急登の連続だった日光男体山
男体山(2484m)山頂にやってきた
7月30日 水曜日 晴れ
今回の登山は栃木県日光市に位置する日光連山のひとつである男体山(2484m)である。千葉から電車やバスを乗り継いでいくと、日帰り登山は時間的に難しいので避難小屋に宿泊する1泊2日の計画を立てた。連日35℃を超える猛暑が続いており、雨は全く降っていない。幕張駅4時55分発の電車に乗り、西船橋駅、南越谷駅、南栗橋駅で乗り換え、東武日光駅に着いたのは8時18分だった。
日光駅に着くと青空が広がっていた
日光駅に着くと青空が広がっていた。駅に着く前に車窓から男体山、大真名子山、女峰山が見えた。しかし、山には既に薄い雲が湧き出していた。8時45分発の湯元温泉行きバスは満員寿司詰め状態だったが、登山口までの1時間の乗車時間を運よく座ることができた。
登山口の二荒山神社中宮祠に着いた
日光二荒山神社の御神体は男体山、女峰山、太郎山の日光3山であり、主祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)は男体山(別称は二荒山)に降臨したと伝えられている。男体山の南側登山口である二荒山神社中宮祠バス停で降りた。バスを降りたのは10数人だった。手水台で手を洗い、口をすすいだあと、500mlのペットボトル2本に水を満たした。バスを降りた中学生の10人ほどのグループが先生に引率されて男体山に登る準備をしていた。
神社で御守りをいただき、バッチを買った
神社の受付で登拝届を書き、入山登拝料の1000円を払うと、首に掛けられる白い『日光二荒山神社登拝交通御守護』をいただいた。男体山バッジが売っていたので、700円で買い求めた。境内の案内に沿って登拝門をくぐって鬱蒼としたスギ林のなかの石段を登り始めた。
登拝門をくぐって登っていった
石段の途中で三角形のスゲ傘をかぶり、石段の整備をしているおじいさんと話をした。「何時に帰ってくるの?」と聞かれたので、「今日は志津避難小屋に泊まって、明日林道を歩いて戦場ヶ原の三本松に降ります」と答えたところ、「あっちの林道は通行止めになっているよ」とのことだったが、「車は止まっていても歩くのは大丈夫でしょう」ということで挨拶をして別れた。急な階段が続いていた。
登山道は湿っていて歩きづらかった
関東地方北部に位置する群馬県・埼玉県・栃木県などの山間部は、夏の午後になれば毎日のように雷と雨である。栃木県には昨日まで4日連続で雷注意報が出ており、今回の登山も雷を避けて日程を変更したのだった。昨日も雨が降ったようで登山道は湿っていて歩きづらかった。
4合目鳥居から再び山道を歩いた
汗を流しながら登って行くと、3合目と4合目との間の登山道が通行止めとなり、工事用車両道路を歩くことになった。この曲がりくねった道路が結構長かった。体格のいい20代と想われるフランス人のカップルが、日帰り登山の軽装で私を追い抜いていった。4合目鳥居から車道を離れて再び階段の山道となった。
5合目の避難小屋に着いた
5合目の避難小屋に着いたのは神社から登りだして1時間10分ほど経ったときだった。避難小屋というよりも作業の物置を兼ねたもので中に入ってみると、奥の1/3はブルーシートに覆われており、長いベンチが2つ置かれていた。ベンチに座り水分補給の休憩をとった。緊急時には、この小屋でも雨風は十分に防げるだろう。これまでに下山してきた登山者7人に出会っていた。
吹きあがってくる風が心地よかった
登山道にたびたび岩が出てきて「落石注意」の看板が目立ったが急登は続き、針葉樹の森のなかを歩くようになった。針葉樹の葉が太陽の強い日差しを遮ってくれた。吹きあがってくる風が心地よかった。6合目から上は完全な岩登りとなったが、時折り木の隙間から中禅寺湖が見えた。
7合目の避難小屋に着いた
7合目の避難小屋に着いたのは12時ちょうどだった。小屋のなかで降りてきた男性が休んでおり、小屋の外では登っていく男性が休んでいた。小屋の外で休んでいた男性には山頂でスマホのシャッターを押してもらった。私は避難小屋で休まずに、そのまま登っていった。
8合目の瀧尾神社の鳥居に着いた
8合目の瀧尾神社の鉄の鳥居に着いた。あと1時間も登れば山頂に着くだろう。ここまで2時間半近くの急登だったので、足に疲れと痺れを感じ始めていた。鳥居の脇で休んでいると降りてきた女性のトレイルランナーに会った。これまでに出会ったトレイルランナーは男性が2人、女性が1人で、合わせて3人だった。しかし、よくこの急な登山道を走る気になると感心してしまうのだった。
