ササ藪のなかのアクシデント

湯元温泉郷と日光5山が一望できた
9月17日 水曜日 曇りのち晴れ
奥白根山登山の2日目だった。ひと晩お世話になった五色沼避難小屋だが、断熱シートや毛布は敷きっぱなしになっていて湿っぽいし、トイレットペーパーや飴の包み紙や使用済み電池などが散らかり、掃除がいき届いていないと想われたので1時間ほどかけて掃除をした。断熱シートはたたみ、毛布は全て吊るして干し、茣蓙は丸めて立て掛け、1階も2階も箒ではいた。人間の心理として、汚くよごしておくと訪れた人は汚くして去って行き、整理整頓しておくと訪れた人も整理整頓して去っていく。私が昨日着いた時よりも少しは整頓され綺麗になった避難小屋だった。

五色沼は風もなく静かな水面だった
避難小屋の掃除をしていたので1時間ほど出発が遅くなったが、クマ対策でクマ鈴を鳴らし、笛を吹きながら五色沼に向かった。五色沼は過去の事例からクマが水を飲みに度々姿を現す場所である。五色沼は風もなく静かな水面だった。見上げる奥白根山はガスのなかで昨日登っておいて良かったと思った。今朝登ったならば四方八方が何も見えずに真っ白な山頂だっただろう。

五色山に向けてダケカンバのなかを登りだした
五色沼を時計回りに歩いていくと、群馬県側の金精峠登山口から登ってきた男性登山者に出会った。60代と想われる彼は「この状態では白根山に登っても意味がないので下をぐるっと回って帰ります」とのことだった。昨日の快晴状態の山頂の話をすると、残念そうだったが仕方のないことである。やがて五色山に向けてササとダケカンバのなかを登りだした。ダケカンバの葉が黄色に色づき始めている。既に葉を落としている木もあり、登山道が茶色に覆われ始めていた。途中から振り返るとガスが切れて顔を出す五色沼が綺麗だった。

五色山(標高2379m)の山頂に着いた
ササ原のなかを気持ちよく歩いた。冷たくヒヤリと感じるガスが身体に巻きついてくる。時たま右下に五色沼が姿を現し、登山道の脇にも小さな池が散らばっていた。やがて江戸時代までの呼び名である『上野国・下野国』という国境標柱が打ち込まれている五色山(標高2379m)の山頂に着いた。山頂で写真を撮っていると湯元温泉からササ藪を登ってきた若い男性と出会った。その人に登山道の状態を尋ねると、「ササは茂っているけれども迷うようなことは全くないが、とにかく急斜面だった」とのことだ。私は昨日出会った男性登山者の話を参考にして、ササ藪を避けて昨日のコースを降りようと想っていたが、彼の話を聞いて当初の計画通りにササ藪のなかを注意して降りていこうと思った。

ササ原の中を降りて行くとガスが飛んで青空が拡がりだし、昨日登ってきた奥日光湯元温泉スキー場がよく見えた。前方には右から男体山、大真名子山、小真名子山、女峰山、太郎山という日光を代表する5山が一望できる絶景の場所に出た。素晴らしい。男体山と白根山には既に登ったので、来年は太郎山、大真名子山、小真名子山、そして鋭くそびえる女峰山に登ろうと想う。左奥には赤城の山々も見えていた。

ササ藪のなかの下りが続いていた
なおもササ藪を降りていくと、左手にクマ撃退スプレーを持ち、右手に金属製のピッケルを持った60代と想われるおじさんに出会った。奥日光の山々はツキノワグマが多数棲息するのでクマ撃退スプレーは分かるが、なぜ雪もないのに金属製のピッケルかと疑問に想っていると、おじさんが話しだしたのである。「今日クマに会わなかったの?
弥陀ヶ池あたりでは度々クマに合うので、このスプレーを持ち、ピッケルはクマから自分の身を守るためと、クマに襲われた人を見た場合は助けに行き、思い切りクマの頭をぶん殴ってやろうと想う」と勇ましいことを言った。おじさんの言うことも分かるが、クマと人間には圧倒的な力の差があるので戦えないし、クマとバッタリ出会ったなら人間に出来ることはほぼないと考えるのが現実だと想うので、頭と首を防御してうつ伏せになる体勢をとるしかないと想う。やってはならないことは大声を上げてクマを刺激興奮させないこと、慌てて逃げないこと。逃げるとクマは必ず追ってくることなどを考えて、クマと出会わないように十分注意しながら行動することがクマ対策だと想う。

