北アルプスの表銀座縦走
燕岳2763m頂上
8月21日 晴れのち曇りのち雷雨
漆黒の闇が明けようとしていた。私たちの乗った中型バスは常念岳登山口で停車し、女性登山者が1人降りた。最終地の中房温泉燕岳登山口では21人の登山者がバスから降りた。そこでは額で体温測定する燕山荘スタッフが待機しており、一人ひとりから体温を測っていた。勿論、猛威を振るっている新型コロナウイルス感染予防対策の一環で、全登山者に対して検温を実施しているのであった。、私の体温は平熱の36.5度であった。
今回の北アルプス表銀座縦走登山コースのハイライトは4つあった。第1は花崗岩とハイマツの白砂青松に輝く燕岳の美しい姿に出会うこと。第2は天を突く槍ヶ岳の勇姿に出会い山頂に立つこと。第3は鎖と梯子が連続する緊張感たっぷりの岩稜歩きを楽しむこと。第4は北アルプスの峰々のダイナミックな眺望を楽しむこと、である。今回の登山にはポパイ吉原、ちびっこ小沢、エンジニア小林、太っちょ碓井、それにエイトマン岩井というMCCのメンバー5名が参加していた。2002年8月の18年前にほぼ同じルートで表銀座コース縦走をしている。
第1ベンチで休憩
燕岳登山口の標高は1460mである。登山届をポストに投函したあとベンチで朝ご飯を食べ、燕岳2763mに向けて標高差1303mを登りだしたのは6時20分だった。登山地図に記されているコース標準時間は4時間である。登山道は日本3大急登に数えられるほどで、のっけから汗をかく急登であった。広葉樹の森をゆっくり登って行った。コースには第1ベンチ、第2ベンチ、第3ベンチ、富士見ベンチ、合戦小屋などが30分程度の間隔で設置されている。
第1ベンチには6時50分に到着した。登山者が三々五々休憩していた。第2ベンチには7時20分に着いた。8時10分に3ベンチに到着すると木々の間から見える青空が綺麗だった。森林帯の中なので涼しい。ここには登山口から2.7km、燕山荘まで2.8kmの表示板が建っており、コースのほぼ中間点であった。
スイカは合戦小屋の名物
8時45分に富士見ベンチに到着した。富士見ベンチとはいえども富士山は見えなかった。9時40分に合戦小屋に着いた。この休憩所は有人で昔からスイカが名物だった。8分の1の切り身が500円だった。スイカにかぶりつくと、スイカの早食いコントで有名だった志村けんのように咽せてしまった。
10時30分に合戦の頭に到着すると、正面に燕山荘と燕岳が見えた。青空に映えて美しい景色だった。11時に燕山荘に到着し、しばらく休憩して体温を平熱に戻したあとで一人ひとり検温のチェックを済ませて新館の部屋に通された。部屋はコロナ対策で距離をとるため収容人員の3分の1で、布団1枚に1人で隣の人とは布団1枚分の距離があった。
燕山荘玄関前
12時に燕岳に向かった。花崗岩の白さとハイマツの緑が目立ったが、空は青から灰色へと変わっていた。嫌な予感は当たり、案の定、雨が降ってきた。燕岳の頂上に着くころに雨足は激しくなり雷も聞こえてきた。今回の山旅のメンバー5人が山頂で揃った姿を写真に収めようと急いだが雷が追いかけてきた。真上で雷が轟き稲光が走った。びっくらポン。身が縮んた。いやはやなんとも。山頂にも稜線にも隠れるところはなかった。
ほうほうの態で燕山荘に逃げ帰った私たちは食堂に入り燕岳登頂記念の宴会となった。乾杯の生ビールはコップ一杯1000円だった。続いてスコッチウイスキーの栓が切られた。水割りのグラスは重ねられた。雷が去ると好天に変わったので外のベンチで北アルプスの峰々を眺めながらの宴会が続いた。
8月22日 晴れのち曇りのち雷雨
