鹿野山 九十九谷を歩いた

 

九十九谷を描いた東山魁夷の『残照』

 

 天気予報を確認し、鹿野山・九十九谷ハイキングに出かけた。今回のテーマは東山魁夷が描いた『残照』の九十九谷の広がりを観たあと、その谷に踏み込むことにあった。内房線を君津で館山行きに乗り換え、しばらく進むと右側の車窓に、青空のもとに聳え立つ富士山が見えた。相変わらず富士山の積雪は少ないが、素晴らしいハイキングになることが保証されていた。鹿野山の登山口である佐貫町で下車した。降りた乗客は私ひとりだった。8分の待ち合わせで登山口の神野寺行きのバスに乗った。バスの乗客も私ひとりだった。

 

鹿野山神野寺

 

終点の神野寺で下車した。佐貫町を抜けると神野寺までは人家が全くないが、神野寺の周りに家が立て込んでいたのには驚いた。この辺り一帯は山上集落と呼べるくらい民家が多い。九十九谷ハイキングに出かける前に、関東最古のお寺にお参りしようと思い山門をくぐった。確かに本堂は銅板瓦で葺かれた立派なものである。参拝者が三々五々やってきていた。本堂は1708年に再建されたとのことだった。石段の脇にご利益が書かれた赤い幟が立っていたが、「金融祈願」「当病平癒祈願」「安産祈願」「子宝祈願」「人形供養」「無病息災祈願」「商売繁盛祈願」「病気回復祈願」「身体健康祈願」と何でもありだった。

 

ミツマタが白い花穂を膨らませていた

 

神野寺を後にして白鳥神社に向かった。白鳥神社は鹿野山の最高峰の白鳥峰379m山頂直下にある。鹿野山は独立の山名ではなく、春日峰、熊野峰、白鳥峰の総称なのである。道ばたにミツマタが大きく花穂を広げていた。黄色の花を開くミツマタだが、今の時期の花穂は白い。桜も梅も咲き出していた。空気が冷たい1月とはいえ、辺りには早春の雰囲気が漂よっていた。

 

白鳥神社境内

 

白鳥神社に到着した。鳥居をくぐり神社に登る石段は、石工業者によって修理中だった。石段を上がれないので、右側を迂回して境内に入った。白鳥神社は日本武尊と弟橘比売命を祀った社で、こぢんまりしていた。龍、松、牡丹、獅子、千鳥、波、馬などの彫り物にも色彩はなく落ち着いていた。鹿野山の最高峰は白鳥峰であるが、神社の裏側から山頂に向かう道はなかった。

 

九十九谷公園からの展望

 

白鳥神社から道路を挟んで反対側が九十九谷展望公園だった。4人が公園からの展望を楽しんでいた。鹿野山・九十九谷は「21世紀への継承遺産」に指定されていた。説明板によると、白鳥神社下の九十九谷展望台から丘陵が幾重にも連なる山並みの風景を、大町桂月は天下の景観と激賞し、日の出と日の入り前の情景と雲海は、まるで墨絵の世界のように素晴らしく、昭和63年に房総の魅力50選に選定された。文化勲章受賞者の東山魁夷画伯の出世作『残照』は、この眺望を元に描いた作品で、四季折々の美しさを魅せる鹿野山・九十九谷の眺望は後世に受け継ぎたい風景、とのことだった。

 

青いグラデーションも見事な九十九谷の展望

 

公園の東外れに、東山魁夷の描いた『残照』とエッセイ『冬の山上にて』が紹介されていた。エッセイには「雲ひとつ無い夕空が、地表に近づくにつれて淡い明るさを溶かし込み、無限のひろがりを見せていた。人影のない山頂の草原に腰をおろして、刻々に変わってゆく光と影の綾を私は見ていた」とあるが、現在の山頂は九十九谷展望公園として整備されている。東山魁夷は田中一村、森本草介とともに私の好きな画家である。市川市にある東山魁夷美術館にも訪れたことがある。森林・湖・白馬だけでなく、日本の四季をグラデーションによる透明感と静寂に満ちた作品が印象的である。さあこれから九十九谷に向かって降りて行こう。

 

踏み跡程度の登山道を探しながら歩いた

 

公園からハイキングコースに入ると早速メジロが出迎えてくれた。登山道はゴルフ場に沿って続いていたが、台風で倒れた木々が切断されて谷側に置かれていた。やがてゴルフ場脇から離れ、道は細くなり谷に落ちていた。倒木も頻繁に現れ、道は荒れていた。今回のルートは私が利用しているYAMAPの登山地図には無いマイナーなものだったが、スマホのGPSアプリによる現在位置と歩行履歴の確認を使用し、紙の地図を参考にして歩いた。上空ではカラスがカァーカァー鳴いていた。

 

九十九谷へ降っていく途中で見上げた山頂部

 

