失敗続きの元清澄山ハイキング
折り重なる房総の山々
今回のテーマは、千葉房州で生まれ育ち日蓮宗の開祖となった日蓮上人が、若いときに勉学と修行を積んだ清澄寺にお参りし、清澄寺が現在の地に移転するまで清澄寺があった元清澄山344mに登り、野鳥の声に耳を傾け、静かな山旅を楽しみながら金山ダムに下山する、という日蓮上人の足跡を訪ねる5時間20分のハイキングであった。
4時40分に自宅を出た時は強風が吹きあれ寒かった。幕張駅発5時の千葉行きに乗り、稲毛駅で外房線直通の上総一ノ宮行きの快速に乗り換えた。快速は15両編成で私が乗った車両には10人ほどが座っていた。千葉を過ぎると車両の乗客は4人に減り、強風のため内房線に遅れが出ている、と車内の電光掲示板が知らせていた。
御宿を過ぎると海から太陽が上った
上総一ノ宮駅で鴨川行きに乗り換えた。車窓から徐々に明けゆく東の空を見るのは楽しいものだ。雲ひとつない大空の群青色が徐々に薄くなり、同時に地平線の橙色も薄くなっていく。田んぼの中を走っていた電車が、街路樹にヤシの木が植えられている御宿駅を過ぎると太陽が顔を出した。6時34分だった。日の出というのは、何回見ても気が引き締り、心が新しくなるように感じる。御宿海岸には2人の子どもたちが小さかった頃に、海水浴で訪れたことを思い出した。
安房天津の海岸
電車は海岸線に沿うように南下していった。日本列島を低気圧が通過して間もないので、海は荒れ気味で
沖には三角波がたち、海岸には高い波が押し寄せていた。そのなかでも波と戯れている根性持ちサーファーがいた。安房天津駅に下車し、おにぎりを買おうとコンビニを探したが、駅前にコンビニはなかった。バス停で待っている方に近くのコンビニを尋ねると、「安房小湊方面に1キロ行ったところにある」、と教えられたのでコンビニに向かった。しかしコンビニのデイリーヤマザキは閉まっていた。田舎のコンビニは開店時刻が遅いのだった。これで昼の弁当は無しになり、干し柿・板チョコ・柿ピーなどの行動食のみになった。駅に戻って清澄寺行きのコミュニティーバスに乗った。
清澄寺行きの9人乗り小型マイクロバス
鴨川市のマスコットキャラクターであるタイヨウくんとマッシーくんがデザインしてある9人乗りのコミュニティーバスに乗り、料金の200円を払った。12、13分で清澄寺に着いた。乗客は私1人だけだったが、私が挨拶しても運転手は挨拶を返さず、ぶっきらぼうで不機嫌な運転手だった。朝一番で早いとはいえ、乗客はお客様なのだから、もう少しサービス精神を持ってもいいのではないかと思った。
清澄寺山門
山門は赤く塗られ、中央に清澄寺の扁額、左右に大本山と日蓮大上人得度開宗之霊場という看板が掲げられ、赤い仁王様が睨みを利かせていた。日蓮宗の開祖日蓮上人は安房小湊で生まれた。現在、誕生寺が建っており、私もお参りしたことがある大きなお寺である。12歳の時に清澄寺に入って出家得度した。勉学・修行に励み、更に諸国を回って各宗派の奥義を学び、32歳の時に清澄寺に戻り、旭の森で日蓮宗開祖としての第一声を上げたのである。
清澄寺の千年杉
山門をくぐって広い境内に入ると、正面に千年杉が立っていた。幹の根元の太さは周囲17.5m、木の高さは47m、1924年(大正13年)に国の天然記念物に指定された、とのことである。立派な大きな杉の木だが、古木であるため中心部が腐って空洞があるとのことだ。台風などの強風にもめげずに長生きしてほしいものである。私は朝早く着いたのだが、おばあさんが参拝していた。
清澄寺本堂
本堂にお参りした。左側には祖師堂が建っていた。本堂には日本三大虚空蔵のひとつとされる虚空蔵菩薩像が祀ってあるとのことだ。清澄寺は771年に天台宗の寺として開山され、房総第1の天台宗の寺として栄えたが、江戸時代初期の徳川家康の時代に真言宗に宗派替えし、明治時代初期の廃仏毀釈により寺は廃れ、大正時代に日蓮宗への改宗機運が高まり、1949年(昭和24年)に日蓮宗大本山清澄寺となった、とのことだった。
「喜び」と「こんにちは」
