奥秩父主脈縦走B
将監小屋テント場から雁坂小屋へ
将監小屋テント場から眺めた夜明けの甲武信ヶ岳
3日目 7月10日 曇りのち雨
夜明け前の3時頃からホトトギスの大合唱が続いていた。もう少し寝させて欲しいと思ったが、彼らにはそれぞれの都合があるのだろう。こんなにもシャワーのようなホトトギスの歌声を聴いたのは初めてのことだった。昨日の雲取山では無かったことだ。ホトトギスに負けじと、ホトトギスに托卵された被害者のウグイスも鳴き出した。
ササ原のなかの将監峠からの眺め
5時前の日の出までホトトギスとウグイス両者の合唱は続いていたのだった。遠くの甲武信ヶ岳などの山際はよく見えていたが、上空は雲が厚かった。雨さえ落ちてこなければいいのだが、今日は笠取山を越えて雁坂峠までの縦走で、今回のルートのなかでは1番長いのだった。
ササ原のなかに縦走路は延びていた
ザックを背負ってキャンプ地を5時40分に出発し、クマザサの道を登って将監峠に着いた。峠から振り返ると甲武信ヶ岳が遠くに見えた。峠を左に折れて笠取山に向かった。登山道脇のクマザサが刈り払われているので、とても歩きやすかった。山ノ神土分岐の5差路で唐松尾山に向かった。ウグイスの鳴き声が絶え間なく届いたが、ホトトギスの鳴き声は聞こえてこなくなった。
シャクナゲに囲まれた唐松尾山の山頂に着いた
唐松尾山2109mの山頂に着いたのは7時30分だった。狭い山頂には『山の旅社』手作りの山名標示板が取り付けられており、三角点が打たれていた。山頂はシャクナゲに囲まれていたので、春のシーズンには素晴らしい花が咲くだろう。
遅咲きのシャクナゲが咲いていた
唐松尾山からの下りで赤いテープを探しながら降りていたが道を失った。絶壁の上に出てしまい道がなくなってしまったのだ。間違ったと想われる元の場所まで戻って事なきを得たが、道を間違えたら戻るのが鉄則である。それからは急激な下りのあとはクマザサのなかの道となり、古くて読めない道標もあった。奥秩父の縦走路は100年前の小暮理太郎や田部重治から始まり、それ以降、少ない数とはいえ山好きの登山者によって歩かれているのだ。
黒槐山には山名表示板がなかった
ササ原の左に大きな岩が見えたので寄ってみた。山名表示板はなかったが、スマホの地図で山名を確認すると黒槐山だった。縦走路に戻って先に進んだ。この黒槐山に来る5分前に50歳ぐらいの髪の毛の薄いおじさんに出会った。「どこから来ましたか?」と尋ねると「作場平から登ってきた」と言い、背負っているザックも小さいので、日帰り登山なのだろう。2日ぶりに人と会話が出来たのが新鮮だった。やがて『山梨百名山』に選ばれている笠取山の分岐に着いたが、小雨が落ちていたので、先を急ぐために笠取山には登らず、巻道で先に進むことにした。
多摩川の源頭を示す「水干」
笠取山分岐から間もなく、多摩川の源頭の「水干」という場所があった。水が滴り落ちているかと想って岩が重なった奥を覗いたが、水で濡れているのは分かったが、雫は落ちていなかった。季節は梅雨のなかだが、最近は雨が降らないから雫もなかったのだろう。「水干」が多摩川の最初の始まりであり、138kmを流れて東京湾に達する、という看板があった。
道標の奥の雁峠避難小屋は廃屋となっていた
小さな分水嶺を越えて、雁峠分岐を右に折れて降っていくと、雁峠手前に登山地図に記載されている雁峠避難小屋というのがあったので、ササをかき分けていってみた。小屋は廃屋となっており、「危険入るな」の黄色のテープが張ってあった。登山地図には記載されているので、非常時の場合に登山者は戸惑うだろう。小屋を管理する埼玉県営林署は小屋の解体対応と周知が必要だと想う。
広々とした雁峠は気持ちが良かった
将監小屋テント場から5時間歩いて雁峠に着いた。これで今日のコースの半分は歩いただろう。雁峠は広々とした草はらの気持ちのいい場所だった。しばらく寝転んでいたかったが、まだまだ先は長かった。雁峠から一気に900mほどの急登をジグザグに登ったが、足腰が疲れてきたので登り切った場所でひと休みすると、目的地の雁坂峠までは4.7kmの道標が立っていた。この場所からも富士山の眺めは素晴らしかった。遅咲きの白いシャクナゲの花が咲いていた。
