爽快な気分になれた奥白根山

奥白根山と五色沼
9月16日 火曜日 曇りのち晴れ
今回の登山は奥白根山(標高2578m)である。幕張からは日帰り登山は無理なので、五色沼避難小屋に泊まる1泊2日の計画を立てた。奥白根山は草津白根山と区別するために日光白根山とも呼ばれることもあり、登山ルートは4ルートあり、群馬県側からは丸沼からの日光白根山ロープウェイコース、菅沼コース、金精峠コースがあり、栃木県側からは湯元温泉コースがある。私が選んだのは登山口までの公共交通機関の関係から、栃木県側の湯元温泉からの最も厳しいルートだった。3日前の9月13日・土曜日に予定されていた奥日光湯ノ湖・湖上涼風花火大会は、ツキノワグマの目撃情報多数によって中止されていた。その湯ノ湖が今回の登山口である。日光市の天気予報を確認すると、16日は曇りのち晴れ、17日は晴れのち雷雨と出ていた。2日目の17日は11時には湯元温泉に下山する予定なので、雷は避けられるだろうと判断した。

東武日光駅前からバスで湯元温泉に向かった
幕張駅発4時55分に乗り、西船橋、南越谷、東部動物公園、南栗橋で乗り換え、東武日光駅に着いたのは8時9分だった。先月、日光男体山に登ったときと同じルートでやってきたのだった。春日部を過ぎたあたりから陽が差し出し、電車は稲穂が黄色に輝く田園地帯を走った。東武日光駅前からは青空のもとで女峰山や男体山が見えた。8時45分発の湯元温泉行きの東武バスに乗った。路線バスの運転手は女性で、インバンドの観光客が多いために英語と日本語で車内案内をしているが、料金支払いの対応などで結構大変なようだった。

クマ目撃情報多数によりキャンプ場は閉鎖されていた
終点の湯元バス停から給水のために日光湯元ビジターセンターに向かうと、キャンプ場は夜間のクマ出没で封鎖されていた。今までもクマは夜間にキャンプ場に出没していたのだが、監視カメラで動物を撮影していなかったためにクマの出没が分からなかっただけである。最近はクマの被害ニュースが頻繁に報道されているので、公共機関は余計に神経質になっていると思う。1.5Lの水をペットボトルに入れて登山口の日光湯元温泉スキー場に向かった。湯元温泉スキー場は子どもたちが小さかったころに、私が勤めていた会社の保養所契約をしていたホテルがスキー場近くにあったので何度か訪れたスキー場だった。

スキー場内を登り前白根山登山口に着いた
登山口から30分かけてスキー場内を登り、前白根山登山口に着いた。スキー場内は当然のことながら木々が全く生えていないので、直射日光を浴びるので暑すぎた。登山口にはベンチが置かれており、体内から汗が噴き出していたので、木陰に入ってホッと一息つける場所だった。空には薄い下弦の月が見えていた。あと3日もすれば新月になるだろうか。

白根沢沿いに雪山遭難者の鎮魂碑があった
前白根山登山口を登りだし、白根沢沿いに堰堤をいくつも乗り越えていくわけだが、途中に雪山で遭難した人の鎮魂碑が建っていた。友人が立てた鎮魂碑には「白根山
新雪匂う 友のため」という短歌が刻まれ、新しい生花が手向けられていた。

ガレ場の急登の連続だった
針葉樹の森のなかは急登だった。岩角や木の根っこを掴みながら、四つん這いで登っていった。登山道には岩クズが散乱して歩きにくく、クマザサと針葉樹の森のなかをひたすら登っていった。風は止まっており汗が全身から流れていた。急登の途中で降りてきた男性登山者に出会った。彼が言うには「このルートは急だけれど整備されている。山頂にいた人の殆どが菅沼からの登山者だった。私は湯元から向こう側を登ったが、とんでもないササ藪で身体はササに隠れて足元が見えない酷さだった」とのことだ。深田久弥選定の『日本百名山』の奥白根山には群馬県側から登る人が多く、栃木県側から登る人はごく僅かなのだろう。群馬県側のロープウェイや、最短距離の菅沼から登るのが楽なのである。

きつい急登だったので外山に着いてホッとした
標高を上げて2000mまで登ってくると、周りにはシャクナゲやダケカンバも姿を現し、針葉樹と落葉広葉樹の混合林へと変わっていった。山際には雲が湧き出し、急なガレ場が続いていた。外山(標高2160m)に着いた時は、バス停を歩きだしてから2時間たっていた。外山の山名表示はなかったが、丸太のベンチで一休みした。ここまでは森のなかだったので周りの景色も見えず、楽しみのない非常にきつい急登だった。

色づき始めたダケカンバの林のなかを登っていった
外山を過ぎると少しの間だけ登山道は傾斜の緩い散歩道となった。やがて前白根山への登りとなると徐々に傾斜は増したが、黄色に色づき始めたダケカンバの林を登っていくので、今までの針葉樹の暗い森とは異なり明るくて心も弾み気持ちが良かった。

