初冬の大菩薩連嶺南部縦走へ
大蔵高丸から破魔射場丸へ
大蔵高丸山頂からの富士山の眺め
山梨県の大菩薩連嶺南部にある大蔵高丸から破魔射場丸への日帰り縦走登山に出かけた。前回、11月下旬の平日に出かけたが、登山口までのバスが既に運行しておらず、無念のうちに断念したという経緯があり、再度日曜日に計画しなおした山行だった。天気予報では下車駅の甲斐大和は快晴で、気温は7時でマイナス4℃、14時でも8℃だった。甲斐大和駅に降り立つと、空気は冷え切り吐く息が白かった。
湯の沢峠登山口の登山コース案内板
改札口を出ると登山バスが停車していたので最前列に乗り込み、運転手に「天目山温泉で降りますがいいですか?」と尋ねると、「このバスは臨時便なので上日川峠直通ですから、定時のバスに乗り直してください」と言われた。臨時バスは補助席まで満席となり出発していった。その後の定時バスに乗り込んだが、こちらも満席となり、予定時刻よりも早く出発した。乗れなかった乗客は次の臨時バスで出発するとのことだった。人気の大菩薩峠に向かうバスだけに、12月になっても登山者の数は多いようだった。この登山バスも来週日曜日を最後に終了する。
林道脇に廃屋が目立った
登山口のある天目山温泉バス停に下車した。ひとつ手前の日川レジャーセンターの釣り堀は硬い氷で覆われており、寒さが厳しいと思われた。登山ルートの確認と記録をとるためにGPSをセットし、焼山沢真木林道を登っていった。空は雲ひとつなく晴れあがっているのだが、林道は谷間となっているため陽は射さず、空気が冷え込んで寒かった。林道を登っていくのは私1人だけだった。歩き始めて2時間の登りで湯の沢峠に着く予定だった。林道を歩いていくと廃屋が目立つようになった。かつては囲炉裏の周りで家族の団欒があったのだろうが、若者が都会に出ていった後は、残された年寄りの身体が続く限り生活を続けて、やがて廃屋となったのであろう。このような風景は日本全国で見られる現象だと思う。中ノ沢橋が掛け替え工事中だった。青いヘルメットを被った若者が、元気な挨拶をくれた。実に気持ちがいい若者だ。寒い中での作業は大変だと思うが、ガンバレ若造!
凍てつく焼山沢
9時30分に湯の沢登山口に着いた。歩きだしてから2時間で初めての休みをとった。温かいコンソメスープを飲んで、インナーダウンを脱いだ。さあ、登山開始だ。焼山沢沿いの登山道も谷底を登っていくために陽は射さない。道はバリバリに凍っており、硬くて歩きやすかったが、水しぶきがかかる石は凍っていた。何回も沢を渡渉するので、その度にスリップに神経を使っていたのだが、光線の関係で石の表面が凍っているのが見えない石があった。その石に乗った途端に滑ってバランスを崩し、左足が水中に没した。慌てて左足を引き抜いたが、防水加工の登山靴のため、大事に至らなかったが肝を冷やした。腰から水中に落ちなくてよかった。
湯の沢峠避難小屋
登山道をゆっくりと歩き、10時25分に湯の沢峠避難小屋の裏側に出た。湯の沢峠までは車道も通じており、軽のワンボックスが1台停車していた。公衆トイレは冬季封鎖中で鍵がかかっていた。避難小屋に入ってみると、床は板張りで奥には絨毯が敷いてあり、外見に似合わず綺麗に整頓されていた。入り口に置かれていたノートをめくってみると、2日前に泊まった人のメモが残されていた。
湯の沢峠の登山者カウンター
湯の沢峠からの展望は、雲が湧きぼんやりした状態だった。湯の沢峠は十字路となっており、左折すれば大菩薩連嶺北部の牛奥ノ雁ヶ腹摺山、小金沢山、大菩薩峠に続き、右折すれば大菩薩連嶺南部の大蔵高丸、ハマイバ、大鹿峠に続いている。峠と名の付くところは、現在のような車社会になる前は、地域の人々が歩いた生活の道である。湯の沢峠には登山者カウンターが4つあり、それぞれ、小金沢山1254、牛奥ノ雁ヶ腹摺山1651、大蔵高丸2391、
ハマイバ1198、が計測されていた。私は大蔵高丸とハマイバを押して右折した。歩いていく雑木林の中の登山道は明るくて気持ちが良かった。やがて登山道の周りはカヤトの原になり、登山道はほとんど凍っており、霜柱が成長し大きいのは10cmというのもあった。陽の光を受けた場所は溶け出してきていた。
大蔵高丸山頂からの富士山の眺め(大月市秀麗富岳12景の3番)