本堂の右側に2体のブロンズ像が立っていた。ひとつは「喜び」という楽譜と共に40cmほどのブロンズ像で、左手を口に当ててニコニコ笑っている女の子の像だった。その右側には、北村西望の「こんにちは」という男の子のブロンズ像が立っていた。高さは1mほどだった。このブロンズ像の台座に「人類よ
こんにちは」という詩が書かれていた。詩は「若者よ 貴方の心にあおう…」で始まっていた。像の作者北村西望は長崎平和公園の平和祈念像の作者として有名だが、若者に向けた5節の詩を若者だけでなく、すべての年代の人も読んだらいいと思う。この「こんにちは」のブロンズ像は、箱根の彫刻の森美術館の野外展示で見たことがあるが、その像の名前は「将軍の孫」というもので、台座の詩は無かった。ブロンズ像の名前として「将軍の孫」というよりも「こんにちは」のほうが合っていると思った。
有害鳥獣捕獲用の罠
8時40分、清澄寺を後にし、関東ふれあいの道「モミ・ツガのみち」に設定されている13.5kmの山道を金山ダムに向かって歩きだした。元清澄山登山口までは林道を1時間30分ほど歩いていく。木の間越しに、青く輝く太平洋が見えた。林道は幅が広いので歩きやすかった。林道脇に立っている“落石注意”や“イノシシやシカの罠を仕掛けてあります”の看板が目についた。鉄製の有害鳥獣捕獲用罠も度々見かけたが、罠の中に獲物はいなかった。
歩く予定だった関東ふれあいの道「モミ・ツガのみち」
林道を歩いていると後ろから来た4輪トラックが私の横で止まった。運転手が「どこまで行かれますか?」と尋ねてきた。私は「元清澄山から金山ダムへ抜けようと思います」と答えた。運転手は「この関東ふれあいの道は2年前の台風被害で山中に倒木が多く酷い有様で、歩くには危険なために通行禁止となっています。現在も県で調査中ですが、金山ダムに行くには相当の困難が予想されますから、引き返した方がいいと思われます」とアドバイスを受けた。このトラックの後ろに軽4輪車が続いており、その中の2人は腕に腕章をつけていた。その車も私の横で停車し、運転手は「前の車の運転手に内容を聞かれましたね。では、よろしくお願いします」と言いながら林道を進んでいった。私は仕方がないので引き返すつもりでいたが、元清澄山までは登れるのではないか?と思い、林道を先に進んだ。
池ノ沢番所跡
しかし、池ノ沢番所跡を通過し、元清澄山登山口まで2kmの分岐点でハイキングを中止した。番所跡とは江戸時代に交通の要所に設置された警備や見張りのための関所跡であり、番人が通行人や荷物の確認を行った場所である。元清澄山を越えて金山ダムに向かう所には黒塚番所跡がある。現在はハイカーしか通らない山の中だが、江戸時代には元清澄山にあった清澄寺は房州一の真言宗の大寺として10万石の格式で栄えたので、参拝者を含めての往来で人々が頻繁に歩いた道だったのだろう。
千葉演習林許可者以外通行禁止の表示があった
林道分岐点に“千葉演習林許可者以外通行禁止”の表示が貼られた三角コーンが立っていたのだ。これ以上は入ってはいけないので、ハイキングは中止して戻ることにしたのだった。清澄寺から歩き出して1時間たっていた。千葉演習林というのは東京大学大学院が管理している森で、主に動植物を研究対象にしているが、年間降水量の調査とか、神社から鳥居設置のため杉の大木の払い下げの要望対応なども行っている。清澄山周辺の山々は千葉演習林の範囲に指定されているのだった。私の住む幕張町の隣の検見川町にも東京大学の演習林があり、草木の伐採などがされない自然環境のままなので、年に1回市民に開放される際には自由に中に入り、自然と対話できるようになる。天津駅近くに拠点の農学生命科学研究科付属演習林の建物が建っていた。
鴨川市立天津東中学校の建物
林道を歩き清澄寺まで戻ってきた。安房天津駅行きのバスの時刻を確認すると、バスは10分前に出たところだった。しかたないので駅まで1時間30分だが歩いて行こう。駅前まで下り坂が続いていた。歩いている途中の急坂でつまずき、勢い余って頭から前に突っ込んでしまった。私本人が一番驚いたのだが、車道を走っていた車が3台急停車し、運転手から「大丈夫ですか?」の声がかかってきた。私は立ち上がり、手を振りながら運転手に礼を言った。アスファルト道路での油断だった。駅の近くまで戻ってくると、イスラム教のモスクを思わせるようなドームを持った鴨川市立天津東中学校の建物が建っていた。これが公立中学校なのか、と思わせる新鮮な感じを受ける建物だった。
