アカヤシオ咲く笹子雁ケ腹摺山へ
アカヤシオの咲く尾根道を歩いた
今回の登山の目的は、山梨県大月市にある笹子雁ヶ腹摺山1358m(ささごがんがはらずりやま)に登り、山頂では富士山の展望を堪能し、更に笹子峠まで足を延ばし、その後は渓流のせせらぎを聞きながら旧甲州街道を歩き、笹子駅に戻ってくることだった。雁ヶ腹摺山と名の付く山は、牛奥ノ雁ヶ腹摺山1985m、雁ヶ腹摺山1874m、笹子雁ヶ腹摺山1358mと3つあり、そのうちJR駅から日帰りトレッキングできる山として笹子雁ヶ腹摺山がキャンペーン対象になっている。登山道でツツジの仲間であるアカヤシオの花を見ることも今回の目的のひとつであった。登山時間は約7時間を予定していた。
大きくて美しいオオミズアオ
笹子駅に降りた登山者は私を含めて5人だった。待合室の登山届箱に今回の行程を投函すると、足元に青味がかった白い大きな蛾がいることに気がついた。美しい蛾だった。調べてみるとオオミズアオという名前だった。幸先よく美しいものを見たので、今回の登山も快調だろう、と思いながら、駅前を走る国道20号線を左折し、笹子雁ケ腹摺山登山口へ向かった。歩行時間は約30分だ。他の4人は滝子山に向かったようだった。周りの山々は緑を一層濃くしていた。その中に薄紫のヤマフジ、白いヤマボウシやアカシアの花も見られた。ここら辺りは山が近いのである。ウグイスの囀りが聞こえてきていた。駅前に商店など何もなく、笹子隧道記念碑が立っているだけだった。
国道20号線から植林の奥に笹子雁ヶ腹摺山山頂が見えた
登山口に向かって歩いていく途中で、植林された山の奥に、これから登る笹子雁ヶ腹摺山山頂が見えた。8時15分に登山口に着き、スギ林の中をゆっくり登り出した。スギの木には登山道の目印のピンクテープが巻かれていた。踏み跡は比較的にはっきりしていたので、迷うことはなさそうだった。スギ林の中の登山道は、雷光形にジグザグに付いており、結構過激な急坂だった。あえぎあえぎ登っている途中で、キツツキのドラミングの音が聞こえてきた。遠くからはコジュケイの鳴き声も届いた。林内の風は止まっており、汗が噴き出していた。
ヤマツツジの上にクマバチがブンブン飛んでいた
スギ林の中の急坂を登り始めてから30分で明るい広葉樹の林に入った。登山道脇には朱色のヤマツツジが満開だった。ツツジの上に真っ白なアオダモが咲いており、そこにクマバチがブンブン羽音を立てながら飛んでいた。この尾根は左側が植林されたヒノキの林になっており、右側がクヌギをはじめとした落葉広葉樹の林だった。広葉樹は若葉の季節を迎え、黄緑色の葉が太陽の光を浴びて明るく輝いていた。気持ちのいい登山道を、クマよけの鈴を鳴らしながら歩いた。清々しい気持ちだった。
アカヤシオの花が満開だった
登山口から登り始めて1時間で稜線に出た。登山道の木の間越しに真っ白な雪を被った富士山が見えた。
富士山の周りには雲が全くなかった。山頂からの大絶景を楽しみにしながら登っていった。シジュウカラがあちこちで、もう少しで山頂だからガンバって、と声援を送ってくれていた。シジュウカラは綺麗で可愛い野鳥である。登山道脇に薄紫でピンクがかったツツジの仲間のアカヤシオの群落があった。久しぶりに見たアカヤシオだった。実に美しいと感じた。
山頂直下に設置されていた無線の反射中継板
山頂まで間近になったところに無線の反射中継板が設置されていた。反射中継板とは入射角と反射角は等しいという光の法則と、発射された電波は直進するという指向性を合わせて、金属板を設置することにより電波を中継するシステムで、電源や中継装置を使わない簡便なものである。見晴らしのよい山頂部に設置されているので、ここからの富士山の眺めは素晴らしいものだった。
笹子雁ヶ腹摺山1358mの山頂に着いた
9時45分に笹子雁ケ腹摺山1358m山頂に着いた。富士山の眺めが素晴らしい山頂には誰もいなかった。私だけの独り占めの山頂だった。『山梨100名山』、『大月市秀麗富嶽十二景・4番山頂笹子雁ケ腹摺山』の表示がされていた。山頂の木々は芽吹いたばかりで、葉は若く小さかった。山頂の木々が年々伸びてくるため、富士山を視界から覆い隠すのも時間の問題だろうと思った。展望を確保するために山頂の木を切るという方法もあるが、それは自然保護の観点から許されないのだろうか。秀麗富嶽十二景に指定されているのだから、富士山の展望だけは確保して欲しいと思う。右前方に見えるのは南アルプスだろうか。まだ真っ白い雪をかぶった連峰が横たわっていた。
笹子雁ヶ腹摺山山頂からの富士山の眺め
