アフリカ大陸の最高峰・キリマンジャロ登頂記

その2

6-4.頂上直下で迎えた日の出

頂上直下で迎えた日の出

 

(6)アフリカ大陸のてっぺんへ

 キリマンジャロ登山報告の6通目は、いよいよ今回のキリマンジャロ登山のハイライトであるキボ・ハット(4710m)からギルマンズ・ポイント(5690m)を通過して最高点ウフル・ピーク(5895m)までのレポートです。

 キボ・ハット到着後、18時に寝袋にもぐりこみました。4時間後の22時に起床し、ビスケッ トと紅茶の簡単な腹ごしらえをし、いよいよウフル・ピークに向けての登山開始です。私は最終アタック時の登山服は防寒の観点からスキーウェアにしようと考え準備しました。上は、速乾性の下着、長袖シャツ2枚、フリース、薄手のダウン、その上にスキーウェアを着込みました。下は、トランクス、速乾性タイツ、保温タイツ、スパッツ、その上にスキーズボンを穿きました。アルパカの帽子を被り、手袋は二重で、靴下も2枚重ねにした全身防寒スタイルです。

 外温は無風状態で0度でした。23時15分にヘッドランプを頼りに登山ガイドを先頭に私たちのパーティ9人はキボ・ハットを出発しました。斜面は満月の月光に照らされ登山道は白く光っていました。登山ガイドたちはリーダーを除き誰もヘッドランプをしていません。私の背負ったザックの中は、予備ライト、予備電池、ダウンジャケット、写るんですカメラ、が入っていました。頂上までの標高差1200mをポレポレと登っていきました。

 最初に辿り着く頂上のギルマンズ・ポイント(5685m)まで、延々と続くジグザグの急登を1時間で150m登るペースでひたすら登って行きます。足元の砂礫が崩れやすく歩数は増えるのですが、高度は中々上がっていかないのです。丁度、富士山の須走りルートを登っていく感じです。外気温が低く、ゆっくり登っているため汗は殆ど出ませんが、時折り襲ってくる睡魔との闘いでした。頂上直下の岩場で突然、高山病の「吐き気、目眩、平衡感覚の喪失」に襲われました。あまりにも突然だったので慌てましたが、すぐにしゃがみこみました。1分ほどじっと我慢していたら徐々に身体が元に戻っていきましたが、空気が薄いためゆっくりした動作でした。

 6時30分、頂上クレーターの端にあたるギルマンズ・ポイントに到着しました。出発から7時間かかったことになります。気温はー8度でしたが寒さは全く感じませんでした。ここから遥か先に見える最高地点のウフル・ピークまでは標高差200mをお鉢廻りに2時間の道のりです。9人全員がギルマンズ・ポイントに登頂しましたが、その先のウフル・ピークまで向かうと意思表示したのは私と堤隊長のみでした。5685mという未体験ゾーンに、隊員たちは疲労困憊でした。

6-6.ギルマンズポイントで記念撮影

ギルマンズ・ポイント(5681)


 ギルマンズ・ポイントから最高点に向け岩場を回りこみながら登って行きます。途中でマチャメ・ルートからの合流点のステラ・ポイント(5756)を通過しました。ここまで来て下山した仲間もいました。朝日に白く輝く美しい氷河を左手に更に高度を上げ、下山してくる欧米人の人たちと擦れ違いながら、とうとう8時30分にアフリカ大陸最高地点のウフル・ピーク(5895m)に着きました。アフリカのてっぺんに立ったのです。

 私は氷河を見たのは初めてでした。この氷河を見るために私はキリマンジャロにやってきたのです。今から100年前に山頂の全てを覆っていた氷河も、20年後には地球温暖化のために消滅してしまう、と言われているのが嘘のような巨大な氷河が目の前にありました。確かに昔の写真と現在の写真を見比べると山頂の氷河が急速に縮小しているのが分かります。キリマンジャロ山頂から氷河が全て消失してしまったら荒涼としたクレーターが残るだけの味気ない山頂となってしまうなぁと思いました。

 頂上で登山ガイドと堤隊長とともに記念撮影をしました。頂上の小石を拾い9月10日の壮行会で寄せ書きしてもらった旗に載せ、氷河を背景に寝転がっての記念写真も撮りました。日本の山頂でも感じる充実感が、クレーターの下から吹き上がってくる冷たい風にあたるとき、アフリカ大陸の最高点に立っているんだという達成感が、今までになく特別に感慨深いものとなりました。

 また、以前はウフル・ピークにはタンザニアのジュリアス・K・ニエレレ初代大統領の「我々は、彼方国境に輝くキリマンジャロ山頂に、灯火を掲げよう。絶望あるところに希望を、憎悪あるところに尊厳を与えるために・・」という言葉が記された銅板レリーフがあったとのことですが、いまはどこかに持ち去られてありません。「キリマンジャロ=輝く丘」が、アフリカ植民地政策から脱却・独立するためのシンボルとして、キリマンジャロを朝に夕に見上げて生活する多くの人たちの心に輝かしく光っていたことの意味を私は考えました。

