奥秩父主脈縦走@

鴨沢から雲取山へ

 

岩の上でジャンプしている男性

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雲取山の山頂に着いた

 

東京・埼玉・山梨・長野の都県境の奥秩父山地に東西約60kmに伸びる山岳縦走路がある。それは奥秩父主脈縦走路と呼ばれているもので、標高2000m前後の山々が連なっている。東端は東京都最高峰の雲取山2017mであり、飛竜山・唐松尾山・笠取山・燕山・古礼山・水晶山・雁坂峠・波風山・甲武信ヶ岳・国師ヶ岳・奥国師ヶ岳・朝日岳を繋ぎ、西端の金峰山2595mへと延びている原生林を残した山々である。山が深いために訪れる人は少ない。この縦走路のうち、西側の金峰山から甲武信ヶ岳までのコースは、3年前の2021年10月に歩いているので、今回は東側の雲取山から雁坂峠までをテントを担いで3泊4日で歩くことにした。

 

冷蔵庫に貼られたポスター

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観光電車・東京アドベンチャーラインのドア

 

1日目 78日 月曜日 晴れ

東京駅発の東京アドベンチャーラインという観光電車に乗って奥多摩駅に向かった。電車のシートは黄緑色で、モモンガ、リス、イワナ、コマドリ、レンゲショウマなどの奥多摩に生息する動植物が描かれ、ドアも同じデザインだった。奥多摩駅で西東京バスに乗り換えて、鴨沢バス停で下車した。私の他に夫婦と思われる50代の登山者が降りた。東京都から山梨県丹波山村に変わって最初のバス停だった。従って今回は、東京都の最高峰の雲取山に登る登山口は、東京都ではなく山梨県となったのだった。

 

建物の前の家

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山梨県丹波山村鴨沢の登山口

 

バス停脇のトイレで用を済ませて登山口の階段を登っていくと、廃校となった鴨沢小学校の跡地に出た。跡地を抜けて「この先は行き止まり」と書いてある道を登って行った。崖に民家が点在しているのだった。今回はテントと3泊4日分の食料を背負っているので、肩と腰にずしりと重さがかかっていた。焦らずにゆっくり登っていった。前回、雲取山に登ったのは35年前の1989年5月で、その時は埼玉県側の三峰神社登山口から登ったわけだが、今回歩くコースは山梨県側の鴨沢登山口からで、雲取山に登る際の最も代表的なコースとなっている。山梨県丹波山村の観光用に『平将門迷走ルート』という名前がついたハイキングコースでもある。

 

文字の書かれた紙

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平将門迷走ルート2/10のうち「お祭り」の説明板

 

平将門迷走ルートには10カ所の観光ポイントに説明板が立っていた。平将門は平安時代中期に生きた関東の豪族であり、京都の朝廷・天皇に対抗して自らを新皇と名乗ったが、たった2カ月で平定され、関東各地に伝説が残されている。その反乱の過程で多摩地域に残っている伝説として、例えば「お祭り」という地名の起源は、丹波川の岸上に所在する呑竜神社には立派な神楽殿があり、戦いに敗れた平将門主従は、ここまで逃げてくれば追っ手もこないであろうと久々に寛ぐことにした。そして3日3晩盛大な宴を繰り広げ、地域の人々まで巻き込んでお祭り騒ぎに明け暮れた。丹波山村の「お祭り」という地名はこうして残った、と言われている、と2/10の説明板に書かれていた。

 

建物の前の家

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小袖登山口駐車場の公衆トイレ

 

登山道に3cmほどのクルミの青い実があちこちに落ちていた。ずいぶん大きなサワクルミである 。7月中旬にもなると大きな実となるものだ。あとひと月もすれば食べられるのだろうか? 幅が50cmほどの山道は、植林されたヒノキ林と広葉樹の境目を縫って上へと伸びていた。バス停から50分ほど登ったところに駐車場があり、公衆トイレが建っていた。その駐車場には車が10台止まっており、車の利用者はここまで入れるのだった。

 

森の中にいる鹿

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増えすぎている二ホンジカ

 

平将門迷走ルートに従って林道を登っていくと、間もなく小袖登山口があり林道から離れて山道に入っていった。登山道脇に1軒目の廃屋が現れた。鴨沢バス停から1時30分歩いた場所に2軒目の廃屋があった。そこで初めての休憩をとった。実に静かだった。微かな野鳥のさえずりが届いた。歩きだして誰にも出会わず、森のなかに唯ひとりいるのだった。金網で囲ってある農作放棄地の脇にシカが現れた。私を見ても驚く様子がなかった。よほどお腹が空いていたのだろうか、ひたすら餌を探していた。私が首から下げているホイッスルを吹くと、一瞬だけ頭を上げるが、私をじっと見たあとは再び草を食べ続けるのだった。シカはメスだった。

 

森の中の岩に立つ男性

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マムシ岩まで登って山頂までの半分だった

 

水場を過ぎて間もなく、将門伝説の「茶煮場」と呼ばれる広場で休んだ。山頂まで7.5kmの表示があった。登山口から山頂までの3分の1を登ったことになった。時刻は12時だった。いつもの日帰りハイキングとは違い、背負っているザックが重いので30分に1回ずつ休みながら登っていた。次に休んだのはマムシ岩と呼ばれている大岩が重なっている場所だった。ここは登山口から山頂までのちょうど半分の表示がされていた。

