カラパタール5545m登頂へ

 

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カラパタール山頂5545mでの集合写真

 

 1、カラパタール5545m登頂へ

 

一つ目のピークであるゴーキョピークにトレッキング開始から7日目に登頂した私たちは一旦標高を落とすためにポルテテンガ3680mまで下りました。そこで高度順応を積んでいた同行者と合流しました。同行者は顔色も戻り食事も通常のものが食べられるまでに回復していました。4日間親身になって世話をしてくれたスタッフのヤムさんには感謝感謝です。

 

 ポルテテンガから二つ目のピークであるカラパタール5545mに向けて再び徐々に高度を上げて行きました。9日目:4時間3810m10日目:4時間3930m11日目:4時間4215m12日目:6時間4930m、という具合でした。連日快晴に恵まれ雲ひとつない青黒い青空が拡がっていました。廻りを見渡せば氷雪を頂いた先鋒の峰々の他はただただ広い空が拡がっているという感じで本当に空の広さを感じました。12日目の夕食時に翌日の行動行程が話し合われ、ゴーキョピーク登頂時と同じように快晴が見込まれるため登頂決行を確認しました。万が一にも山頂到着前にガスに覆われた場合は登頂を中止し下山することも合わせて確認しました。

 

 カラパタールは黒い丘という意味で、登山口は烏の墓場という意味をもつゴラクシェップという標高5170mという地点です。確かに多数の烏が飛んでいました。今回のトレッキングでは3種類の烏に出会いました。大きさは3種類とも同じくらいですが嘴の色が違いました。低い標高にいたのが嘴の黒いハシブトガラスで日本でも普通に見かける烏でした。その上の標高になると嘴の色が赤いベニハシガラスに出会いました。一番高い標高にいたのが嘴が黄色のキバシガラスでした。ゴラクシェップで見かけた烏は全てキバシガラスでした。

 

 円陣を組み右手を差し出し堤さんの「カラパタール全員登頂を成し遂げるぞー」という掛け声に「オーッ!」という雄たけびを挙げて、私たちは1215分に登山を開始しました。ゆっくりとした歩みを重ね休憩をとりながら1430分に8人全員がカラパタール山頂5545mに登頂しました。標高5400mを越えたあたりから岩が重なる登山道となり歩きづらさはありますが、日本の山でいうと北海道のトムラウシ山の山頂部分に似ていると同行者と話しながら登って行きました。5000mを越えると空気密度は平地の50%と言われていますが、高度順応が進んでいた関係で息が上がるということは全くありませんでした。余裕を持っての5545mの山頂でした。

 

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カラパタール山頂でサーダーのパトナさんと

 

 山頂にいるのは私たちのパーティだけでした。風は全く吹いておらず気温は5℃でした。ゴーキョピークの山頂と比べると狭く尖っており、北側は絶壁になっており落ちたらおしまいです。サーダーのパトナさんやスタッフのビムさんがガードしてくれます。山頂で登頂記念の集合写真を撮り、個人個人で記念写真を写したあと、「カラパタールに全員で登頂出来たことをお祝いし万歳三唱を挙げたいと思います」という私の音頭で登頂記念の万歳三唱を挙げました。快晴無風という絶好のコンデションに恵まれ最高の登頂が出来ました。体調を崩して一時は登頂も危ぶまれた友人も「まるで雲の上を歩いているようだ」との感想をもらしながらも夫婦で登頂でき喜ばしい結果でした。

 

 頂上からの展望は、すぐ北側にプモリ7161mが手が届きそうな近くに迫っていました。凄い迫力です。右手にはエベレスト8848mやローツェ8516mがゴーキョピークで観た時よりも大きく迫ってきており、足元に流れるクーンブ氷河も見下ろすとエベレストベースキャンプやアイスホールの恐ろしいまでの氷塊の積み重なりも確認出来ました。ピラミダルに形を変えたアマダブラムやタムセルクやカンテガも見渡せ、ローツェの奥には少し赤みのあるマカル―8481mも尖峰を天に突きあげていました。世界の屋根が一望のもとに見渡せる幸せを感じました。

 

 5500m越える山頂は日が陰ると無風であっても急速に気温が低下することを考慮して、私たちは1515分に下山を開始しました。1620分に宿泊するヒマラヤンロッジに帰着しましたが、登山コースの関係で日陰の場所に入ると気温が急速に低下していることを実感しました。ヒマラヤンロッジの食堂は街のファミリーレストランかと見間違うような雰囲気が漂っていました。料理もおいしかったです。

 

2、タンボチェの丘

 

 タンボチェの丘3867mにゴンパと呼ばれる大きなチベット仏教寺院が建っています。古いゴンパは火災で焼失し、現在のゴンパは20年前の1995年に再建されたものだといいます。どうしてこのような山の中に大きなチベット仏教寺院を築いたのだろうか、という疑問が湧いてきましたが、それよりもマニ堂のなかに納められている極彩色のマニ車や天井を含め四方の壁に描かれた極彩色の男の神様と女の神様が交わっている絵には目を見張ります。鬼のような険しい形相をした神様もいれば、仏様のような穏やかな形相の神様もいます。私は思わず引き込まれて暫く見入ってしまいました。全く見事なものです。