8合目の瀧尾神社で白袴を履いた若者に出会った
8合目に瀧尾神社の奥宮が置かれていた。瀧尾神社は二荒山神社の主祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)の妃神である田心姫命(たごりひめのみこと)を祀った神社で、二荒山神社の別宮として本宮の傍に設置されており、妃神は女峰山に降臨したと伝えられている。奥宮の写真を撮っていると白袴を履いた若者が降りてきた。山登りになぜ白袴なのか? ちょっとびっくりした。
眼下に中禅寺湖が見えた
瀧尾神社の先の岩の急登を喘ぎながら登ると、比較的になだらかな林のなかの山道となった。ありがたいことだ。相変わらず汗は滝のように流れ、降りてくる登山者との挨拶の声が枯れ出していたので水分摂取不足だろう。
頂上は間近だ
9合目半あたりから木々は消え、火山砂礫となり歩きづらかった。高千穂の峰や岩手山、富士山を登っているのと同じ状況だった。振り返ると眼下に中禅寺湖の全体が見えるようになり、右下には戦場ヶ原湿原が広がっていた。実に壮観である。頂上は間近だ。
左に太郎山、右に大真名子山が聳えていた
男体山山頂には13時30分に着いた。登山口の二荒山神社中宮祠の標高が1280mで、山頂の標高は2484mなので、標高差1200mを3時間30分で登ったことになった。正面に太郎山が大きく聳え、右側の大真名子山は山頂部が雲に閉ざされていた。山頂には二荒山神社の奥宮が祀られ、隣に避難小屋を兼ねた社務所が建っていた。
山頂に祀ってある二荒山神社奥宮と社務所
驚いたことに奥宮社務所に宮司がいて、布団や座布団を干していたのである。8合目の瀧尾神社前で出会った白袴を履いた若者も、この奥宮の宮司だったのであろう。運動会で使うような大きな白いテントがふたつ準備されていた。志津避難小屋に降りたあと、泊まった人から聞いた話では、明日と明後日の2日間山頂で何らかの催事があるとのことだった。
二荒山大神の前で写真を撮った
山頂には二荒山神社の祭神である二荒山大神が右手に鉾を掲げた銅像が立っていた。7合目避難小屋の外で休んでいた男性に声をかけて、銅像の前でスマホのシャッターを押してもらった。行動食の柿ピーを食べ、水分補給をしたあと30分ほど休憩した。ホッとする休憩だった。
男体山神社の大岩にフランス人のカップルがいた
男体山神社に向かうと祠の後ろの大岩の上にフランス人のカップルが座って中禅寺湖や戦場ヶ原を眺めていた。14時に志津避難小屋に向けて降りだした。といっても3角点が打たれた男体山山頂に登ってから下山していくのである。
男体山山頂に大剣が刺さっていた
男体山山頂にはモニュメントとして大剣が天を指して刺さっていた。二荒山神社の御神刀は「称々切丸(ねねきりまる)」と呼ばれ、南北朝の作と伝わるもので、刃長216.6cm、全長324cm、重量24kgの大太刀で、二荒山神社中宮祠の宝物館で所蔵されている。そのレプリカ鉄剣が1880年(明治13年に)に山頂に奉納されたが、2012年3月に長年の風雪で錆びて折れてしまったので、新たにステンレス製の大剣が奉納されたものが、現在の山頂に立っているものである。
ササとシャクナゲのなかを歩く
山頂から暫くは火山爆発時に噴き出した赤茶色の火山礫のなかの道である。滑りやすい。それを過ぎるとササとシャクナゲのなかである。5月に歩いたら素晴らしい花が見られるだろう。針葉樹の林のなかを降りていくのだが、山の南側の登りと北側の降りでは全く林相が違うのには驚いた。南側のような石の合間を縫うようなものはなく、倒木を跨いだり潜ったりしながら降りていき、木の根っこを掴みながら降りるのも度々だった。
北側の何合目標示は木柱だった
南側の登山道の何合目標示は石だったが、北側は木柱だった。私が降りた志津コースは、昔は男体山の裏参道として多くの参拝者が登ったようだが、現在は林道への車の通行が禁止となったため登山者は少なくなったようで、登山道も荒れていた。
たびたび崩落地を降りていった
挨拶を取り交わす人もなく、静かな山道をひとり降りていきながら、動物の痕跡を確認していたのだが、イノシシやシカと想われる足跡や糞は確認できたが、クマと想われるものには出会わなかった。地元の日光警察署からは、単独での登山は要注意として「最近熊が目撃されています。もし、1人で熊に追われたら、滑落や道迷いの原因になります」とのことだ。注意するに越したことはない。