11時10分に大蔵高丸1781m山頂に着いた。誰もいないひとりだけの山頂だった。三つ峠山の向こうに見える富士山が素晴らしい。今日は山頂に着いたのが11時過ぎと遅かったので、雲が水平に長く引いてしまった。富士山の裾野は湧きだした雲で薄くしか見えないが、あの雲がなかったならば、雄大に広がる裾野もくっきり見えたことだろう。右側に南アルプス連峰の白峰3山・北岳、間ノ岳、農鳥岳が雪を纏って屏風のように広がっていた。その左に少し離れて悪沢岳、赤石岳が見えた。峰々は太陽に照らされテカテカ光り輝やいていた。その下に甲府盆地が広がっている。実に雄大な景色だ。この山頂からの景色を見るために、千葉からはるばるやって来たのだ。大蔵高丸は山梨100名山に挙げられ、大月秀麗富岳12景の3番に指定されている。
甲府盆地の上に雪を纏った白峰3山(右から北岳、間ノ岳、農鳥岳)が見えた
現在はあまり流通していないが、500円札の裏側に印刷されている富士山は雁ヶ腹摺山山頂から眺めたものである。その雁ヶ腹摺山が富士山の左側に見えていた。来年は雁ヶ腹摺山の山頂に登って富士山を見たい。大蔵高丸の山頂で2度目の休憩をとった。暖かいコンソメスープとゼリー状のアミノバイタルを飲み、おにぎりをひとつ食べた。これは朝飯と昼飯を兼ねたものだった。
実際の山とスマホ画面に表示される山名が少しずれていた
日本100名山に選ばれた山や人気のある山に登ると、山頂には山座同定盤が置かれていて、眺められる山の名前が分かるようになっている。しかし多くの山頂には山座同定盤は置かれていないので、折角登った山頂から眺められる山名は分からない。山座同定ソフトが開発されてインターネットで無料配布されている。今回スマホに山座同定ソフトをインストールして、大蔵高丸山頂から展望できる山々を特定してみた。初めて使うので使い方が分からなかったが、デフォルトのままだと実際の山に対して、スマホ画面に表示される山名が左にずれ、山と山の間隔も広かった。このずれに対してコンパス補正と画角調整をすれば十分に活用できると思った。
縦走路からの富士山の眺め
ひとりだけの山頂で20分休んで、ハマイバ方面に進んだ。気温が上がっていないため、動いていないと寒さが身に沁みてきて、手袋はしているが指先がジンジン痛くなってくる。凍っていた登山道は太陽の熱で溶かされて、ぐちゃぐちゃだった。歩きにくいことおびただしい状態で、ズボンの裾も登山靴も泥だらけになってしまった。スリップに注意しながら進んだ。
カヤトの原の登山道
カヤトの原の植生を守るためにシカ避けの柵が設置されているのに度々出あった。登山道の両側にもカヤトの原に入らないようにロープが張られ、注意書きがされていた。大蔵高丸からハマイバまでの登山道は、アップダウンも少なく明るくて歩きやすく、富士山が見えてとても気持ちよかった。ハマイバまでの間は登山道の両脇に笹が生えているところもあり、その笹のほとんどが枯れてしまっていた。しかも最近枯れたのではなく、かなり昔に枯れたものと思われ、ポキポキ折れる状態だった。
ハマイバ山頂(後ろは左側に黒岳、右側に雁ヶ腹摺山)
12時にハマイバ1752m山頂に着いた。昔の山岳書には破魔射場丸という名前が見られ、国土地理院地図にはハマイバ丸と表示されている。ここからの富士山の眺めも相変わらず素晴らしい。反対側には左側に黒岳、右側に雁ヶ腹摺山が見えていた。2つの山をバックに写真撮影しようと思い、スマホを置く場所を確認していると、リンリンとクマ鈴を軽やかに鳴らした男性登山者がやってきた。その方にスマホのシャッターを押してもらった。ラッキー。
ハマイバ山頂からの富士山の眺め(大月市秀麗富岳12景の3番)
ハマイバから下っていくと、2人の登山者とすれ違った。1人は男性で40代。もう1人は女性で30代と思われた。次に2人のカップルに出会った。雑木林の中を歩いていると、赤い頭のアカゲラが2羽いた。幹を突つきながら中にいる虫を探していた。アカゲラに会うのは久しぶりだった。前回会ったのは、奄美大島を「日本縦断てくてく一人旅」で歩いている時だった。その時はオーストンオオアカゲラいう本土にいるアカゲラよりも大きいアカゲラで、3年前のことだった。
高さ約3mの天下石山頂