前白根山は奥白根山の絶好の展望台だった
前白根山(標高2373m)の山頂に着いたのは、登りだしてから3時間後だった。前方には奥白根山が巨大な姿を見せていた。奥白根山は3つの山頂を持つが、こちらからは山頂部の直下から真ん中が強烈にえぐられた姿を見せている。火山爆発した際の裂け目だろう。前白根山の山頂は広くて木は生えておらず、奥白根山の絶好の展望台だった。

奥白根山が巨大な姿を見せていた
前白根山山頂で私と同じ湯元温泉から登ってきた眼鏡をかけた男性に出会った。彼は「奥白根山に登ってきたので、これから湯元に戻るけれど非常にえげつなくきついコースだ」と言った。写真を撮っていると五色山からやってきた男性に出会った。挨拶をしただけで男性も湯元温泉の方に降りていった。私はこれから前白根山を降り、30分ほどで避難小屋に着くだろう。空には少しずつ雲が広がりだしていた。

五色沼が独特の色で輝いていた
火口湖である五色沼がエメラルドグリーンの独特の色で輝いていた。雲の影が水面に落ちて斑になって見えた。奥白根山をバックに五色沼を撮影した。しばらく歩くと左に細長い中禅寺湖が現れてきた。こちらも素晴らしい。今日の一夜の宿となる避難小屋が近いと気分も軽くなる。

五色沼避難小屋に着いた
岩が折り重なる急坂を降りて避難小屋に着いた。湯元温泉バス停を歩き出してから4時間だった。ザックを置いて一休みしていると、ひょっこり男性登山者が入口に顔を出した。男性は「群馬県側の菅沼に乗用車を止めて奥白根山に登り、これから五色沼に降りてから菅沼に戻る周回コースを歩いている」とのことだった。しばらく雑談をしていたが、「前白根山に登ると時間がかかるので今回はパスする」と言って五色沼に降りていった。

イワヒバリが道案内をしてくれた
私は前日までの農作業の影響と、今日の急登の連続でずいぶん足腰が疲れていたので、避難小屋で今日の行動を打ち切ろうと考えていたが、天候が下り気味なので空身で奥白根山に登ってこようと想い、小屋に着いてから20分後には出発した。避難小屋から山頂までは約1時間の登りだが、いやはやなんともの岩だらけの急登だった。そのなかでも途中から2羽のイワヒバリが道案内をするように私の前を歩いてくれた。イワヒバリは高山に棲む人懐っこい野鳥で、弁当などを食べていると足元までやってきて、ご飯などを飛ばしてやると喜んで啄んでいるのである。

ひとり占めの奥白根山山頂
頂上近くになると細かい砂礫の登山道を歩いて大岩が重なる広い山頂に着いた。山頂にも火山湖があったが、日照りのために水は干上がっていた。その脇に1つ目の山頂があり奥白根神社が置かれていたので参拝した。爆裂火口のなかを覗き込むと水が溜まっていたのが見えた。落ちたらアウトの岩場を通って岩が重なる2つ目の山頂に着いた。三角点が打たれ白根山(標高2578m)の山名表示板が立っていたので、逆光だったが登頂記念写真を撮った。3つ目の山頂は少し離れた場所に見えた。周りの山々は雲に覆われ始めていたが、奥白根山と前白根山の山頂には陽が差していた。時間も遅かったので山頂には私のほかには誰もいなかった。ひとり占めの山頂で10分ほど休憩して避難小屋に向かって降りだし、急傾斜なので転倒に注意しながら50分後に避難小屋に着いて1日目の行動は終わったのだった。

1人だけの避難小屋の夜だった
1人だけの避難小屋の静かな夜だった。18時から夕食となったが、朝食は東武日光駅前のバス停での待ち時間におにぎりを1つ食べただけだった。昼食は摂らずに柿ピーの行動食だけで6時間も山のなかを歩き回ったので、久しぶりの食事だった。5日間断食をしても普通に動ける身体をしているので空腹感があまりないのだ。夕食の内容は、ソーセージ、チーズカマボコ、ピリ辛カルパス、キュウリの1本漬け、羊羹、レトルトカレー、味噌汁、おにぎり、ワイン2合、日本酒2合、という軽いものだった。避難小屋での食事は自分のザックで背負いあげなければならないので、重量を軽くするために質素なものとなるが、山のなかでの生活には十分である。食事中に足元を5cmほどの小動物が走った。たぶん天然記念物のヤマネが避難小屋に棲みついているのだろう。東京都の雲取山荘や埼玉県の甲武信小屋にもヤマネが棲みついていたが、ヤマネならば間もなく冬眠に入る。

快適な静かな夜だった
酒で身体が温まったので断熱シートの上に毛布を3枚敷き、シュラフの上に毛布を2枚掛けた。自分で断熱シートもシュラフも持参していたが、全て避難小屋にあったものを使わせてもらった。20時には寝床に潜り込んだが快適な夜だった。