アフリカ大陸の最高峰・キリマンジャロ登頂記
その1
キリマンジャロ・プロティア
以下の文章は職場の仲間に送信したメールによるキリマンジャロ登山報告です。この文章と添付写真(毎回15枚)はそのまま会社のホームページに掲載されています。
(1) 小説『キリマンジャロの雪』から
アフリカのタンザニア北東部のケニア国境近くにあるキリマンジャロ山(5895m)に登ってきました。キリマンジャロは、アフリカ大陸で一番標高の高い火山で、山頂部分は万年雪に覆われ裾野が広く雄大です。その景色はアフリカ大陸の紹介では必ず目にします。5895mという標高は私自身未体験ゾーンで登山自体はとっても大変でした。登山隊10人のうちで5895mの最高点ウフル・ピークまで登ったのは3人でした。そのレポートを数回に分けて送信しようと思います。その第1回目は小説『キリマンジャロの雪』です。
キリマンジャロといえばヘミングウェイ原作の小説『キリマンジャロの雪』が有名です。小説はヘミングウェイが34歳の時に出かけたアフリカ狩猟旅行体験にもとづいて書かれたもので短編なので2時間もあれば読み終わります。
小説は次の有名な文で始まります。(角川文庫版)
「キリマンジャロは、高さ19710フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ第一の高峰だといわれる。その西の頂はマサイ語で“神の家”と呼ばれ、その西の山頂のすぐそばには、ひからびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高いところまで、その豹が何を求めてきたのか、いままで誰も説明したものがいない」
小説の内容は、キリマンジャロの麓で狩猟をしていた小説家ハリー・ストリートは、脚の壊疽で瀕死の状態にあった。救援を呼んだが間に合いそうもない。死を悟ったハリーは、看護する妻ヘレンの制止を振り切りヤケ酒を始める。ハリーは酔い、ヨーロッパ大陸の各所で過ごした楽しい日々を回想する。そして、多くの体験をしておきながら、作家としてほとんど何も書き残していなかったことを後悔し、慰めるヘレンに八つ当たりをする。ハリーは眠りにつき、その夜、死んだ。ハリーは最後の夢の中で大空を飛び、キリマンジャロ山の頂を見下ろす。
小説の終わりは、「見ると、前方に、視界をさえぎって、全世界のように幅の広い、大きい、高い、陽光を浴びて信じられないくらい純白に輝いているキリマンジャロの四角ばった山頂がそびえている。そのとき、彼は、自分の行くところはきっとあすこだなと思った」というものです。
ヘミングウェイが猟銃で頭を撃ち抜き自殺したのは今の私と同じ62歳でした。この小説の中で一番注目したのはハリーが死の直前に「おれがいままでに一度もなくしたことのないたった一つのものは、好奇心なんだよ」と妻に呟く言葉です。
私は、人間が元気に輝き続け続けるために必要不可欠なものは「好奇心」だと思います。好奇心が心の中から湧き上がってくることによって自分を取り巻く世界が大きく拡大し、探求することにより深化し、自らが進化していくと思えるのです。それはひとえに私たちが携わっている技術関係に限らず全てのものに通じることだと思います。
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野口健さんと
(2) アルピニストの野口健さんにであいました
キリマンジャロ登山報告の2通目は、マラング・ゲート(1820m)で入山手続きし、1泊目のマンダラ・ハット(2730m)に到着するまで標高差910mを約5時間で登っていくレポートです。
現在、キリマンジャロ登山には6つの登山ルートが開かれています。私たちが登ったのはマラング・ルートで、別名コカコーラ・ルートと呼ばれ、山小屋もあり最も整備されています。ゲートで入山手続きをします。手続きといっても公園事務所で自分の名前を記入するだけですが、それでも結構時間がかかり、私たち10人が手続きを終えるまでに1時間20分かかりました。スワヒリ語で「ポレポレ」は「ゆっくり」という意味ですが、登山と同様に手続きもポレポレだと感じました。ここには日本のあくせくした生活環境とは全く異なる世界があります。
