18年ぶりの北穂高岳山頂は静かだった

 

奥穂高岳遠望

涸沢への登山道から奥穂高岳を遠望する

 

 「涸沢の紅葉を堪能し北穂高岳へ登ろう!!」をキャッチフレーズに3人の中年登山隊は夜行バスで新宿を出発した。勿論、新宿を出る前に2時間ほど居酒屋で山旅の無事を願い一杯やったのは当然の成り行きであった。今回の秋山登山に参加したのはポパイ吉原、10kg減量ですっかり顎の線がシャープになってしまったデブトラマン碓井、それにエイトマン岩井の3人である。新宿都庁大型バス駐車場を23時に出発したデラックスバスは翌朝5時に岐阜県の平湯温泉に到着した。ここで5時30分の上高地行き路線バスに乗り換えた。台風26号が虎視眈々と日本上陸を狙って沖縄近海に位置しているので今後の台風の進路状況が気になるところだが今のところ快晴のようだ。

 

 上高地バスターミナルに6時に到着しインフォメーションセンターの1階で朝食にした。昨日の幕張地区町民運動会に参加した北四丁目自治会で残った3個入りおにぎりを6食分いただいてきたのでそれを3人で分けて朝食とした。ようやく明るくなってきた空には雲ひとつない快晴である。明日以降は台風の影響で天候が崩れるとの予報が嘘のように晴れ渡っている。

 

 インフォメーションセンター前広場の水道で水を補給し涸沢を目指して落葉松林の中を歩き出す。落葉松の黄葉はまだまだだ。かっぱ橋に来ると岳沢と穂高岳の吊り尾根が見事なパノラマを見せている。この光景は何度見ても素晴らしいと思う。明神、徳沢、横尾とほぼ平坦な道を進んでいく。上高地から横尾までは3時間の行程だ。10月の3連休の最終日に当たっているため徳沢のキャンプ場には色とりどりのテントの花が咲いていたが、横尾山荘前の広場も登山者で溢れかえっている。こんなに多くの登山者を一度に見たのは30年以上山旅を続けているが初めてだ。夏山の場合は期間が長いので登山者も分散されるが、秋山の紅葉時期は期間が1週間と限定されるため登山者が一挙に押し寄せるのでビックリするほどの多さなのだ。キャンプ場も山小屋も大賑わいだ。

 

ナナカマドと屏風岩

登山道から屏風岩の頭を望む

 

 翌日宿泊予定の横尾山荘に立ち寄り、「これから涸沢まで登り、明日、北穂高岳に登頂し、そのまま下山し横尾山荘にお世話になるので、よろしく」という挨拶をしてから梓川に架かった横尾大橋を渡ればいよいよ山道となる。しかし、横尾山荘から1時間半ほどの本谷橋まではまだ平坦の道だ。私たち3人は登っていくのだが、反対に下山してくる登山者の数が半端ではない多さだ。「こんにちは」の挨拶が途切れることなく続いていく。いやはやなんともの多さだ。旅行会社のツアー登山者が多い。その大半は女性の中年登山者だ。女性は元気だ。

 

本谷橋を渡ると本格的な山道となるので、この橋のたもとで休憩するのが一般的だ。この日も大勢の登山者が川原の岩や石の上で休んでいた。それにしても凄い登山者の数だ。私たち3人も空いている場所を探して休憩とした。川原の両岸が空きの場所を探すほど混雑しているのだ。10分ほど休憩し涸沢を目指して登りだすが、登山道は九十九折りとなり岩や石が露出し斜度も増してくる。周りの木々は益々黄葉、赤葉に色付いているのが目立つようになり、自分の体がその色に染まっていくようにも感じられる。風は全く吹いていない。空は雲ひとつない快晴だ。気持ちが晴れ晴れとしていくのが実感できる。

 

