山名表記のない嵯峨山へ
嵯峨山315mの山頂で
3月17日 晴れ
房総半島の内房にある標高315mの嵯峨山に向かった。嵯峨山山頂には三角点は打たれているのだが、国土地理院の地形図には山名が記されていない。このような山は結構あり、「房総の山50選」という標高順に選ばれている50山のなかでも、8つの山に山名が記されていないのである。嵯峨山は富津市と鋸南町の境界にある山で千葉県では21番目に高い山である。
源頼朝らしき武士の横に嵯峨山
先週、妻の生家にお墓参りに出かけ、30kgの玄米の袋を車から降ろす際に左腰を痛めてしまい、若干のギックリ腰になっている。そのリハビリを兼ねた山旅のため、今回のコースは短めの3時間30分に設定したのである。JR保田駅に下車した。袴線橋から鋸山ロープウェイの山頂駅がすぐ近くに見えたが、残念ながら今日も富士山は春霞に姿を隠していた。保田駅前に「南房総鋸南町へようこそ」という観光案内板があるが、そこには今回登る嵯峨山が表示されていた。案内板では小保田集落から下貫沢に沿って登っていくと、源頼朝らしき武士が腕を組んでいるキャラクターがおり、その郡界尾根を越す小保田峠の右側に嵯峨山があった。源頼朝が石橋山の戦いに敗れて、真鶴より海上を安房に逃げた上陸地が安房勝山とされており、勝山から外房の上総一ノ宮に向かうために越えた峠が小保田峠だったかもしれないと思った。
イノシシ避けの配線に電流が流れていてビックリ
保田駅前から鋸南町巡回バスに乗って嵯峨山に向かった。小保田バス停で降りてGPSをセットし、集落の中を歩いて行くと、周囲の林からはウグイスの囀りが聞こえてきた。モズの縄張りを宣言する高鳴きや、ツグミの鳴き声も耳に届いた。一週間前に近くの人骨山を訪れた時は、頼朝桜は満開を迎えていたが、今は散り始めて若葉が出だした。今日も登山者に殆ど登られていない山を歩くので、途中で登山者に出会うことはないだろう。歩き始めて5分で山道に入っていった。山道は林道になっており、軽トラが山から降りてくるのにすれ違った。歩いて行くとスイセン畑が広がり、イノシシ避けの電流配線が張られていたので触ってみた。電流は流れていないと思っていたが、指先が感電しビリビリ痺れた。ビックリ。
シャガがひっそり咲いていた
歩き始めて20分で駐車場広場に出た。ここまでは林道で車が入れるようだ。広場にはカワヅザクラがたくさん咲いていた。いよいよ林道と別れて山道に入っていった。スイセンの花は終わってしまったが、それに変わって清楚な白い花のシャガがひっそりと咲き出していた。今はハイカーしか歩かなくなった道だが、かつては村人たちが歩いた街道なので、道は踏み固まれてしっかりしていた。登山道は要所要所に目印のピンクテープが見られた。そのテープを確認しながら登っていった。
倒木は処理されていた
小保田バス停から歩き出して45分で郡界尾根に達した。小保田峠分岐の直前で尾根に直登し、そのまま進んだために小鋸山方面に向かってしまった。小鋸山から縦走してきた年配の男性と話して間違っていることが分かった。地図を確認すると小保田峠分岐から300mほど先に進んでいたのだった。歩いてきた道を戻り、分岐を確認して嵯峨山に向かった。いやはやなんともの失敗だった。ちょっとした間違いが、危うく別のルートに行くところだった。私は腰を痛めていることもあり早く歩けないので、男性登山者には先に行ってもらった。登山道は倒木で荒れているが、登山者が歩けるように倒木処理がされており、非常に助かった。
スイセンピークの石碑は文字が読めなかった
嵯峨山分岐点に「この先は道が荒れており、迷いやすい道になるので、十分注意してください」という富津警察署と富津市の注意喚起の看板が立っていた。分岐を右に折れてロープ伝いに急坂を登っていった。9時15分にスイセンピークに着いた。以前はスイセンピークの名前通りに、南斜面一杯にスイセン畑が広がっていたようだが、現在は全く見られない。石碑が一つあったが文字は劣化が進み読めなかった。また、「この辺、一帯は私有地につき、山林・田畑・スイセン畑等に入らないで下さい。特にスイセンは栽培しているので取らないで下さい」という、今は無用になった警告板が残されていた。ここから南側の眺めは素晴らしく、折り重なる房総の山々がグラデーションとなって続いていた。
嵯峨山パノラマ台からの展望も素晴らしかった
登山道の急坂にはロープが頻繁に出てきて、倒木を潜り、乗り越えながら進んだ。アップダウンを繰り返し、両側が切れ落ちている脆い岩の痩せ尾根を越して行くと、嵯峨山パノラマ台という場所に着いた。そこも倒木が多く、その倒木を切り放った場所は、180度に渡って遮ることなく房総の山々が見られ、東京湾も望まれる展望台だった。眼下に見える集落はバス停のある小保田地区であろう。あそこからここまでへ登ってきたのだ。山頂まであと20分くらいだろう。
嵯峨山山頂に着いた
倒木を潜るときにおもいっきり頭をぶつけてしまい、頭の中を光が走り、大きなたんこぶを作ってしまった。9時35分に嵯峨山山頂に着いた。山頂表示板の横に黄色の三角点の印があった。山頂の広さは3mかける5mくらいの広さで、周りは木々に覆われているため展望はなかった。山頂には誰もいないのでセルフタイマーをセットして写真を撮った。この山頂も実に静かである。山頂からの展望はないが、直前の嵯峨山パノラマ台で素晴らしい景色が見られたので満足だった。
