台風が迫るなかでの鋸山登山

 

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鋸山山頂に着いた

 

 8月28日 水曜日 曇り

 動きは遅いが強力な勢力を保持した台風10号が九州へ上陸する予報が出ていたが、幕張には青空が広がり台風の影響もあってか、朝から気温が下がっており、久しぶりに過ごしやすい朝を迎えていた。来月にMCCの仲間たちと出かける早池峰山と岩手山登山に向けての訓練を兼ねて、自宅から近い鋸山ハイキングに出かけることにした。妻にも声をかけたがスケジュールが合わないため、ひとりで出かけた。千葉の天気予報は終日曇りだったが、自宅を出るときには青空が1/3程度でていた。千葉駅、木更津駅、上総湊駅で乗り換え、鋸山登山口がある浜金谷駅で降りた。

 

山の中に入っている電車

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金谷の町から見える鋸山

 

 薄日が差しているのだが、木更津駅近くから小雨が降り出していた。久しぶりに雨のなかの登山となるのだろうか。車窓から見えた田んぼのイネは黄金色に輝き、すでに刈り取られたところもあちこちで見られた。千葉県は気候が温暖のため、田植えも刈り取りも早いのである。浜金谷駅に着くと小雨は降っておらず曇り空だった。袴橋の上から東京湾が眺められ、挟んだ三浦半島側もはっきり見えた。湾はベタ凪であったが、曇り空を反映して鉛色をしていた。歩き出すと桃太郎旗が軽くそよぐぐらいの風が吹いていたので心地よかった。

 

森の中のベンチ

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車力道と関東ふれあいの道の分岐点

 

 鋸山は標高329.5mの低山であり、垂直に切り立った岩壁が露出し、ギザギザの山容が大きなノコギリの歯のように見えることから、鋸山と名前がつけられた。三浦半島に連続した地質構造で、山全体が堆積岩(凝灰岩)でできており、江戸時代から房州石(金谷石)の産地として知られ、建築用材などに利用され、鋸山の西側半分は南房総国定公園区域の一部に指定されている。鋸山にはロープウェイが架かっており、山麓駅から山頂駅までの標高差300mを4分で結んでいるが、ロープウェイに乗車したのでは登山の訓練にはならない。浜金谷駅から歩いて10分ほどで「車力道」と「関東ふれあいの道」の分岐点についた。前回の4年前は車力道を登ったので、今回は関東ふれあいの道を歩くことにした。

 

雪が積もっている山の風景

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金谷港に入港する東京湾フェリー

 

最初から急激な階段であった。20分ほど登ると観月台と名づけられた展望台があった。展望台から見える景色と案内板を対照しながら見ていると、久里浜港から出航し金谷港に入るフェリーが見えた。丹沢山地と、それに続く富士山も箱根山も雲のなかだった。台風が近づいているので雲が多く残念だった。展望を満喫し山頂に向かって出発しようとしたところで急に雨が落ちて来た。すぐそこに見えていた石切場跡も雨の奥へと消えていった。しばらくカシイの木の下で雨宿りをすることにして30分ほど待機したが、雨はやむどころか増々その勢いを増して土砂降りとなり、目の前は真っ白である。雨の激しさに残念ながら今回の登山は中止することにし、石段の数を数えながら降りていくと392段あった。

 

石の階段

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急激な階段が392段続いていた

 

関東ふれあいの道と車力道の分岐まで降り、浜金谷駅に向かって歩き出して山の方を振り返ると、雨脚は弱くなり薄っすらと青空が見えていた。このぶんだと晴れるに違いないと判断し、踵を返して再び「ふれあいの道」を登りだしたのである。周りからはツクツクホウシの鳴き声が絶え間なく届いていた。先ほどとは違って右側に見えていた三浦半島もすっかり姿を消してしまった。浦賀水道を大きなタンカーが東京湾の奥に入って行った。

 

岩肌と木

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かつての樋道は登山道へと変わった

 

