房総のマッターホルン伊予ヶ岳に登る

 

伊予ヶ岳南峰336m頂上

 

今回の山旅のテーマは、房総のマッターホルンと呼ばれている伊予ヶ岳に登り、360度の大パノラマを楽しんだあとは、田舎道をのんびり歩きながら咲きだした菜の花やスイセンの花を愛で、鋸山金谷温泉で汗を流したあとは、刺身を肴に地酒をいっぱいやる、というものであった。千葉県の山の最高峰は愛宕山で標高は408mである。全国の都道府県の最高峰を比べてみると、一番低いのが千葉県である。千葉県内で唯一「岳」が付くのは伊予ヶ岳のみであるが、336mの山頂は東京タワーのてっぺんとほぼ同じなのである。

 

房総のマッターホルンと呼ばれている伊予ヶ岳

 

津田沼駅で乗り換えた快速電車は冷え冷えとしていた。頬に微かな風を感じたので、12月中旬にクーラーを入れているのかと思い電車の天井を見上げると、車内の全ての窓の上部が10cmほど開いていたのである。新型コロナの感染拡大防止対策である。乗客を眺めるとフードを被っている人もいた。私もフードを被った。感染拡大防止対策とはいえ、窓開けはこれから増々寒さが厳しくなる季節にどうなっていくのだろうか。

 

南房総市市営バスのトミー号

 

6時51分、太陽が顔を出した。内房線君津駅を出てまもなくだった。気温は0℃。空には雲ひとつなく、東の空はオレンジ色に輝いていた。今回も見晴らしの良い登山になることを保証する日の出だった。鋸山の登山口である浜金谷駅の手前で、東京湾越しに富士山が裾野まで見えた。

 

平群天神社と背後に聳える伊予ヶ岳

 

夏は海水浴で賑わう岩井駅も早朝では人影はまばらだった。駅前に南房総市市営バスの黄色のマイクロバスのトミー号がエンジンをかけながら止まっていた。運転手からバスは予約制と言われたが、名前を伝え200円を払って乗車した。伊予ヶ岳の登山口がある天神郷バス停で下車した。平群天神社の後ろに聳え立つ伊予ヶ岳岩峰が見えた。神社境内で登山準備をし、神社に登山の安全を願ってから伊予ヶ岳に向かって歩を進めた。登山口には伊予ヶ岳の説明と、「この先の道、マムシに注意」の看板が立てられていた。 砂防堰堤の脇から杉林の中の登山道を登っていった。

 

展望台から富山を望む

 

登り始めて10分で富山分岐に着いた。分岐には南房総市が立てた注意看板が立っていた。やがて登山道は広葉樹の林の中へと変わっていった。周りからはヒヨドリやシジュウカラの鳴き声が聞こえてきていた。東屋が建つ展望台に着いた。伊予ヶ岳山頂が間近に見えた。東京湾には白い大きなタンカーが浮かんでいるのが見えた。富山の左に大きな山が見えた。見なれない山だと思ったが、それは山ではなく大島だった。

 

山頂直下の岩場のロープ

 

展望台でひと休憩したあと登り出すと、すぐに長いロープが設置された岩場の急登だった。ひとつ登ると次が出てくる形で、4段か5段に続く急登を50mほど登った。ほぼ垂直とも思われる急登は少しばかりスリルが味わえた。ロープや鎖が設置されていなければ、登るのに苦労するだろう。最後の鎖場を登りあがると、そこが伊予ヶ岳南峰336mの頂上だった。山頂部には所々に雪が残っていた。山頂から絶景を見ながら一休みである。登山口から30分弱という短い時間で山頂に立つことができ、しかもちょっと過激な岩場にはロープや鎖が設置され、スリル感を十分楽しめる登山だと思った。

 

伊予ヶ岳南峰より富士山を眺める

 

