再度、元清澄山ハイキングへ
元清澄山344m山頂に着いた
今回の千葉県内ハイキングは前回途中で中止した元清澄山ハイキングを別ルートから行うことであった。前回は、南側の鴨川市側からアクセスしたが、今回は北側の君津市側からアクセスすることにした。君津市役所の地域振興課に連絡し、登山口まで行く林道状況を確認した。登山口がある三石山観音寺までの林道は2本あった。高速バス停がある君津ふるさと物産館からの片倉三石林道は工事中だった。もう1本のJR上総亀山駅からの林道を歩くことにした。決まったハイキングコースは、三石山観音寺にお参りしたあと郡界尾根を縦走し、元清澄山に登ったあとは田代林道で君津ふるさと物産館のバス停に下山する6時間10分だった。
国土地理院HPから印刷した地形図と登山計画書
ハイキングに持参する地図は、現在位置の確認のためスマホのGPS機能を使う電子地図は以前と変わらないが、紙地図は国土地理院のHPから1/25000の地形図をダウンロードし、A4判に印刷したものを4枚貼り合わせて作成し、歩く予定のコースを赤線でなぞったものだった。もちろん各ポイントの通過予定時刻を記入した登山計画書を作成したのは言うまでもない。登山計画書は2枚印刷し、1枚は妻に歩く予定のコースを伝えて自宅の壁に貼り、1枚は手持ちにして現在位置を確認しながら歩くことにした。
上総亀山駅は無人駅だった
木更津駅で乗り換えた久留里線の電車内で、私の隣に座った女子高校生の50分近いマシンガントークは強烈だった。大声で話している内容は、アルバイト、彼氏、恋愛などに終始していたが、もう少し静かにならないものなのか。3両編成の電車が久留里駅に停車すると、私と他1名を残して全員が下車した。生徒たちが下車すると終点の上総亀山駅までわずか15分ほどだったが、静かな田園風景が見られてホッとした。女子高校生は千葉県立君津青葉高校の生徒だった。男女共学だが男子生徒はおとなしかった。田園風景が広がるのびのびとした環境が、電車内でも伸び伸びしているのだろうか。
上総亀山駅前にカワズザクラが枝を拡げていた
下車した亀山駅は無人駅だった。切符を改札口のボックスに入れて外に出ると、一緒に下車した20代と思われる若者がサイクリング車を組み立てていた。駅前にカワズザクラがピンクの枝を広げていた。今の時季はウメが咲き、サクラが咲き、ウグイスが囀っている。春がきたことを実感する。さらにモズが甲高い高鳴きで自分のテリトリーを宣言している。私は2度目となる元清澄山ハイキングをスタートさせた。ここから6km歩いて三石山観音寺にお参りしたあとに山道に入っていく。
亀山湖
上総亀山駅から歩きだして間もなく亀山湖にでた。2人の子どもが小学校低学年の時、小さなリュックサックを背負わせて、亀山湖に遊びに来たことを思い出した。亀山湖に架かる藤枝大橋から見下ろした湖面に空が映った。見上げた空の西側は晴れているのだが、東側は雲が張り出して太陽が隠れているのが気になった。今朝の幕張の気温は3℃だった。9時近くになっても気温は上がらず、ダウンジャケットのチャックを首元まであげて歩いた。歩き始めて25分で国道465号線から離れ、三石山観音寺に向かう道に入ると、ヤブツバキが咲いていた。ツバキの花もそろそろ終わりになる。
林道:片倉三石線の起点表示の看板
しばらく歩いて行くと林道の起点表示が現れ、片倉三石林道と書かれていた。私が数日前に君津市役所の地域振興課に確認したところでは、山を越えた反対側の箇所で林道工事中ということだった。三石山観音寺まではこちら側から入らなければならないとのことだが、結局はこの林道が反対側の君津ふるさと物産館近くの片倉ダムまで続いているということなのだ。
土砂崩れのため通行禁止の林道
最近はソメイヨシノではなくカワズザクラを植えるところが多いように感じる。今の時季だと白いウメの花とカワズザクラの桃色が春の暖かさを感じさせる。手入れを放棄されたウメ林に季節のめぐりとともに白い花がたくさん咲いていた。その花にメジロが訪れていた。山道に入るとカケスがジャージャー鳴いて歓迎の挨拶をしてくれた。三石山観音寺に向かう1本の林道が土砂崩れのため封鎖されていた。私が歩いていた林道は、午前6時から午後2時までの時間制限でゲートが開いていた。まだまだ2年前の台風被害の復旧作業中ということだろう。
三石展望広場からの眺め
