奥秩父主脈縦走A
雲取山から将監小屋テント場へ
2日目はマイテントでゆったりと
2日目 7月9日 火曜日 曇り
身体が疲れていたのでぐっすり寝てしまった。外が明るくなり、4時45分に小屋の外に出ると日の出だった。東の空は雲が多かったが、雲の中から太陽の光の矢が放たれた。富士山も麗しい姿を現していた。素晴らしいのひとことだ。少し風が出ているが穏やかな朝で、周りの山々も全て見えた。ひとり寝の避難小屋は静かで、のんびり出来て最高だった。
朝日に映える富士
朝ごはんをすませて荷造りをし、5時30分に次の将藍小屋テント場に向けて歩き出した。外の温度計で気温は17℃だった。山頂避難小屋から原生林のなかを30分ほど降りると、三条ダルミという場所に着いた。分岐を左に降りて行くと、三条の湯に着く。三条の湯はお風呂に入れる山小屋である。私はまっすぐに奥秩父主脈縦走路を進んでいく。南側に秀麗な富士山が見えていた。
原生林のなかに狼平の広場があった
避難小屋から1時間30分ほど歩くと、狼平という場所に着いた。道標が傾いていたので、根元に枯れ木3本を打ち込んで真っ直ぐに立て直した。狼平は原生林のなかにぽっかりと平らになっている場所だった。昔、奥秩父に狼が闊歩していたころは、ここら辺りは狼の縄張りだったのだろう。実際、奥多摩や奥秩父の神社の狛犬は獅子形のものではなく、狼形であり、神社の守り狼=オオカミ=大神として控えているのである。
連続する桟道
登山道はほぼ水平となり、クマザサのなかを歩いて行った。これから三ツ山までが登りとなる。7時30分、三ツ山の手前まで登ってきた。富士山が常に左側に見えていた。三ツ山は3つの山頂があり、登山道はいずれの山の南側を横切る形で延びていた。三ツ山を越すときは桟道の連続で、谷が深く急峻のため幅60cmの桟道を歩くときは、手すりやロープなどの気の利いたものはなく、下が見えるので緊張した。岩だらけの厳しい山道だった。気分を和らげてくれるのは、シャクナゲの薄緑色の柔らかな葉が出ていたことだった。
葉緑素を持たないギンリョウソウに出会った
小さなシャクナゲの木の陰に葉緑素を持たないギンリョウソウが顔を出していた。遠くにホトトギスが、近くにコマドリが鳴いていた。ウソの優しい声も届いた。ウグイスはあちこちで鳴いていた。やがて北天のタル分岐に着いた。ずうっとクマザサのなかを歩いてきたような感じだった。北天のタル分岐を左に降りていくと三条の湯に着く。
飛龍山の山頂に着いた
飛龍山には東側から登って2077mの山頂に着いた。飛龍山は山梨百名山に指定されているが、見晴らしはなかった。山頂には三角点が打たれ、木の合い間から富士山が見えた。セルフタイマーで記念写真を撮った。縦走路では、ずっと携帯電話の電波が入らなかった。このルートを歩く登山者が少ないため、携帯電話会社は費用対効果を考えて、簡易基地局を設置しないのだろう。風が出てきていた。
飛龍権現神社の小さな祠
飛龍山は縦走路から外れているので、山頂から西側に縦走路まで降り始めるとシャクナゲばかりである。5月から6月に花が咲く頃は素晴らしい景色となるだろう。縦走路にある飛龍権現神社まで降りた。小さな石造りの祠にたくさんのお賽銭があげられていた。御神酒もあげられていたが、黒霧島はラベルが退色して古く、濁り酒は半分飲みかけが供えられていた。新しく未開封だったら、権現さんの代わりに飲もうと思っていたのだ。
登山道が土砂崩れで消えていた
縦走路を先に進むと、登山地図には記されていない水場があった。岩の割れ目から水が滴り落ちていたので、片手にすくいながら喉を潤した。ありがたい湧き水だった。鬱蒼とした原生林のなかを歩いていくと、遠くの山際に雲が掛かりだしていた。小さな崩落他が何度となく現れる。完全に登山道がなくなっている場所もあった。崩落地を無理して通過したり、高巻きしながら通過していった。縦走路を歩いているうちに、冨士山頂にも雲が掛かり、前山の後ろに姿を隠すようになった。遠くからウグイスの声が届いていた。
力強く剝がされた幹の皮
登山道脇に立つ樹の皮が力強く剥がされていた。この剥がされ方はシカではないので、クマのいたずらだろう。クマの縄張りの目印なのだろうか。荷物が重いので30分ほど歩くと、5分の休みを取るようにしているが、休むたびに周りに虫が飛びまわっていた。アブに背中にとまられて、血を吸われるのには対応のしようがなかった。このあたりのアブは15mmほどの大きさの黒く細いアブで、見慣れている20mmほどの黄土色のアブとは種類が違っていた。ブヨが首に食らいつき、久しぶりの血を吸いすぎて重くなり、飛べなくなっているところをバチッと叩かれて、あえなく御臨終ということもあった。
将監小屋に着いた
今日の宿泊地の青い建物の将藍小屋に着いたのは14時25分だった。テント場には青いテントがひとつ張られていた。テント場の正面に山梨・埼玉・長野の県境に位置する甲武信ヶ岳が見えていた。小屋の玄関から入って挨拶をするが、管理人は里の自宅に降りたようで無人だった。小屋の宿泊予約がない場合は、管理人は自宅に戻っていることが多いのだ。
管理人不在時の宿泊料金集金箱
管理人が不在のときの対応が玄関に書かれていたので、宿帳に記入しテント1名分の1000円を宿泊料金箱に入れた。長い縦走路を歩いてきて喉が渇いていたし、テント場に無事に着いたので、乾杯のビールを買おうとしたが、管理人が不在だったので買えなかった。残念。
私のテントは右側
水場で1Lペットボトル2本に水を満たしてテント場に戻り、先客がテントを張ってある1段下の場所に自分のテントを張った。今回はツェルトではなく、重くなるが風のことを考えて自立式のドームテントにしたのだった。テントは5分くらいで張れた。あとは着替えてからひとり乾杯である。このテント場も携帯電話の電波は入らなかった。
原生林のなかを動物のように静かに歩いた
今日は雲取山から将藍小屋まで歩いてきたが、人間はもとより動物にも出会わなかった。奥秩父主脈縦走路は静かなコースだが体力が必要だし、よっぽどの物好きでないと歩かないのだろう。危険箇所もたくさんあったが、原生林のなかを動物のように静かに歩き、太古からの森の深さに包まれるのが奥秩父主脈縦走路の魅力だろう。細いながらも道は付いているので迷うことはなかった。
行き倒れたシカの頭部の骨が集められていた
今日も水は500mlで足りたが、1日分の行動食のオートミールを、ケースに入れて腰に下げていたが落としてしまった。予備の行動食で済ませたが、落としたのが残念だった。
2日目の雲取山から将藍小屋までの登山データ
2日目の行程は、距離が11.4km、所要時間が8時間51分、雲取山山頂から将藍小屋までの標高差は登り799m、降り1060mだった。夕ごはんを済ませると、少し傾斜のあるテント内で、防寒用の上下のダウンを着込んで寝袋に入った。