踏み跡程度が残る微かな登山道を下へ下へと降っていくと、ピンクのテープを一ヶ所だけ確認することができた。ルートは間違っていないという確信を得て、しばらく降りていくと右からの道に合流した。私が降ってきた道が正しいのか、右から降りてきた道が正しいのか分からないが、下っていく道としては正しいということが証明できた。合流した地点からしばらく平らな登山道が続いていた。

 

崖崩れで登山道が消えていた

 

途中で崖崩れのために登山道が消失してしまったところが2ヶ所あった。最初は崖崩れで完全に登山道が消失していたので上部を高巻きした。2度目は杉の大木が根こそぎ登山道に倒れ落ち、登山道が崩れてしまったためロープが張られていた。足場が殆どなかったがロープを頼りに倒れていた木を乗り越えて進んだ。

 

滑落しやすい場所に設置されたロープ

 

登山道といっても踏み跡程度なので、道に迷うこと3度か4度。あっちに行ったりこっちに来たりでイヤハヤナントモ。道を探しながらの行動となっていた。滑落には十分注意しながら降っていった。鹿野沢出合方向の小さな標示を見た時はホッとしたが、ロープが張ってあっても登山道の横は40mほどの崖で、落ちたら怪我では済まない場所が続いた。急な斜面の下降が続くと神経を使うので結構厳しい。

 

登山道を覆い隠す倒木を乗り越えて進んだ

 

左折するところを直進し、道が消えた。後戻りしたところ下降点を見逃していたのだった。まだまだ修行が足りない。ようやく鹿野沢の源頭に降り立った。小さな流れを2ヶ所で渡り、流れに沿って下って行った。湿地帯を抜け、橋を渡ると舗装道路が続いていた。橋の脇に鹿野沢国有林という看板があり、鹿野沢出合へ下山したのだった。

 

あちこちにイノシシ捕獲用の罠が仕掛けてあった

 

舗装された林道を歩いて行くと、イノシシ捕獲用の罠が仕掛けてありますので注意してください、という立て看板があった。そこから約50mの位置に罠が設置してあった。残念ながらイノシシは罠の中にいなかった。罠を3ヶ所で見かけたが、罠はイノシシがヌタ遊びするようなところに仕掛けられていた。

 

芭蕉句碑・その1

 

西栗倉郵便局前を左折して県道93号線を登って行くと、左側の杉林の中に芭蕉の句碑が置かれていた。句碑には「初時雨 猿も小蓑を ほしげなり」と刻まれていた。今回私はサルに出会わなかったが、芭蕉がここを歩いたときには、サルに出会ったのであろうか。芭蕉は俳人であると同時に作家でもあったから、実際に出会ったことでなくても、心で想ったことをフィクションとして作り出す名人でもあった。

 

芭蕉句碑・その2

 

更に登っていくと2ヶ所目の芭蕉句碑に出あった。その句碑は「梅ケ香 にのっと日の出る 山路かな」というものだった。句碑は最初、鹿野山表参道と旧市場村表参道の合流地点に江戸中期の俳句同好家たちによって建てられたものを現在地に移した、とのことであった。碑文は殆ど読めなかったが、日の出を「にのっと出る」という表現は面白いと思った。

 

拡がる九十九谷の展望

 

九十九谷公園に戻ってきた。私の後ろに自転車で坂を登ってきた若者が2人いた。今回のルートを振り返ると、前半は道もあやふやで迷いやすい山道だったので神経を使った。出発してから1度も休憩を取らなかったので、九十九谷公園には予定時刻よりも30分早く戻って来た。少しだけ休憩しバス停がある神野寺に向かった。白鳥神社前に来て鳥居の上を見上げると、朝同様にの修理は続いていた。石段の前に午前中には張ってなかった綱が張られており、石段から境内に登ることが禁止されていた。私がお参りした後に、何人かが神社を訪れたのだろう。当たる風が身を切るように冷たかった。

 

九十九谷ハイキングで歩いたコース

 

神野寺前に到着したのは出発してから4時間ほどが経っていた。今回のテーマであった東山魁夷が描いた『残照』の九十九谷の広がりとグラデーションを快晴の元で観ることができ満足だった。谷に踏み込んだ後の踏み跡を探しながらの下降には手こずったが、それも経験のひとつになったので良しとしよう。山の中では誰ひとりとして出会わず、イノシシやサルにも出会わなかった。野鳥の声がたまに聞こえてくるだけだった。佐貫町行きのバスを待つ間に、バス停の横に建っていた東屋で、コンビニで買ってきたおにぎりを食べながら、無事下山を祝ってスコッチで乾杯した。スコッチが甘く感じられ、混ぜご飯は美味しかった。ここでも白いミツマタの花穂が見えた。あとひと月もたてば黄色の花が開くだろう。

 

戻る