御坂山塊の最高峰・黒岳へ

 

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雪の黒岳山頂

 

 12月15日 快晴

今年最後の山行に計画したのは、河口湖の北側に屏風のように連なる御坂山塊の最高峰・黒岳1792mだった。黒岳は山梨県富士河口湖町と笛吹市の境界にあり、山梨百名山に選定され、山頂には一等三角点がある。甲府市内から富士山を眺めると御坂山塊に邪魔され、富士の上部しか見ることができない。従って黒岳に登れば秀麗な富士の姿が見えるはずである。日帰り登山の場合は現地の天気予報を確認して日程を決める。登山当日の河口湖町の予報は快晴、最低気温は4時でマイナス3℃、最高気温は14時で11℃だった。3日前にネットにアップされた黒岳の登山レポートによると、山頂はかなりの積雪でアイゼンが必要とのことだったので、軽アイゼンをザックに入れ防寒対策を十分にして出かけた。

 

マップ

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天下茶屋〜黒岳〜広瀬の登山予定ルート

 

河口湖行き高速バスは、雲ひとつない快晴のもとに、新宿バスタを定時の7時35分に出発した。発車してまもなく、「中央高速道路下り線の車両事故により、上野原から大月間が通行止めになっています。上野原インターで降りて一般道を走るために到着が大幅に遅れる見込みです」との車内放送があった。オットー。河口湖駅で30分の待ち合わせで、1日1本の三つ峠行き登山バスに乗る予定だったが、到着が遅れて乗れないかもしれない、という考えが頭をよぎった。

 

テレビ画面に映る文字

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高速バス内の案内表示板

 

正常運行ならば9時20分に河口湖駅に到着するバスは高速道路上で大渋滞に捕まり、到着時刻を過ぎても上野原インターに届かず、ノロノロ運転をしている状態だった。NHKニュースで事故内容を確認すると、車9台が関係する追突横転事故で5人が怪我をしたが、幸いにも死者はいないとのことだった。高速道路の通行止めは午前6時15分からだった。これで今回の登山は中止し、河口湖畔の散策に変えたのだが仕方のないことだった。

 

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バス車内で読んでいた『日本アルプスと秩父巡禮』

 

私はバスの車内では『日本アルプスと秩父巡禮』という本を読んでいた。今から約100年前の大正8年に発売された本で、著者は伝説的な登山先駆者の田部重治。東大を卒業した後、英文学者として生徒たちに教えると同時に、明治の終わりから大正の初めにかけて積極的に縦走登山活動を続け、日本アルプスや奥秩父の山々を約10年間に渡って探検登山した時の紀行文である。当然のこと旧仮名遣いのため読みづらいが、読んでいると行動力と情景描写が素晴らしいの一言に尽きる。

 

山の道路を走る車

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河口湖巡回バスから眺めた黒岳

 

大月あたりで全くバスが止まってしまったので、運転手に話して大月駅前で下車した。バスに乗っていた時間は6時間30分だった。座っているのも楽ではない。やれやれ、やっと解放された。幕張に戻り再度出直すよりも、明日の天気予報を確認すると日中は晴れなので、明日再度、登山をし直すことにして、河口湖畔のゲストハウスに宿泊予約を入れたのだった。大月駅から富士急行線の大月駅発15時19分の河口湖駅行き普通電車に乗った。

 

山と湖の景色

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大石公園から眺めた夕暮れの富士山

 

河口湖駅に16時16分に着いた。富士山が実に大きくダイナミックだ。宿泊するゲストハウスは河口湖北側の大石公園の近くだった。河口湖巡回バスは、20分間隔で9時から17時45分まで運行していた。1番線で待っていると巡回バスがやってきたので乗車し、約30分乗車して大石公園で下車した。途中でバスの車窓から登る予定だった三角形をした黒岳の山頂が見えた。大石公園は、以前、富士山山麓一周150kmをテント泊で歩いていた時に寄ったことを思いだした。ラベンダーがとても綺麗な公園だ。もちろん河口湖越しの富士山も素晴らしい。大石公園に入ると、暮れなずむ富士山を眺めながら、ギターを演奏し歌っている男性がいた。演奏も歌も巧かった。

 

テーブルの上に置かれているキッチン

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ゲストハウスのリビングルーム

 