燕山は巻道を通らずに山頂に着いた
燕山は巻道を通らずに2004mの山頂に着いた。パラパラ落ちていた小雨もあがり、燕山の山頂からの展望は、遠くの山々までが折り重なり、グラデーションとなって見えた。縦走路を歩いていると、富士山ばかりに目がいきがちだが、大菩薩嶺や奥多摩の山々、八ヶ岳連峰や南アルプスの聖岳、北岳などが重なり合って、素晴らしい景色となって展望できるのだった。
古礼山は沢山の木々が枯れていた
やがて古礼山2112mに着いた。木々の墓場のように、立ったままの大木が無数に枯れていた。草はらにテーブルがふたつあったので、ザックを降ろしてひと休みした。顔にあたる風が気持ち良かった。登山道がなだらかに登っているので進んでいくと、環境庁と埼玉県が立てた大きな山名標柱があった。こちらが古礼山の山頂のようだった。空は曇っているが、まだ雨は落ちてこなかった。
登ったり降りたりを繰り返すなかで水晶山に着いた。水晶山は今日のコースの最後の山頂だった。周りには木々が生い茂っており展望は効かなかった。最も展望があったとしても、周りはいつの間にかガスに覆われてしまって、美しい景色は見ることができなかった。
今日のコースの最後の山頂は水晶山だった
この山頂には埼玉県が立てた山名表示があり、2168mという標高が表示され、3台のテーブルが置かれていた。
今日のコースの登りはここまでで、あとは徐々に雁坂小屋まで降りていく約1時間のコースである。15時頃にはテント場に到着するだろう。今日歩いたコースでは携帯電話の電波が入っていたが、これからは標高を下げて谷に降りていくので、雁坂小屋では電波は入らないだろう。
苔に覆われた魅力的な原生林
水晶山からの下りが魅力的だった。周りの木々が一面の苔に覆われているのである。ふかふかの絨毯のような緑色の苔が倒れた木の上や、生きている木にもこんもりと緑の絨毯のようにボコボコと被さっていたのである。周りは次第にガスが迫ってきていた。
雨のなかの雁坂小屋
主脈縦走路にある雁坂峠と雁坂小屋との分岐につき、右に折れて今日のキャンプ地の雁坂小屋に向かった。この分岐の下あたりに雁坂峠トンネルが通過しているという表示があった。小屋に降りていく途中で雨が落ちてきた。すぐにレインウェアを着て、ザックカバーを着けた。小屋まで残り10分の距離だった。雨はしだいに強くなっていった。
お世話になった雁坂小屋の1階
14時50分、雨の雁坂小屋に着くと、この小屋の管理人もいなかった。室内の気温は16℃だった。テント場は小屋の裏側にあった。小屋のなかでしばらく雨の様子を見ていたが、雨は増々強くなってきていたので、テント泊は止めて小屋泊まりとした。素泊まりで1泊2000円だった。管理人がいたら、1万円を両替をしてもらって宿泊料金を払うつもりだったが、細かい札の持ち合わせがなくて払えず、管理人不在のときの協力金投入袋を自宅まで持ち帰り、帰宅翌日の12日にお礼の手紙を同封して管理人の住所に郵送したのだった。
帰宅翌日に協力金を入れて管理人に郵送した
海の記念日を含む3連休が終わった7月16日の20時ころに、雁坂小屋の管理人の山中さんから自宅に電話が入り、「お金が届きました。わざわざ送っていただき、ありがとうございました。遠くの千葉から来ていただので、また、機会がありましたら秩父のほうへお出かけください」という内容だった。
雁坂小屋に貼ってある管理人不在時のお願い
18時に夕ごはんを済ませて寝袋に入ったが、雨は強く降り続いていた。宿泊者は私のほかはいなかった。私のテントは防水機能が弱いので、テント泊だったらビショビショの濡れネズミになっていただろう。私は2階の宿泊室には上がらず、1階の上がり框の呉座の上に寝袋を広げて寝た。強まる雨音を聴きながら、小屋に感謝しつつ眠りについた。
3日目の将監小屋から雁坂小屋までの登山データ
3日目の将監小屋から雁坂小屋までの行程は、距離が11.4km、所要時間が9時間9分、標高差は登り1000m、降り791mだった。今回の奥秩父主脈縦走も残すところ明日1日となっていた。