 関東ふれあいの道として整備されているのは、かつての石切場から切り出した石材を麓まで降ろす「樋道」という石の滑り台で、切石を滑らせて山腹を下ろすため、樋道とスピードを調整する作業者が歩く石段が下まで続いており、それが関東ふれあいの道として整備されて再利用されているのだった。富津市が立てた山頂までの道しるべが、1/5から5/5まで5分割にされて表示されていた。

 

新聞の記事

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「東京湾を望むみち」は通行止めだった

 

 千葉県にクマはいないが、毒蛇のマムシはいるので登山道脇に「マムシに注意」の看板が立てられている。石切場跡と東京湾が見える展望台の分岐点までやってくると、「関東ふれあいの道・東京湾を望むみちの利用者のみなさんへ」という看板が立っており、鋸山を超えて林道口へ行こうとすると、林道口のところで大規模な土砂崩れが発生しており、林道を通って保田駅へは行けないことが判明した。私が今回歩く計画を立てていたコースだった。看板には富津市役所商工観光課の電話番号が記されていたので、念のため電話で問い合わせると、現在も通行止めとのことだった。従って今回の計画を変更し、鋸山山頂まで行ったらUターンし、浜金谷駅に戻ってこなければならない。致し方ないことである。

 

森の中にある岩山

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地獄のぞきを下から見上げた

 

 石切場跡を見上げるところまでやってきた。石を垂直に切った跡が見える。鋸山の観光スポットである「地獄のぞき」を下から見あげるが、観光客はいなかった。しばらく見上げていると3人の観光客がやってきた。「地獄のぞき」には手すりがあり、それを超えない限り安全なのだが、東京湾を眺めながら足元がスパッと切れ落ちたスリルにゾクゾクしているのだろう。大声で呼びかけて手を振ると、観光客も手を振り返してくれた。やがて20代と思われるひとりの女性が登ってきた。「どこまで行くのですか?」と尋ねると、「鋸山の山頂に行ってから地獄のぞきに行き、ロープウェイで降ります」と答えた。女性はペットボトルを持っただけの軽装だった。この女性とは鋸山山頂の手前で再会したのだった。

 

石の壁の家

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「安全第一」と「夏草や兵どもが夢の跡」

 

 岩舞台と呼ばれている石切場跡を訪ねてみると、1985年(昭和60年)まで石切りを続けた最後の元締めだった芳家石材の「安全第一・芳家石材K」という文字彫りが目にとまった。産業としての石切りは江戸時代後期から始まり、最盛期には30軒の石の元締めがあり、年間56万本を切り出した、と説明板にあった。広場にはかつて活躍していたブルドーザーやウインチなどが錆びついたまま残されていた。それらは一世を風靡した産業遺産だが、まるで芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」を地でいっている感じだった。石を切り出した跡を見ると、よくもここまで人力でやったものだと、ただただ驚くばかりである。まさに上から下へと垂直に岩を切り出しているである。すごい技術だと思った。

 

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観音洞窟には2か所に観音様が彫り込まれていた

 

 観音洞窟と呼ばれている石切り場跡を見上げていると、2か所に観音様が彫り込まれているのが分かった。ひとつは線刻であり、もうひとつは立体彫りだった。彫られたものは高い位置にあるので、石切り職人が観音信仰のために彫ったのではないかと想われた。

 

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東京湾が見える展望台に着いた

 

東京湾が見える展望台に着いたのは11時だった。足元から延びている房総半島がよく見えた。保田港や折り重なった房総の山々、富山の双耳峰も手に取るように見えたが、東京湾を挟んだ丹沢山地や富士山、大島は雲のなかだった。私たちの周りにはトンビが5、6羽舞い上がっていた。展望台には2組が休憩していたので、立派な登山靴を履いた若い男性にスマホのシャッターをお願いすると、受け答えに覇気がないので不思議に思っていると、彼は車力道を登ってくるときに、ヤマヒルに取りつかれて血を吸われたので気落ちしているのだという。連れの相棒がシャッターを押してくれた。

 

雲がかかっている山と海

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入道雲が湧きあがっていた

 