4時半になると東の空は群青色から朱色へと輝きだした。5時17分に雲海の彼方から太陽が上がってきた。素晴らしい日の出だ。登山者も感動をもって迎えていた。雲海上に上がってくる日の出は何回見ても神々しい気分になり、1日がスタートすることを実感する時でもある。
雲海上の日の出
5時20分からの朝ご飯をすませ、昨日雷のためゆっくり展望が出来なかった燕岳山頂に再び向かった。快晴のもとでの花崗岩の山はハイマツとのコントラストが実に見事だった。足元にはコマクサの可憐な姿があった。花崗岩が雨や風で風化し、イルカやメガネなど独特な形に削られた岩が出現している。頂上は360度の展望であった。台形をした立山連峰の隣に岩の殿堂と讃えられている剱岳が見えた。水晶岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳、双六岳、樅沢岳、槍ヶ岳、大喰岳、中岳、南岳、北穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳と連なる峰々がパノラマとなって見えた。
コマクサ
1時間で燕山荘に戻り、昨日の宴会参加?のために登ってきたエンジニア小林は中房温泉登山口に下山していった。残った私たち4人は雲上の散歩道を大天井岳に向かって歩き出した。登山道の右側には常に小槍を従えた槍ヶ岳が遠望できるなかでの散歩である。ホシガラスがジャージャー鳴きながらハイマツの枝から枝へと飛び移っている。イワヒバリも時たま顔を出す。すでに盛りを過ぎてしまっているが、コマクサの群落がピンクの花を咲かせて登山道の左右に見られる。
蛙岩を通過し猟師で山道案内をしていた時に喜作新道を切り開いた小林喜作レリーフが岩盤に埋め込まれている場所から大天井岳頂上に向かう小沢と分かれて私たちは右道に入った。「滑落注意」の看板が表示され、太い鎖や梯子の連続している岩稜の通過は肝を冷やすのに十分であった。今年は営業を中止した大天井ヒュッテの脇に日陰を求めて腰を下ろし、燕山荘で作ってもらったお握り弁当の昼食を食べていると大天井岳に登ってきた小沢が合流した。
喜作新道を西岳に向かって進んでいった。好展望地の「びっくり平」に到着したのは11時50分だった。宿泊するヒュッテ西岳まで2時間半の表示がされていたが実際歩いてみると2時間であった。
出会ったメスのライチョウ
メスのライチョウに出会ったのは左側が崩落している場所を通過しているときであった。子どもを連れておらず1羽だった。通常、ライチョウの場合は人間に対して警戒心が薄く、カメラで撮影しても逃げることなくのんびりしているのだが、出会ったライチョウは警戒心が強く直ぐに草陰に隠れてしまった。
8月23日 晴れのち曇りのち雷雨
縦走の3日目は東鎌尾根を歩き、槍ヶ岳に登頂する今回の表銀座縦走コースの核心部であった。6時00分にヒュッテ西岳を出発した。私はこの日の岩稜歩きのために買ったヘルメットを被った。登山を始めてから50年近くになるが初めて被ったヘルメットであった。
出発して間もなく水俣乗越までの大下りが待っていた。梯子と鎖が連続し緊張の連続だった。そのようななかでも青く実ったブルーベリーの甘酸っぱい実を口に含むと少しの間だけ心に余裕が戻ってきた。水俣乗越でヒュッテ西岳に同宿した5人組を追い越したが、彼ら彼女らは全員ヘルメットを装着しているところだった。
東鎌尾根の核心部
水俣乗越から槍ヶ岳までの約3時間の東鎌尾根の通過は鎖や梯子が頻繁に表れる岩稜通過の結構厳しい登山道と思えた。私はヘルメットを被っているが滑落すればお終いであり、ヘルメットは頭に落石が当たった時や転倒した時の防備に過ぎない。岩稜帯はあくまでも慎重な3点支持での通過が基本となっている。
