高畑山・倉岳山トレッキング
霧に包まれた倉岳山990m山頂
富士山を見るために高畑山から倉岳山へのトレッキングに出かけた。場所は山梨県大月市である。約2週間前に山梨県の観光スポット第1位の昇仙峡と羅漢寺山塊に登った時は、残念ながら富士山の秀麗な姿は見えなかった。今回は場所を“秀麗富嶽十二景”に挙げられている高畑山と倉岳山に場所を移して雪帽子をかぶった富士山を見ようとしたのである。
スタートの鳥沢駅は無人駅だった
登山コースはJR鳥沢駅で下車し、まず高畑山に登り、それから天神山を越えて倉岳山に縦走したあと、JR梁川駅に降るという周回コースをとった。登山時間は標準で約5時間30分である。自宅を4時20分に出た。10月中旬となったが生暖かい朝だった。新月間近の月が東の空に浮かんでいた。
スマホの登山地図は使いやすい
今回は紙の登山地図と同時にスマホで見る電子地図を携行した。スマホの登山地図は拡大縮小が自在にできるのでとても便利だ。私はヤマップというサイトからダウンロードしたものを使っており、ダウンロードの同時保存は3枚まで無料である。現在位置の確認にGPSを使うので予備電池は必携である。
虹吹橋から桂川を見下ろす
御茶ノ水駅と八王子駅で乗り換え、鳥沢駅に着いたのは7時12分だった。気温は15℃。駅前のコンビニでおにぎりを買うつもりでいたがコンビニはひとつもなかった。鳥沢駅から国道20号を東に向かい中央線のガードをくぐり、堀之内集落をのんびりと歩きながら桂川に架かる虹吹橋を渡った。虹吹橋から桂川を見下ろすと川の流れは速く白波が立っていた。周りの木々はまだ紅葉の前だった。セイタカアワダチソウの黄色の花穂が目だった。ちょうど鳥沢小学校の登校時と重なり子どもたちから“おはようございます”の挨拶を受けた。当然、私も“おはよう”と返した。日本縦断徒歩の旅を続けていた時にも感じたことだが、田舎の子どもたちは挨拶をよくしてくるが都会の子どもたちは挨拶をしてこない。都会は人が多く不審者も多いため、知らない人には挨拶をしないように、親や教師が話しているのだろう。子どもたちの自己防衛とはいえ寂しいことである。
山の神神社に山旅の安全を願った
こちょこちょした道を歩きながら高畑山への登山コース案内に従って小篠集落を抜けると山の神神社があった。その神社に山旅の安全を願い山道に入って行った。山道には車両通行止めのゲートがあり、登山者は右の扉を開けて進むのだった。このゲートは車両通行止めが主であるが、山に棲むクマやシカやイノシシが集落におりてこないためのガードの役目もあるのだろうと思われた。
高畑山の登山ゲート
やがて小篠貯水池の脇に出た。貯水池の東側は広場になっており、桜が植えられていた。花が咲く頃に広々とした芝生の上で宴会をやったら、さぞかし楽しかろうと思う。この地域にもツキノワグマが出没するらしく“熊注意“の看板が立っていた。貯水池の水は全て抜かれており底が見えた。工事をする人が鉄パイプをトラックから降ろしている脇を通り抜けた。池の水が抜かれたのも工事と関係しているようだ。あたりは植林された鬱蒼とした森である。
熊出没注意の看板
小篠貯水池から小篠沢に沿って登っていく登山道は岩だらけの道で苔むした岩は湿っており、スリップに気をつけながら進んでいった。小篠沢は集落の水源となっており、汚さないようマナーを守ってください、という注意の立て看板があった。看板に吊るされていた温度計も15℃を指していた。登山道は大雨が降った際には川と化すようで、おびただしい流木が片付けられないまま残っていた。湧き出した水が登山道に流れ込み歩きにくかった。
飲料水の水源を汚さないで
私の前に2人の登山者が歩いていた。熊鈴をつけていたので追い越さずに熊よけの代わりをしてもらった。2人は私より年上のようだった。30分ほど歩いたところで2人が休憩したので、挨拶を交わして追い抜いた。穴路峠への分岐に8時30分に着いた。私は右に折れて高畑山に向かった。2人は高畑山には登らずに倉岳山に向かったようだった。いよいよ急登が始まった。つづら折りの登山道だが落ち葉を踏みしめながら歩くのはとても気持ちが良かった。登山道にはときたまイノシシが掘った跡が見受けられた。
イノシシが掘り返した跡にたびたび出会った
広葉樹の林を抜けて再び植林された場所に入ると登山道脇にはシカに樹皮を食べられないように幹にネットが張られていた。シカに樹皮を食べられたスギやヒノキは枯れてしまうのだ。そのために幹を巻くようにネットを張るのだが、この作業だけで膨大な時間と費用がかかるだろう。林業も楽ではない。周りはガスに取りまかれていたが雨が落ちてきた。天気予報に反して山の天気は崩れてきた。残念だが仕方ない。今回も富士山を望むのは無理だろう。
倒木に生えたキノコ
仙人小屋跡地に着いたのは9時10分だった。周りは山梨県有林となっておりヒノキが植えられ“保安林改良事業施行地”という看板が立っていた。辺りは薄暗く見通しは良くなかった。ジグザグの道を繰り返し登っていくと、おびただしいキノコが倒木の枯れた幹に発生していた。私はキノコに詳しくないので採取することは控えたが観察すると食べられるキノコだと思われた。
高畑山山頂に立つ
