白いヘルメット 尾瀬岩鞍スキーその1
日光連山をバックに
2025年の年明けとともにスキーシーズンがやってきた。昨年末に日本列島に襲来した大寒波は日本海側に大雪を降らせた。年明けにも寒波がやってきて各地のスキー場の積雪量は1.5mから2mを越えており、雪のことを心配することなく次々にオープンしていた。私の今シーズンのスキー予定は、3泊4日で3回出かけるつもりだ。1回目は1月25日(土)から28日(水)までの尾瀬岩鞍スキー場。2回目は2月1日(土)から4日(水)まで同じ尾瀬岩鞍スキー場。3回目は2月16日(日)から19日(木)までの志賀高原スキー場だ。
赤城高原サービスエリア
1月25日 土曜日 晴れ
第1回目の尾瀬岩鞍スキー場は、11時に相棒の「せっかち山本」と東所沢駅で待ち合わせ、山本が運転する車で群馬県片品村へと向かった。関越自動車道は空いていたが、途中で追突事故による渋滞となったのは仕方がないことだった。赤城高原サービスエリアで休憩昼食とし、私は人気ナンバーワンの群馬豚炙りチャーシュー丼を頼んだ。さすがに人気の丼だけあって、豚肉が口のなかでとろけるような美味さで満足満足だった。おまけについてきたスクラッチくじは外れだったが、山本は500円が当たった。
美味かった群馬豚炙りチャーシュウ丼
毎シーズン宿泊している片品村の『ロッジさんらいず』に着いたのは14時だった。事前に送っておいた宅急便バッグからスキー板、ストック、スキー靴を取り出してスキー倉庫に置き、残りの荷物を部屋まで運んだ。ヘルメットにゴーグルをつけている時に事件は起きた。ゴーグルのサングラス部とベルト部の接続点が割れてしまい、ゴーグルが役に立たなくなってしまったのだ。宿の女将さんにアロンアルファとガムテープを借りてきて応急修理を行った。接続部が割れてしまった時は焦ったが、なんとか使えるようになった。一段落したら早速温泉に入ってひと汗流したあとは雪見酒である。夕食時刻は18時からなので3時間1本勝負の宴会だった。夕食は食堂でビールを飲みながら摂ったが、いつもながら女将さんの料理の腕前には感服するばかりである。今回も品数が多く完食するには一苦労だった。
ゴンドラの始発を待つスキーヤーとボーダーで長蛇の列だった
1月26日 日曜日 雪のち晴れ
ロッヂを8時10分発のマイクロバスに乗って出発した。ゴンドラ駅に着くと始発の8時30分を待つスキーヤーとボーダーで長蛇の列だった。岩鞍スキー場で滑り始めてから23年になるが、初めて体験する長蛇の列にはビックリだった。チケット売り場で2日間のチケットを買うと、デポジットの500円を含めてシニア料金は9900円だった。青空は見えているものの、粉雪が絶え間なく舞っていた。
開設52年目の尾瀬岩鞍スキー場
尾瀬岩鞍スキー場の開設は1973年なので今年で52周年となる。過去に3回冬季国民体育大会が群馬で開かれた時は、いずれも尾瀬岩鞍スキー場が会場となっており、そのため男子国体コースや女子国体コースと呼ばれているコースもある。ボーダーが増えていった時期にスキーにこだわり、ボーダーを締め出していた関係でお客さんは少なくなり営業に苦戦していたようだが、最近は持ち直したようである。スキー場で出会うお客の7割はボーダーのようだ。
粉雪が舞うなかの白い太陽は幻想的だった
