錦繍の妙義山へ

 

巌の妙義山

 

群馬県には上毛三山と呼ばれている山々がある。赤城山、榛名山、妙義山である。しかしいずれの山名も独立峰の名前ではなく、峰々の集合体として呼ばれているものである。赤城山は黒檜山、地蔵岳、鍋割山などの集まりであり、榛名山は掃部ヶ岳、烏帽子岳、居鞍岳などであり、妙義山は白雲山、金洞山、金鶏山の総称である。

 

錦繍の妙義山

 

私が生まれたのは妙義山の麓にある松井田町である。子どものころは毎日妙義山を仰ぎ見て育った。春の若葉に萌える妙義、夏の緑濃い妙義、秋の錦繍に輝く妙義、冬の黒々とした巌の妙義である。高校を卒業した18歳まで仰ぎ見たのが妙義山である。私が好きな季節は、妙義山が紅葉に燃える秋だった。秋の紅葉の絵を描いて、展覧会で表彰されたこともあった。現在は地球温暖化の影響で、紅葉の目安は徐々に遅れているようであるが、私が子どものころは、11月3日の文化の日が、紅葉の妙義山に登る目安とされていた。

 

妙義山の岩峰

 

11月上旬、生家に帰る要件があった。そのついでに時間を調整し妙義山に出かけた。まず、妙義神社に参拝した。秋に訪れるのは久しぶりだった。妙義神社は日本武尊、豊受大神、菅原道真などを祀った神社である。道の駅の駐車場に車を止め、金銅製の一の鳥居をくぐって神社に向かった。 妙義山は神社に覆いかぶさるように聳え立っている。妙義山は香川県小豆島の寒霞渓、大分県中津市の耶馬渓とともに日本三大奇景に挙げられている。妙義山は特異な岩山であり、今年は紅葉も真っ盛りだった。

 

関東一の妙義神社総門

 

関東一といわれている総門(仁王門)の左右に、赤色に塗られた阿吽一対の仁王様が睨みをきかせていた。仁王様の元は執金剛神が左右に分かれた金剛力士像である。仁王様が忿怒の顔で睨んでいるのは参拝者ではなく、仏敵や疫病を結界内に侵入させないために、守護神として頑張っているのである。仁王門を抜け石段を上がり、銅製の二の鳥居をくぐった右側に、群馬県の重要文化財に指定されている波己曽社が建っていた。この建物は旧本社ということで、現在の本社よりも一回り小さいが、黒塗りの立派な建物である。

 

 

仁王像(吽)                 仁王像(阿)

 

随神門に向かったが、165段の石段が待ち受けていた。この石段を一気に登ることができずに、途中で休んでいるカップルが見えた。石段の前に手水場があった。最近はどこの神社でも、新型コロナウイルスの感染拡大によって、手水場の水を止めているのだが、妙義神社の場合は獅子口から、勢いよく水がほとばしっていた。長い石段を登り随神門に入ると、左右に弓・矢・剣などの武器を持った武士が鎮座していた。武士も向かって右側の口元は阿形であり、左が吽形をしている。さらにもみあげの形が左右で異なり、面白い形をしていたのには笑ってしまった。また隣に虎のパンツではなく、虎の前掛けをしている赤鬼と青鬼がいたのに気がついた。この鬼たちの口元も阿吽の形をしていた。

 

 

青鬼(吽)と赤鬼(阿)は虎の前掛けをしていた

 

随神門をくぐり唐門に向かった。唐門をくぐると妙義神社拝殿である。唐門から東を眺めると、上毛三山の赤城山が長い裾野を右に引いているのが見え、左に榛名山が見えた。妙義神社はこじんまりしているが、落ち着いた漆の黒塗りである。装飾に龍、獅子、牡丹、菊、鳥、雲などが彫られ、極彩色に塗られていた。数年前に化粧直しをしたので、色彩が鮮やかだった。

 

妙義神社の拝殿

 

神社の裏手に回ると天狗社があった。右側が赤い天狗、左側が黒い烏天狗で、それぞれが参拝者を睨んでいた。暗くてよく見えないので、フラッシュ撮影をしたが、ガラスに反射して上手く撮ることはできなかった。神社の右手から妙義大権現が祀られている「大の字」に登る登山道があるが、倒木のために通行禁止となっており、迂回路に進むように指示が出ていた。登山者カード届箱に登山コースの説明があったが、石門コースは第4石門で大規模な落石があり、登山道が封鎖されていた。そのような記事が『山と渓谷』誌に載っていたことを思い出した。

 

「雲に嶮し 妙義 ひぐらし 青の陣」の歌碑

 

神社の参拝には表参道の石段を登ったが、下山には脇参道を下りた。その脇参道の途中に歌碑が置かれていた。碑文には 「雲に嶮し 妙義 ひぐらし 青の陣 多希女」と刻まれていた。幕張に帰宅したあとでネット検索すると、多希女さんは1922年(大正11年)生まれの俳人で、毎年春に開催される『妙義山桜まつり全国俳句大会』の審査員をされている方だった。参道を下りてくると、旅館の前に第4石門の落石を報じる新聞記事がコピーされて掲示されていた。

 

第4石門付近の落石で広場の東屋が倒壊した

 

 新聞記事によると、2020年4月10日、中間道コースの第4石門付近で、直径2mほどの落石が4個あり、東屋が倒壊した。群馬県は付近の立ち入りを禁止した。というものだった。中間道コースは私も中学生の時に歩いた人気のハイキングコースだ。そのコースが立入禁止となっているので、今年の登山者は少ないと思われた。昨年の小落石に続き、今年の大落石である。石門付近の岩盤が不安定で脆くなっていることを考えると、中間道コースの再開は当分無理ではないかと思われた。