更に下っていくと「天下石」という高さ3mくらいの石が登山道の脇にあった。笑っちゃうのは、その石の前に「天下石山頂」という表示がされていたことだった。ギャグもここまで来ると素晴らしい。急坂を下り12時55分に米背負峠に着いた。この峠も昔の人は米を背負って越えたのだろう。この峠を直進せずに右に折れて、大蔵沢大鹿林道に合わさる米背負峠下山口に向かった。登山道は大蔵沢に沿っている谷底のため、この道も凍っており歩きやすかった。
大蔵沢大鹿林道の法面が崩落していた
大蔵沢大鹿林道に出て天目山温泉に向かう途中で、法面が崩落したために林道幅の8割ぐらいを埋没させている場所があった。車両はもちろん通行できず、歩行者だけが通れる幅で、林道の役目をはたしていなかった。復旧はかなり難しいと思った。林道を下っていくとトンネルがあった。当然のこと林道のトンネルは電気設備がないので照明は無いが、トンネルが途中で右に曲がっており、反対側からの光が全く入ってこないため、トンネル内は真っ暗だった。トンネル内に入ってから焦ったが、ザックからヘッドランプを出すのも面倒なので、用心しながらゆっくり歩いていった。
やまと天目山温泉
予定よりも30分早く天目山温泉に着いた。下山口に降りてからのアスファルト林道が長く感じられた。すぐさま入湯料の520円を払って温泉に入った。日本有数の高アルカリ泉ということで、温度は低めだったが無色透明無臭の温泉で、肌がツルツルに感じた。30分で風呂を出て食堂に行くと、メニューを見ただけで食い気が失せた。かくなるうえは甲斐大和駅前の食堂"雅"に入って、ひとり打ち上げをやることにしよう。その予行演習で缶チューハイの氷結を休憩処で飲んだ。家族のお土産に、手づくりうらじろまんじゅうを買った。
お通しは、ふろふき大根と肉味噌
甲斐大和駅までバスに乗り、駅前の"雅"に入った。女将さんは「今日の山は寒かったでしょう?」と挨拶し、私はビールをパスし、すぐさま地酒の笹一の熱燗を頼んだ。お通しは、ふろふき大根の上に肉味噌がのっていた。大根は硬く、私が家庭菜園で作っている方がずっと柔らかい。肉味噌は美味かった。女将さんは「ダイコンが硬いでしょう?」と気遣っていた。
シカの刺し身
メニューには載っていなかったが、シカの刺し身とイノシシの刺し身はあるか聞いてみたところ、イノシシはないがシカはある、とのことだった。そこでシカの刺し身とイノシシ鍋を頼んだ。シカの刺し身を食べたのも久しぶりである。全くクセがない。白髪ネギを巻いてニンニクかショウガをつけて、醤油はつけずにそのまま食べた。実に美味かった。熱燗を追加したのは言うまでもないことだった。
イノシシ鍋
イノシシ鍋が運ばれてきた。鍋にはイノシシ肉、キノコ、野菜、豆腐が入っていた。イノシシ鍋を食べたのも久しぶりである。豚肉に比べてイノシシの肉は硬い。よく噛んで食べたので、肉の味がじんわりと口いっぱいに広がった。鍋なので色々な味が混ざり合い、温かくて美味かった。一人前の鍋なのだろうが、結構ボリュームがいっぱいだった。再び熱燗を追加し満足満足の鍋だった。
駅前食堂“雅”
女将さんに「シカの刺し身はあるけれど、イノシシの刺し身はなぜないの」と聞いたところ、「イノシシは豚と同じ雑食性なので、豚の刺し身がないのと同じようにイノシシは刺し身にはできない」という答えだった。ほんとかなぁ。雑食と言ってもイノシシはドングリやクリなどの木の実などを主に食べているし、ミミズも食べるけれど肉の臭いが強いので敬遠されるのかもしれない。何かの寄生虫の関係もあるのかもしれないと思った。
大蔵高丸〜ハマイバ登山データ
今回の大蔵高丸からハマイバの縦走登山は、前回の平日には既にバス便がなかった失敗を反省し、日曜日に出かけたわけだが、定時便に加えて臨時便が2本出た。登山者のほとんどが大菩薩峠に向かったため、私が歩いた縦走路で出会った登山者は、すれ違った登山者が4名、私を追い抜いていった登山者が2名、合わせて6名に出会っただけの静かな山旅だった。自然と一体となれる静かな山旅は実にいいと思う。富士山も素晴らしい姿を見せてくれた。来年、縦走しようと思う黒岳から雁ヶ腹摺山のルートの下見もでき、途中で宿泊する予定の湯の沢峠避難小屋も確認できた。下山後は天目山温泉に入り、地元山梨のシカの刺し身とイノシシ鍋を堪能し、地酒笹一の熱燗が飲めて満足満足の山旅だった。