槍ヶ岳から延びる北鎌尾根
天候は薄日が差す絶好の登山日和で右側には北鎌尾根のノコギリのようなギザギザが間近に見えた。北鎌尾根はスペシャリストが登るコースで登山地図にはルートが描かれていない。昭和初期の単独登山の第一人者であり、新田次郎の小説『孤高の人』のモデルとなった加藤文太郎や『風雪のビバーク』を著した松濤明も北鎌尾根で帰らぬ人となった。
ヒュッテ大槍から槍ヶ岳を望む
9時50分に槍岳山荘に到着した。太陽は出ているが空に雲が広がり始めた。このぶんだと午後からまた雷が来るだろう。10分ほど休んで槍ヶ岳山頂に向かう。槍ヶ岳は上り下りが完全に分かれた一方通行のコースが整備されている。整備されているとはいえ槍の穂先に登頂する岩稜のコースであり、一歩間違えば大事故につながる。私が槍ヶ岳に登頂するのは4回目である。危険個所には鎖も梯子も整備されているので慎重に行動すれば大丈夫だが、山頂の祠が置かれている場所で立っていられない人もいるので高所での慣れということも関連してくると思われる。一番危険な箇所は頂上から後ろ向きで降り始める垂直の梯子と思われる。
槍ヶ岳頂上直下の梯子
私たちが頂上に到着した時は2人の若者がいただけであった。私は声をかけスマホのシャッターを押してやった。その代わりに私たち4人の集合写真のシャッターを押してもらった。彼らは2人ともに槍ヶ岳山荘から借りた白のヘルメットを被っていた。ふたりとも初めての登頂で興奮しているのが会話から伝わってきた。頑張れ若造!
槍ヶ岳3180mに登頂
槍ヶ岳の登頂を終えた私たちは槍ヶ岳山荘のベンチでお昼ご飯を済ませて11時15分に南岳に向かって出発した。南岳山荘までは大喰岳、中岳、南岳を越えていく3時間のコースだが、雷に会わないように早め早めの行動が必要だった。しかし南岳山頂を通過するころに予想通り雷がやってきた。いやはやなんとも。南岳小屋に到着した直後に物凄い雨が降ってきた。強烈な雨音が山小屋の屋根を叩いた。ほんの数分違いで私たちは濡れずにすんだ。本当にラッキーだった。
大キレットを背に
談話室で宴会をしていると小屋番から「晴れたので大キレットが素晴らしいですよ」と案内されたのでサンダルをつっかけて大キレットを見に行った。素晴らしい景色だ。感動のひとことだった。絶壁の山頂に立つ北穂高岳小屋が確認できる。鳥も通わぬような滝谷の絶壁も見えた。
北アルプス山小屋友交会の新型コロナウイルス感染防止対策
今回の山旅は新型コロナ禍での登山となった。私たち山小屋利用者側も消毒液、マスク、シーツなどを持参し、山小屋側でも検温実施や宿泊者数に制限をかけるなど両者が注意しながらの旅となった。北アルプス山小屋友交会の新型コロナウイルス感染防止対策が「お客様へのお願い」という形で各山小屋に提示されていた。その内容は@滞在中のマスク着用。A手洗い・手指の消毒。B大声での歓談はお控えください。C衣類、タオル等の部屋干しは禁止です。というものであった。
8月24日 晴れのち曇り
今日も快晴である。6時に南岳小屋を出発したときの気温は7度であり清々しい気持ちであった。槍・穂高縦走路を槍方向に戻る。昨日は雷が鳴り周辺はガスで展望が効かない状態であったが、今朝の晴れあがった南岳頂上からの360度の展望は実に素晴らしい。大槍が見事に立ち上がっている。西側の左端に笠ヶ岳がちょこんと離れて立ち上がっている。そこから右に稜線が伸びている。全てかつて歩いた稜線であり、当時の山行を思い出す。双六岳から鷲羽岳の稜線も朝日に照らされて明るい。
南岳3033m山頂