動物の足跡が多数残る国境平に着いた
動物の足跡が多数残る国境平に着いたので暫く休憩した。登山道はササ原のなかを降り続けているので、ササの海のなかを迷っているような感じだ。私の背よりも高いササが密集し、足元も定かでないなかをくぐっていく場合も度々あった。そのなかで1mほどの段差があったが、段差の中央に木の根っこ出ていたので、大丈夫だろうと想って根っこに体重をかけたところ、その根は片方が切れており、そのまま私はもんどりうって転落した。左手に掴んでいたササをしっかり握っていたので大事に至らなかったが、右手に持っていたトレッキングポールが私の下敷きになり、グリップの下で真っニつに折れてしまった。私の足の代わりにトレッキングポールが折れたのだった。何が起こるか分からないヒヤリとした瞬間で、再度気を引き締めるアクシデントだった。

サルは私を見たが何の興味も示さなかった
ササ藪の次は樹林帯のなかの急斜面の下りだった。その岩混じりの急斜面を転倒に注意しながら、ようやく大曾根白根山登山口まで降りた。すぐそばに堰堤があり、そこに1頭の野猿が日向ぼっこをしていた。サルは私を見たが何の興味も示さなかった。人慣れしているサルだと思った。クマもそうだが人間の生活圏に近いほど人馴れしていて、クマはニュースで度々出てくるように農作物を荒らし、人に慣れて恐れなくなり危害を加えるのだと想う。

湯元源泉脇の温泉寺に着いた
登山口から歩いて20分ほどで湯元源泉脇の温泉寺に着いた。下山後はこの温泉寺の薬師の湯に入りたかったのである。温泉寺は正式には『日光山温泉寺』という名前で、世界遺産の日光山輪王寺の別院である。日光を開山した勝道上人が788年(延暦7年)に温泉を発見し、人々の病苦を救うために薬師如来を祀ったとする歴史の古い温泉である。

薬師の湯に入った
玄関で呼び鈴を押すと、おばあさんが出てきた。入浴料は500円だった。薬師の湯は2m×2mほどの木の湯船に洗い場が2つの小さな温泉だった。湯は乳白色に濁っており、酸っぱい味がした。今月初めに秋田県の玉川温泉や乳頭温泉に出かけたが、それと同じ火山性の硫黄の湯だと想った。狭いながらも私を含めて4人が入っていた。それでいっぱいである。小さいながらもゆっくり入ることができ、心身ともにリラックスできたのである。

お茶と煎餅の接待があった
湯上がりに大広間で寛ぎながらビールを飲もうと先ほどのおばあさんに尋ねると、ビールは置いてないとのことだった。ビールに変わってお茶と煎餅のお接待があった。これも500円のうちに含まれていたのである。江戸時代の書物を読むと、お寺は地域コミュニティーの中心となり、何か問題が起きると人々はお寺に集まって相談しており、宴会などを度々開いて飲んでいたことが書かれているが、1868年(慶応4年)の明治政府による「神仏分離令」と廃仏毀釈以降、人々の心のなかからお寺の存在価値が薄れ、お寺は急速に衰退していったのが現在まで続いており、お寺で酒やビールを飲むのは無理らしい。ビールは東武日光駅前での昼食時に飲もうと想った。楽しみは後に残しておこう。

湯元温泉の源泉に寄ってみた
温泉寺の隣が湯元の源泉だったので寄ってみた。源泉の井戸が6つ7つあり、それぞれの源泉井戸にホテルや旅館の名前が書いてあった。共同源泉は奥の方にあり、櫓が組まれてパイプで各ホテルや旅館に引いているようだった。ぷくぷく泡が出ている場所があったので手を入れてみたが、熱さは感じられず殆ど水だった。

ビールを飲みながら、ゆば御膳を食べた
東武日光駅前で昼食に入った店は『あずま』だった。頼んだのは瓶ビールとゆば御膳だった。野菜サラダ、ゆばとフキ、ゆば餃子、ゆば刺身と板わさ、お新香、つくだ煮、ご飯、ゆば味噌汁、食後のお茶請けは三つ葉葵の紋が入った「きぬにしき」のお菓子、というものだった。私はゆば餃子というのを初めて食べたが実に美味かった。温泉寺で湯上がりのビールが飲めなかったので、500mlの瓶ビールを2本飲んでしまった。満足満足の昼食だった。会計は3200円だった。

今回の2日間の登山データ
今回の奥白根山への山旅は1泊2日の避難小屋泊だったが、殆ど登山者と出会うことのない静かな山旅だった。「暑さ寒さも彼岸まで」という諺があるが、彼岸を過ぎると朝晩の山の気温は低くなり、日中の行動できる時間も少なくなるので、日光の山々に登るのは来年となるだろう。山中に営業小屋がないので登山者が少なく、静かな山旅が体験できると想う。今回の山旅でもクマに出会うことはなかったが、山深い場所なのでクマはたくさん棲んでいると想われる。クマを必要以上に怖がるのはよくないと想うけれども、登山道を歩く時は十分注意している。