手続きを終えてマンダラ・ハットまでポレポレ歩いていきます。私たちのパーティには登山ガイド、コック、ポーター合わせて現地人26人が付きました。ポーターに預けることの出来る荷物は一人最大10kgです。
キリマンジャロ登山は、登山口から山頂までの間に熱帯から高山までの生態系ゾーンを通過していきます。マンダラ・ハットまでの登山道はジャングルの中を歩いていきます。時々、ブルーモンキーたちの鳴き声が聞こえてきます。ここは動物園ではなく自然環境でのサルたちの声です。アフリカに来たことを実感します。ジャングルの中には何本も川が流れ、その川に架かる橋を何回も渡りました。大きく生い茂る木々の枝に亡霊のように垂れ下がり風になびく寄生植物のサルオガセが印象的で人体に巣食う癌細胞と同じです。サルオガセは最終的に自らが寄生する木を枯らすと同時に自らも枯れていくのです。
ジャングルの中でタンザニア国旗を売り、カメレオンの写真を撮らせて商売をしている子どもたちに出会いました。カメレオンの写真は1ドルでした。初めて出合ったカメレオンでしたので1ドルを渡して写真を撮りました。カメレオンはつぶらな瞳をしていました。タンザニアには義務教育があるのですが平日の午前中に商売をしている逞しい子どもたちです。
昼食後まもなく、仲間とキリマンジャロ山に登って下山中のアルピニストの野口健さんに出会いました。すぐに握手をして一緒に写真を撮らせてもらいました。テレビで見たままのとても気さくな方でした。
4時間40分ほどで登山一日目に宿泊する三角屋根のマンダラ・ハットに到着しました。ハットとは山小屋という意味です。まだキリマンジャロ山の姿は見えません。明日午前中にはキボ峰山頂が私たちの目の前に現れるはずです。マンダラ・ハットに到着して間もなく、白と黒のパンダのような「アビシニアコロブス」という名前のとても毛並みの美しい4頭の親子猿が現れました。走る時は長く白い尾を立てて兎のように跳ねながら走っていきます。
マンダラ・ハットは、ジャングルを切り開き、20棟ほどの三角屋根のバンガローが建っていました。中央の大きな棟が談話室兼食堂で、一度に40人が食事を摂ることができます。標高2700mなので体調は全く問題なく、出された全ての料理をたいらげました。私が宿泊したのは8号棟で4人部屋でした。寝床にはマットレスが用意され、太陽光発電を備えた清潔な山小屋でしたが配線トラブルなのか電燈は点きませんでした。レンタルした冬用寝袋で朝まで快適な眠りでした。ちなみにポーターたちは自前のテントで寝ます。
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カメレオン
(3) 明るく元気にジャンボ!!
キリマンジャロ登山報告の3通目は、マンダラ・ハット(2730m)からホロンボ・ハット(3720m)に到着するまでの標高差990mを7時間30分で登るレポートです。
朝の8時にマンダラ・ハットを出発し高度を上げていくと周りの木々も徐々に背が低くなってきます。私は日本の山に30年以上登っているので日本の高山植物や花の名前は分かるのですが、こちらでは名前を知らないものばかりです。
スワヒリ語で「おはようございます。こんにちは。こんばんは」の挨拶は全て「ジャンボ」です。私は一番早く、この言葉を覚えました。挨拶は人と人との最初のコミュニケーションです。にこにこ明るい顔で「ジャンボ!」
マンダラ・ハットから30分ほど歩くと青空をバックに山頂部左側に氷河をのせたキボ峰が見えました。ついにキリマンジャロ山をこの目で捉えたのです。さらに歩を進めると山頂部に岩が屹立するマウェンジ峰が登場してきました。キリマンジャロ山は、シラ峰、キボ峰、マウェンジ峰という3つの峰から成りたっています。やがて登山道は周りが見渡せる草原の道へと変化し、雲海が私たちの下に綿飴のように拡がっていき雲上人の生活が始まりました。