上総亀山駅から歩き出して1時間で三石山展望広場に着いた。観音寺はこの先なのだが、展望広場からの眺めを見て行こうと思い階段を上った。登りついた展望台には八角形屋根の東屋が建っていた。展望台からは左側に富士山が見えるはずだが、霞がかかり見えなかった。正面に以前登った鹿野山が見え、房総丘陵が平らに連なっていた。風は全く無かった。反対方向は房総の緑の山々が重なり合っていた。
観音寺の高台に立つ弘法大師像
観音寺入り口に到着したのは10時だった。観音堂にお参りして行こうと思い参道に入っていくと、お参りを済ませたお年寄りが5人戻ってきた。参道にはヤブツバキが咲き、シジュウカラやカワラヒワが鳴いていた。三石山は山頂に大きな石が3個あるので三石山と呼ばれている。大石の右側から下に降りる登山道がついていた。その登山道の脇に「南無大師遍照金剛」の碑ともに弘法大師空海の像が立っていた。四国を歩いていた昨年4月には、たびたび出会った弘法大師像だった。早いもので1年が経とうとしている。
観音寺奥の院には多数のハンカチが結ばれていた
観音堂の左裏手から奥の院に登る道があり、大岩と大岩の間をまるで胎内くぐりのように伝っていくと、大岩の上の奥の院に到着した。まずびっくりしたのは柵に結ばれたハンカチの多さである。観音寺は縁結びの寺として有名なのだ。縁結び願いのハンカチは、毎月撤去されて本堂で供養されるとのことだった。夥しいハンカチの数に、それほどまで縁結びを願う人たちが多いのかと驚いたのだった。
元清澄山に向かう郡界尾根登山道の入り口
観音寺にお参りしたので予定より30分の遅れで元清澄山に向かった。登山道は鳥獣供養塔の石段を登った先に続いており、郡界尾根縦走の開始となった。登山道をしばらく歩くと、右側にかつてゴルフ場だった跡に大規模な太陽光発電所が建設されていた。
ゴルフ場の跡にソーラーパネルを敷き詰めてあるので、ものすごい規模だ。びっくりした。自然再生エネルギーとして大変良いことだと思う。大体、千葉県にはバブル期に乱立したゴルフ場が多すぎるのだ。千葉県民がゴルフをするのではなく、東京都民などの他県から千葉に来てゴルフをしているようだ。
ゴルフ場跡に建設された大規模な太陽光発電所
太陽光発電所の規模は広く、私が今まで見たなかでは最大であった。ゴルフ場よりは太陽光発電所のほうが人々の役に立っていると思う。登山道には時折、昔からの道案内の小さな標識が慎ましく立っていた。登山道となっている郡界尾根は昔から鴨川方面から三石観音へのお参りの道として歩かれたもので、よく踏み込まれており、硬くて歩きやすかった。しかし、片側あるいは両側がすっぱりと切れ落ちており、油断のできない登山道だった。
地蔵峠分岐に着いた。郷台畑方向は通行禁止だった
地蔵峠に到着した時は予定時刻より20分遅れていたので、休憩せずに右折して元清澄山に向かった。落石や倒木を何ヶ所か乗り越えてきたが、まだ登山道に入ってから出会った人はひとりもいなかった。今日も静かな山歩きができる。聞こえてくるのは、手に持ったストックにつけた鈴の音、時折聞こえてくる野鳥の鳴き声、小枝を風が通り抜けるときの葉の擦れる音だけだった。静かな森の中はモミやツガの原生林となっており大木が多かった。氷河期にこの辺りを覆っていた木々の種類が現在まで残っており、千葉県特有のもので学術上貴重な地域とのことだ。
清澄山・三石山観音分岐も荒れていた
清澄山・三石山観音分岐で「関東ふれあいの道」と合流した。前回、途中で中止した清澄寺からのルートがここに伸びてきているのである。観音寺を出発したときは予定より30分の遅れだったが、山道の早歩きで清澄山・三石山観音分岐に到着した時は、予定通りの時刻に戻っていた。関東ふれあいの道を進むと廃道になっている田代林道に出た。元清澄山まで0.7kmの表示があった。山頂は間近だ。
元清澄山344m山頂に着いた
山頂の手前で初めて登山者に出会った。60歳くらいの単独男性登山者だった。元清澄山山頂に着いたが、山頂直下のラスト100mが瘦せ尾根で、急登がきつかった。山頂といっても広くなく、昔あった清澄寺は礎石や祠の跡が残っているとのことだが、小さな寺だったのだろう。山頂周辺は自然環境保全地域に指定されており、原生林のため巨木が茂っていた。
元清澄山山頂に置かれた石の祠
山頂には大山神社と刻まれた石の祠と、もうひとつ苔むした石の祠があり、お賽銭があげられ、榊が手向けられていた。お神酒は地酒の寿萬亀が添えられていた。またアワビの貝殻が脇の木にぶら下がっていた。このアワビは漁師が海の安全と豊漁を願って捧げたものであろう。ベンチに座ってコンビニで買ってきた2個のおにぎりのひとつを食べた。残りのひとつは何かアクシデントがあったときのために残した。アクシデントもなく無事に下山した時に残したおにぎりを食べるのである。10分間の休憩が終わったので下山を開始した。
