紅葉の上高地ハイキング

 

徳本峠から望む穂高連峰

 

上高地の紅葉を楽しもうと思い1016日〜18日の23日の日程でテントを担いで出かけました。今年は梅雨明けが早く、連日の猛暑と強力台風が相次いで日本列島に上陸したため、木々の葉の半分は既に落ちた状態でした。標高2300mの涸沢カールの紅葉は例年より1週間から10日早く、9月下旬には終わったと情報が届いていましたので、標高1500mの上高地にもそろそろ紅葉が降りてきただろうと思い出かけましたが・・・・・

 

1日目 曇りのち晴れ

コースは大正池〜河童橋〜明神〜徳沢キャンプ場で3時間ほど歩きました。

JR新宿駅南口のバスタ発715分の高速バスは12時に大正池ホテル前に着きました。ここから遊歩道を3時間歩いて徳沢キャンプ場に行きました。毎年訪れている上高地なので、ゆっくりハイキングしながら言葉遊びを楽しみました。以下、出来上がった数句です。

 

遊歩道では毎月1度くらいツキノワグマの目撃情報が報告されています。春に訪れた時も目撃情報が表示されていましたが、熊は夜や早朝に活動しますからあまり人と出会わないようです。しかし、上高地ではまだ熊との事故報告は出ていません。

 

・忍び寄る 自然歩道に 熊の影

 

河童橋の賑わい

 

上高地の観光の目玉である河童橋は、連日観光客で溢れかえっています。この日も沢山の紅葉を楽しむ人たちでギッシリ混んでいました。特に中国人の観光客が目立ちます。

 

・大賑わい 秋の紅葉 河童橋

 

明神を過ぎると観光客は極端に減り、静かな山歩きとなり1時間で徳沢キャンプ場です。徳沢からは井上靖作品の『氷壁』の舞台となった前穂高岳の東壁が望めます。『氷壁』は絶壁登攀に挑戦した若きクライマーの2人が登攀途中でナイロンロープが切れパートナーは墜死した実際の事故からヒントを得て恋愛小説に仕上げたもので、新聞掲載中から大反響を呼びました。私は前穂高岳に2回登りましたが、頂上から下を覗き込むと足が竦む絶壁だったことを改めて思い出します。

 

・天を突く 鷹も通わぬ 穂高岳

 

徳沢キャンプ場

 

徳沢キャンプ場は広い草原が広がっている気持ちのいい場所で昔の牧場の跡です。私がここにテントを張るのは40年ぶりです。平日なのでテントの数は少なく、私を含めて9張りでした。テントといっても私が持参しているのは、日本縦断徒歩の旅でも持って行った簡易テントのツェルトです。重さが400g程度でテントに比べて軽量ですからね。

 

10月は周りの気温が低下しますから、それを補うために重ね着をしています。下半身はトランクス、タイツ2枚、登山ズボン、ダウンパンツをはき、上半身はTシャツ、長袖2枚、フリース1枚、ダウン2枚を着込み、空気吹込みの断熱マットを敷いた上に、スリーシーズン用シュラフ、断熱用シュラフカバーを重ねて潜り込んで寝ました。それでも寝るときは良かったのですが、朝方は冷え込みましたね。

 

体感としては日本縦断徒歩の旅で体験した5月の北海道のバンガロー内のほうが寒かったですね。ツェルト内の結露も多いのですが、太陽が射すと布が薄いので急速に乾いていきますね。

 

・秋深し 赤いテントに 影ふたつ

・星流れ 密かに想う 恋心

・テント場で 見上げた空は 満天の星

 

 

2日目 晴れのち曇り

徳沢キャンプ場〜横尾〜徳沢〜明神〜河童橋〜小梨平キャンプ場4時間ほど歩きました。

 

上高地は中部山岳国立公園の特別名勝及び特別天然記念物地区になっているため、ペットの持ち込みは禁止されています。しかし、徳沢キャンプ場には放し飼いになっている、すばしっこい小型の黒い犬が走り回っていました。ロッジの飼い犬ではないようで、野良のようでした。その犬はワンワン、キャンキャン吠えるのではなく、野獣のように唸るような独特の声でした。

 

・午前二時 何に吠えるか 犬の声

・寒き朝 テントの中で 海老となる

・聞こえくる 目覚ましがわりの 沢の音

・かじかむ手 テントも凍る 霜の朝

 

徳沢から横尾までは約1時間の距離です。少しずつ登っていく感じですが、梓川の左岸の道は明るくのびのびとしており、前穂高岳の尖峰が印象的です。登山道が濁流に洗われて崩れ、大きく迂回し道路は補修中でした。

 

