鋸山登山
保田駅から望む鋸山
新型コロナウイルスの感染拡大により外出が減っていました。梅雨明け後に東北の山形県と新潟県境
にある飯豊連峰を縦走する計画を立てたので、久しぶりにトレーニングを兼ねて近場の鋸山登山に出かけました。鋸山の位置は房総半島の先端近く、東京湾側の鋸南町にあり、標高329.5mで千葉県内では12番目の高さです。北側に延びる尾根は東京湾に没し、海岸線を走る国道はその尾根に鋸山トンネルを穿っています。垂直に切り立った岩壁が露出し、ギザギザの山陵が鋸の歯のように見えることから「鋸山」と付けられました。三浦半島に連続した地質構造を持ち、山全体が堆積岩(凝灰岩)でできており、江戸時代から建築用材の房州石として切り出されてきましたが現在では行われておらず、歴史的使命を終えた鋸山は静かな山に戻っています。23歳の時に鋸山を訪れた夏目漱石は友人の正岡子規宛に「鋸山は鋸の如く碧く険しく聳え、上に伽藍の谷に臨みて建てるあり」という文を送っています。
クルマユリ
自宅の最寄り駅であるJR幕張駅から総武線に乗車し、千葉駅で内房線の木更津行きに乗り換え、終点の木更津駅で館山行きに乗り換えました。乗客のマスク使用状況はほぼ100%でした。東京・神奈川・埼玉・千葉の一都三県での新型コロナウイルスの感染拡大は衰えを見せず、マスク着用は自分を守ると同時に相手に感染させないという最低限のエチケットですね。通学高校生たちで混んでいる車両に乗車して間もなく、背負っていたディバックを網棚に移し、吊り革を手に立っている私に右側の座席の男子学生から「座りますか?」という声がかかりました。瞬間的に相手の気持ちを汲んで「私か?」と自分の顔を指さし、相手が頷いたのを確認し、「ありがとう」と挨拶し座らせてもらいました。私にとって座席を譲られるというのは、生まれて初めての体験でした。今年で72歳になる私ですが、自分では若いと思っていても高校生から見れば年寄なんだろうなぁと思わせる出来事でした。
保田駅構内の登山届箱
JR浜金谷駅で下車し鋸山登山の開始です。駅事務所脇にあるポストに登山届を提出し、待合室内に置かれていた鋸山エリアマップをいただき、8時30分の出発でした。曇っていた空からは時おり薄日が差しだし、ツバメが飛び交っています。前方には鋸山が横に長く寝そべっており、過去に切り出された石切場跡が見えました。
歩きだして5分で「ゴクラクドウ薬局」というペンキが剥げてよく読めない看板の前を左折し、内房線のガードをくぐり、いよいよ山道に入っていきました。常緑樹の鬱蒼と生い茂る登山道です。しばらく歩くと「関東ふれあいの道」と「車力道」の二股分岐がありましたので、私は左側の車力道を進みました。車力道は鋸山で切り出された石を、金谷の港まで運ぶために作られた作業道でした。切り出された石は1本80kgで3本を荷車に載せて港まで下すのは女性の仕事だったようです。最盛期には年間56万本切り出されていたようです。石畳の車力道は現在は登山道として使われています。
石畳の車力道
登り始めは3mほどの舗装された道路です。途中にヒカリモの発生池がありました。入り口の説明板によると、ヒカリモは単細胞の藻で、肉眼では見えない微生物だそうです。洞穴や井戸などの水たまりに群生し、春になると外からの光に反射して黄金色に輝く、とのことです。今日は曇り空のため輝いていませんでしたが、ここら辺りにはたくさんの防空壕が掘られており、ヒカリモの発生池もその一つでした。
ヒカリモ発生地
石畳が敷かれた車力道を登っていくと、次々に凄まじい光景が現れます。大きく育った杉や常緑樹の大木が根元からなぎ倒され、登山道を塞いだ木々はチェーンソーによって細かく切られ、歩くのに支障がないように排除されていました。このような光景がいたるところで見受けられました。昨年の房総半島を襲った台風が凄まじい傷跡を残していたのです。
台風の被害跡
登り始めて30分経った頃にイノシシが土を掘り返し、餌を求めた場所が何箇所もありました。登山道にも「イノシシ注意」の看板がありました。房総半島は鹿の仲間のキョンやイノシシが大繁殖し、住民は困り果てています。狩猟や害獣駆除で捕獲する数よりも増える数のほうが多く、猟師の高齢化とともに年々問題が深刻化しています。
ロープウェイとの分岐点から左に折れて鋸山山頂を目指しました。しばらく登ると「転石注意」の看板が目につきました。「落石注意」の看板は目にしますが、転石注意の看板は初めてです。石切場跡が見えたので登山道から外れて中を覗いてみました。感心するのは見事に垂直に岩を切り出していることでした。すごい技術だと思います。
石切り場跡
「東京湾が望める展望台」に続く長く急な石の階段を、鉄パイプを握りながら上っていく途中で、東京湾が視界に入ってきました。丁度、金谷港から久里浜港に向けて東京湾フェリーが出航したところでした。館山自動車道も眼下に望めました。千葉方面よりも館山方面への車両が多く見られました。