大石公園から歩いて3分の所に宿泊するゲストハウスがあった。このゲストハウスは建てたばっかりで新しかった。2階建てで色々な部屋タイプがあるが、私が泊まったドミトリーは16名の相部屋の1泊素泊まりで2770円だった。山小屋に泊まるのと同じ感覚だが、一応畳一畳分の個室となっている。この日2段ベッドの16人の部屋に泊まったのは4人だったが、ドミトリー形式のゲストハウスは若者が利用するタイプと言えるだろう。が、山登りをする人間にとっても1泊2770円は魅力的だ。湯船はないが温水シャワーと清潔なシーツにふかふかのマットレスと羽毛掛け布団、暖房も十分きいており、清潔感はいっぱいだった。2階はツインルームになっているようだった。私はまた山登りの時に利用するだろう。

 

建物の前に立っている家

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休みだった日本料理店

 

ゲストハウスの周りの食事処は観光客対応のため、昼間営業で夜は全て閉っていた。ネット検索し日本料理をやっている店が20時まで営業中とあったので、安心して駅前のコンビニで夕食を買ってこなかった。ところが、その日本料理店に行くと閉まっていた。ガビーン。そりゃあないよと思ったが、電話を入れて確認しなかった私のミスだった。

 

カウンターに置いている様々な瓶

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晩酌は地ビールと地酒

 

仕方がないのでゲストハウスの受付で、地酒の甲斐の開運富士蔵と富士高原ビールヴァイツェンをそれぞれ1本買って1650円を支払った。晩酌は行動食をつまみにいっぱいやった。ヴァイツェンビールは独特の味がして美味い。こういう癖のある味が私は好きだ。明日の登山コースを検討すると、泊まっているゲストハウスから約30分歩くと広瀬というところがあり、そこの登山口から直接黒岳に登るコースに変更した。黒岳に登ってから稜線を新御坂峠まで歩き、バスが通っている三つ峠入口バス停へ下山し、そこからバスで河口湖駅までに行くという当初の計画とは全く逆コースで縦走することにしたのだった。コースタイムは2時間増しだった。

 

駐車場に駐車している数々の家

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ゲストハウスのDotHostelBar

 

 12月16日 晴れ

7時にゲストハウスを出発した。今日も快晴である。河口湖の向こうに朝日が当たり出した富士山が雄大に聳えている。これから登る御坂山塊にも朝日が当たり出し、下から見上げる状況では雪はあまりついていないように感じた。ゲストハウスのある大石集落から30分ほど歩いて広瀬集落に行き、そこから登り始める予定だ。

 

木製のベンチ

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久保田一竹美術館はコロナ対応で臨時休館中

 

広瀬の信号を左折して山の方に入って行った。途中に久保田一竹美術館があった。この久保田一竹は着物に富士山の姿をデザインすることで有名で、以前妻と訪れたことがあった。そのデザインの美しさと大胆さに度肝を抜かれたのだが、実用性から言えば、あのような着物を着る人はいないのではないかと思った。美術館はコロナの感染拡大で当面の間は休館中だった。登山口はその久保田一竹美術館を通り越したところにあった。

 

森の中を歩いている

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広瀬の黒岳登山口

 

7時40分に黒岳登山口に着いた。登山口の看板が立っており、ルートに赤いテープと黄色いロープが張られていた。さあ、空は晴れている。気持ちよく山頂に向かって進んでいこう。ここでダウンジャケットを脱ぎ、クマ鈴とストックを準備した。最初から急登だった。落ち葉がうず高く積もりスリップの連続だった。登山靴は完全に落ち葉に埋もれ、ロープを頼りに登っていった。ロープがなければ手こずる急登だった。15分で急登を終えると、比較的緩やかな場所に着いた。後ろを振り返ると、雄大な富士が木の間越しに見えた。河口湖は靄が立ち上がっているようでぼーっとしていた。

 

森の中にいる

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ロープが張られている黒岳南尾根の急登

 

ゲストハウスから歩き始めて1時間たったアカマツ林の中で初めての休憩を取った。とにかく暑いのでセーターも脱いだ。陸上自衛隊北富士演習場の訓練の発射音がズドーン、着地音がズシーンと響いてきていた。8時25分に尾根に上がった。右側にアンテナが山頂に立つ三つ峠山が見えた。アンテナが太陽に照らされて白く輝いていたが、右隣の二つの山頂には雲がかかりだしていた。9時に黒岳南尾根合流点に着いた。ここから右に降りて行けば御坂峠トンネル登山口に出るのだ。合流点からは黒岳山頂まであと1時間というところだ。広瀬登山口から登り出して1時間40分の予定が、1時間に20分で登ったことになる。少し速いペースだった。