伊予ヶ岳南峰に設置されていた展望案内図によると、正面に双耳峰の富山が望めた。その左側にあるのは 海に浮かぶ大島だ。富山の右側には伊豆半島が連なり、最初にポコっと出たのが箱根山。その横に日本一の富士山が見える。南側から見る富士山は、北側から見るのと違い殆ど雪の白さが見えない。山頂部に雪が残っているのはわずかだ。さらに右側に目を移していくと、南アルプスの山々が真っ白となっていた。素晴らしい。1週間前に甲州高尾山から眺めた時とは全く違った南アルプスだった。雪化粧したのは今週の寒波による影響なのだろう。三浦半島に続いて久里浜が見えた。手前には7月に登った鋸山が細長い山体を横たえていた。

 

伊予ヶ岳北峰より南峰を望む

 

南峰から北峰に向かうと5分ぐらいで山頂に到着した。北峰の山頂には山名表示板はなく、コンクリートの三角点が打ち込まれていた。この山頂にも融け残った雪があった。さあ下山しよう。南峰まで戻ってくると、2人の若者が登ってきた。ハキハキ挨拶する元気な若者だった。

 

山頂に残っていた雪

 

展望台に戻ると南房総市の「岩場の急登注意」の看板が立っていた。確かに注意看板に書かれていたように伊予ヶ岳はハイキングコースではなく山登りであるが、きちんと準備をして登れば、山頂に登った時の展望は素晴らしいものだった。これから平群明神社まで下山し、そこから岩井駅へ2時間の道のりだ。その後はお楽しみの温泉と刺身と地酒が待っている。ルンルン気分だ。

 

菜の花が咲いていた

 

下山口から岩井駅まで田舎道を歩いていくと、道路脇にスイセンの白い花がたくさん開いていた。タンポポや菜の花も咲き出している。季節は初冬なのだが、早春を思わせるようなポカポカ陽気で、空気が清々しく感じられた。田舎道は行き交う車も少なく実に歩きやすい。気の早いウグイスが季節を間違えたのかホーホケキョと鳴いていた。晩秋の紅葉と早春のスイセンや菜の花が同時に見られる。やはりここは南国・南房総である。

 

あちこちに置かれていた有害鳥獣捕獲罠

 

立派なスイセンの花を袋に入れ、杖をつきながら重そうに運んでいるおばあさんがいた。話しかけてみると、1月いっぱいまでスイセンを出荷しているとのことで、イノシシの被害がひどいと言う。イノシシはスイセン畑に穴を掘り、土の中にいるミミズを食べるので、設置してある捕獲罠は全てイノシシを対象にしているとのことだった。私がスイセンの球根は毒があるでしょう、と尋ねると、おばあさんはスイセンの球根を触った手で皮膚を触ると、皮膚の弱い人はかぶれて痒くなるとのことだった。おばあさんは収穫したスイセンを自転車の荷台にくくりつけると、杖をついていた姿からは想像もつかない姿で颯爽と自宅に帰っていった。捕獲罠は道路から見えたのが5、6ヵ所あったので、膨大な数が設置されていると思われた。

 

道端にスイセンが咲いていた

 

お昼の時報の代わりに哀愁漂う『浜千鳥』のメロディが防災行政無線から流れてきた。むかし聴いた懐かしい曲である。浜千鳥と南房総市との関連を調べてみると、作詞者の鹿島鳴秋が娘の療養のために家族とともに外房の和田町に移り住み、療養の甲斐なく亡くなった娘を偲んで作ったのが「浜ちどり」の詩だという。やがて岩井駅に到着した。8時30分に平群天神社登山口を出発し、伊予ヶ岳南峰と北峰に登り、下山後は田舎道をのんびり歩いて岩井駅まで戻る4時間30分の周回コースの第1ラウンドは終った。次は浜金谷駅まで移動し、鋸山金谷温泉に入って地酒を味わう第2ラウンドだ。

 