--------------------------------------------------------------------

7-9.登山ガイドより認定書を頂く

登山ガイドより登頂認定書を頂く

 

(7) 金色に輝く登山証明書

 キリマンジャロ登山報告の7通目は、ホロンボ・ハット(3780m)から下山までのレポートです。

 昨日は、アフリカ大陸最高峰のウフル・ピークまで登頂した後、登った道をギルマンズ・ポイントまで戻り、更に宿泊したキボ・ハットまで降りたのは、出発してから12時間後でした。昼食が出されたのですが全く食欲が出ませんでした。私は登山中で食事が出来なかったのは初めてでした。それだけ身体が徹底的に打撃を受けていた結果だと思いました。疲れて鉛のように重い身体を励まし荷物を整理し、ポーターに預けて一気にホロンボ・ハットまで降りました。振り返って見ると結構ハードな1日行程でした。

 ホロンボ・ハットで事件が起きました。ハットの宿泊予約がダブルブッキングンだったため、ゆっくり降りてきた私たち10人の宿泊する場所がないのです。堤隊長が管理事務所と交渉し3箇所に分散するという形で宿泊場所を確保しました。食堂ハットの2階に寝た人によると寝場所を確保できなかった人は寝袋にもぐって階段の下にころがっていたとのことでした。

 今朝の5時30分に起こされるまで本当にぐっすり眠り、元気も復活しました。ホロンボ・ハットを7時20分に出発し、一気に登山入口のマラング・ゲートまで降りました。三角屋根の登山口には公園ガードマンがいますがライフル銃を持っており本人の写真を撮ることは出来ませんが、ガイド2人と記念写真を撮りました。長いようで短かったキリマンジャロ登山も終わりを迎えようとしています。

 昼食はスパゲティにオレンジが付いていました。待ちに待ったビールが飲めます。売店で1本3ドルの冷えたキリマンジャロ瓶ビールを2本買いました。6日ぶりに飲んだビールは本当に美味いビールでした。タンザニアはイギリス植民地の前はドイツ植民地であったことからビールはドイツの流れを受け継いでおり、とっても美味いのです。冷えたビールが静かに喉を潤し全身に滲み込んでいくようでした。

 今回のキリマンジャロ登山に関して登山トレーニングは富士登山3回を含めて4月から8月末まで行いましたが、1週間の禁酒訓練は行っていませんでした。実際、今回の登山では6日間酒を飲まない期間がありましたが身体的には特に問題はありませんでした。睡眠も十分取れましたし食事も十分に取れました。下山後に飲んだ冷えたビールは久しぶりに美味かったです。

 登頂証明書は3種類ありました。金色の縁取りはウフル・ピーク(5895)へ登頂した証明書、銀色の縁取りはステラ・ポイント(5756)へ登頂した証明書、緑色の縁取りはギルマンズ・ポイント(5685)まで登頂した証明書、というふうに分かれています。登頂証明は自己申告ではなく、一緒に登った現地ガイドが登頂証明者となり、登山ガイド、キリマンジャロ国立公園管理者、タンザニア国立公園管理者、3者のサインがなされて初めて発行されます。私がもらったウフル・ピーク登頂証明書には、CERTIFCATE No.UP 107479 という認証番号が印字されていました。

---------------------------------------------------------------------

746-1

アルーシャ国立公園

 

(8) アルーシャ国立公園サファリへ

 キリマンジャロ登山報告の8通目は、アルーシャ国立公園でのサファリ体験レポートです。

 昨日、山から降りてきてアルーシャ市の「ホテル・アルーシャ」に落ち着きました。町の中心地にある高級ホテルです。アルーシャは、アフリカ大陸の中央に位置することから「アフリカのへそ」と呼ばれ、アフリカ大陸5番目の高峰マウント・メルー(4,566m)の山麓、標高1,400mのところにあるタンザニア第2の都市です。

 夕食前にホテル前のスーパーマーケットに行きました。ロータリー交差点を渡るのですが信号機がないので車の間をすり抜けて渡らねばなりません。もたもたしているとクラクションに急かされ、ちょっとしたスリルを味わいます。スーパーで買ったのは、ろうけつ染め絵画、キリマンジャロコーヒー、ビール、でした。

 旅もいよいよ残り少なくなってきました。今日はアフリカを飛び立つ日です。ホテルで朝食を済ませトランクを荷造りし、午前中は近くのアルーシャ国立公園に野生動物たちの生活を観るサファリに出かけました。サファリはスワヒリ語で「旅」という意味です。この国立公園内の動物たちは草食動物のみで肉食動物はいません。

 このサファリで出会った野生動物は、シマウマ、アミメキリン、イボイノシシ、レイヨウ、ヒヒ、アビシニアコロブス、フラミンゴ、シカ、でした。動物たちは当然のことですが、雄大な景色の中に溶け込んでいました。フラミンゴは全世界で30万羽いるとのことですが、そのうち20万羽がタンザニアにいるとのことです。フラミンゴの物凄いエグイ鳴き声がひっきりなしに聞こえてきます。アミメキリンは色が濃いほど年を取っており群れの中で立っている一頭が周囲を監視しセキュリティ役との説明を受けました。