 

雪が積もっている森

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登山道脇に雪が出てきた

 

尾根の合流点を過ぎると、岩尾根の急登になった。周りにはツツジが群生している。5月下旬の花が咲くころは素晴らしいツツジが見られることだろう。岩尾根のため右手に持っていたストックが邪魔になるので、折りたたんでザックに収納した。黒岳山頂手前30分ぐらいのところで雪が出だした。もちろん谷間には雪が残っていたので、以前から雪は見えていたが、登山道脇に雪が出てきたが、このくらいの雪だと山頂まで大丈夫だろう。ロープが張られた急登が次々に出てきた。脚が重くなってきたのを実感していた。昨日は朝食抜きで家を出てきて、昼食はバスの中でおにぎりを2個食べ、夕食は無しで晩酌のみ、今朝はゼリー飲料のアミノバイタルだけで、身体のなかのエネルギーが切れかけているので足が重く感じるようだった。エイトマンの胸のランプがオレンジ色に点滅しだしたようだった。

 

雪の上でジャンプしている男性

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雪の黒岳山頂

 

山頂手前の見晴台からは湧き上がってきた雲によって、富士山はもう見えなくなっていた。上空も雲に覆われて、時たま太陽が出る程度だった。これから天下茶屋まで縦走する予定だが眺望は期待できないだろう。まもなく雪に覆われた黒岳山頂に着いた。10時だった。誰もいない山頂だった。山頂には1週間前に降った雪が1、2cm残っていた。スマホのセルフタイマーの設定をやっていると、夫婦連れと思われる2人が日向坂峠方面から登ってきた。その方にシャッターを押してもらった。もちろん私も2人連れのシャッターを押してやった。

 

雪の積もった森の中

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雪の登山道

 

黒岳山頂から御坂峠方面の縦走路に入ると、まもなく岩尾根の急な下りになった。しかも登山道が北斜面だったために、降った雪が融けず岩と雪と氷のミックス状態で非常に危険だと感じた。ここで登山靴に軽アイゼンを着けた。軽アイゼンの威力は抜群だった。急な下りを降りてからも、雪と氷の混じった登山道が続いた。落ち葉の下に氷が隠れていることもあり、油断ならない登山道だった。

 

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御坂天神社の菅原道真像

 

旧御坂峠の手前で天下茶屋から縦走してきたという夫婦に会った。挨拶をしながら情報交換をすると、これから先は全く雪も氷もない縦走路だったという。情報を得てありがたかった。そこで履いていた軽アイゼンを外した。太陽が顔を出して上空は真っ青に晴れ上がっている。三つ峠山は雲が飛び山頂を表していたが、富士山の方面だけは雲がかかっていた。御坂天神社の祠が建っており、中に菅原道真の石像が祀られていたので手を合わせた。

 

森の中の家

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旧御坂峠にある廃屋となった「峠の御坂茶屋」

 

11時に旧御坂峠に着いた。旧御坂峠は十字路になっており、御坂山から黒岳への縦走路と黒駒・藤野木と河口の古道が交差していた。峠には現在は廃屋となったが、「峠の御坂茶屋」というのがあった。茶屋の窓が壊れていたので内部が見えたが荒廃しきっていた。御坂トンネルが開通したあとは、登山者しか通らない峠道なので商売など成り立たず、茶屋は随分前に廃業したようだが、所有者は茶屋を解体しないのだろうか。私は御坂山を越えて天下茶屋まで行くつもりだったが、展望も芳しくないので、この峠から降りることにした。一口羊羹を食べて、行動食のクルミやピーナッツを頬張りながら峠を降りだした。

 

森の中にいる動物

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落ち葉のなかの石仏

 

旧御坂峠から降りてくる道は、落ち葉に覆われていたとはいえ、とても歩きやすい道だった。昔、河口湖側と甲府側とは、この峠で結ばれた生活道だったのだろうと考えながら降りてくると、石仏が置かれてあった。お賽銭は50円玉、10円玉、5円玉、1円玉があげられてあった。トータルで120円くらいのお賽銭だった。ずいぶん降りてくると、砂防ダムが見受けられるようになり、「富士河口湖里山ハイキングクラブ」が作った、御坂峠、お願い、事故のないように、富士山が見えるといいね、という短冊が吊るされていた。こういう短冊を見ると心がなごむ。