一方、東側には私は歩こうとは思わないが北穂高岳から切れ落ちた大キレットも見事だ。今朝も数人が大キレットを通過して北穂高岳への崖を登っていくようだった。
南岳山頂から中岳方面へ少し戻ったところから天狗原への分岐がある。この下りも鎖と梯子の連続する岩稜で一瞬たりとも気が抜けない悪場である。以前このコースを下った時には感じなかったが、ビックリするような危険地帯の下降だった。そのようななかでもホッとさせるのは岩場で可憐に咲く純白のイワツメクサであり、紫のチシマギキョウの花であった。
北アルプスのシンボル槍ヶ岳
天狗原に降り立つと氷河公園の名前が示すように氷河が削り出したカール状の地形が見て取れる。天を突く槍の穂先も見事だ。更に降って天狗池に到着した頃に槍の姿は俄に湧き出した雲の中へと消えてしまった。天狗池に映る逆さ槍も一見の価値があり、30分ほど待機したが、槍は再び姿をあらわすことはなかった。
8月25日 晴れ
今日のコースは上高地までの3時間である。8時30分に宿をとった横尾山荘を出発し、2時間ほど歩くと明神池畔に建つ嘉門次小屋に到着した。毎回上高地を訪れる時の楽しみの一つは嘉門次小屋の岩魚の塩焼きである。蕗味噌をツマミに酒を飲みながら岩魚を頭から齧ることが素晴らしく感じられる。あと何回この味が楽しめるかはわからないが上高地を訪れる際の楽しみである。
嘉門次小屋で焼かれる岩魚の塩焼き
明神池から流れ出た渓流に網で囲った池を作り岩魚が飼われている。その岩魚をタモ網ですくい、小さい岩魚は池に戻し塩焼きに適した大きさの岩魚の後頭部をトンカチで2〜3度打ち、仮死状態にしたものの腹を捌いて串にさし、塩を振ったものを囲炉裏で40分かけて焼き上げるのである。じっくり焼き上げるため頭から尻尾まで丸ごと食べられるのも嘉門次小屋の岩魚の塩焼きの特徴である。
私は毎回嘉門次小屋を訪れた際に、お土産として1本2000円の白磁の2合徳利を買うのだが、今回は見本コーナーに徳利が見当たらないので小屋のスタッフに尋ねると、お客様に販売していた徳利は全て売り切れとなりました、という返答だった。自宅には4本の嘉門次小屋の徳利があるが、注ぎ口にヒビが入っているのもあり、今後、徳利を買えないとなると、現在の徳利を大切に使おうと思った。
嘉門次小屋で岩魚の塩焼きと熱燗でいっぱい
また、上高地の楽しみの一つに上高地温泉ホテルの入浴がある。上高地温泉ホテルの湯は昔から登山家・作家・画家・歌人などに親しまれた湯であり、勿論、『日本アルプスの登山と探検』によって日本の山々を世界に紹介したイギリス人宣教師のウォルター・ウェストンも入った湯である。今年の外来入浴は新型コロナウイルス対策で午前中の入浴は中止し、12時30分から15時00分までの時間制限となっていた。また、一度の入浴者数も受付で制限していた。
槍ヶ岳をバックにヒュッテ大槍にて
今回の北アルプス表銀座コースのハイライトはすでに記したように4つあった。第1は花崗岩とハイマツの白砂青松に輝く燕岳の美しい姿に出会い山頂に立つこと。第2は天を突く槍ヶ岳の勇姿に出会い山頂に立つこと。第3は鎖と梯子が連続する緊張感たっぷりの岩稜歩きを楽しむこと。第4は北アルプスの峰々のダイナミックな眺望を楽しむこと、であった。この4つのハイライトが快晴のもとで全て成し遂げられた幸運に感謝の気持ちでいっぱいの山旅であった。このコースを歩くことを希望した小沢に感想を尋ねると、100点満点の山旅だったとのことだった。
また、今回は登山者も山小屋もお互いが新型コロナウイルス感染防止対策を取りながらの山旅となったが、新型コロナウイルス感染がいつ終息するとも分からない状況下では今回の感染防止対策を教訓としての山旅が当分続くだろう。