 サファリを終え、公園近くのお土産屋に寄りました。タンザニアを代表する絵画で、原色で描かれた「ティンガ・ティンガ」や黒檀を彫った「マコンデ・アート」がたくさん並べてありました。私は「マコンデ・アート」は既に3体買ってありましたので、バナナの葉を着色した材料で描いた絵を2枚で25ドル、マサイ族が纏う赤のチェックの民俗衣装を20ドルで買いました。マサイ族の衣装はキリマンジャロ空港で同じものが半額の10ドルで売っていました。ま、仕方のないことで、これもいい旅の思い出です。

 帰国の飛行機がキリマンジャロ空港から飛び立ってまもなく右側に大きくキリマンジャロ山が登場しました。そこに見える光景は『キリマンジャロの雪』の最後で「全世界のように幅の広い、大きい、高い、陽光を浴びて信じられないくらい純白に輝いているキリマンジャロの四角ばった山頂がそびえている。そのとき、彼は、自分の行くところはきっとあすこだなと思った」という文章と同じだな、と思いました。

--------------------------------------------------------------------

ポーター-1

ポーター

 

(9)ポーターのみなさんに感謝感謝

 キリマンジャロ登山報告の9通目は、登山で感じたポーターのことです。これが最終レポートです。

 今回の登山で第1日目の昼食と最終日のサファリツアーの昼食は弁当でした。内容は、サンドイッチ、鳥の唐揚げ、カステラ、ドーナッツ、パン、卵焼き、フルーツ、というものです。他の登山中は朝昼晩の食事は全てコックの手作り料理を食べました。

 今回のツアーに同行したコックは2名でした。その料理の材料をポーターが運びます。食事には必ず新鮮な野菜やフルーツが付きました。キュウリ、キャベツ、ナス、ニンジン、ピーマン、トマト、アボガド、パパイヤ、バナナ、スイカ、等のパリパリしたものが出ました。確かに標高は3000m〜4000mで気温は低いとはいえ、下から乾燥野菜ではなく水分を含んだ生野菜を運び上げるのは大変な労力だと思います。

 標高が上がることにより平地に比べて胃腸の働きが落ちます。その落ちた働きを香辛料で刺激することにより活発化させようとしますからスープは毎回ピリッとしたものでした。ズッキーニスープやトマトスープなど、私にとっては初めての食感のものが多かったのですが毎回美味しく食べられました。

 トウモロコシの粉をこねて焼いたお好み焼きは蜂蜜が入れてあるのか甘みがあってとても美味しく感じられ、子どものころお袋が焼いてくれた「ジジ焼き」を思い出しました。食事はコックが作りポーターの中から選ばれたウエーター2人が食事の世話をします。私は、毎回の食事後に「タムタム=美味しい」と「アサンテ=ありがとう」を言いました。

 今回のツアーでは3種類のポーターがつきました。第1は通常のポーターでツアーの最初から最後まで登山者の荷物や食料を運ぶポーターで、20kgの荷物を運びます。第2は最初から個人ポーターとして頼まれた個人に付くポーターで、依頼者の荷物を運びます。第3は登頂日のみ個人に付くポーターです。契約上、ポーターは1日50ドルでした。それをポーターリーダーが集めて分配するようでした。私は個人ポーターを雇いませんでしたが、登頂日だけでもポーターを雇った人は空身で登れるため大変楽だと言っていました。ポーターを頼んだ人は契約金とは別に個人個人が感謝を込めてチップを渡していました。

9-4.9月18日昼食

9月18日昼食


 キリマンジャロ周辺ではこれといった産業がないため、ポーター(荷物運び)は身体の丈夫な人の一種の職業になっています。1週間の山行でポーターにどのくらいの収入があるかは知りませんが厳しい職業だなぁと思います。多くは男性のポーターですが、数人女性ポーターとも出あいました。ポーターの働きがあるからこそ、私たちは重い荷物を担ぐことなく、毎回温かい食事が摂れることに感謝しました。

 9月25日、長いようで短かった「ゆったりキリマンジャロ登頂11日間」に参加した10人は大きな事故もなく一人ひとりが初めて体験するアフリカ大陸の風と熱を身体に感じて成田空港に帰ってきました。11日間で私が撮影した写真は約1000枚でした。その写真の一部と私が旅で感じたことをレポートという形でフロントのみなさんに紹介しました。少しはアフリカの、あるいはキリマンジャロの雰囲気を感じることが出来たでしょうか? 仕事の合間の息抜きに写真を見ながら遥かなる大地アフリカに想いを飛ばせたら幸いです。 みなさん、アフリカ大陸は日本からは少し遠いですが、時間に余裕が出き体力があるうちに出かけでみませんか? 日本とは違うゆったりした時間を体験できるでしょう。

 

戻る