鳥沢駅からスタートし一度も休まず歩いたので9時40分に高畑山982m山頂に着いてしまった。予定よりも1時間10分早かった。当然のことながら山頂は霧の中だった。晴れていれば南側に雄大な富士山が見えるはずだった。この山頂からの富士を見るために今回のトレッキングを計画したのであるが残念だった。山頂には三角点が打たれ、“秀麗富嶽十二景”の写真付きの解説板があった。晴れていたならば30分ほど休憩する予定だったが、雨が落ちてくるような天候では体が冷え寒くなるので倉岳山に向かうことに決めた。
色づき始めた登山道
山頂からは落ち葉が重なった急坂を下っていくのだが、雨に濡れた岩や落ち葉は滑りやすいのでスリップに注意しながら降った。落ち葉で登山道の踏み跡が隠れてしまい道を間違えることもあった。秋山登山で注意する点だ。途中でおびただしいヤマグリのイガと実が落ちていた。小さいヤマグリの皮を剥いでクリご飯を作るのは大変なのだが、時間的に余裕もあるためクリ拾いタイムとした。拾ったクリは50個を超えた。帰宅してからクリご飯を炊いて食べたがとても美味かった。
天神山山頂
登山道は道標もしっかり整備されていた。ここでもイノシシが掘り返した跡が度々見受けられた。それだけイノシシが棲んでいるということだ。イノシシの牙は刃物と同じなので、万が一刺されたら大怪我をするか命を落とすだろう。木々の紅葉は始まったばかりで黄色く色づき始めた葉が散見される程度だった。淡々とした尾根道をたどり天神山山頂に着いたのは10時30分だった。北側が開けていたので眺めてみたが相変わらずガスの中だった。赤松の大きな木が育っていて見事だった。
今は廃道となった穴路峠
10時40分に穴路峠に着いた。この峠は車社会になる前に鳥沢村から秋山村に抜ける街道の乗っ越しだった。大月市は穴路峠や隣の立野峠を含むここらあたり一帯を“峠道文化の森”に指定し、その内容を記した看板が立てられていた。現在はハイカー以外に通ることのない廃道の峠である。
霧に包まれた登山道
穴路峠から再びの急登に汗を流した。東西に延びる尾根上が北側の鳥沢地区と南側の秋山地区の境界線となっており、北側は植林され日が射さずに薄暗いのに比べ、南側は広葉樹の林で明るく気持ちが良かった。その中を歩いていたが薄靄に包まれて幻想的な雰囲気だった。
ひとりだけの倉岳山山頂は静かだった
倉岳山990mの山頂に着いた。今回のトレッキングの最高地点である。丸く広い山頂にはベンチが一つ置かれ、南に富士山が見えるのだが、全く真っ白けの雲の中である。山頂に三角点が打たれ、秀麗富嶽十二景の解説板が置かれているのは高畑山と同じであったが、新たに山梨百名山の標識がベンチの脇に立っていた。赤松に囲まれた静かな山頂は私ひとりである。野鳥の声も聞こえてこなかった。
立野峠に降り立つと梁川から登ってきた青年に出会った
山頂から急斜面を下って立野峠に降り立つと梁川から登ってきた青年に出会った。今日出会う3人目の登山者だった。彼は1ヶ月ぶりの登山だと言い、クマの話になると熊鈴は持っているがザックの中にあると言った。ツキノワグマは本来は臆病でおとなしい動物なのだが、今年の夏は長野県の上高地キャンプ場の売店のごみ箱をあさったり、テントで就寝中の女性が襲われてキャンプ場を一時封鎖した出来事があり、新潟県では農作業中の女性が襲われて亡くなり、秋田県では住宅街で襲われて亡くなったのも最近の出来事である。5分ほど立ち話をして青年と別れたが、イノシシやクマが棲む山の中に私たちが入っているのであって、途中でクマやイノシシに出会うのは当たり前のことなのだが、願わくはそれらの動物には出会いたくないものである。
月屋根沢の滑滝
立野峠から梁川駅まで月屋根沢沿いに下った。次々に沢が合流してくるので、しだいに水かさを増し、水は岩を喰み、水しぶきをあげていた。小さな滝が至る所にあり、滑滝も見られた。沢に沿っての峠道はかつて村人たちが歩いた道を思い出させるように苔むした石垣が散見されるのだった。渓流沿いの散策は沢音を聞きながら実に気持ちの良いものだった。峠から標高を下げてくるのに伴い霧は消えてしまった。
登山者数調査カウンターを押した
突然、ダンプカーが走る舗装道路に飛び出した。そこが簗川から倉岳山への登山口だった。登山者カウンターがあったので、登山者数の調査記録を残すためにボタンを1回押した。道路脇の崖の法面が崩落したようで、補修工事でネットの覆いを被せる作業中だった。
崖の法面を補修中だった
梁川駅に着く直前で、おじいさんが声をかけてきた。倉岳山に登ったんかい。1000mほどあるからねぇ。わしゃ、小学1年の時に背が高かったので、上級生に混じって1年生で一人だけ登ったんさ。その時に鎌で大怪我をして、と言いながら左の手のひらを差し出した。大きな深い傷跡があった。痛かっただろうなぁと想像した。おそらく70年ぐらい前の話だと思う。なぜおじいさんが話しかけてきたのか判らないのだが、私の登山姿を見て懐かしさと思い出がよみがえったのだろうか。
ゴールの簗川駅も無人駅だった
簗川駅に着いた。1分後に高尾行き電車があったが、汗まみれのシャツとTシャツを着替えるので次の電車に乗ることにした。次の電車は40分後だったが、登山計画書に書き込んだスケジュール通りの電車だった。台風14号と秋雨前線の影響で、最近はなかなか晴れた日が続かず、登山に出かけるチャンスがなかった。今回も富士山は見えなかったが、静かな山道をのんびりと歩くことができて満足だった。帰りの電車の中でスキットルに入れてきたウイスキーを口に含んだのは言うまでもないことだった。