志津行屋避難小屋に着いた
16時45分に志津行屋避難小屋(標高1785m)に着いた。約7時間の行動だった。小屋の裏側にある水場の水は予想していたように枯れていた。スマホの電波は降りてくる途中から全く入らなかった。小屋はログハウス造りのがっちりした建物で、二荒山神社志津宮社務所を兼ねていた。内部の1階は土間の左右に4畳ほどのフローリングが4つ。2階は10畳が2つ。避難者の宿泊用にマットレスが2枚、毛布が2枚、掛け布団も2枚置かれていた。掃除も行き届いた清潔な避難小屋だと感じた。
避難小屋は3人の宿泊だった
広い避難小屋を独り占めと想っていたら、30分後に太郎山を登ってきた70歳の男性、また30分後に私と同じコースを辿った73歳の男性がやってきて避難小屋は賑やかになった。3人ともに70代である。もっとも登山人口の半分は65歳以上の高齢者というデータがでているので納得している。同宿者と山行の話をしながら夕ご飯を食べたが、酒は白ワイン1合、赤ワイン1合、日本酒1.5合を飲みながら、ツマミは大辛レトルトカレー、味噌汁、大福餅、小倉練り羊羹、ソーセージ、柿ピー、ちーかま、煎餅だった。宿泊の場合は軽量化を図るため、ジェットボイルやガスは持参しない。スマホに残された1日目の歩数は31415歩、歩いた距離は21.0kmだった。
ニッコウキスゲの蕾にアキアカネが留まった
7月31日 木曜日 晴れ
73歳の方が3時30分に出発し、夜明け前なのでクマ対策で林道を富士見峠まで歩き、小真名子山、大真名子山に登って小屋に戻ってくる、とクマ鈴を鳴らしながら出ていった。4時になると薄明るくなり、小屋の周囲から野鳥の鳴き声が聴こえてきた。よく響くのはホトトギスとウグイスだった。70歳の方は4時40分に女峰山に登るといって出発していった。5時30分頃に小屋の扉が開き、小屋のなかを確認しただけで再び扉は閉まったが、登山者は男体山へ登って行ったのだろう。私は自宅に帰るだけなのでシュラフのなかでまどろんでいた。
志津峠に登山標識が立っていた
私は6時20分に一晩お世話になった避難小屋を出発した。林のなかを5分ほど歩くと登山標識が立つ志津峠に出た。私は左に折れ、裏男体林道を戦場ヶ原の三本松に向かった。空は晴れ渡っていて清々しかった。
青空のもとで聳える大真名子山
小屋から歩きだして50分経ったころに太郎山登山口に着いた。標識と登山届ポストがあった。さらにしばらく歩いた橋の上から青空のもとで聳える大真名子山が望めた。左側には太郎山が大きく見えた。
梵字飯場跡から上部は車両通行止め
降りてくる途中の路肩には、二荒山神社名で駐車禁止の看板が立てられていた。以前は志津峠まで一般車両が入れたのだが、現在は禁止されている。梵字飯場跡に着くと車両通行止めのゲートが設置されていたので、一般車両はここまでとなる。バイクが1台停まっていた。
音声によるシカ侵入防止対策には驚いた
林道を歩いていて驚いたのは、戦場ヶ原へのシカの侵入を防ぐために、網の防止柵を張り巡らすと同時に、音声による防止対策がなされていたことだった。道路を歩くとセンサー検知によって、断末魔のような叫び声がスピーカーから流れ出すのだった。私は初めて聞く音だった。突然断末魔のような声が流れるので、シカもビックリするだろう。
戦場ヶ原の三本松から眺めた男体山
戦場ヶ原の真ん中に位置する三本松に下山した。避難小屋を出発してから2時間30分後だった。男体山を青空のもとで素晴らしい形で臨むことができた。三本松園地には大きな駐車場があり、たくさんの車が停まっていた。戦場ヶ原探索だろう。
戦場ヶ原展望台に行ってみた
バス停の近くに戦場ヶ原展望台というのがあるので行ってみた。草ボーボーの原っぱである。次々に観光客がやってきて、写真を撮り、指差しながら広がる草原を眺めていた。秋に来れば草原は草紅葉となって黄金色に輝き、周りの広葉樹も黄色や橙色に染まり、美しい原が見られるだろう。私は9時35分のバスに乗って中禅寺温泉に向かった。
華厳の滝を見物した
中禅寺温泉でバスを降り、温泉がどこにあるか分からないので、インフォメーションセンターに向かった。女性担当員と話をすると、「中禅寺温泉というのは地名であって、公衆浴場のような温泉施設はなく、1箇所だけホテル日光山水が日帰り温泉を行っていて、11時から受け付けている」とのことだった。1時間ほど間があいたので、インフォメーションセンターから歩いて5分の華厳の滝の見学に向かった。
