坊がつる賛歌

 

朝靄が立ち込める坊がつる

 

 九州の尾根と言われている九重連山に登った。九重連山の中心は久住山である。別府駅西口発7時15分発のバスに揺られ「やまなみハイウェイ」を走ること2時間で登山口の牧の戸峠に着いた。天候は回復しているはずだが周りはガスに包まれ風が強い。天狗の標柱脇の登山届け箱に登山計画書を入れてコンクリートで整備されている登山道を歩きだした。15分ほど歩くと第1展望台に着いた。この時、急にガスが飛び青空が顔を覗かせると同時に、前方に広く拡がる飯田高原と大きく三俣山の姿が登場した。カヤトの向こうに実に堂々としている三俣山の山体が望めた。あまりにも突然の登場であったので実に感動した。このような形が私と九重連山との初めての出逢いであった。

 

 牧の戸峠からの登山コースは久住山登山のメインコースである。幅1mほどの登山道はよく整備されている。沓掛山稜線の展望所までやってくると登山道の周りに木々は生えておらず、実に明るく遠くまで見渡すことができる。星生山から右に扇ヶ鼻までが展望でき、中央に三角の久住山山頂が顔を出している。それにしても「星が生まれる山」とは何とロマンチックな山名ではないか。雨は心配ないのだが天候が不安定なため、太陽が出たり隠れたり、その度にガスが視界を遮る。私は星生山に登ってから久住山に向かうコースを考えていた。メインコースから外れ西千里浜という広い草原を横切っていると眼下に高層湿原が現れた。秋枯れが始まった湿原のなかに幾つもの池塘が見えた。池塘まで降りていった。今の季節は10月なので湿原を歩くことができるが、夏ならば窪地に水がたまり歩けないないだろうなと考えながら、薄茶に染まった秋の湿原を楽しんだ。

 

 星生山山頂からの展望は実に爽快である。眼下に轟音とともに水蒸気を吹き上げ続ける硫黄山火口が見える。その後景にモッコリした三俣山が控え、右には三角形の堂々とした九重連山の盟主である久住山が聳えている。男女2名ずつの4人のパーティが登ってきた。山頂からの絶景に喜んでいる。静かだった山頂は急に賑やかになった。お互いに挨拶を交わし写真のシャッターを押し合った。水平線は真っ白な雲の絨毯である。雲海は、ふわふわした柔らかな綿菓子のような雲であり、大空の青色に映えて実に美しい。1762mの山頂標柱に設置されていた温度計は14度を示していた。さすが九州の山だけあって気温は比較的温かい。

 

秋色に染まるイタドリの群生とガスに霞む久住山

 

 赤茶けた岩が転がっている九重連山の盟主である久住山山頂に到着した時、周りはガスに閉ざされ展望は全くなかった。登山者の一人がコッフェルでラーメンを作り昼食中だった。風が強い。天候の回復は望めないと判断し、九重連山の最高峰である中岳に向かうことにした。中岳は天狗ヶ城と双耳峰を形成しているので最初に天狗ヶ城に登り、吊尾根を伝わって中岳に行くコースを選んだ。天狗ヶ城のコースは草付きの岩場の急登である。右側は切れ落ちているので神経を使いながらの登りである。一人の登山者もいない天狗ヶ城山頂は実に静かだった。風だけが流れていた。

 

 天狗ヶ城山頂南側を急降下して吊尾根を伝って中岳に向かった。途中にある火口湖である御池も白いガスの中である。九重連山最高峰の中岳1791m山頂にも登山者はおらず、山頂の岩にコンクリートで埋め込まれている10cm程のお地蔵さんが私をにこやかに迎えてくれた。このお地蔵さんと同じものに他の山頂でも出会ったので同じ人が設置したものであろう。静かな山頂である。私は山頂ではためいていた三角形の旗を撤去した。旗は佐世保山歩会名義のもので「自然を愛し、山を愛して楽しい人生を」と印刷された2006年4月23日登頂記念のものであった。私は、「登った本人には記念となる登頂記念プレートにしても、山頂に残していくことは結果的には山頂のゴミとなる」と位置付けているので、必ず撤去するように心がけている。晴れていたならば九重連山のほぼ中央に位置する中岳山頂からの眺めは、遠く祖母山や阿蘇山の連なり、大きく拡がる九重高原の大展望が望めるのであるが、それも全て真っ白なガスの彼方である。

 

荒涼とした北千里浜と水蒸気を吹き上げる硫黄山

 

 登山開始の牧の戸峠で宿泊予定の法華院温泉山荘に連絡を入れた時、久住山からは北千里浜コースを歩いた方がいいです、とのアドバイスを受けた。中岳に登頂したあと山荘のアドバイスに従って北千里浜に下るコースを選んだ。星生山山頂からは眼下に見た硫黄山を今度は横から眺める形となった。硫黄山は1995年に噴火し、今も火口中心部は立入り規制中である。水蒸気が凄まじく吹き上げている姿は力強いが、辺りは草木が生えていない荒涼とした光景が展開する。午前中に登った星生山も2001年に登山規制が解除されたばかりであり、硫黄の臭いが鼻を突いている。火山を目の当たりに見ると地球の生成を学んでいるような気持になる。

 

 赤い屋根の法華院温泉山荘に到着したのは15時前後だった。2連泊の宿泊手続きを済ませる。この日の宿泊者は私を含めて3人であった。部屋は2階の6畳に1人なので広々としている。夏山では考えられないことだが、シーズンを外すと静かな山旅を楽しむことが出来る。部屋から右下に広々とした坊がつるの草原と後景にスッキリした形の平治岳の姿が望める。早速、温泉に入りに行く。泉質は透き通った単純温泉で熱くもなく温くもなく丁度いい温度であった。檜風呂にゆったり入り、時おりベランダに出て坊がつると平治岳から大船山への稜線を眺め、実にゆっくりとした時間の中に身を置く。忙しい社会の中に身を置いていると、誰しも人間が自然の一部であることを忘れがちである。その結果、自分を見失い、心を病んでいく人が後をたたない。なぜなのか。人間には一人ひとり、その人のペースがあり、そのペースが崩される日常の忙しさが結果的に人そのものを崩している。だから自分で意識的に休みを取り、日常の世界から切り離された自然の中に出て、心身ともにリフレッシュすることが都市で働いている人には必要なのだ。私は今までそのようにしてきたし、これからもそのようにして行きたいと思っている。

 

ゆったりする法華院温泉山荘の檜風呂

 

 法華院温泉山荘の夕食時の箸袋に「坊がつる賛歌」の歌詞が書かれていた。歌詞は9番まであるがその中の1番と8番の2つである。

 

人みな花に酔うときも 残雪恋し山に入り

涙を流す山男 雪解の水に春を知る

 

出湯の窓に夜霧来て せせらぎに寝る山宿に

一夜を想う山男 星を仰ぎて明日を待つ

 

「坊がつる賛歌」は1952年の夏、今も会員制山小屋として坊がつるの脇に建っている「あせび小屋」で3人の学生によって作られた歌で、1978年にNHKの「みんなの歌」で歌手・芹洋子が歌って大ヒットした歌である。カセットテープから流れてくる歌を聴きながら、ゆっくり湯に浸っていると「坊がつる賛歌」で歌われている光景が眼前に浮かんでくるのである。

 

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