ゴンドラに乗って西山山頂駅まで登った。粉雪が舞うなかで白い太陽が姿を現し幻想的だった。まずは1年ぶりのスキーのため足慣らしに最長距離3200mのミルキーウェイコースをノンストップで山麓駅まで滑り降り、再びゴンドラに乗って山頂駅から女子国体コースを滑り降りた。 再びゴンドラに乗り、今度は西山ななかまどコースを滑り降り、リフトを乗り継いで西山とちの木コースを滑り、女子国体コースを滑り降りてからチャンピオンコースに転進した。チャンピオンコースも綺麗に圧雪されていたので気持ちよく滑れた。「お祭り広場」まで滑り降りたところで第1ラウンドを終了し、1回目の休憩だった。休憩場所のお祭り広場内は満席で、お客さんでごった返していた。
お祭り広場はお客さんでごった返していた
1回目の休憩まで最初のミルキーウェイコースを滑り降りてから休憩なしの強行軍のため、ふくらはぎが張りだしていた。休憩している時にお祭り広場の重鎮とも言うべき店主のおじいさんがやってきた。おじいさんは昨年に比べるとずいぶん足腰が弱ってしまい、両手で杖をつきながら長男にサポートされながらやってきた。おじいさんは今シーズン35回目の出勤とのことだった。おじいさんの指定席に私が座っていたので、席をおじいさんに譲った。おじいさんはスキー場ができる前はイワナ釣りが入るだけの本当の山奥だった、という昔話をしてくれた。
粉雪が止み青空が広がり出した
1回目の休憩時はビールを飲むことなく、缶のカフェオレを飲んで20分ほど休んで第2ラウンドへ出発した。日曜日のためゴンドラもリフトも順番待ちであり、スムーズにはいかずに時間が経過していった。第2ラウンドはゴンドラに乗って女子国体コース、西山ななかまどコースととちの木コースを滑ったあと、ミルキーウェイコースでお祭り広場まで滑り降りて13時の昼食となった。粉雪が止み青空が広がり出していた。
昼食時に飲むのは生ビールの大ジョッキである
宿泊ロッジからのマイクロバスの迎えは14時にお願いしていたので、昼食時間は1時間だった。当然飲むのは生ビールの大ジョッキである。最近は居酒屋でも中ジョッキが主流となっており、大ジョッキを出す居酒屋はない。お祭り広場には大ジョッキがあるために、昼食時は必ず大ジョッキを頼むことにしている。つまみはモツ煮込み、コロッケ、サービスの白菜の漬物が3種類だった。私たちは飲んだあとは事故防止のために滑らないことにしている。
ロッジの夕食
1月27日 月曜日 晴れ
2日目である。朝から晴れていた。月曜日なのでスキーヤーやボーダーは少ないと想い8時30分のマイクロバスでゲレンデまで送ってもらった。予想した通りゲレンデはガラガラだった。昨日同様に第1ラウンドはゴンドラで西山山頂に向かった。山頂駅の壁に吊り下げられていた寒暖計はー5℃だった。ミルキーウェイ、女子国体、西山で2本、女子国体、チャンピオンを2本と各コースを滑り終えて、お祭広場内のストーブの前で休んでいると、昨日同様におじいさんとおばあさんがやってきたので、おじいさんの手を取ってストーブ前に誘導した。
相棒は「せっかち山本」
20分の休憩を終えて第2ラウンドは、チャンピオンコースが12時から圧雪が入るかもしれないので最初に滑ったあと、ゴンドラに乗って西山山頂駅に向かい、西山コースを2本滑ったあとにミルキーウェイを滑って13時にお祭り広場に戻ってきた。今回も14時の迎えまで1時間の宴会だった。当然頼むのは
生ビールの大ジョッキだった。つまみは水餃子、梅クラゲ、湯豆腐、それに白菜の漬物が2種類だった。大ジョッキを傾けていると、おばあさんがやってきて煎餅のつまみをくれた。昨日も今日もおじいさんが席に着くのを手伝ったので、そのお礼だろうか。満足満足のスキー日和だった。宿に戻ってのアフタースキーは温泉のあとは雪見酒で、そのあとは美味しい夕食へとなだれ込んだのだった。