 

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河口の森の説明板

 

砂防ダムの脇を5つ6つ通過してくると、自動車の音が聞こえるようになった。下山口に河口の森、森林文化の森という看板が立っており、その中で私が歩いた黒岳に直登するルートから旧御坂峠までは眺望ゾーンと森林体験ゾーンということに分けられた区域だった。天下茶屋から太宰治文学碑さらに新御坂峠から御坂山を通って旧御坂峠までは、緑のダムゾーンと歴史研究ゾーンに分けられていた。また黒岳から旧御坂峠に降りてくる途中の左側に土塁のような人工物が確認できたので、なんだろうなと考えていたのだが、この地図によると「御坂城」という山城があったようで、その城跡というのが、あの土塁だったことがわかった。私が旧御坂峠から降りてきた道は、甲斐の国と相模の国を結んだ鎌倉往還という昔から歩かれた道で、その最大の難所が標高1520mの旧御坂峠だったのである。道理で歩きやすい道だったと納得したのだった。

 

店の看板と煉瓦の建物

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河口湖駅前のレストラン

 

三つ峠入口のバス停に到着したのは12時20分だった。1時間に1本の通過バスの時刻表を確認すると、12時46分の河口湖駅行きがあった。実にラッキーである。バスで河口湖畔まで降りてくると、晴れあがった空に三角形の黒岳がハッキリ見え、河口湖を挟んだ富士山が太陽の真下に聳えていた。河口湖駅に到着したあと、以前、富士山登山の下山後に寄った駅前食堂に行ったが、その食堂は廃業していた。新型コロナウイルスの影響なのだろうか。仕方ないので近くのレストランに入って、メニューにはなかったが、まずビールを頼んだ。ビールの次は河口湖名物のワカサギのフライ定食をツマミに地酒を飲むつもりだった。

 

テーブルの上の料理

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ワカサギのフライ定食を食べた

 

ワカサギのフライ定食が運ばれてきた。ビールで喉を湿らせて臨戦態勢が整っていたので、地酒の笹一か開運はありますか?と尋ねると、ウチでは地酒は取り扱っていません、との答えだった。ガビーン。ワカサギのフライを肴に地酒を愉しむという夢は、あっけなく打ち砕かれてしまった。ま、こういうこともあるさ、と諦めながらワカサギ定食を食べたのであるが、ワカサギのフライはサクサクしていて美味かったが、ご飯はパサパサで硬くて冷めており、今までこれほど不味いご飯を食べたことがなかった。ビックリ。お土産も売っていたのだが、買うのは止めたのである。

 

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お土産はシャイ・マスカットもち

 

 食事を終えて駅舎内のお土産処に入った。妻も息子も甘いものが好きなので、「シャイ・マスカットもち」を買った。食事前に新宿バスタ行きの高速バスのチケットを買ってあったので、14時10分発のバスに乗り込んだ。乗客は5人だけだった。1時間50分後には新宿に到着したのである。行きと帰りでは雲泥の差だった。

 

マップ

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今回の登山データ

 

 今回の登山ルートは家族に伝えてきたコースとは変更の連続だった。当初は天下茶屋登山口から新御坂峠に登り、縦走路を歩いて黒岳山頂に達し、南尾根を広瀬下山口に降りるというものだったが、中央高速道路の事故の影響を受けて、河口湖湖畔に宿泊することになり、翌日に逆コースからの縦走に切り替えて出発したのだった。しかし、黒岳山頂に到着する直前から展望が芳しくなくなったので、旧御坂峠に到着した段階で縦走を打ち切り、三つ峠入口バス停に下山するコースに再度変更したのだった。旧御坂峠でコース変更をしなかったならば、同じ三つ峠入口バス停に下山する時刻は2時間後となったのである。今回の変更はエスケープルートの変更に近いが、常に歩くルートの周辺を確認しておくことが重要だと思う。来年の5月下旬のツツジの咲く頃に、天下茶屋からの縦走コースを歩いてみようと考えている。来年も安全登山を心がけたい。

 

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