土砂崩れで道が塞がれた
田代林道分岐に戻り、林道を2時間歩いて君津ふるさと物産館のバス停に向かった。林道は使われておらず、落石や倒木は片付けることなく放置されたままで、荒れ放題であった。しかし林道歩きは滑落の心配はなく、登山道を落石や倒木を乗り越えて行くのに比べればずっと楽だった。
落石注意の田代林道のトンネル
林道を歩いていくと大規模な土砂崩れの先にトンネルがあった。長さは20mくらいだったが、落石注意の看板を見ながら通過した。この田代林道が使われなくなってから随分時が経っているのだろうが、ネットでこの林道を最近歩いた記録を見つけた時は、私も歩いてみようと思った。この田代林道を歩くことによって元清澄山に登れる目処がついたのだった。
土砂崩れで道が塞がれた
林道が土砂崩れによって完全に塞がれているところがあった。左側の崖から土砂が崩れて道を塞ぎ、右側の谷に落ちていた。その倒木を乗り越えると、遠くでヒヨドリの声が聞こえていた。林道は舗装されておらず、足の裏に心地よい土の感触を伝えていた。林道は登山地図にはルートとして載っておらず、足元には微かな踏み跡が確認できたので、少数の人が歩いているものと思われた。静かな林道を歩いていると、突然バサッバサッという大きな翼の音とともに、緑色のハトが飛び立った。初めて見たアオバトだった。すぐに林の中に隠れてしまい、再び姿を見ることは出来なかった。
落ちていたシカの糞
林道を歩いているとシカの糞やイノシシが掘った跡などが時々見られた。有害鳥獣捕獲罠も見かけたが、罠の中にはイノシシは入っていなかった。ただ、罠の周りには動物たちの足跡がたくさん残されていた。動物と人間の知恵くらべは、今のところ動物の方が上のようだった。林道は2ヶ所のゲートで車両通行禁止となっていた。私はゲート脇をすり抜けて進んだ。
君津ふるさと物産館でお土産を買った
ゴールの君津ふるさと物産館に着いたのは予定時刻通りで、バスの通過時刻の20分前だった。物産館の中に入って地酒の純米吟醸酒と千葉県産のイチゴをお土産に買った。会計のお姉さんに千葉駅行きのバス停の位置を確認すると、私が考えていた方向とは逆方向だった。もしお姉さんに確認しなければ、危うくバスを乗り過ごすところだった。念のための確認だったが、実にラッキーだった。初めての土地では方向感覚がずれることがあるので
、確認は重要であると再認識した。バスの中では2本の500mlビールで無事下山できたことで乾杯だった。千葉駅までの1時間半のバスの旅は、車窓の移りゆく景色を眺めながら、満足だった山旅の余韻に浸っていた。
元清澄山ハイキング履歴
今回の元清澄山ハイキングを振り返ってみると、前回は登山道の通行禁止のために途中で中止せざるを得なかったことから実現可能なコースを調べた結果、現在は廃道となっている林道を歩くというコースが見つかった。実際に今回のコースを歩いた感想としては、崖崩れや倒木は度々進行を妨げたが、一つひとつ確認しながら進めば大したことはなかった。林道が舗装されていない土だったことが足裏に好感触だった。平らで苔むした場所では、帰りのバスの通過時刻に間に合うためトレランのように走った。
三石山観音寺
清澄寺と観音寺の略縁起によると、清澄寺は836年(承和3年)不思議法師と名付けられた僧が虚空蔵菩薩像を彫り開山したのが始まりと伝えられ、一方、観音寺は1409年(応永16年)覚恵上人によって十一面観世音菩薩像を安置して開山されたのが始まりだという。今回歩いた郡界尾根道は昔から清澄寺や三石観音寺への参詣の道として通ったいにしえの道だった。氷河期の生き残りの木々が生い茂る静かな古道を歩きながら、昔の人たちの心のよりどころとなっていた信仰心について考えた。何も考えずに山に登るのもいいものだが、登る山と周りの地域とのかかわりなどを資料で調べてから登るのもいいかと思う。
登山道に咲くヤブツバキ
今回は前回の続きとして千葉で生まれた日蓮上人の足跡を訪ねての山旅だったが、今回訪れたほかにも千葉に残る日蓮上人の足跡は、安房小湊の誕生寺や国宝指定の『立正安国論』を保存する下総中山の法華経寺も存在している。私は誕生寺や法華経寺も過去に訪ねたことがあるが、旅を通して過去の偉人に思いをはせるのも無駄ではないと思う。