・濁流に 道流されて 立ち往生

 

前穂高岳

 

横尾は真っ直ぐ行けば槍沢を遡って槍ヶ岳に向かいます。左折して横尾大橋を渡れば、涸沢カールに向かい、やがて北穂高岳や奥穂高岳へと続いています。何度も通った道です。今回は横尾で折り返し徳沢キャンプ場に戻りました。

 

・橙に 染まる小径に 薄日さし

 

徳沢でテントを撤収し明神に戻り、向かう先は明神池の畔に建つ嘉門次小屋です。毎回、岩魚の塩焼きと熱燗2合を飲むのが楽しみです。

 

・今日もまた 嘉門次小屋の 岩魚食う

 

嘉門次小屋で一杯

 

昨日、徳沢キャンプ場から明神に戻る際に、穂高連峰の展望台と言われている徳本峠に登ろうかと考えましたが、上高地の天気予報を確認すると、最高温度12℃、最低温度4℃となっていました。徳本峠は上高地よりも標高が700m高いので、気温は4℃低下しますので、最低気温は氷点下です。おまけに風の通り道ですから、徳本峠のテント泊は止めて、小梨平キャンプ場で泊まることにしました。

 

小梨平キャンプ場に着き、梓川の流れの近くの落葉松林の中で、3方を熊笹に囲まれた絶好の場所が見つかりましたので、そこにテントを張りました。正面に岳沢と穂高連峰が一望できました。小梨の湯で暖まり、ビールと地酒で体を中から温めてシュラフに潜り込み朝までぐっすり眠りました。

 

 

3日目 曇りのち霰

小梨平キャンプ場〜明神〜徳本峠〜明神〜小梨平キャンプ場6時間ほど歩きました。

 

初冠雪の穂高連峰

 

朝方はさすがに冷え込んだのでテントから抜け出すと穂高連峰は初冠雪で白くなっていました。穂高連峰の初冠雪に出会ったのは3度目でした。

 

・冬ちかし 初冠雪の 穂高岳

 

台風で折れた大木

 

徳本峠に向けて登っていきました。明神から徳本峠への道は釜トンネルが開通する前は、上高地へ入る唯一のルートで、1891年に槍ヶ岳に登るために宣教師であったウォルター・ウェストン一行が歩いた道でした。その登山道の脇に立っていた大木が何本も先日の台風で倒れていました。輪切りになった年輪を数えると200年を超えました。127年前にウェストン一行が通るのを見下ろしていた木だったのです。200年を超える木々から見れば、私の70歳など洟垂れ小僧ですね。

 

・台風で 折れた大木 二百歳

 

新潟県糸魚川市親不知のウェストン像

 

話は変わりまして、『日本アルプス 登山と探検』という本によって日本アルプスを世界に紹介したウェストンのレリーフが梓川右岸の上高地ルミエスタホテルの傍の岩盤に埋め込まれています。このレリーフは円盤にウェストンの顔を描いたものですが、ウェストンの椅子に腰かけた全身像が、新潟県糸魚川市の親不知の絶壁に刻まれた「砥如矢如」の下に造られた道の脇に置かれています。ウェストンが歩いた親不知の道を、私も先月925日に日本縦断てくてく一人旅の第2ステージで歩きました。

 

徳本峠に登り立つと湧き出した雲によって、残念ながら穂高連峰の山頂部は隠され、初雪も太陽が射したために消えてなくなりました。紅葉は既に去り初冬の雰囲気でした。その中にあって、幾霜雪、吹雪にも耐えながらも、つっかい棒をしながらも建っている徳本小屋の姿にはいつも感動します。

 

・岩壁を にわかに隠す 穂高岳

 

私は徳本小屋に2度泊まったことがあります。1度目は新島々から渓流沿いを歩いてウェストンが歩いたクラシックルートを追体験した時でした。その頃は旧小屋でランプの生活で、現在、旧小屋は資料館になっています。2度目は霞沢岳に登るために泊まった時で、新小屋になっており発発で電気が灯っている現在の小屋です。

 

・幾年月 徳本小屋に 煙立つ

 

徳本峠

 

小梨平キャンプ場に戻り、お風呂に入り食事を済ます頃に霰が落ちてきました。予定より早くテントを撤収し、バスターミナルに向かいました。

 

・霰落ち 色とりどりの 傘の花

 

3日間の上高地ハイキングレポートでしたが、いつもは登山で通過してしまう、横尾、徳沢、明神、小梨平を、今回はテント泊という形でゆっくり堪能できました。北から寒波が降りて来ていた気象条件のなかで少し寒かったのですが、自然の中で薄いテント一枚だけで過ごすことも、たまにはいいものと思います。

 

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