世界で一番好きな山・K2
世界第2位の高峰K2(8611m)
7月6日に最後の集落アスコーレからキャラバンを始めて8日目。いよいよ今日、私が何千、何万と聳える世界の山の中で一番好きな「K2」に出会えるはずだ。K2はカラコルム山脈にある標高8611mの世界第2位の高峰である。中国・新疆ウイグル自治区とパキスタンとの境にある。ただしインドは「カシミールのパキスタン占有地」と主張している。中国、パキスタン、インドの三国が国境線でもめているのは現在も続いている。岩と氷の世界は人里離れた奥地にあるため無名の山であった。インド測量局が1856年からカラコルムの測量を始めた際に無名な山にカラコルムのKをとって順にK1、K2、K3、K4、K5・・・と測量番号を付けた。その後、K2以外の山については名前を付けたり現地の名前が採用されたが、K2だけは測量番号がそのまま残った。一時期、この地域を探検したイギリス探検家であるゴドウィン・オースティンと呼ばれたこともある。中国名は「チョゴリ」で、これはチベット語系のバルティ語で「大きい山」を意味するが、現在ではK2が世界的に通じる山名となっている。K2は、バルトロ氷河を遡り氷河の最終地点であるコンコルディアまで歩かないと、その雄姿を見ることはできないのだ。
K2と寝泊まりしたテント
何年前のことだろうか。一枚の山の写真を見た。その写真には青空に真っ白く聳え立つピラミダルな山が写っていた。一目見た時、私の目はその山にくぎ付けになった。山の名前が「K2」であることを後から知った。その見事な山の雄姿は私の心に深く浸み込み決して離れることはなかった。その憧れの山・K2に出会うため西遊旅行社主催の「K2大展望 バルトロ氷河トレッキング」に参加することにした。添乗員は昨年の「キリマンジャロ登山」でお世話になった気心の知れた堤さん。日程は2011年7月1日〜25日のコースだった。昨年のキリマンジャロ登山に参加したメンバー9人の中から、湘南の本多さん、私の小中学校の同級生である熊谷の武者夫妻、川崎から大野さん、それに私の5人が参加した。
7月13日は雲ひとつない快晴の朝だった。氷河上のゴレUキャンプ地を後に6〜7時間の予定で9km先のコンコルディアを目指した。歩き始めて1時間ほどで左手に怪峰ムズタ―グタワーが現れた。トルコ語で「氷雪の山」と言われているように真っ白な氷と雪をまとい、人間が両手の拳を強く握り締め力強く立ち上がっているように見えた。右手に見える雪に覆われた峠の向こうは中国だ、と現地ガイドのアミ―ンが教えてくれた。
ガイドのアミ―ンと怪峰ムズタ―グタワー
前方には、ブロードピークからガッシャ―ブルムW峰、U峰、X峰、Y峰と連なり、その右側にミトレ双耳峰が屹立している。その下が目指すカラコルムの核心部であるコンコルディアだ。私たちは徐々にそして確実に歩を進めていった。
K2の写真を初めて見た日から随分長い年月が経ったが、私はとうとうK2に対面した。世界で一番好きな山との対面だ。想像していたよりもずっと大きな山だった。岩と氷と雪に覆われたK2は堂々としていて立派な山だった。同時に素晴らしく美しい山だと思った。初めて一枚の写真で出会った時と同様に、真っ青な青空の中に真っ白な三角形の山が聳えていた。午後2時を過ぎているのに山頂に雲の影は一つもなかった。
私たちはコンコルディアまでの来る途中の休憩時に、テントサイトに到着したらウエルカムドリンクを飲む前にK2に対面し万歳三唱をする打合せをしていた。音頭は私が取った。
「私たちはアスコーレから目的地のコンコルディアまでやってきました。ここに「K2大展望 バルトロ氷河トレッキング」の目標は達成されましたので、K2に向かい万歳三唱を行いたいと思います。万歳三唱には2つの意味が込められています。第1点は、私たちがここまで来られたのは現地のコースガイド、料理人、多くのポーターのみなさんの支援があって初めてなされたことであり、その方たちへの感謝の気持ちです。そして2点目は、私たち自身がとにかくお互いに励まし合いながら71kmの距離を歩いてやってきたお互いの健闘を讃えあう気持ちです。この二つを込めて万歳三唱を行います」
と挨拶したが途中で感情が高ぶって来て言葉が乱れた。
たくさんのポーターの方たちが取り囲む中、全員でK2に向かって「万歳三唱」をそれぞれの気持ちを込めて行いました。参加者、涙・涙・涙の万歳三唱であったのはいうまでもありません。私はコンコルディアにいる期間中、機会があればK2を眺めていた。勿論、写真撮影やスケッチもしたが、やっぱり自分の目で直接見るのが一番だった。