白馬は輝いていた
陣馬山山頂の白馬のモニュメント
今回の山行は東京都と神奈川県の堺に位置する陣馬山と景信山の奥高尾縦走日帰り登山で、最後の紅葉を楽しむ山旅でもあった。予定時間は6時間。下山後には、弁天の湯で登山の汗を流し、ビールで乾杯の予定だった。私が陣馬山と景信山の奥高尾縦走路を歩くのは、電電公社に勤務していた20代後半に、社内リエクレ―ションで登って以来なので、40数年ぶりだった。
谷あいの和田集落
始発電車に乗るため家を出た。気温は4度だった。青白い光を放つ凍ったような月が西の空に浮かんでいた。陣馬山登山のもより駅である藤野駅に到着したのは6時56分。この秋一番の冷え込みで気温は1度だった。空は晴れ渡っていた。30分待って和田行きのバスに乗り、終点で降りた。バスを降りた登山者は8人だった。霜が降りていた。谷間の村には日はささず、空気は凍っていた。手袋をはめている指先がジンジン痛かった。
陣馬山への和田尾根登山口
村の中を15分ほど歩き、和田尾根登山口から登りだした。やはりここにも「クマ出没注意」の看板があった。陣馬山山頂までは2.5kmの表示があった。落ち葉の積もるつづら折りの登山道を登っていった。ときたま日はさすが、朝の時間なので光に力強さがなかった。時折りシジュウカラの声が聞こえてきた。登り始めて30分たつと、右側に富士山が見えだした。絶好の展望日和になるようで、実に素晴らしい。
落ち葉が積もった登山道
リーンリーンとなるクマ鈴の音、 登山靴が落ち葉を踏みしめるサクッサクッという音以外は、全く音のない世界があった。今日もひとりの山道である。つづら折りに登っていくと約50分で一ノ尾根登山道の第2和田分岐に出た。簡単な登りだった。ここからは富士山の姿は植林された林に邪魔されて見えなかった。ベンチで一休みだ。薄めたポカリスエットの味が喉に心地よかった。ここの表示板には陣馬山山頂まで0.7kmの表示があった。栃谷川沿いの陣馬登山口から一ノ尾根を登ってきた登山道と合流して陣馬山に向かった。
陣馬山山頂の清水茶屋からの富士山遠望
第2和田分岐から霜が降りた登山道を上っていくと茶屋の屋根が見えだし、やがて白馬のモニュメントが立つ陣馬山855m山頂に着いた。山頂には3人の登山者がいた。男性の単独登山者にお願いし、白馬の前でスマホのシャッターを押してもらった。陣馬山山頂は広く、360度の大展望が待っていた。やはり、ここでも気になるのは富士山の眺めだった。
陣馬山山頂からの富士山遠望
期待通りに富士山が素晴らしい。富士山の眺望を十分楽しんだあと、ぐるりと360度の展望に移ると、山頂の北側は奥多摩の大岳山、秩父の雲取山が見えた。遠くに白く見えるのは日光の白根山だろうか。南側は富士山の左に大室山・檜洞丸・蛭ヶ岳・丹沢山、そして一番左に三角形の大山がくっきりと見えた。それらの山々は以前に登ったことがあり、素晴らしい山岳展望だった。
陣馬山山頂からの大山遠望
白馬のモニュメントも富士山に顔を向けて立っていた。20代後半に登ったときは、白馬に乗ろうとおもったが、像の高さが想像していたよりも高く、断念したことが蘇ってきた。山頂には信玄茶屋、富士見茶屋、清水茶屋の3軒の茶屋が建っているが、時間が早いためか、平日のためかは分からないが、茶屋は閉まっていた。山頂で20分ほど休憩し、景信山に向かう奥高尾縦走路に入った。山頂ではモミジが赤や黄や橙に色づいて綺麗だった。他の木々は既に葉を落としていた。縦走路に入ると登山道は広くなり、登山者が増え、トレイルランナーとも出会うようになった。
陣馬山山頂の紅葉
陣馬山への登りの狭い登山道とは違い、広くなだらかな縦走路を歩き奈良子峠に着くと、陣場高原下バス停に降る登山道は、林道が崩れたため通行止めとなっていた。植林内ではチェーンソーの音が常に響き、間伐作業を行っていた。切られた木々は凄い本数だった。間引きしないと良い木が育たないのだろう。それにしても傾斜がきつい山での作業は大変だと思う。
明王峠から景信山へ向かった
明王峠に到着すると、ここにも茶屋が建っていたが、茶屋は開いていなかった。この峠から左側の底沢峠・景信山方面に向かった。登山道はアップダウンを繰り返し続いていたが、登山道の脇に「皇紀二千六百年記念造林
恩方村」という石碑が建っていた。行き交う登山者の半分は私が挨拶しても無言だった。コロナウイルス感染を考えての行動だろうと思った。コロナの影響は様々の面で出てきている。
火災の芽 摘んで緑の 八王子