スワヒリ語の「美味しい」は「タム」です。登山ツアー中は二人のコックが全員の食事を毎回毎回作ってくれます。今日の昼食は、ピリッと辛いトマト味のスープ、鳥の唐揚げ、トウモロコシの粉で焼いたパン(これは甘みがありとても美味しい)、ゆで卵、食パン、ケーキ、紅茶でした。食べ終わると明るい笑顔で「タム」「タム」です。以心伝心でウェイターも笑顔で答えてくれます。
更に高度を上げていくと平らになった部分にホロンボ・ハットが建っていました。富士山頂と殆ど同じ標高です。前日宿泊したマンダラ・ハットよりも山小屋が沢山建っていました。理由は高度順応するために複数日滞在する登山者が多いためと思われます。登山者数もポーターも倍の人数になったので賑やかです。私は6人部屋に入りました。俗に言う蚕棚2段になっており、ここもマットレスが常備されていました。マンダラ・ハット同様に太陽熱発電による電気があり、トイレはここでも水洗でした。隣でもっと大きなトイレを新築中でした。
スワヒリ語の「ありがとう」は「アサンテ」です。日本語でもそうですが、感謝の気持ちを込めた「ありがとう」という言葉は、お互いの気持ちを和やかにしてくれます。「アサンテ」は、ツアー中に何度も口から出てきた言葉です。
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今日も爽やかな朝を迎えた
(4) 富士山頂の高さを越えて未知のゾーンへ
キリマンジャロ登山報告の4通目は、登山開始3日目で高度順応のためにホロンボ・ハット(3780m)に滞在し、ゼブラ・ロックまでの往復トレッキングレポートです。
前回、キリマンジャロ山は、シラ峰、キボ峰、マウェンジ峰という3つの峰から成り立っていると報告しましたが、最も有名なのが中央に位置し、よく写真で紹介されている台形をしたキボ峰です。私たちはキボ峰のウフル・ピーク(5895m)を目指しますが、高度順応をしておかないと高山病になり登頂に失敗します。私たちの10人パーティ全員が最高地点のウフル・ピークまで登るのは難しいと思いますが、少しでも多くの登頂者を目指して今日一日は高度順応トレーニングに当てられました。
ストレッチ体操を終え、ガイドのロバートさんを先頭に4時間のトレッキングに出ました。目的地はゼブラ・ロックと呼ばれ、読んで字のごとくミネラルが溶け出してシマウマ模様になった岩山です。今日もポレポレ登って行きました。ホロンボ・ハットを出発すると中央に雪渓が残るマウェンジ峰が右手に見えますが、左手にあるキボ峰は尾根の陰で見えません。欧米人は準備体操をせずにいきなり歩き出します。おまけに歩幅が長いため私たちのパーティを次々に追い越していきます。
朝は快晴でしたがゼブラ・ロックに到着する頃にはすっかり曇り空になり外気も冷え込んできました。4000mの標高がありますから陽が出ていると温かいのですが、陽が陰ると急速に冷え込んできます。
ゼブラ・ロックは本当にシマウマ模様をしており、自然の創造力に驚くばかりです。全員の記念撮影を済ませ、暫く休憩した後、明日登っていく登山道に出るために4100mの尾根を越えました。尾根上で休憩した時に私の携帯電話で日本にアクセスすると通じました。元気に登っていることをメールで家族に連絡しました。国際用携帯電話は現地時間と日本時間が同時に表示されるので6時間ある時差をいちいち頭の中で計算せずにすむ便利さがあります。
尾根上からは晴れていれば正面に大きくキボ峰の雄姿が望めるのはずですが、残念ながら雲が低く立ち込めているためその雄姿を見ることができませんでした。しかし、明日宿泊するキボ・ハットは斜面の下に張り付くように小さく見えました。キボ・ハットは思ったより低いところに建っていました。ワックスフラワーの群生する中をホロンボ・ハットまで戻りました。
