年の山行の最後の山旅の汗を流し、湯上りにはいっぱいである。なんだかんだといってもやはり温泉はいいものだ。肌がツルツルすべすべするような錯覚に陥るし、湯から上がっても身体がポカポカ暖かい。
風呂あがりにいっぱい
風呂からあがると和風レストランはラストオーダーに間にあわず、前回と同じカフェに入った。原宿バーガーというワッフルを食べてみた。中にクリームが入っており、甘くてとてもうまかった。ハンバーガーと生ビールを合わせて1300円だった。
生籐山山頂
今回は木々の葉が落ち、雪が落ちてこない時期に富士山の展望を第一目的とした山旅だった。案の定、木の枝越しであったが常に南側には富士山が見えていた。また生籐山山頂や軍刀利山山頂からは見事な雪の富士山が展望できた。私の目的は達せられた。もし5月か6月に登ったとしても木々の葉で富士山は隠れてしまうだろう。尾根道は「関東ふれあいの道」として整備され、道標も要所要所に建てられているので、道に迷うことはない安全なハイキングコースだと感じた。
今回の活動データ
笹尾根は山頂から山頂をつなぐ一本道で、木々の葉が落ちた山道を歩くのは気持ちが良かった。天気予報を確認しながら出かけた日帰りハイキングは、快晴に恵まれ絶好の山旅となった。