底沢峠で女性単独登山者に追い抜かれた。小さめのザックを背負ったフットワークの良い若い女性だった。この底沢峠からも陣場高原下バス停に降る登山道があった。ここあたりで目に付くのは「火災の芽
摘んで緑の 八王子」という森林火災防止を促す立て看板と消火用水だった。
針葉樹の保全林が切り倒されて広葉樹が植えられていた
植林された保全林が切り倒された跡に、スギやヒノキを植えるのではなく、モミジやブナやホウなどの広葉樹を植えた場所があった。花粉症などの原因になっているスギ・ヒノキの花粉が飛び散るのを減少させ、本来の森に戻す計画だと思われた。非常に良い事だと思う。50年も経てば綺麗な広葉樹の森が復活するだろう。
景信山山頂727mに着いた
更に、堂所山・白沢峠というように次々と小さいアップダウンを繰り返し、1時間30分ほど歩くと景信山727m山頂に着いた。ここも茶屋が建つ広い山頂だった。セルフタイマーを設定して山頂に到着した写真を撮った。茶屋の前にはたくさんのテーブルやベンチが置かれていた。
景信山山頂に立つ「鬼滅の刃」のポスター
びっくりしたのは、現在大人気のアニメ「鬼滅の刃」のポスターがあちこちに貼られていることだった。登場人物の一人の出身地が景信山という設定のためだと分かったが、アニメの大ヒットによって景信山は突然「聖地」になってしまった。残念ながら景信山から静けさは飛んでしまったように感じられた。
景信山山頂からの都心方向の眺望
山頂の東側が開かれ、霞んではいたが都心の高層ビル群が望めた。ここのベンチに座り、コンビニで買ってきたおにぎり、群馬の生家からの焼き餅、熊谷に住む幼なじみが送ってくれたリンゴでお昼ご飯にした。空は晴れ渡り、空気が澄み、清々しかった。良い景色が素晴らしいおかずに加わった。ここから下山口までは、まだ山道を2時間歩かなければならないので、スキットル内のウイスキーはおあずけである。山頂の西側からは富士山が眺められた。
落ち葉の積もった旧甲州街道
景信山の山頂をあとにして30分で小仏峠に到着した。茶店があったが営業はずいぶん前に中止したようでくすんでいた。この峠は甲州から江戸に向かう昔の甲州街道の峠で、左折すれば八王子方面に、直進すれば高尾山方面に、右折すれば甲州方面に向かう。時間的にみても直進して高尾山経由で下山も可能だったが、私は予定通りに右折して相模湖に向かって降りていった。高尾山は日本一の登山者数を誇る山だけに、混雑は避けられないと判断したのだった。コロナ感染を防ぐために、密は避けなければならない。落ち葉の積もる道は凸凹や浮き石などが隠れてしまい、足運びに神経を使った。小仏峠から1時間の下りで国道20号に降りた。ここから間近な弁天の湯・旅館天下茶屋の日帰り温泉に向かった。
弁天の湯・旅館天下茶屋
天下茶屋の弁天の湯を訪ねたのは初めてだった。鄙びた温泉宿の感じを受けた。玄関に「臨時休業」の表示がされていたが、中に入って営業を確認すると、日帰り入浴は出来るとのことだった。両手を消毒されたあと入浴料1000円を払うと、女将さんから、お湯の配管が壊れているので、洗い場の様子を見ながら入ってください、と言われた。あらまーと思いながら浴室に入ると、日光が差し込み明るくて気持ちが良かった。温泉は無色透明で温めだった。お客は私ひとりだった。
無色透明で温めだった弁天の湯
30分ほど湯につかり、さっぱりした気分でフロントに戻り、相模湖駅までのバス時刻を旦那さんに尋ねると、14時台は1便もなく、次は1時間後の15時15分とのことだった。しかたないので相模湖駅まで30分ほど歩くことにした。温泉から出ると、新たにお客さんが4人来ていた。女将さんが犬を連れた登山者だと言った。玄関先に黒い大型犬が繋がれていた。私が玄関を出るときに吠えるかと危惧したが、眼がオドオドして落ち着きがない犬だった。
あ〜ぁ 残念! かどや食堂は休みだった
さっぱりと汗を流したあとは当然のことビールが待っているのだ。渇いた喉にビールが美味い。30分ほど歩き、勇んで相模湖駅前の「かどや食堂」にいくと、無情にも店は休みだった。あ〜ぁ残念!気持ちが一気に萎えたが、すぐに気持ちを切り替えて、近くの酒屋に飛び込んで缶ビールとワンカップ地酒を2こ買った。それを持って駅構内に入った。ホームの待合室の椅子に座り、無事に下山し、温泉に入れたことに乾杯したのだった。登山が出来る体力、酒が飲める身体に感謝しての乾杯だった。ま、たまにはこういう乾杯もあるだろうと思った。