 鋸山山頂に向かうと、前回は山頂近くに建っている電波塔の脇を通れたのだが、今回は立ち入り禁止となっており、下の方に迂回して山頂に向かうようになっていた。山頂からの帰りに以前通ったことがあるので、建物の脇の道を通ってみると、台風による影響なのだろうか、大木が倒れるなど、ずいぶん道が荒れていた。もう通ることができない道となるのだろう。

 

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誰もいない鋸山山頂に着いた

 

 鋸山山頂に着いたのは11時30分だった。広くない山頂には誰もいなかった。首にかけていたタオルを絞ってみると、沁み込んだ汗が勢いよく落ちるのだった。いやはやなんとも。鋸山の標高は329.5mと低いのだが、屏風を立てたような山容のため、登山道は急坂に次ぐ急坂で階段が続き、結構きつい登りであった。山頂はアブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクホウシの大合唱である。私のあとからふたり連れが2組やってきた。山頂から東京湾が望めるが、やはり霞んで見える。おにぎりをザックから取り出して、霞んだ東京湾を眺めながらお昼ごはんにした。30分休憩し、登ってきた道とは違う車力道を下山することにした。ヒルに血を吸われて落ち込んでいた20代の若者も元気を取り戻し、挨拶をして下山していった。頑張れ若造!

 

森の中にある岩

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轍の跡がついた石畳の車力道

 

 車力道を降りていく途中の『鋸山と車力道』の説明板によると、安房の国と上総の国の境に位置する鋸山は標高329mと高い山ではないが、山腹に切り立った岩肌が露出しているため、遠くから見るとひときわ高く険しい山に見える。最近まで房州石の呼び名で切り出され、京浜地方等に出荷されていた。この新登山道はかつての車力道で、鋸山の頂上部付近で切り出された石を運び出した道で、1本80kgある房州石を木製の荷車に3本乗せて、急斜面の道をブレーキをかけながら降りた。石の重みで道の表面に荷車の轍が残っており、この石を運搬した人たちは車力と呼ばれ、女性の仕事だった、と記されていた。

 

森の中を歩いている人の白黒写真

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空になった荷車を頂上まで運び上げる女性たち

 

説明板に当時の写真が載っていたが、240kgの切り石を頂上から麓まで運び、空になった荷車を背負って頂上まで上り、再び240kgの切り石を麓まで運ぶという作業を1日3往復する大変な重労働だった。1960年(昭和35年)に運搬用リフトが出来るまで、車力道は女性たちの汗と涙が染み込んだ道だったともいえるのである。

 

森の中のベンチ

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数多く置かれていた名前入りのベンチ

 

 登山道を歩いていて気になることがあった。それは夥しい数の木のベンチが置かれていたのである。間伐材で作られたと想われるベンチには、設置した人であろう個人名の『三河正人』という文字が記されていた。要所要所にひとつやふたつ置くのはいいのだが、なぜこの場所にと疑問符が付くような場所にも、あちこちに置かれていたのである。売名行為なのだろうか。以前、鋸山に登ったときにはベンチは置かれていなかった。登山やハイキングで休みたい場合は、切り株、倒木、石の上に腰かけて休むものだが、夥しい数のベンチが置かれているのを見ると、ベンチがゴミのように感じてしまうのだった。人工物のない自然のままのなかを歩くのがハイキングの楽しみのひとつだろう。鋸山のような時間の短いハイキングでは、ベンチで休む人は少ないのではないかと想う。

 

グラフィカル ユーザー インターフェイス, アプリケーション

自動的に生成された説明グラフ

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今回のハイキングデータ

 

 今回のハイキングで驚いたことは、女性ハイカーが多いことだった。それも若い女性が多かった。平日の5時間の短いハイキングで言葉を交わした若い女性は、単独の人がふたり、女性同士のコンビは2組に出会ったのだった。他の山ではありえないことだが、鋸山は329mという低山で、スニーカーでも半日で登れるという気安さから女性が多いのだろう。

 

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