いで湯より あがり来りて われひとり 

濡れしタオルを 釘にかけたり

 

黄色に色付き始めた焼岳

 

 かつて10月10日は「体育の日」で祝日だった。今から49年前の1964年に東京オリンピックが開催された。開会式の日は過去の気象データにより最も晴天率が高いということで10月10日が当てられた。私は高校1年生だったが快晴の下での開会式をテレビで見た記憶がある。それを記念して国民の祝日として10月10日が「体育の日」と制定された。しかし、10月10日が年によっては火曜日、水曜日、木曜日になることもあり、週休2日制が定着したことに伴い「体育の日」を10日に固定するのではなく変動性として月曜日に持ってきて3連休とするように法律が変わってしまったが、今年もやはり10月10日は晴れた。

 

 私は晴れることを予想して東京駅7時発のバスで上高地に出かけた。バスの運転手によると前日の9日は上高地には雨が降っていたという。しかし、10日の上高地は曇り空で時折り太陽が顔を出すなど半袖で過ごすのにちょうどいい気候だった。私は大正池ホテル前でバスを下車した。大正池の向こう側に見える焼岳の紅葉(黄葉)は中段まで降りてきたように思えるが、未だ未だ鮮やかな色に染まっておらず、来週あたりが紅葉(黄葉)の真っ盛りになるだろうと感じた。池にはマガモの雄と雌が仲良く泳いでおり観光客が近寄っても危機感を抱かずのんびりと池に浮かんでいた。大正池からは明神岳、前穂高岳、奥穂高岳、西穂高岳と穂高連峰がパノラマとなって展望できるのだが、あいにくの曇り空で山頂部分が雲に覆われて隠れてしまっていたが中央部分の岳沢の黄葉が始まっているのが分かった。

 

 自然探求路を梓川沿いに上流に向かって歩いた。時折り頭上から黄色く色付いた葉が落ちてくる。大正池に流れ込む細い沢にも岩魚があちこちで見受けられる。禁猟区のため釣り人がいないので岩魚ものんびり泳いでいる。10日は木曜日だったが紅葉目当ての観光客の姿が比較的に多いように感じる。川沿いのベンチや河原で三々五々弁当を広げながら談笑する人たちも目に付く。やはり中高年の世代が多い。大正池から上流の横尾まで殆んど平坦な道なのでお年寄りや中高年でも気楽にハイキングができるのである。

 

河童橋から岳沢を望む

 

 12時半に上高地温泉ホテルに到着したので日帰り温泉入浴券を購入しホテル2階の風呂に入りに行った。今回も「焼けの湯」が男風呂に指定されていた。私は13時半まで1時間入っていたが途中で入ってきた入浴者はおらず独り占めの状態だった。露天風呂は源泉をそのまま引き込んであるので結構熱い。上高地で天然温泉を引いているのは上高地温泉ホテルと隣の清水屋ホテルの2軒のみで、その他のホテルや山荘は全て沸かし湯である。脱衣場に斎藤茂吉の自筆の句が掲げられていた。「いで湯より あがり来りて われひとり 濡れしタオルを 釘にかけたり」 細いが味のある書体である。

 

 湯上りは当然ビールであるがホテル内の自動販売機は500ml缶が売り切れだった。仕方ないので外の自動販売機で500ml缶を買ったのだが外の販売機の方が50円高かった。ガッチリしていると思った。今年の春に訪れた時は足湯やベンチはなかったのだが立派なベンチと足湯が作られていた。私がビールや焼酎を飲みながら昼食を摂っていた1時間の間でも足湯で身体を温めていく観光客が結構多かった。ベンチから霞沢岳と六百山が正面に見上げることができ、山頂部の紅葉は既に終わっていたがバスターミナルのある落葉松林は未だ未だ緑が多く真っ黄色に色づくまではもう少し時間が必要なようだ。

 

 河童橋脇の土産物屋で2種類の地酒と妻への土産に菓子を買った。河童橋は記念写真を撮る人々で大賑わいだった。その賑わいを避け小梨キャンプ場のベンチで静かにグラスを傾けた。ここの落葉松の黄葉も来週末頃が見頃だろうか。紅葉見物と温泉に入り東京に帰ってきたが小雨が降り出していた。翌日の上高地は雨だろう。

 

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