華厳の滝には虹がかかっていた
案内に沿って歩いて行くと、中禅寺湖から華厳の滝が流れ落ちる滝口が見えた。私は華厳の滝を見るのは初めてだった。滝には綺麗な虹がかかっていた。さらに無料展望台に向かうと、多くの小学生たちが見学に来ていた。無料展望台は1階と2階に分かれており、有料展望台はエレベーターで下の方に降りるようになっていたが、下に降りても滝壺近くまでは行けないとのことなので、今回は無料展望台で十分だと感じた。
祭り囃子の太鼓を乗せて
華厳の滝そばのベンチで休んでいると、目の前にテンツクトントンの祭り囃子の太鼓を乗せた車山車がやってきたので、助手席に座って二荒山と男体山が染め抜かれた法被姿のおじいさんに「何の祭りですか?」と訊いてみると、「明日から男体山のお祭りです」とのことだったので、「私は昨日登りました」と伝えると「1日、早かったですね」とニコニコ笑った。ネットで調べてみると、お祭りは『男体山登拝大祭』のことで、今年は7月31日〜8月7日まで行われる奥日光最大の祭りで、臨時列車や臨時バスも運行され、通常は6時〜12時までの登拝登山が、8月1日〜3日は午前0時からの夜間登拝が出き、山頂で日の出を迎えることが出来るという。昨日山頂にあったテントは大祭のためのものだった。
湖畔の露天風呂・日光山水館
30分ほど華厳の滝のところで休憩したあと、インフォメーションセンターに戻った。女性担当員がホテル日光山水に電話を入れて、11時から1名が伺う旨を伝えてくれた。歩いて10分ほどで着いた日光山水館は『船の道
中禅寺』の遊覧船乗り場の前の黄色い建物だった。
お風呂はひとり占めだった
ホテルのフロントで入浴料の800円を払うと、ロッカーキーと無料で貸しタオルを渡してくれた。良心的だと思った。2階の露天風呂からは湖畔が見え、源泉かけ流しの温泉は硫黄臭がした。源泉に手を差し伸べると火傷するほど熱く、すぐに手を引き込めた。白い湯の花がお湯のなかでゆらゆらと揺れていた。
お昼ご飯は旭屋食堂の2階に入った
温泉で登山の汗を流したあと、バスで東武日光駅に向かった。昨日乗ったバスとは違い車内は空いていた。下り専用の第1いろは坂を下って約50分で東武日光駅に着いた。お昼ご飯は日光名物の湯葉を食べようと思っていたので、駅前のお土産お食事と書かれた旭屋食堂の2階に入った。お品書きから選んだのは、人気1番の湯葉御膳と大瓶ビールだった。
湯葉御膳は美味かった
お品書きには写真がついていなかったので、どのようなものが出てくるのか分からなかったのだが、テーブルに運ばれてきた湯葉御膳は、ご飯の上に湯葉と小エビが乗り、それに餡が掛けられたものと、湯葉巻き、玉子焼き、漬物、山菜、佃煮が付き、湯葉のお吸いものだった。風呂上がりの喉にビールが気持ちよく流れ込み、餡の掛かった湯葉ご飯も美味かった。会計は2350円だった。満足満足のお昼ご飯だった。
帰りは特急で
食事を終えて東武日光駅に向かい時刻表を確認すると、普通列車や急行はいい列車がないので、浅草まで特急で帰ることにした。車窓の流れる風景を見ながらうつらうつらしていると、春日部駅前の車内放送で、春日部駅の乗り換えで急行船橋行きがあることが分かったので、急遽船橋駅行きに乗り換えた。船橋駅で乗り越し料金を精算すると160円だった。浅草まで行くよりも帰宅時間も早く、料金も安くなり実にラッキーだった。スマホに残された2日目の歩数は19955歩、歩いた距離は13.4kmだった。
今回の男体山登山データ
私は日光の山に登るのは初めてだった。日光連山のなかの5つの山が家族に例えられている。男体山は父親、女峰山は母親、太郎山は長男、大真名子山は長女、小真名子山は次女の5人家族である。しかし、これらの山は稜線で続いているのではなくポコポコ離れており、1つの山を登って峠まで降りて、また次の山に登るという形なので、5つの山を登るのは結構大変なのである。最初は、日光白根山、男体山、大真名子山、小真名子山、女峰山の5つを登る3泊4日の計画を立てたのだが、宿泊は全て避難小屋で移動するために、背負う荷物の量と体力を考えて、4回に分ける計画に立て直したのである。その第1回目が今回の男体山登山だった。来月は日光白根山(2578m)を考えている。