 

木にぶら下がっている

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登山道脇に設置されている巣箱

 

 登山道を歩いていて目についたのは、木の幹に赤いテープが巻かれて設置されていた巣箱である。巣箱には「R4」というルート名と通し番号が書かれていた。小さな巣箱なので、シジュウカラ、コガラ、ヤマガラなどの比較的に小さな野鳥を対象としたものだろう。登山道脇に設置されているのは、設置後の個別管理がしやすいためと思われた。巣箱は設置後に野鳥の利用の有無を調査し、使ったあとの巣は翌年の利用前には必ず撤去し、巣箱内を掃除して新たな利用を促すのである。

 

林のなかに静かに建つ七ツ石小屋

 

13時45分に七ツ石小屋に着いた。入口から声をかけたが応答はなかった。裏に回って湧き水から引いている水を2もらった。「富士山が見える山小屋」のキャッチフレーズ通りに富士山がよく見えた。ここから3時間で山頂だ。15分ほど休んで出発した。2の重さが新たに加わったので、肩に掛かる負担がさら増えたように感じた。携帯の電波は入らなかった。

 

木の枝に座っている

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再建された七ツ石神社

 

14時20分に石尾根縦走路に出た。石尾根縦走路は雲取山から奥多摩駅へと伸びる長大な尾根で幅5mから10mの防火帯が作られており見晴らしが良かった。大岩の前に日本武尊を祭神とし、再建された七ツ石神社の社なかにオオカミを形どった狛犬がふたつ置かれていた。神社の狛犬をいたずらする人はいないと思うのだが、なぜ外に置かれていないのか不思議だった。

 

森の中に立っている男性

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七ツ石山の山頂に着いた

 

間もなく七ツ石山に着いた。富士山が綺麗に見え、素晴らしい展望だった。ぐるりと360度の山々が見えた。ヒグラシの悲しいカナカナという鳴き声が届いた。雲取山山頂まで残すところ2時間だろう。

 

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シカ柵工事が進んでいた

 

登っていくと雲取山ヘリポートがあり、そばで若者3人が談笑していた。登山道に金属柱が打ち込まれていたので、「何の工事をしているのですか?」と訊ねると、「シカ柵を作っていて、この場所は登山道上に設置する扉で、周囲を膨大な範囲で囲うものです」という。さらに前方から2人の若者が降りてきた。その若者も一緒に工事をしている仲間だった。「ここまで登ってくる途中でシカに出会ったが、シカが温暖化のせいで冬季に死ななくなって、増えすぎたから食べてしまえばいい」という話を向けると、若者のひとりは「私もシカ肉が好きですが、友だちがレバーの刺身で当たったので、さすがに刺身は遠慮し火を通した肉を食べています。オスシカの硬い肉が好きです」とのことだった。私もクセのないシカ肉は大好きである。周りには膨大な長さのシカ柵の工事が進んでいた。大変な労力と費用だと思う。クマの問題にしてもそうだが、自然保護や動物との共生という視点のどこかが違っているのではないか。

 

公園にあるベンチ

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五十人平野営場整備工事が進行中だった

 

奥多摩小屋跡に五十人平野営場整備工事が進行中でトイレやセンターハウスが建築中だった。今年の9月30日までの工事期間だった。来年にはオープンするのだろうか。正面に富士山が見えるので、とても場所のいいキャンプ場だと思う。富士山は縦走路の左側に常に姿を現していた。

 

石の壁の家

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雲取山避難小屋に着いた

 

17時に雲取山避難小屋に着いた。小屋の引き戸の脇に設置された気温計は20℃だった。標高2000mの17時で20℃なんて考えられない高温だった。避難小屋のなかに入ると誰もいなかった。今晩は私がひとりかもしれない。山頂に山梨百名山の標柱が立っていたので写真を撮った。

 

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雲取山避難小屋の内部

 

避難小屋の周りをぐるりと回ると、右方向に雲取山山頂の矢印があったので、歩くと1分で東京都が立てた立派な山頂標識が立っていた。登頂記念写真を撮りなおした。外で夕映えの富士山を眺めながらの夕ごはんを考えていたが、顔の周りに無数のハエとブヨとアブが虎視眈々と飛び回っており、血を吸われるのはいやなので、諦めて部屋の中で摂ることにした。

 

太陽と山の景色

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夕暮れの富士山

 

今日は朝から500mlの水で足りた。19時の避難小屋のなかの温度は22℃だった。この高温には笑っちゃた。このぶんだと幕張は熱帯夜だろうな。避難小屋からは携帯電波が届かないので家族への連絡はつかなかった。ひとり宴会をすませ、壁掛け時計のジッジッジッという音を聴きながら眠りに落ちていった。

 

マップ

中程度の精度で自動的に生成された説明 グラフ

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1日目の登山データ

 

 第1日目の行程は、距離が11.6km、所要時間が7時間38分、鴨沢登山口から雲取山山頂までの標高差は1732mだった。久しぶりのテント山行なので足腰が疲れた。

 

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