 

妙義神社の一の鳥居と背後に聳える妙義山

 

妙義神社からは妙義山が近すぎて、山全体の紅葉の状況が掴めないので、中之嶽神社に向かった。中之嶽神社に向かう道路は山岳道路であり、落石注意の看板は当然のこと、ヘアピンカーブの連続である。革ジャンを着込みバイクに乗った若者が、爆音を轟かせ身体を右に左に傾かせ、カーブを曲がる姿はレースそのものである。

 

中之嶽神社の一の鳥居

 

中之嶽駐車場に車を止めた。妙義山の険しい岩稜が眼前に迫り、巌の肌が手に取るように分かる。素晴らしい景色であり、紅葉も真っ盛りである。中之嶽神社まで来て良かったと思う。赤く大きな一の鳥居の前に、元内閣総理大臣福田赳夫の揮毫による中之嶽神社の標柱があった。結構上手な字である。

 

日本最大の大黒さん

 

中之嶽神社と大国神社がひとつの神域に建っている。中之嶽神社は日本武尊を祀り、大国神社は大国主命を祀る神社である。赤い鳥居をくぐると剣を右手に掲げた大国主命(大黒さん)が微笑んでいた。ここの大黒さん日本最大らしい。正面の大国神社拝殿の右側に厄除大國の大神、左側に開運大國の大神が相対していた。その前の狛犬は獅子型である。大国神社は妙義神社に比べると一回り小さい。拝殿の天井に祥運の龍が描かれていた。

 

大国神社拝殿の鈴は珍しい5本綱

 

拝殿の前に参拝の際に鳴らす鈴が吊るされていたが、ここの鈴は珍しく5本の綱が下がっていた。両脇の綱には小さな鈴が4個ずつ付いており、残りの3本の綱にはそれぞれ大きな鈴が付き、一度に5人が参拝できるようだ。初めて見る参拝形式だった。拝殿の室内には木彫りの大黒さんが置かれていた。また願い玉として、縁結び願い玉と縁切り願い玉の2つがあった。良縁を結ぶ玉、悪縁を切る玉、そういう意味らしい。鎌倉に縁切寺があるが、この世の中は良いことばかりではなく、悪いこともある。実際、願い玉の願掛けを見ると、良縁玉、悪縁玉がほぼ同数で吊るされていたのだった。世の中に悩みは尽きない。私は神社やお寺にお参りするが信心はしない。自分の72年の人生を振り返ってみれば、良い人生だったと思う。人生いろいろあるので、物事に執着しないことが良かったのだと思う。

 

中之嶽神社の願い玉

 

更に、お守りも色々あり、英語のお守り、子供のお守り、なにかいいことあるお守り、合格のお守り、野球上達のお守り、野球バットのお守り、祈願成就のお守り、など種々雑多であり、誰にも当てはまる「なにかいいことあるお守り」は完売していたのには笑ってしまった。おみくじも色々あり、一年安鯛おみくじ、三角おみくじ、金小槌おみくじ、龍神おみくじ、扇子おみくじ、金運おみくじ、開運おみくじとバラエティーに富んでいた。いやはやなんとも。金満神社かと思ったほど商売上手な神社である。

 

長く急な石段の上にある中之嶽神社

 

大国神社の右側にある長く急な石段を上って中之嶽神社に参拝した。神社は大きな岩山を背に建っている。この石段は本当に急である。以前、初詣で訪れた際は、ほろ酔い加減で足元が危ない状態だったので、参拝を躊躇した記憶が蘇ってきた。両側に鉄の手すりが設置されているが、殆どの参拝者が手すりに掴まりながら昇り降りしている。もちろん私も手すりに掴まりながらの参拝だった。

 

妙義山の奇景

 

 秋の妙義山を訪れるのは中学生以来だった。50数年ぶりだ。紅葉を十分楽しむことができた。妙義神社も中之嶽神社も妙義山の岩峰を背負って建てられている。参拝すれば直ぐ近くに岩峰を観ることができる。こういう神社と山との緊密な位置関係は、日本全国を旅しているけれど、あまりないように感じる。

 

入山禁止となっている金鶏山のローソク岩

 

 駐車場に戻り、妙義山の紅葉を眺めていると、突然、小学校当時の運動会の歓声が記憶の底から聞こえてきた。秋は運動会の季節だった。西横野小学校の全学年が、上毛三山である赤城、榛名、妙義の3団に分かれ、頭に巻く鉢巻きは、赤城が赤、榛名は緑、妙義は白だった。運動会前にクラス内で話し合い、各レースに出場するメンバーを決めた。それで全力で戦ったが、私は小学校6年間でほとんどが白団だった。しかし、白団が優勝した記憶がほとんどない。中学校になると運動会はなくなり陸上記録会となった。運動会に比べ歓声も観客もなく、華やかさがなくなったように感じた。もう遥か昔の60年前のことである。

 

船の甲板を彷彿させる荒船山の遠望

 

 駐車場から南を眺めると、船の甲板を彷彿させる荒船山が、特異な山容を表していた。私は荒船山にはまだ登っていない。今年の夏に登る計画をたてたが、日程の調整がつかずに延期してしまった。来年には周りの山々を含めて2泊3日の予定で登ってみようと思っている。

 

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