 

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チベット仏教の神様の和合

 

 ゴンパの左側に白いチョルテンと呼ばれる仏塔が建っており、その元には洗った僧衣が干してあり、同僚の坊さんの頭をバリカンで刈っている僧侶の姿が見えました。ゴンパに向かって左奥の道に進むとコンデリ6187mが眼前に見渡せる素晴らしく見晴らし良い所に出ました。その尾根上に加藤保男さんや湯浅道男さんら日本人の慰霊碑が建っていました。加藤さんは1982年に冬期エベレストに日本人として初登頂し帰路に遭難死した日本を代表するクライマーで27歳の若さでした。

 

 私たちがカラパタール登頂を目指した途中で宿泊したぺリチェ村の診療所の脇に円錐を二つに割った内側にこれまでエベレスト登山で遭難死した人たちの名前が刻まれた鎮魂碑が建てられていました。その中に加藤保男さんの名前を確認したことが思い出されました。素晴らしい景色の中に建てられた日本人慰霊碑の前で私たちは黙祷を捧げました。

 

 タンボチェの丘からの展望も素晴らしいもので、右に屹立するアマダブラムの麓の奥にローツェから連なるヌプツェ、その上部から顔を出すエベレストという光景が展開し、エベレストをはじめとするクーンブ・ヒマラヤと呼ばれる山々の絶好のビューポイントになっています。このタンボチェを過ぎると600mの下降が待っていました。

 

3、5年振りの再会

 

 今回のトレッキングでビックリしたことが起こりました。それは5年前にアフリカのタンザニアにあるキリマンジャロに一緒に登山した人とトレッキング中に偶然出会ったことです。こんな広い世界で山登りを含めて様々な旅行のある中でネパール山旅のトレッキングで同時期にその方も同じ山に登るためのトレッキングをしているとは夢にも思いませんでした。

 

 今回のトレッキングに参加した8人のうち5人は5年前のキリマンジャロ登山で出会って以来度々海外の山旅を一緒にしている山仲間です。今回トレッキング途中で5年振りに再会した人は年賀状のやりとりはするものの仕事が忙しくて山旅を一緒に出かけるような連絡を取る方ではありませんでした。

 

 今回、私たちは西遊旅行手配ツアーでゴーキョピークとカラパタールに登頂するトレッキング中でしたが、その方はカラパタール登頂ツアーに参加していました。今シーズンの西遊旅行社のカラパタール登頂ツアーはパンフレットによると10月、11月、3月、4月の4回計画されています。私たちのツアーと僅かに重なるのは11月の日程でした。その方は11月の日程に参加していたのですが、5人のところには連絡も来ていませんでした。

 

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柳澤さんと5年振りの再会

 

 西遊旅行社は4月のネパール地震があって以来、大手旅行社がカトマンズ市内観光旅行を始めとしてネパール旅行から撤退する中で、旅行に出かけて行くことによる支援を訴え、私たちと同時期に5グループのトレッキングツアーを展開していました。その中の2つのグループがトレッキングルート上で交差したことにより奇跡的に5年振りの再会が実現できたのです。

 

 再会する前日に添乗員の堤さんからキリマンジャロ登山に一緒に行った柳澤さんが明日、トレッキング中に出会うと思うよ、と話してきました。キリマンジャロ登山時の添乗員も堤さんでしたので柳澤さんを知っていました。私はビックリしました。まさか5年ぶりの再会がネパールの山奥で実現するとは思ってもいなかったからです。

 

 翌日は、私たちはカラパタールに登頂し下山する行程で、柳澤さんたちは当日のカラパタール登頂行程で1日違いでした。私たちが出発してから1時間ほど歩いた地点で相手のパーティを確認し、メンバーの中からすぐに丸顔の柳澤さんを確認出来ました。第一印象は年とったなぁという思いでした。多分、柳澤さんも私をみて年とったなぁと思ったかもしれません。

 

 柳澤さんは「いつもいつも年賀状や暑中見舞いをありがとうございます」と言い、お互いが健康で山登り出来ていることを確認し握手をしました。その後は再会した6人で記念写真を撮りました。暫く立ち話をしたあと、お互いの日程があるので別れましたが、私たちがカトマンズを離れる日に同じアンナプルナホテルに泊まっていた添乗員と話をすると、「柳澤さんはカラパタールには先頭で登頂しました」とのことでメデタシメデタシでした。その後、エベレストを空から眺める遊覧飛行観光から帰ってきた柳澤さんとみんなで話しましたが、5年前と変わらない穏やかな柳澤さんでした。全く奇跡という言葉を実感する5年振りの再会でした。

 

4、 共に励まし合い登った仲間たち

 