山頂で富士山を眺めながら朝ごはんのおにぎりを食べた。笹子雁ケ腹摺山の下には3本のトンネルが掘られている。JRの笹子トンネル、中央高速道路の笹子トンネル、新国道20号線の笹子トンネルである。数年前に中央高速道路の笹子トンネルの天井が崩落し、走行中の乗用車が巻き込まれた事故は記憶に新しい。20分休憩したので笹子峠に向かって降り始めた。こちらのルートも登山道の脇にはアカヤシオがたくさん咲いていた。ツツジのシーズン真っ盛りであり、それを見ながらの下山だった。
送電線の鉄塔脇からの富士山の眺め
大きな送電線の鉄塔が登山道の脇に立っていた。そこは木が切り開かれているので見晴らしが良く、富士山が正面に見えた。登山道を降っていくと、新道と尾根道の分岐があった。尾根道の方がアップダウンはあるものの見晴らしはいいだろうと判断し、尾根道へ進んだ。案の定、富士山は常に左側に見え、アカヤシオもたくさん咲いていた。しかし、尾根道につけられた登山道は両側が切れ落ちており、なかなか危険な登山道だった。落ちればただでは済まないだろうと考えながら、集中力を切らさずに歩いた。後から考えてみると、尾根道は危険なので、新たに山腹をトラバースする形で新しい道をつけたものと思われた。スリルを味わうのならば尾根道を歩き、ゆったり安定して歩きたい場合は新道を歩くといいだろう。広葉樹の登山道はカエデも多く、秋の紅葉の時季も素晴らしい景色だろうと思われた。
立派な旧国道20号線の笹子隧道
11時20分に笹子峠に着いた。江戸幕府を開いた徳川家康の命によって、江戸日本橋を起点とした5街道のひとつとして、日本橋から下諏訪までを結ぶ甲州街道の中間地点にあるのが笹子峠であった。その笹子峠は甲州街道の最大の難所といわれたのだが、現在の静かな峠には人影はなく、風が渡っているだけだった。峠から降りてくると、旧道20号線の笹子隧道があった。立派なトンネルである。旧国道20号線を走る車は無い。新緑の葉を眺めながら爽やかな風を受け、笹子駅に向かって国道を歩いた。
樹齢1000年と言われている「矢立のスギ」
しばらくアスファルト舗装道を歩いていくと、樹齢1000年と言われている“矢立のスギ”への笹子自然歩道の表示に沿って再び山道に入った。しかし途中で道を見失ってしまったが、偶然にも矢立のスギの近くの自然歩道に出ることができた。説明文によると、スギは昔から有名なもので、武者が出陣にあたって、矢をこのスギにうちたてて武運を祈ったところから、「矢立のスギ」と呼ばれてきたものである。そのような名木であるうえに巨樹であるため、山梨県指定天然記念物になった。根周り14.8m、樹高26.5m、だが、樹の中は空洞になっているため、空洞の中に入らないで下さい、とのことだった。スギに近づけないように青いロープが張ってあった。
明治天皇御野立所跡の石碑
矢立のスギを過ぎて笹子自然歩道を笹子駅に向かって降っていくと、左側に明治天皇御野立所跡というのがあった。石碑の脇に立っていた説明文によると、明治13年6月16日、明治天皇が山梨県に来られた時に休憩された場所云々、との記述があった。この場所は笹子川が流れる旧甲州街道沿いにあり、整地された場所に石垣が築かれ、スギが植えられていた。ベンチが置かれた休憩所になっており、耳に届くのは微かなせせらぎの音だけで実に静かだった。
下山後のお昼ご飯は肉野菜ニンニク炒め定食とビール
笹子駅に向かう途中で“しらかば”という名前の大衆食堂が目に留まった。駐車場に車が停まっていたので近寄ってみると、暖簾は出ていなかったが営業中の看板があった。心の中はヤッターマンだった。中に入ると壁に貼ってあるメニューは色あせ、時代を感じさせるものだった。その中から瓶ビールと肉野菜ニンニク炒め定食を選んだ。冷えたビールは喉越しが最高だった。腹が減っていたこともあり、定食もとても美味かった。支払いは1430円で満足満足だった。!(^^)!
今回の笹子雁ヶ腹摺山登山コース履歴
今回の笹子雁ヶ腹摺山登山は、登山道脇に咲くアカヤシオを見て、山頂での富士山を見るためのものだった。自然の中で咲く花は、その年の気候に左右されるので、いつが見ごろなのかは分からないが、大体5月中旬ころだろうと見込んで出かけたものだった。狙いは当たった。明るい若葉の登山道脇にたくさんのアカヤシオの花を見ることができたのである。また、山頂および登山道から眺めた富士山も素晴らしいものだった。平日の登山道は実に静かだった。耳に届くのはザックに着けたクマ鈴の音、野鳥の囀り、渡る風の音だけだった。今回もいい登山が出来た。