八丁尾根から両神山剣が峰(1724)

 

山なみ1アカヤシオツツジ71

続く山なみ         満開のアカヤシオツツジ

 

東海信越地方も梅雨入りし、関東地方も梅雨入り間近となった6月12日()〜13日()の1泊2日で埼玉県の両神山(1724m)に出かけた。予定より30分早く幕張の家を出たため、西武秩父駅に早く着いてしまった。当初の予定では土曜日は日向から入山し両神清滝避難小屋に一泊し、日曜日に八丁尾根を縦走する予定だったが、日曜日は天候が崩れる予報だったので岩場と鎖場が連続する八丁尾根の縦走を土曜日に変更した。その決定は西武秩父駅前で小鹿野車庫行きバスに乗り込み出発を待っているとき、運転手に栗生行きのバス時刻表を問合せた乗客に対して「このバスが坂本行きのバスに接続します」との受け答えを聞いた時であった。変更判断に時間はかからなかった。今日一日、天気は持つだろうとの判断である。

 小鹿野といえば30年ほど前に「秩父事件」の足跡を訪ねて2度3度と訪れた町だった。秩父事件といえば、明治時代の自由民権運動期の農民蜂起として位置づけられ、明治維新後の1884年(明治17年)10月、自由民権思想に接していた自由党員らが中心となり、増税や借金苦に喘ぐ農民とともに「困民党(秩父困民党)」を組織し、暴力行為を行わず、高利貸や役所の帳簿を滅失し、租税の軽減等を政府に請願する目的で蜂起したが、明治政府は西南戦争に準じた「反乱」として認識し、陸軍を出動させ鎮圧したものだった。その小鹿野に30年ぶりに訪れた。

 バスが出発すると前方に屏風のように切り立ち、山頂が鋸の歯のように連続している八丁尾根が登場した。あのアップダウンの連続する尾根をこれから縦走するのだ。心配なのは今年一番の暑さで、すでに入道雲が湧き上がっており縦走中に雷雨に見舞われることである。バスを小鹿野町役場で乗換え、299号線で長野県境に一番近い埼玉の最奥の坂本村に到着したのは10時30分だった。ここから八丁峠まで登り、両神山剣が峰に向けての八丁尾根の縦走が始まる。現在、坂本登山口から歩く者は殆どいないため登山路は荒れている。所どころ崖崩れのため登山道が失われているところもある。人の手が入らないため仕方ないことだが寂しい気持ちになる。コースが荒れているため登山コースを示す赤いテープを見失わないように進んで行く。

森の知恵者1 大岩に向かう途中でカモシカに出会った。おじいさんカモシカのようで白い髭が目立っていた。カモシカと私はお互いジッと見つめあった。カモシカはカメラを撮ってもフラッシュを焚いても微動だにせず、ジッとこちらを見つめていたが、私がザックを下ろすと同時に急な崖を駆け下り渓流を飛び越え、反対側の山に駆け上ろうとしたとたんに思いっきりこけた。その姿を見て一人笑っちゃった。また、大岩で休憩する前に1cmほどの太さの茶色に輝く蛇が私の前を横切った。綺麗な光沢をした蛇だった。昔だったらすぐに捕まえて振り回していただろうが、今は静かに見送るだけだった。

 坂本登山口から八丁峠まで3時間弱かかったが、出会った登山者は一人だけの静かな山旅だった。登山道は緑のトンネルを潜っていくような感じで気持ちよかった。八丁峠まで登ると鮮やかなヤマツツジの朱色が目に飛び込んできた。すでに6月中旬になっているが花は十分楽しめた。八丁尾根縦走路は岩場と鎖場が連続し、埼玉県内で最多滑落事故が発生しているため初心者入山禁止であるむねの看板がたっている。その看板を横目にザックの紐を確認し私は縦走路に踏み込んでいった。

 すぐに鎖場と岩場が出てきたが、北アルプスや中央アルプスなどの岩場と違い、八丁尾根は緑の木々が周りに生えているため高度感があまりなく緊張しなかった。それでも岩場と鎖場には変わりがないので三点確保を確実にし、鎖は補助と位置づけ昇り降りを繰り返して進んでいった。岩場にはコイワカガミがピンクの可憐な花を咲かせていた。

 鎖場と岩場は八丁峠から剣が峰間の八丁尾根に連続しているが、特に西岳から東岳の間に厳しい場所が登場する。岩をトラバースする場所で足場を探すのに苦労したり、両側が切れ落ちたナイフリッジ状の岩場を通過したりするからだ。しかし慎重に通過すれば大丈夫。私が苦労をしたのは西岳に登る途中の鎖場で両足の太腿の筋肉が痙攣を起こしたことだ。筋肉を揉み解しながら騙し騙し登ったが、こういう体験は30年以上の山登りで初めてだった。この痙攣は剣が峰に到着するまで度々起こった。以前、フルマラソンを走った時にふくらはぎに痙攣が襲ったことは経験したが太腿の痙攣は初めてだった。いやはやなんともの縦走だった。

 東岳の山頂もたった一人の山頂で小鳥のさえずりが静かに聞こえていた。比較的に広い山頂にテーブルと長いすが設置されており、写真を撮った後は長いすに寝そべり疲れを癒した。薄日が射す山頂にいると心配した雷雨はどうやら大丈夫のようだった。10分ほど寝たあと剣が峰に向けて出発した。

 

両神山頂1東岳から剣が峰の間にはアカヤシオツツジがたくさん咲いていた。例年に比べて今年は花の季節が遅れているので濃い桃色の花が見事に咲いている。美しいと思う。長〜い鎖を2度登ると丸い方位盤が設置された剣が峰の山頂だった。山頂には両神神社の奥社が祀られており、縦走路を歩いてくると奥社の裏側から登ってきた形になった。時間は16時30分だったので、時間も遅い山頂も私一人の山頂だった。大岩の上で写真を撮った。長かった八丁尾根も終了した。ポンポンと響くようなツツドリの啼き声が聞こえてくる。それ以外は聞こえない。静寂だけが山頂を覆っている。あとは清滝避難小屋まで2時間弱下るのみだ。時たま写真を撮り、捻挫に注意しながらゆっくり下って行った。

 

10時半に埼玉県最奥の坂本村から登りだし8時間で宿泊予定の両神清滝避難小屋に到着したのは18時20分ころだった。長く厳しい縦走は終了した。テント場にはオレンジや緑のテントが5張り張られ、炊事場では夕食の準備をしている登山者が見受けられた。無人小屋入り口に置かれていた利用者名簿に名前・住所・連絡番号を記入しホッと一息つくことができた。避難小屋の先着者は大学生グループで4人と6人の2つのグループだった。

 翌朝は朝もやの中を日向村まで下り、両神庁舎前でバスを乗換え「薬師の湯」に浸かった。ゆっくりと筋肉を揉みほぐしながら山旅の疲れを癒し、湯上りのビールを飲みながら秩父蕎麦に舌鼓をうった。お土産は「しじみの山椒漬け」を買い、帰宅し早速晩酌のつまみにしたら美味かった。

 

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