雷鳥に会えた南アルプス聖岳・兎岳・赤石岳縦走登山

 

快晴の奥聖岳山頂で記念撮影

 

 2019年のMMC夏山登山は、8月22日〜26日の4泊5日の日程で、南アルプス聖岳・兎岳・赤石岳縦走登山に出かけた。今回のメンバーは6人であった。MMC登山として南アルプスに出かけるのは今回で2度目であった。

 

 南海上に発生した台風11号は日本列島の西側を通り台湾から中国大陸へと進む予報で、中部山岳地方への影響は少なかったのだが、日本海に停滞していた秋雨前線が8月22日〜23日にかけ、日本列島を通過し太平洋側へ抜けるのに伴い、各地で大雨の予報が出されていた。

 

果たして静岡県畑薙ダム夏季臨時駐車場に夜行登山バスが到着した時は雨もまだ落ちてはいなかったが、午前8時に聖岳登山口に到着するころには土砂降りの雨に変わっていた。この雨の中を聖平小屋に向かって植林された針葉樹林の鬱蒼とした林の中の登山を開始した。私は40数年登山を続けているが初めてといってもいい土砂降りのなかでの登山だった。

 

 急登の登山道には雨が川となって流れ下ってきていた。幸いにも聖平小屋までの登山道には鎖場はなく、岩場も少ないためスリップの危険はないのだが、着ているカッパは大雨のため何の役目も果たせずに全身ずぶ濡れ状態になって登山を続けていた。背負っているザックにはもちろんザックカバーをつけているのだが、ザックもびしょ濡れである。ザック内は2重の防水をしているため、中の下着類は安全なのだが、とにかく凄い雨量だった。

 

 聖平小屋までは4〜5回の川の渡渉があるのだが、大雨のため水量が増し足を置くべき石が水中に隠れてしまい、慎重に足場の石を探しながらの渡渉となっていった。私がこのルートを歩くのは2回目であったが、以前歩いたときとは水量に雲泥の差があった。

 

快晴の聖岳遠望3013m

 

 翌日は朝から雲が去り青空が拡がっていた。秋雨前線は太平洋側に抜けたのだった。絶好の登山日和が3日間続くことになった。南アルプスは北アルプスに比べて一つひとつの山容が大きいため、山と山の間隔が遠い。ひとつの山頂に登りつくと一旦降って次の山に登り返すという状況が次々に出てくる。山に登っている身としては折角標高を稼いで山頂まで登ったのに、ここから降ってしまうのかという思いが頭に去来し、甚だ迷惑の登山コースである。

 

 南アルプスも増えすぎた鹿の食害によって高山植物が食い荒らされ酷い状態になっている。かろうじて鉄網の柵に囲まれている場所に育つ植物だけが成長している状態である。登山道が昨日の雨によって濡れているため山ヒルを度々見た。山ヒルは水中に棲息する5cmほどの可愛らしい川ヒルと違い、太さは1pで長さは30cmもある巨大なのが朱色の丸い口を動かしながら登山道を這いずり回っているのである。初めて見る人はビックリするに違いない。とにかくエゲツナイ生き物である。

 

聖岳山頂も奥聖岳山頂も風は強かったが快晴だった。富士山も北岳も堂々とした姿を現しており、360度の展望が思う存分楽しめた。昨日の土砂降りの雨の辛さが一気に吹っ飛び、気持ちは晴れ晴れとしていた。登山という行為は経済的に見れば何の利益ももたらさないが、山頂で見る景色の爽快感や登山道で出会う高山植物の可憐な花に心が癒されるのである。それらのことを通して精神がリフレッシュされ、明日への力が身体の中に充満してくることに登山の効用があるのだと思う。また、心肺機能が高まり身体が強くなるということも結果的に良い方向に向いていくのだろう。

 

兎岳山頂に到着し、ピンクに咲くタカネビランジの可憐な花を眺めながら、聖平小屋で作っていただいたお握り弁当を食べ、2日目の山小屋である百闢エ山の家へと急いだ。急ぐ理由は16時までに到着して宿泊手続きを済ませないと、夕食に山小屋名物の揚げたてのトンカツにありつけないのである。幸いにも私たちは15時30分に到着し宿泊手続きを終えたのだが、16時05分に到着した4人パーティーの夕食はトンカツではなくカレーとなっていた。16時に1分超過しても受付のお兄さんは断固として譲らないのであった。

 

百闢エ山の家の夕食にでたトンカツは美味かった

 

 南アルプスは北アルプスに比べて森林限界の標高が高いのでハイマツ帯も高く、周りの山々が緑に囲まれている。その稜線を歩くのだからすごく気持ちが良い。ハイマツ帯が拡がる百闢エの原っぱを越え、石が積み重なる赤石岳への登りにかかると、その登りの急傾斜は岩を掴んで登るような姿勢に度々なり、きつい登りであった。ようやく赤石岳山頂直下に建つ避難小屋が見える場所まで登り一休みしていると、外国人のトレイルランナーがやってきた。走ってきた彼に何処から来たのか尋ねると、日本海から太平洋に抜ける山岳レースの『日本アルプス・トランス・ジャパン』のコースをトレースしているという答えだった。

 

トランスジャパンレースは2年に一度開催されており、日本海のヒスイ海岸からスタートし、北アルプス・中央アルプス・南アルプスを走り抜け、太平洋の静岡海岸まで8日間で完走しなければならない日本一過酷なレースである。毎回予選を通過した選手が30人ほど参加する。レース模様はNHKで放送しているが、選手は途中の山小屋で宿泊することはできず、タイムリミットまでの時間内で完走するためツェルトで仮眠を続けながら夜間でも走っていくレースである。そのコース上に私たちが縦走している聖岳から赤石岳の区間が入っているのだった。外国人の彼は山小屋に宿泊しながらトレースしているようで、昨日は千丈岳を通過したと話してくれた。一休みした彼は私たちが歩いてきた方向に向かって元気に走り出していった。

 

私は来年7月8月にコースは若干異なるが、太平洋の駿河湾田子の浦海岸から南アルプス・中央アルプス・北アルプスを越え、日本海の親不知子不知海岸まで歩く計画を立てている。これは現在歩いている『日本縦断てくてく一人旅』の一環として考えているものである。

 

雷鳥に出会った

 

 南アルプス南部の盟主と呼ばれている赤石岳に登頂し、天気が良いので昼食後は1時間の休憩を予定したのだが、風の強さと冷たさが体温を奪うので30分で休憩を切り上げ宿泊する赤石小屋へと向かった。その途中のハイマツ帯でライチョウに出会ったのである。メスのライチョウは1羽で行動をしていた。本来ならば今の時期のメスは子どもを連れているはずなのだが、単独だったため子どもたちは天敵に襲われて全滅したのであろう。絶滅危惧種に指定されているライチョウは約3000羽が生存していると言われているが、実に厳しい生存環境の中にいると言わざるを得ない。

 

赤石小屋前で下山前の記念撮影

 

 椹島への下山前に赤石小屋前で記念撮影をした。近くに小学校4年生の女の子がいたので中に入ってもらい一緒に写真を撮った。この子は家族登山をしており、とても身軽な子であたかも小鹿を連想させた。下山途中で先発した私たちを軽々と抜いて椹島へ降りていった。