 トレッキングの16日目でナムチェバザールまで戻ってきました。エベレスト街道で一番大きな村です。残り2日で長かったトレッキングも終了となります。標高も3450mまで下り、飲酒も前日から解禁されていました。17時から始まったティータイムは、お茶兼ロキシ―タイムになっていました。ロキシ―というのは地方で作られている蒸留酒でアルコール度は日本酒程度です。それを暖めて飲みます。材料はヒエやアワやコメなどで個人の家で作っているため味は一つひとつ違っています。

 

IMG_7311パトナさん、ビサ―ルさん、テンジンさん

サーダーのパトナさん、シェルパのビサ―ルさん、テンジンさん

 

 ティータイムも後半となった頃に同行者の本多さんが「今回のトレッキングについて一人ひとりが感じた感想などを話し合いましょう」と切り出し、話題は感想会へと変わっていきました。トップバッターは私が指定されました。

 

 突然の展開でしたが、私は「今回のトレッキングの目標であったゴーキョピークとカラパタールの両方のピークに全員で登頂できたことが本当に嬉しかったことです。これは本人が頑張ったことはもちろんですが、お互いを励ましながらも添乗員の堤さんとサーダーのパトナさんを始めとするスタッフの支えなくして登頂はありえなかったことを考えるととっても感謝しています。最高の思い出が出来ました。」と感想を述べました。

 

PB230335ビムさん、本多さん、大野さん、マダンさん、ビブラムさん

シェルパのビムさん、ポーターのマダンさん、ゾッキョドライバーのバブラムさん

 

 私の感想を皮切りに次々に今回のメンバーが長かったトレッキングを振り返ってのそれぞれの思いを述べていきました。ある人は「チームとしての団結力があった」と感じ、ある人は「キリマンジャロ以来の5人の団結力が強く、とてもその中に入って行けない雰囲気でしたが、トレッキングを続けて行くうちに自然と仲間に入って行けました」と述べた人、「初めての5000m越えにどうなることかと思ってドキドキでしたが、思ったよりもスムーズに山頂に立てました」という方、「苦しかったけれど、あと一歩、あと一歩の連続でどうにかカラパタール山頂にたどり着きました」という感想をいう方など16日間のトレッキングを振り返っての話し合いでした。

 

 ナムチェバザールから更に2日歩いてトレッキングの最終地はルクラでした。思い返せばルクラから出発した私たちのトレッキングは18日間を要してルクラまで戻り完結したことになります。12時にルクラのシェルパロッジに到着し中庭に用意されていた席に座る前にザックをおろして円陣を作り、私の音頭で「ゴーキョピーク登頂、カラパタール登頂をなしとげ、トレッキングの全工程が終了したことを祝い万歳三唱を行います。」万歳!万歳!万歳!という大きな声が真っ青な青空に響き渡ったのでした。トレッキング完了の万歳三唱をしたあとで昼食のための席に着きましたが、みんな言葉が少なく、これで終わってしまうのかという惜別の情が湧き上がってきて目に涙を滲ませたり、鼻水になって流れる人もいました。私は涙がこぼれてこないように真っ青な空に翻るタルチョの5色の旗を見上げていました。

 

IMG_7896ちのねーちゃんPB240363スーさん

ちのねーちゃん               スーさん

 

 最後に同行した方々をトレッキングを開始したときの年齢順に紹介しておきます。いつもベレー帽をかぶったスタイリッシュな元薬剤師のえびちゃん(女性)67歳、私(男性)66歳、元看護婦長のえいこちゃん(女性)66歳、元銀行員のむしゃさん(男性)66歳、ヒマラヤの地質探究に熱心な元中学校教諭のほんださん(男性)66歳、元保育士で芸能人のおおのさん(女性)62歳、元気溌溂なジャリン子ちのねーちゃん(女性)62歳、マリオ髭の何かあやしいスーさん(男性)58歳という8人のメンバーと理想的添乗員のつつみさん(男性)33歳、

 

 スタッフは全てネパール人で、明るく冗談もうまい日本語を話すサーダーのパトナさん(男性)35歳、家族写真を眺めながら愛妻に電話するコックのプラディップさん(男性)45歳、物静かだが誠実なシェルパのヤムさん(男性)35歳、一番の働き者のビムさん(男性)30歳、トレッキングが終了した2日後に高校生に戻ったビサ―ルさん(男性)17歳、何時も笑みを絶やさなかった個人ポーターのテンジンさん(男性)24歳、筋肉マンでゾッキョドライバーのバブラムさん(男性)27歳、細身だが食事の準備手伝いまでしたポーターのマダンさん(男性)17歳、という方たちでした。

 

 メンバー同士の励まし合いはもちろんですが、スタッフの方々の支援のもとに私たちのトレッキングは成功裏のうちに幕を閉じたことを記して今回のネパール山旅のレポートを終わります。

 

ここのルクラ飛行場からカトマンズまでは再びプロペラ機に乗ってひとっとびでした。

 

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