創業安政元年という老舗旅館の『かぢや旅館』

 

浜金谷駅から歩いて10分ほどで鉄筋4階建ての安政元年創業という老舗旅館の『かじや旅館』に到着した。玄関に置かれた3つの水槽にタカアシガニが10匹ほど動いていた。手指の消毒と検温をしたあと、入浴料の700円を払って風呂場に向かった。温泉は温めで無色無臭だった。30分ほどゆったり入って汗を流した。入浴者は私ひとりである。

 

かぢや旅館の風呂

 

身体がポカポカしてきたところで玄関に出ると、プランターに観葉植物を植え込んでいる旅館の女将さんに会った。そこでしばし歓談。女将さんは60代と思われた。最近はコロナ感染の影響で旅館経営は厳しく、以前はこの界隈でも20軒ほど宿泊施設があったが、みんな営業を終えて今は一軒だけになってしまった。先代が県や各市の官公庁関連に話をつけていたのでどうにか持っている。息子が東京から帰ってきて旅館を引き継いてくれたが、これからどうなるか今の状況では難しい、と話していた。話題が暗くなっていくと、やっていくしかないからね、また来てくださいね、という言葉に見送られて食事処に向かった。

 

地元で人気の「さすけ食堂」

 

徒歩10分で「さすけ食堂」に着くと、入店を待っている人が6人いた。さすけ食堂は火水木の3日は休みで、週4日営業なのだ。そのため登山日を金曜日に設定したのだが、店内は満席だった。店に入って手指を消毒し、額で検温を済ませて受付をした。メニューに目を通し、1番人気の「さすけ定食」1600円をお願いした。受付番号は72番だった。 店内はL字型カウンターと奥座敷があった。私は受付をしてから10分程度で入店できた。

 

美味しかった「さすけ定食」

 

店内では5人が厨房で料理を作り、2人がフロア係で動いていた。全ておばさんだった。お客にとっては味が良ければ、それでいいのだ。私はビールを注文した。出てきたのは大瓶だった。久しぶりに大瓶を見て顔がほころんだ。ビールを飲んでいると注文した料理が出てきた。刺身はアジ・イカ・カンパチだった。アジのフライもあった。ビールをグイグイやりながら刺身を食べた。身がプリプリしていて美味かった。次にアジのフライを食べてみると、肉厚で歯ざわりが柔らかく、実に美味かった。味噌汁には魚のすり身が入って粘りがあり、抜群に美味かった。ビールはすぐなくなってしまった。追加で日本酒を頼んだ。地元の富津市で造っている「聖水」300mlだった。

 

本日の営業は終了致しました

 

私は店に14時過ぎに入ったのだが、30分ほどで暖簾を下ろしてしまった。ネットで確認した営業時間は、10時〜16時となっていたのでビックリ。仕入れた食材が終わったのだろうか。私は刺身とアジフライを肴にビールと地酒を飲んでいたのだが、店内のお客は次々と会計を済ませて出て行き、残っているのは私ひとりになった。厨房内もフロアも後片付けをしていた。私は14時45分に食事を終えて会計を済ませたのだが、ビール大瓶を飲み、300mlの地酒を飲んで食事時間30分は結構押していた。平日でこの混みようは人気店だけに仕方ないのだろう。次はもっとゆっくり味わいたいと思った。店のおばさんも地元の方で、朴訥として田舎丸出しだった。それが良いのだ。

 

岩井漁港からの富士山の眺め

 

今回の山旅も登山を楽しみ、温泉に入り、刺身と地酒を楽しむというトリプルエンジョイができて嬉しかった。千葉の山は標高が低いので簡単に登ることができる。房総半島は周りが海で漁港も多い。その結果、新鮮な魚介類が味わえるのが利点である。この利点を十分に活かして山に登り、その後の温泉と刺身と地酒を楽しむことができる良い土地である。これからも地元をあちこち歩きまわろうと思う。