9時30分に東京湾が望める展望台に到着しました。浜金谷駅から出発して丁度1時間でした。空はあいにくの曇り空で富士山、箱根山、丹沢山塊を見ることはできませんでしたが、対岸の久里浜港や観音崎、また眼下の保田海水浴場や保田漁港、勝山漁港、浮島もはっきり見えました。大島もうすい姿を 海上に現していました。
眼下の保田海岸と漁港
東京湾は波ひとつなく鏡のように静かで、その水面を大きなタンカーやフェリーが行き交っています。振り返れば房総半島の山並みも七重八重と重なり合い、ちょうど東山魁夷の絵のようです。遠くにウグイスの声が聞こえました。朝早く家を出たために朝食を味噌汁だけで済ましていたので、コンビニで買ってきたおにぎりを、東京湾を眺めながら食べました。展望台には3、4人が座れるベンチ4個が円形になるように置かれ、私は一人しかいない展望台で静かなひとときを過ごしました。横須賀軍港から出た軍艦が静かに浦賀水道を進んでいくのが見え、フェリーが軍艦の前を大きく迂回し、こちらに向かってくるのが見えました。
東京湾が望める展望台
一休みした展望台を後にして更に昇り降りを繰り返し、房州低名山の鋸山山頂に到着しました。山頂からの展望は、東京湾を望める展望台に比べると周りに木々が繁茂しており一箇所のみ展望が開かれているだけでした。従って、この山頂まで足を延ばす人は少ない気がしました。水色に塗られた陶器の小さな狛犬が2頭鎮座しており、その前には一円玉や五円玉のお賽銭がたくさん置かれていました。
鋸山山頂
私は山頂からの下山ルートを登って来た道を戻るのではなく、トレーニングのための山行なので距離は長くなるが、関東ふれあいの道に指定されている尾根道を歩いて林道登山口に降りるコースを取りました。林道口までの距離は山頂から1.4 kmでした。ウグイスの声に混じってホトトギスの声が聞こえてきます。「トウキョウ・トッキョ・キョカキョク」と聞こえる鳴き声は、何度聞いても面白い鳴き声です。
鋸山の南西尾根につけられた登山道は、登ってきた車力道の石畳や石の階段や鉄パイプの手すりに比べて自然がいっぱいでした。この登山道にも大木がなぎ倒されている痛ましい姿があちこちに見られました。昨年の台風は、東京湾を北上するルートを通ったため、房総半島の東京湾側から吹き上げた風が登山道の北側から入り、大木を軒並み南側に倒しました。自然の破壊力というものは凄まじいものです。台風の後に「鋸山登山道復興プロジェクト」が立ち上がり、登山道の整備をした後があちこちに見受けられました。ありがたいことです。
台風によりなぎ倒された大木
鋸山山頂から20分ほど下った東の肩にあるベンチで一休みです。カラスアゲハが舞っていました。薄日が差し梢を渡ってくる風が心地よく感じられました。今日の登山道では、まだ誰とも登山者に出会っていません。静かな山道です。
林道登山口まで300mの地点で鋸山湖が見えました。周りの緑の森が反映し、湖水は緑色に静まり返り、あたかも緑の瞳のようでした。林道登山口に出るとJR保田駅までの距離は4.6
kmでした。房総半島の天気予報では15時あたりから雨模様でしたが、林道に出た頃からポツポツ雨が落ちてきました。この雨は保田漁港で炭酸温泉に入り、食事後でもシトシト続いていました。梅雨明けは来週でしょうね。
保田漁港内にあるラムネ温泉
山頂から気持ちのいい尾根道を降りてきましたが、林道登山口からJR保田駅までの4.6 kmの林道歩きは、淡々とした道なので気が滅入ります。途中でキョンの
ギャー、ジャー と言うような、喉の奥から叫ぶ凄まじい鳴き声が聞こえてきました。以前、世界第2位の高峰でパキスタンにあるK2に会うためバルトロ氷河を遡っていたキャンプ地で、夜中に聞いたロバの絶叫する鳴き声が思い出されました。
保田漁港にある高濃度人工炭酸温泉の通称「ラムネ温泉」を出た後は、観光客に大人気の漁協直営の「ばんや食堂」へ行きました。私は以前家族と来たことがありましたので2度目でした。以前来た時に比べると新型コロナウイルス感染の影響でお客の入りは少なめでした。
湯あがりの一杯
帰りのJR保田駅の出発時刻は15時5分です。風呂あがりの食事時間は約1時間ありましたので、私が頼んだのは刺身の三種盛りとミックスフライでした。刺身はシイラ、ワラサ、タチウオでした。ミックスフライはアジ、イカ、シーラ、サバ、
タチウオ、ワラサで、飲み物は大瓶ビールと千葉の地酒腰古井の冷酒でした。いやはや、下山後に温泉で汗を流し、地魚を肴に一杯やるという最高のパターンです。身体はお風呂に入ってリラックスし、空っぽの胃袋は酒と肴を求めていました。喉ごしのビールをググッと飲んで、それから冷酒を旨い肴をつまみにぐびりぐびりです。一挙に身も心も夢の中に突入でした。久しぶりの登山で足裏に山登りの感覚が少し戻ってきました。あと2度ほど日帰り登山を行った後に本番の飯豊連峰縦走登山に向かおうと思います。妻にお土産の干物を買い帰途につきました。今日は最高の山旅でした。