本谷橋から1時間半で涸沢に到着するが、色づく景色の中で北穂高岳の次に奥穂高岳の黒々とした岩肌が登場してくる。写真で撮ったものは2次元で表現されるが自分で見た景色は3次元の立体的な世界なので奥行があり素晴らしい景色なのだ。ナナカマドの赤色が青空に対比して燃え上がり、カツラやダケカンバの黄色も映える。錦織りなす錦秋という言葉を実感する。涸沢ヒュッテの名物である吹流しを見ながら宿泊する涸沢小屋への近道であるキャンプ場経由の登山道を選ばず、涸沢ヒュッテ経由の道を選ぶ。この道は紅葉に染まった潅木の中の登山道である。登山道はパノラマ新道を左に分け涸沢ヒュッテのテラスへと私たちを導く。テラスは昼食を食べる人たちで賑わっていた。私たち3人も空いている場所を選んで昼食にした。

 

涸沢

涸沢槍と北穂尾根と涸沢小屋

 

 テラスからは涸沢カールのテント場とその上部に聳え立つ前穂高岳、吊り尾根、奥穂高岳、涸沢岳、前穂高岳がパノラマに展開する圧巻の景色だ。同行者の吉原や碓井も感嘆の声を挙げている。2人ともに秋の涸沢を訪れるのは初めてだという。晴れた日の景色は筆舌に尽くしがたい。東側の常念岳から蝶ヶ岳に続く稜線も遠望できる。屏風岩の頭も手に取るように望める。このような景色をおかずに食べるおにぎりも特別美味く感じられる。今夜宿泊する涸沢小屋は目の前に建っている。

 

涸沢小屋に到着し宿泊手続きを終えテラスに飛び出し生ビールで乾杯だ。空は晴れ、風はなく、周りの景色は紅葉真っ盛り、言うことなしの酒盛りである。瞬く間に焼酎瓶を空け、ウイスキー瓶を空けた。昨晩までの連休中は布団1枚に3人というメザシの混み方だったというが、今日は布団1枚に一人という通常の宿泊に戻っている。私の隣の宿泊者は大阪からの60代の登山者で涸沢小屋に連泊すると言う。その方は登山初心者だったために問われるままに夕食後に様々なことを話した。翌日、私たちは北穂高岳に向かったが、その方は奥穂高岳に向かった。当然のことながら涸沢から奥穂高岳山荘に登るルート上と、奥穂高岳山荘から奥穂高岳に登るルート上の危険箇所を指摘したのは言うまでもないことだった。

 

 翌朝、私たちは6時過ぎに北穂高岳に向かって登山を開始した。涸沢小屋に宿泊した登山者の多くは下山したが、僅かな人が奥穂高岳を目指し北穂高岳に向かったのは私たち3人だけだった。岩屑の登山道を一歩一歩登っていった。涸沢から山頂までのコースタイムは3時間であるが、ザック類を涸沢小屋テラスに置いてきた空身なのでペースが早い。頂上まで2時間で着いてしまった。途中で下山してきた人達も私たちのスピードの速さに驚いていた。台風26号が迫っているため、いつ雨が降り出すかもしれない空模様を心配しながらの登山である。雨に濡れた岩は滑りやすく滑落事故を起こしやすい。出来るならば雨が降り出す前に登頂し、涸沢まで下山したいと思いながら登っていったのである。

 

18年ぶりの北穂高岳山頂

18年ぶりの北穂高岳山頂は静かだった

 

 稜線に出ると凄い風が吹いていた。吹き飛ばされないように注意しながら歩を進めた。18年ぶりの北穂高岳山頂には私たちの他に登山者はいなかった。静かな山頂の向こうに槍ヶ岳の天を突く尖峰が見えた。南岳から北穂高岳に続く大キレットのナイフリッジを覗き込み、急峻な絶壁である滝谷の岩場を覗き込む。いすれも大変な難ルートだ。歩いている登山者や登っている登山者を見つけることは出来ない。山頂は風が強すぎるので風を避けることのできる北穂高岳山荘のテラスに行って休憩した。周りに遮るもののない標高3106mからの眺めは抜群である。18年前は一人で奥穂高岳から縦走してきたが、今回は3人で立った北穂高岳山頂だった。

 

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