夕食は、今回の登山ツアーの添乗員であり登山隊長でもある西遊旅行社の堤さんが手作りで味噌汁とチラシ寿司と野菜サラダを作ってくれました。登山も3日目となり日本食が恋しくなるのを見越し、明日からの後半に元気を出そうという意味を込めてとのことでした。私は先月、旅行の最終説明会で堤さんに会った時、年は若いけれど要所要所をきちんと押さえた説明と質問に対する的確な回答に感心しましたが、今回の旅行中でも飛行機のトラブル、宿泊のトラブルにも手際よく対応し、私たちに不安を持たせませんでした。堤さんには本当に感謝しています。
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沙漠地帯をキボ峰に向けて進む
(5) 荒涼とした沙漠地帯を抜け最終山小屋へ
キリマンジャロ登山報告の5通目は、ホロンボ・ハット(3720m)からキボ・ハット(4710m)までの標高差990mを7時間で登るレポートです。
山小屋では朝夕、ポーターが登山者一人ひとりに洗面器に洗顔用のお湯を運んでくれます。山小屋には風呂がないので助かります。夕食時にお湯をアルミ製の水筒に入れてタオルで包めば即席の湯たんぽに早代わりします。標高が上がり外気温が下がってきたので、毎晩即席の湯たんぽを寝袋に入れて寝る人が多くなりました。私はそれほど寒さを感じなかったので即席の湯たんぽは作りませんでしたが、ポーターのみなさんには感謝感謝です。
朝食を済ませて8時にホロンボ・ハットを出発し、真っ直ぐにキボ峰を目指して緩やかな登山道を登って行きました。ホロンボ・ハットからキボ・ハットまでのルート上の中間に最後の水場(4100m)がありました。一応、水場となっており水も流れているのですが今はこの水は飲めません。昔は飲めたのでしょうが、コックもここの水を汲んで料理に使いません。それだけ知らず知らずのうちに水が汚染されていったと思われます。
やがて沙漠地帯に入ります。この荒涼とした沙漠地帯に延びる登山道からキボ峰を眺めた景色がキリマンジャロ登山によく紹介されている写真です。頂上左側直下に氷河があり、晴れていたらスワヒリ語の「キリマンジャロ=輝く丘」がピッタリくる景色です。今日は残念ながら低くたちこめた雲の中です。
今日の昼食は、中央が凹みトイレのあるサドル部を通過し、大岩が風よけとしてある休憩所で摂りました。ここから今晩の宿泊小屋であるトタン屋根のキボ・ハットが望めます。キボ・ハットから延びる砂礫の登山道は、今までとは違い急激な登りが待ち構えているのがハッキリと分かります。今晩、あの急激な登りを焦らずにポレポレ登り、最終目的地のウフル(独立した)・ピークを目指します。今晩からの一発勝負に向けて静かな闘志が湧き上がってくるのを感じます。
15時前にキボ・ハットに到着しました。高度は4700mを越えています。心配していた高山病ですが、私は頭が少し重いかな?と感じる程度でした。歩くスピードがゆっくりしているため躓くようなこともありませんでした。パーティの中では友人の武者が昨晩から高山病の症状を訴えていました。石で造られた山小屋の中は2段ベッドが備えられた小部屋がいくつかありましたが、今まで泊まってきたハットと違い、建物は大きな小屋が1つだけでした。
食事は今までの山小屋では食堂で食べていましたが、キボ・ハットではコックが作ってくれたものを部屋まで運んでくれ、部屋の中央にあるテーブルで夕食を摂りました。標高が高いため折角の食事を吐く人が多いとのことですが、私は大丈夫でした。私たちのパーティでも食欲が減退している人が見受けられます。私は意識的に栄養分の高い蜂蜜茶を飲むようにしていました。夕食時に高山病の症状で胃痛を訴え、食事を前日から受付けない友人の武者に登頂は見合わせるようにアドバイスをしました。武者も身体が相当きつかったのでしょう。私のアドバイスを素直に受け入れ山小屋待機となりました。
4時間の仮眠後、いよいよ今晩から9人パーティで山頂アタックに出発します。