倒木また倒木で荒れ放題だった
山頂から下山ルートを確認すると、1本目は倒木が激しく、降り口を探すことができない状態だった。2本目は山頂から東尾根を下っていくルートが確認できたので、その急斜面を下っていったところ、このコースは倒木処理がされておらず、倒木また倒木で荒れ放題だった。しまいにはピンクテープが全くなくなってしまった。これ以上進むと危険なので、山頂に引き返すことにした。山頂に引き返す途中で、新たなピンクテープを発見したので、そこをしばらく降りていくと、私が降りようと思った小保田集落側とは反対側に降りるルートとなっていたため、再度山頂に引き返した。山頂から馬蹄型に登山道を降りて小保田に戻ろうと下山ルートを探し回ったが、全く道が見つからず、ようやく頂上に戻り着いたのは10時5分だった。結局、嵯峨山山頂まで登って来た道を登山口まで引き返すことにしたのだった。
小保田北地区地すべり防止区域と今回の登山予定ルート
小保田バス停まで戻ってきたのが11時5分だった。その手前に「小保田北地区 地すべり防止区域」の範囲を示す看板が立っていた。今日歩いた下貫沢を中心に左右のエリアは地すべり防止区域に入っている場所だった。歩いた尾根の岩も脆く、谷が急峻なため地震や集中豪雨などをきっかけに、地滑りを起こすのだろうと思われた。おまけに尾根上の大木が台風により軒並み打ち倒されており、尾根が丸裸になっている場所も多々見られたので、その影響は倒れた大木の根が枯れる10年後ぐらいに、地滑りの危険性は一層強まるのではないだろうか。
「道の駅・保田小学校」の里山食堂
JR保田駅に戻る途中で、昼食を摂るために「都市交流施設・道の駅保田小学校」に寄った。食事処はいくつかあるが、事前に里山食堂に決めていた。ホームページの確認で里山食堂は酒類の提供がないので、食堂に入る前に鋸南楽市直売所に入って、缶ビールと地酒の生聖泉300mlを買った。食堂に入って頼んだのは、保田小給食である。10分ほど待って出されたのは、ハムカツ、鯨の竜田揚げ、ウインナーソーセージ、卵焼き、コーンポテトサラダ、ピーナッツ味噌、カレー、ご飯、お新香というもので、全く昔の小学校の給食である。値段は1100円だった。カレーの具は人参と玉ねぎのみで、味は小学校だから軟らかく甘かった。ピーナッツ味噌など何十年ぶりに食べた。
保田小給食は懐かしい味だった
人間の脳というのは不思議なものである。学校給食のメニューや味など全く思いだしもしなかったのだが、カレーやピーナッツ味噌などを味わうと、小学校で食べた給食のことが鮮明に蘇ってきたのである。私が通っていた西横野小学校では、給食が開始されたのは小学5年の時だった。今から65年前のことだが、あのころは白米ではなく、コッペパンに脱脂粉乳が付いていた。よくコッペパンを脱脂粉乳に浸して食べたものだった。私が給食のメニューの中で一番好きだったのはカレーだった。
体育館を再利用した楽市直売所
2015年に廃校の再利用として出発して、成功しているのが「都市交流施設・道の駅保田小学校」である。そこの里山食堂も平日にも関わらず、次から次へと客が入ってきて、繁盛しているようだった。出される料理もアルミニウムのトレーの上に配膳され、注文してから料理が出てくるまで時間も短く、お客の回転率も良いようだった。食堂内の椅子は教室で使っていたパイプ椅子だった。再利用で素晴らしいなと思った。驚いたことに学校給食センターから食材が搬入されていたのである。道の駅は鋸南町で経営しているので、学校並みの待遇が受けられるのだろうと思う。家族へのお土産としてピーナッツ味噌を買った。
33年前に建てられた「創立百年記念碑」
校舎の前に平成元年2月吉日に建立された「創立百年記念碑」が立っていた。今から33年前に立てられた記念碑だが、歴史ある保田小学校も入学児童の減少によって廃校になったのだった。こういうことは全国各地で起こっている現象で、日本全体の人口が少なくなっていくというのは、日本列島の土地面積から考えると正解なのかもしれない。
今回の登山データ
今回のハイキングは、左腰を痛めているので過激なコースは避けて、時間も短いものを選んだのだが、実際に歩いてみると倒木は多く、両側が切れ落ちた岩が脆い痩せ尾根が続き、結構神経を使うものだった。おまけに山頂から下山コースを探したが倒木多数で荒れており、登山道が見つからずに引き返すという状態だったが、無理に突き進まずに引き返したのは正解だったと思う。千葉の山は3年前の台風による被害が甚大で、登山道の復旧はあまり進んでいないように感じる。地元の山岳会やハイキングクラブのボランティアで登山道の整備をしているのが実情だが、会員の高齢化も進み、仕方がないのだと思う。私の腰の痛みについては十分注意していたのだが、左脚で立ったり、腰をひねったりすると痛みが走る状態なので、登山は様々な動きを必要とするため、まだ静かにしているほうがいいかな、と思った。