休みだった「地魚ぐるめ・すずき家」
ハイキングを途中で中止し、早めに安房天津駅に戻ってきたため、お昼ご飯は帰宅する千葉方向とは反対方向の鴨川に行って摂ることにした。鴨川駅前の地元で人気の「地魚ぐるめ・すずき家」に決めて訪ねてみると、店は休みだった。駐車場の縄の張り方を見ても、店は前から休んでいるようだった。ネットで確認した時は、コロナウイルス感染拡大により営業時間を変更する場合があります、との表示だったが、実際は千葉県に緊急事態宣言が発せられた時から休業しているようだった。美味い刺身盛り合わせを肴に、地酒を一杯飲むはずだった。残念だった。
お昼ご飯は握り寿司と地酒
期待した地魚料理屋が休みのため、鴨川駅西口前のイーオンに入った。目的は握り寿司とビールと地酒である。手早く買い込み、電車に乗り込んだ。外房線は6両編成の最前列と最後列の2両の座席は4人掛けボックス型であり、他人の目を気にすることなく飲み食いできるのが利点だ。対面式の横長シートではこうはいかない。買ってきた握り寿司と太巻にビールと地元勝浦の地酒を並べて写真を撮った。この写真を見ていると日本縦断てくてく一人旅のことを思い出した。スーパーで買い物をし、ホテルに入ってひと風呂浴びたあと、寿司を食べながら一杯やる。このパターンを今回は電車の中でやったわけだが、車窓を眺めながらのんびり飲んでいると、電車の揺れに合わせて心地いい酒の酔いが回ってくるのだった。午後の1時から3時までの時間帯は乗客も少なく、鴨川駅から千葉駅まで車両は混むことはなかった。
林道の枝線に立っていた東京大学の無断立入禁止の看板
ほろ酔い加減の眼に車窓から耕作放棄地が見える。耕作放棄地は、そのままにしておくと草木が生い茂るだけだが、ソーラーパネルを設置しているところがあちこちに見受けられた。東日本大震災による福島原発事故によって原発の安全神話が崩壊した。福島原発事故の深刻さから物理学者であるドイツのメルケル首相はすぐに脱原発を宣言し、自然再生エネルギーへとエネルギー政策を転換した。それに引き換え甚大な被害を被った日本には、そのようなリーダーはいなかった。
房総の山々
日進月歩の技術革新の時代において、当時世界のトップを走っていた日本の自然再生エネルギー技術は、10年のブランクによって世界の先端技術とは大きな開きができてしまった。現在でも日本は自然再生エネルギーへの転換に舵を切っておらず、旧態依然として今後も原子力発電や火力発電に頼っている。原子力発電や火力発電は世界の趨勢からいって時代遅れであり、地球温暖化対策からも減らすべき発電方法なのだ。未来のない化石燃料エネルギーや原発エネルギーから脱却し、自然再生可能エネルギーへの取り組みを追及していくべきだろう。私は老い先短いが、この先の日本はどうなっていくのだろうか。
今回のルートと歩いた履歴
今回のハイキングでは様々な反省点が出てきた。
その1、日帰りハイキングの弁当は、事前に用意していくべきだった。幕張のコンビニでおにぎりを買わずに、下車した安房天津で探したが買うことができなかった。コンビニの営業時間は地域に合わせていることを再認識した。
その2、ハイキングルートが通行禁止になっていた。ネットには最近歩いた記事が載っていたが、市役所なりに問い合わせて事前調査をきちんとするべきだった。今後気をつけなければならない。
その3、清澄寺から安房天津駅に戻る途中の下り坂で派手に転んだ。幸いにもダウンを破っただけですんだが気の緩みがあった。
その4,食事処も事前に電話で営業しているかどうかの確認が必要だった。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、飲食業の営業時間の短縮・自粛が出ている今の時期は十分な注意が必要だ。
今回は反省点の多いハイキングだったが、大きな怪我もせず好きな握り寿司と地酒を楽しめたので良しとしよう。反省点は直せばいいのだ。